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現在18歳です。小学生の頃から死について考え恐怖していたのですが、朝になれば自然と忘れていました。しかし最近は昼間でも忘れることができず無気力状態で生活に支障がでています。思えば私を私として認識するこの私とはなんなのでしょうか?人間の脳は物質でできていますが、意思や考えや感情は物質なのですか?今は両親も健在ですが、あるとき突然存在し、突然どこかへ消えていく事が不思議で仕方がありません。宇宙の始まりはビックバンだと本で見た事がありますがその前はどうなっていたのですか?宇宙が存在している事があきらかな以上それを作ったもの(神?)のようなものが存在するのではないですか?すると(神?)のようなものを作った(神?)のようなものが実際に無限に存在する事になり訳が分かりません。漫画やアニメの世界だとばかり思っていたのに私の知っている事などほとんど何もないではないですか?あたりまえだと思っていた事が全然あたりまえでない事にとても驚いています。自分の生死に関わる事なのに多くの人はなぜ存在するのかが不思議ではないのでしょうか?なぜ誰も大声で叫ばないのでしょうか?私たちはどこに向かっていけばよいのかを知らないで生まれ、いずれ死んでいかなければならないし、長生きすればするほど家族や友人をどんどん失っていかなければならないなんて絶望以外のなにものでもない気がするのですが、どうですか?それともこの世界はすべて夢なのでしょうか?夢を見ている私とはなんなのでしょうか?
かなりまいっています。

A 回答 (10件)

18才ともなればそろそろそういうことについて考え出しても良い時期だと思います。


一つ一つの問題についてとても大きな問題だと思いますし、私も本当に不思議だと思います。
それについて科学的に研究している人もいれば、哲学に答えを求める人、宗教に答えを求める人などもいます。
しかし万人が納得する答えが出ていないのが現実です。
みんな考えても分からないのであきらめてしまっているのです。
そして「とにかく今を生きよう」というのが精一杯です。
どこからともなく生まれ、何も分からないまま、信じていたものに裏切られて、最後は死んでいく。
そういう人生をみんなが生きているのです。
それでいいじゃないかと思っている人ばかりです。
しかし誰も考えたことがないわけではありません。
過去の偉人たちがいろんな思索をした結果を残しています。
自分で考えても答えは出ないでしょう。
まずは先哲が考えたことを学んでみるのをお勧めします。
考えているだけで行動しなければ何も変わりません。
大きな問題だと思うならば空をぶち破って行動して下さい。
そして自分の考えの間違いに気がついて下さい。
西洋哲学の入門書のような存在である『ソフィーの世界』によると、
「私とは何か」「世界はどこから来たのか」
この2つが哲学の中心的テーマだそうです。
東洋のインド哲学や仏教哲学と比較して勉強されると良いと思います。
科学の見地から考えてみるのもいいでしょう。
いわゆる「身心問題」や「素粒子論」になるのでしょうか。
どうかあきらめず答えを見つけてみて下さい。
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>私たちはどこに向かっていけばよいのかを知らないで生まれ、いずれ死んでいかなければならないし、長生きすればするほど家族や友人をどんどん失っていかなければならないなんて絶望以外のなにものでもない気がするのですが--


そうなんですよ。私達はそういった絶望を乗り越えてともかく生きていかねばならないのです。それが動物と違い、意識と言うものを持ってしまった人間の辛いところです。
どうかくじけずに、生をまっとうしてください。たいていのひとがそうやって生きてきましたし、絶望せずにまっとうな生を生き抜いて死んでいきました。その秘訣は、やはり余り考えすぎないことです。できれば動物に近い生を愉しみ、死ぬことです。動物は余り死を怖がらないようです。もちろん彼らも理不尽な死には抵抗する事もあるようですが。
>それともこの世界はすべて夢なのでしょうか?夢を見ている私とはなんなのでしょうか?
そんなことをプラトンもいっていますね。我々は洞窟の中で奥の壁に向ってそこに映る影を眺めている存在だとも。でも貴方は覚醒してしまいましたから、壁の幻影を眺めて満足している平凡人では(不幸ながら)なくなってしまったのでしょう。これからはあなた自身の頭で解決していかねばならないと思い増す。がんばってください。
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もうすこし哲学や宗教的な問題におきかえたらどうでしょうか。

プラトンは魂があるとか、一なるものがあるとかいっています。そうすれば、疑問は解消されるのではないでしょうか。
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「私は誰? どこから来てどこに向かっているの? 何の目的を持って生まれて死ぬの?」



と苦しむ人に「これです」と、宗教団体は信仰という甘い飴を子供に与える。

「そうか」と納得して飴を口にくわえてレロレロとやって満足する人はいい。

が、甘いだけで実体が無い と感じて吐き出し、自分が満足だと感じるものを探す人もいるわけです。


河合隼雄さんは、日本にユング派を広めた人でもあります。
彼はある家庭を訪れた。
ひきこもっている少年と面接をしたわけです。


ひきこもっている少年いわく、「うちには宗教が無い。」

確固たる絶対的なゆらぎの無い世界にいないことに、不安でしょうがないわけです。

殻に引き篭もることで不安から逃避しようとしても、不安は去らなかった。
では、どこにいけばいいのか。 わからない。
じゃあ 何もしない方がいい。現状維持、
ということで 引き篭もることをやめない。



新世紀エヴァンゲリオンは、その人達への福音でもあると思います。

シンジ「夢をみてはいけないのか」

レイ「夢の終わりは現実の始まり」


エヴァを語るとえっらく長くなってしまうので、やめときます。
自分の目で確かめてみてください。
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 私は、エドガー・ケイシー氏やスワミ・スリ・ユクテスワ師やパラマハンサ・ヨガナンダ師などの説をとります。

その著書などはエドガー・ケイシーのものは非常に多数出版されているので個々に紹介はできませんが、スワミ・スリ・ユクテスワ師は「聖なる科学」(森北出版)、パラマハンサ・ヨガナンダ師は「あるヨギの自叙伝」(森北出版)を紹介しておきます。
 以上の霊能者や諸先生方の説を参考に、私が考えるところを述べますと、「宇宙とは生命そのものであり、精神そのものであり、生命も精神もないというものは何もない」と考えます。
 宇宙という生命(神と言った方が良いでしょう)の精神(こころ)の働きによって様々な事象が発生し変化して出来上がったのが、我々がいま見ている世界なのではないかと思います。
 誰でも夢を見ますね。そして、その夢に出て来るすべての人やものや自然は自分自身であり、自分の精神が創り出したものです。ところが、その夢の中の自分と同じ姿をしている人しか、自分というものを自覚出来ていませんね。しかし、自分の夢である以上、すべてが自分なわけです。
 つまり、宇宙には無数の生物や自然がありますが、そのすべては宇宙生命(神)そのものというわけです。ところが、どこかで錯覚しているのか、その中の一人しか自分であるという自覚がないわけです。他の者は別人として生きているわけです。こう言う風にして、複数の宇宙が出来たのでしょう。
 また、夢の中で、さらに眠って夢を見たという経験はないでしょうか?2重3重に眠って夢を見ているわけです。
 これがいわゆる次元といわれるものでしょう。
 つまり、宇宙生命(神)は一つの夢を見た。複数の宇宙が出来た。複数の宇宙はそれぞれに夢を見た。一つ下がった次元の宇宙が出来た。
 このようなことが繰り返されて、神→神々→神霊・天使→霊→物質世界(と言われる世界)が出来上がったのだと思います。
 この物質世界も形のない電気的なエネルギーによって形成されているわけです。つまり、元から固形というものはないわけです。仏教的に空ですね。その空なるものが何かの因縁で固体になっています。これをヨガでは「プルシャの観照」と言います。つまり精神の働きが縁になっているわけです。その精神はどこから来たのか?私はわかりません。最初にあったとしか言えません。
 つまり、宇宙のすべては一つの精神から生まれ、それを自覚できなくなったことによって、多数の他人が出来てしまったと思うわけです。本当はすべてが自分自身なのですが。だから他人にしたことが自分に帰って来るのでしょう。本当は自分が自分にしているわけですから。
 ヨガなどの聖者が眼を覚ませと言っているのはそういうことではないかと思います。
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私も質問者様の年齢時点では、ご質問の答がわかりませんでした。


しかし、その後、ある本を読んだところ、その答のかなりの部分が書いてあり、本当に驚愕しました。
というのも、それが本当であったとしても、納得はできる内容だったのです。
しかし、それは本当であるのかどうか、当然、疑いました。
それで、信憑性等の検証を客観的にかけながら、少しでも間違っていると思われる内容があれば信じるのは少なくとも保留しよう、という姿勢で、その著者の他の著書を読んで行きました。
すると、疑わしいどころか、むしろ真剣さ等々において、自分の方こそいい加減で未熟な認識しかなく、著者の方ははるかに真剣でいらっしゃることがストレートに感じられ、内容も理論的にも道義的にも納得できるものでしたので、明確に信じることができるようになりました。

前置きが長くなってしまい、恐縮ですが、とにかく、そういう本が存在する、ということをまず記しておきます。
ただ、その本を紹介することが、この場において適切かどうか、現在のところ不明な状態なので、私としても(質問者様にとっても?)大変残念なのですが、本の紹介は省略させて頂きます。

ただ、少しだけポイントを記しておきます。
●人間=肉体+霊魂であり、死んだら霊魂が肉体から離脱し、基本的には霊界へ帰ることになるだけのことだそうです。
●霊界では、基本的に、その霊魂の波長・比重(心境等)に応じて分かれて存在することになるそうです。
すなわち、暴力的な粗雑で重々しい霊魂状態の人は同様な人と一緒になり、親切な霊魂状態の人は同様な人と一緒になり、更に自分の欲得よりも他者に幸せをもたらすことを自分の幸せとして活動しているような天使のような状態の人は同様な人と一緒になったりするそうです。
なお、(心境やその他の要素も含めて)霊魂の状態が変化すれば、変化に応じた所へ移動することは可能であるそうです。
●ただ、天国でも、周囲は自分と似たような人達ばかりなので居心地はいい反面、長く居ると停滞・退屈することもあるようで、そうすると、ちょうど缶詰の中に比重の違う気体を入れるような感じで、肉体という物質の中に入ることによって、霊界では交流困難だった様々な人々と交流可能となり、様々な体験等を通して自分や社会を(神仏や神仏の世界のように)素晴らしくして行ったりすることができ、そこに充実感や幸福感を味わうことができる、ということのようです。
(なお、母体に宿って生まれて来るためには、天国的霊魂状態であることが前提であるそうです。)
●ちなみに、脳はコンピュータのような物であり、大変優秀な働きはしてくれますが、例えばこの文章だってコンピュータ自体が勝手に書いたものではないように、脳やコンピュータは霊魂の意図をこの世的に表現する物である、という見方が正しいと思います。
●その他、神仏や三次元宇宙や霊界宇宙や人間の起源や天国地獄の様相を含め、幸福な生き方の指標等々…に関しまして、膨大な内容が書かれていますが、さしあたり上述の紹介程度が妥当かと思いますので、その他は省略させて頂きます。
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貴方の気持ちが良く分かる者です。

貴方と同じ頃に私も相当悩み、苦しんだ者です。貴方の心を説明しますので、後は自分で学んでください。

貴方が抱いている疑問は、本当は貴方自身が、その疑問の発信源と言えます。そうして、貴方が抱いている疑問の答えは、その疑問が出た時点で、貴方の心には用意されています。その答えはあくまでも自分自身が答える他は有りませんが。

貴方の抱いている疑問は、人間としての当たり前の疑問と言えます。それは貴方の中に「そうさせる者が」いるからです。貴方の抱いている疑問は昔から人間を悩ませ、苦しめて来た疑問です。ですが、この事が人間を豊かににさせている事も事実です。

貴方の疑問の背景を説明します。是は聖書にも書いて有ります。貴方が今までこの疑問を抱かなかった事を、聖書では「天国に一番近い存在は幼子」という風に表現をしています。この意味は「意識をして世の中を見ない」という事です。

今までは、分別を交えないで、一つの心で生きて来た。という事になります。是は分別を交えないというよりは、分別出来る能力が無かったという事になります。脳の機能が分化していなかったという意味になります。人間が成長して、左右の脳の機能が分化が完成に近くなった頃を、知恵のリンゴを食べた、という言い方になります。それは物事を分別で見るようになったという事です。

是は、はっきりと分かり易く言うならば、「意識をして」世の中を見るようになったという事になります。そうして、反省をしたり、他と比べてみたり、昔と比べたりします。幼子には出来ない事が出来るようになったという事です。是が天国からの追放という意味です。

この意識をするという事が人間の苦しみの始めとなっています。この意識をするという事が、天国にはいられなくなってしまう理由となります。この事をもっとはっきりと書いてみます。

意識が人間の邪魔をしているものが、周りを見た場合に沢山あります。一つは「精神疾患」一つは「神経症」一つは「自律神経失調症」等です。広い意味では、まだまだ数えだしたらきりが無いくらいに在ると思います。これらに共通する事が在ります。それらに共通するものは、二つ在ります。

一つ目は「不安」という事です。二つ目は「意識するという事」です。その証拠は、その症状名に表れています。不安というものを意識して、その意識をしたものが、そっくり「症状名」になっているという事です。この不安というものと、意識をするという事はペアになっています、この事を説明します。

不安は「自我意識が意識をしている状態」のことですが、ただ意識をするだけならば問題は有りません。問題になるのは意識をし続ける事です。その時には問題が出てきます、意識をしている間は無意識が出て来れなくなるからです。出て来れなくなった「無意識が」自我意識に圧迫を加えてきます。是が漠然とした不安や罪悪感などですが、この事は分かり難い事なので、このくらいにします。

さて、貴方が抱いている疑問の解き方が在ります。今の貴方のままではその疑問を解くのは、かなり難しいと思いますので、ヒントを出してみます。貴方は自分の自我意識で疑問を抱いています。自我意識は左脳の意識です。左脳には左脳にしかできない事が在ります。ですが左脳には、又出来ない事が在ります。

左脳の専門は分別する事です。他の言い方をするなら、分別出来ない問題は手も足も出ないという事になります。分別とは有限の又の名と言えます。自我意識は割り切れることしか理解する能力が無いという事になります。従って、感情や、体を調節する事や、心をコントロールする事や、宗教関係の事や、永遠、無限という事を理解するという事には歯が立たない事になります。

人間が豊かに安楽に暮してゆくためには、左脳の自我意識と右脳の「無意識の意識」とが互いに手を取り合ってゆく必要が在ります。その事が分からないで苦しんでいる姿が、精神疾患や、自律神経失調症や、神経症などの障害と言えます。その事の解消方法が「禅」の中に在ります。

禅問答が在ります、是は何にもならない代名詞のように考えられていますが、実は違っています。是は、先に挙げた障害というものが左脳の自我意識だけで生きて行こうとしてつまずいている現象。つまり、機能の問題から出来ない問題に取り組んでいる姿、無限のループに落ちている事です。出来ない脳で考えているから、全てを否定しています。

そこから抜け出すという方法が禅問答に在ります。禅問答はやっぱり難しいです。分かり難いです。ですが是には訳が在ります。自我意識では解けないように工夫されているからです。禅問答が解けた時は、先に挙げた障害は完治します、何故ならば、右脳と左脳に在る二つの心の矛盾を人間は、苦しみ、疑問と感じているからです。

禅問答が解けた心持の事を、有限の身からの解放という事が言えます。有限の心から解き放たれた自由な心、或いは絶対の安心、という言い方でも良いと思います。それは「神に会って和解した」という意味になります。もう心が不安になる要素が無くなってしまうからです。又全ての疑問が解消されます。

貴方が今言った事を、体得したいとお思いで有れば、鈴木大拙博士の書いたものを読んで見て下さい。博士は25歳で悟りを開いています。その事の詳細は、著作したものに良く顕れています。ですが是は知識では有りません、あくまでも体験です。この体験を宗教経験と言います。是はあくまでも、知識としてならば、何にもならない事とも言えます。
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我々は世界の一部であり、世界が持つ衝動そのものです。



「脳は物質でできている」とか「宇宙の始まりはビックバン」だとかいう話は、世界が持つある側面の「説明」に過ぎません。水泳の「説明」をいくら聞いても、泳げるわけではないのと同様、世界の「説明」をいくら聞いても、自分が「世界」そのものとして生きられるわけではありません。

大切なことは、自分は生きる前に「既に世界の一部として生きている」ということです。
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自分も、そしてこの世界もある事が不思議なのでしょう。


社会に出ると忙しいせいか、こんな疑問も忘れてしまうものです。

今のあなたは感受性も豊かで、全てに対して疑問を抱くのでしょうが
残念ながら、この質問に完全に答えられる人はいないのです。

ただ、昔も今も、この世界の真理を知りたいと願う人は沢山いるのです。
そして、哲学も宗教も科学もその事を追い求めているのです。

世の中のほとんどの人達は、生活に追われて忙しく、そのような疑問すら忘れて生きています。
でも中には、その疑問を解決すべく取り組んでいる、或いは取り組まれてきた方がいます。
私も先人の答えを示すことはできますが、自分が100%了解したものでもなく、ここでは控えさせていただこうと思います。

失礼かもしれませんが
この質問をあなた自身にとって、人生の少し先までしまっておいてはいかがでしょうか。
そのほうが、あなたにとって有益だと思うからです。
まずは社会人としての一歩一歩を大切にしていってください。
人生の少し先に行ってからでも間に合います。
そのほうが間違いなくいいと思います。
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 ★ なぜ、どのようにして人間は存在しているの?


 ☆ 自分で生きてみたいと思ったので このように それでも なぞだ なぞだと言いながら わたしは 存在しています。
 たぶん わたしは 人間です。
 ほかに 言葉を話して わたしと対話をする存在も 人間なのでしょう。

 ★ 多くの人は考えないのか? 不思議ではないのか?
 ☆ 考えて 不思議でありつづけるのですが 生きてみたいと思う気持ちのほうが 強いようです。

 ★ 死について考え恐怖していた
 ☆ だいたい みな 同じでしょう。
 ★ 思えば私を私として認識するこの私とはなんなのでしょうか?
 ☆ みづからの存在について おそれを抱くことが備わっている存在です。

 ★ あるとき突然存在し、突然どこかへ消えていく事が不思議で仕方がありません。
 ☆ おもしろいでしょう? と言いたくなるのですが 不謹慎ですか?
 ★ 宇宙の始まりはビックバンだと本で見た事がありますがその前はどうなっていたのですか?
 ☆ 知りません。しかし わたしの生きることを用意してくれていたのでしょう。
 ★ 宇宙が存在している事があきらかな以上それを作ったもの(神?)のようなものが存在するのではないですか?
 ☆ これは 自由に 想定していいのです。なるべく ほかの人たちも 納得いくような内容で 物語を作ってください。ちゃちなものでは だめですよ。 神がいる でもよいでしょうし 神はいない でもよいでしょう。

 ★ 私たちはどこに向かっていけばよいのかを知らないで生まれ、いずれ死んでいかなければならないし、長生きすればするほど家族や友人をどんどん失っていかなければならないなんて絶望以外のなにものでもない気がするのですが、どうですか?
 ☆ 引き受ければ よいのです。引き受ける能力を じつは じつに あたえられているようですよ。

 ★ それともこの世界はすべて夢なのでしょうか?
 ☆ 夢ではありません。現実です。それが 証拠に ゆくゆくは 家族や友人をどんどん失っていくではないですか。
 ★ 夢を見ている私とはなんなのでしょうか?
 ☆ 夢を見ていたい あるいは 夢を見ているということにしたいと言うひとは けっこう たくさん いるかも知れませんね。
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