1つだけ過去を変えられるとしたら?

微力ながら死刑廃止を訴えてます。一日でも早く死刑を廃止したいですが、現状では廃止できる見込みは立ってません。

死刑廃止の訴えが、国民の半数以上の死刑支持派や中間派の人たちから支持されないのか、運動や訴え方のどこに問題があったのか、考えてもよくわかりません。今まで廃止運動に取り組んでこられたみなさまは、どこに問題があったと考えてますすか。

死刑廃止の訴えが国民の半数以上に支持されるには、運動の方法、訴え方をどのようにすればいいのか、今までの運動方法や訴え方に改めるところがあるなら、どこをどのように改めたら、廃止の実現に役に立つと考えてますか。

私の個人的体験ですがが、私が死刑を廃止すべきと理由を主張したのに対して、死刑支持派に反論されて、それに再反論できずに、議論に負けてくやしい思いをしたことがあります。皆様は下記のような死刑支持派の主張にどのように反論してますか、それとも、死刑支持派が主張するように、死刑支持派や中間派に納得されない理由なのかわかりません。

例.冤罪だったら取り返しがつかない

現実的には、再審で無罪になった4事件、執行されずに天寿を全うした3事件とそうなりかけている2事件がある。死刑囚が無実を訴えて再審を請求し、法務省もその死刑囚は冤罪と判断している場合はその死刑囚を執行せず、再審を待つと表明しているが、再審の受理はめったに無いので、結果として仮釈放されない終身刑と同じ処遇になっている。法務省がそういう運用方針でなので戦後の日本で無実で執行された事例は無く、今の日本では説得力がある理由にはならない。無実で執行された事例があるなら、その事例と根拠を示せ。

論理的には、冤罪は死刑に所属する問題ではない。刑事訴訟法上の被疑者被告人の権利保護に不備が多々あり、警察検察裁判所が誤認するか冤罪を作ろうと思えば、法の不備を利用されて無実の人が有罪にされるので、冤罪と死刑は根本的には関係ない。冤罪で刑を執行されたら取り返しがつかないことは、死刑も懲役も原状回復が不可能という意味で差は無く、執行後に再審で無罪になった場合は政府が金銭で賠償している。再審の困難さも死刑と懲役の差は無い、狭山事件を見よ。

例.死刑は殺人の抑止力にならない

感情的な死刑支持者は、死刑に犯罪抑止力があると思っている人が多いが、冷静沈着な死刑支持者は、各国の統計で犯罪の一般抑止に刑罰の効果があるとは確認されていないことを知っている。刑罰に犯罪の一般抑止力が無いから廃止しろという理由だと、死刑と殺人だけでなく、他の罰と罪にも当てはまる論理なので、全ての罰を廃止して、他の方法で犯罪を処遇しろという主張になり、死刑を廃止する理由にならない。

抑止力が無いからという理由は、一般予防と再犯予防を故意に混同し、死刑や他の刑罰に、社会からの隔離や教育による再犯予防効果や予防可能性があることを故意に無視している。刑罰が重いほど、社会から隔離される時間が長く、隔離中は再犯が予防される。例えば、殺人、誘拐、強姦、強制わいせつ、強盗、傷害、放火、テロ、銃や麻薬の密造密売をした犯罪者が、反省の感情や意思が無いか乏しく、再犯の可能性が高いと予想される場合、懲役10年<20年<30年<無期と刑罰が重くなるほど、社会からの隔離による再犯予防効果が高まる。死刑の場合はそれが100%確実であるにすぎない。実際、殺人の再犯も殺人以外の重罪の再犯も、社会全体の殺人や各種重罪の発生率よりも桁違いに高い。国家が死刑も懲役も、冤罪で執行することは絶対に許されないと主張しながら、刑罰の緩和や再犯可能性を誤判断して仮釈放した結果、私人が殺人や他の重罪の再犯をしている現実も、再犯をする可能性が高いことも無視しろと主張することは、殺人や他の重罪に対して国家と私人に対するダブルスタンダードの使いわけであり、そんな理由に説得力は無い。

例.修復的司法

修復的司法に一定の効果があることは認めるが、殺人や植物状態や痴呆のように被害回復が不可能な事件に対して「修復的」と称し、被害者と加害者が対話し和解し関係を修復できるかのように主張することは詭弁でしかない。私人が人を殺しても植物状態や痴呆にしても被害の修復と加害者との関係を修復できるなら、国家が死刑を執行しても死刑囚の被害や国家との関係を修復できるだろ。和解を望まない被害者遺族や家族が無い被害者もいるので、修復的司法に普遍性は無い。死刑廃止と修復的司法を組み合わせて訴える必然性も、それによる社会的利益もない。

字数制限のため上記しか書けませんが、上記だけでなく、国民多数派から死刑廃止を支持されるためには、どのような理由で訴えるのが有効か、皆様の考えや、経験や議論の方法を聞かせてください。

A 回答 (38件中1~10件)

質問者さんに限らず、死刑廃止を訴える人って、ほとんど下記の内容に該当すると私は感じています。



1)根底に死刑廃止という思いがあり、それを達成するために理論構築する
2)構築した理論に対し、死刑賛成派や懐疑派から反論がある
3)その反論に対し、さらに反論する
4)反論に夢中になって、1の目的がどこかに行ってしまう

私はどちらかというと死刑制度廃止には理解をもちますが、現実の世の中は理屈だけでは動かないことも知っています。
ですので、理論だけで相手を屈服させればよいという考えの持ち主には、感情的に反発するんですよね。


私もそうなんですが、人間は論理的な思考だけで生きるのではなく、感情もあるんです。
そして、この感情的な反発について、質問者さんのような死刑廃止派はあまりにも無頓着なため、大衆の賛意を得られないのです。

この質問の回答をじっくり読めば、どうすれば社会を死刑廃止にもっていけるか、貴重なヒントはいくつも隠されています。
ポイントで言えば

1)終身刑の問題
2)今後、裁判員制度が本格的に普及した場合、一般庶民の心理として
  死刑を言い渡すことは非常に心理的負担が高い

この2点の問題に対して、理屈onlyではなく感情的にうまく丸める意見が社会的なコンセンサスを得られれば、平安時代の日本のように法制上は死刑が残っていても、実質死刑判決0という世の中になることは決して不可能ではないだろうと、私は感じています。

相手を論破することだけが、社会的目的達成の手段ではないのです。
その辺の智恵を、是非とも死刑制度廃止派の皆さんには身につけて欲しいと願っています。

この回答への補足

>現実の世の中は理屈だけでは動かないことも知っています。
>理論だけで相手を屈服させればよいという考えの持ち主には、感情的に反発するんです。

>人間は論理的な思考だけで生きるのではなく、感情もあるんです。
>感情的な反発について、質問者さんのような死刑廃止派はあまりにも無頓着なため、大衆の賛意を得られないのです。

死刑支持者の回答に見られるように、死刑支持者の中には、刑罰や刑事政策は「加害者に対する被害者や家族の処罰感情を政府が代行する制度であり、復讐や同害報復の代行制度である(またはそうであるべき)」と考えてる人もいますが、日本も含めてそのような趣旨の刑罰や刑事政策を採用している国は(中国や北朝鮮の刑法でさえも)ないです。どこの国でも刑事政策や刑罰の目的は、全体的には社会秩序の維持であり、個別的には犯罪者の更生です。他の回答に対するお礼で述べたとおり、同害報復は全ての罪と罰に対して成り立つことは不可能です。

もし、被害者の処罰感情に応えることが刑罰や刑事政策の目的なら、事実認定を厳格に行い、被告人が真犯人であると証明できたなら、裁判所が被害者や家族の処罰感情を承り、法務省がそのとおりに執行すればいいので、罪刑法定も量刑判断も不要になります。

もし、そのような制度にした場合、法定刑と量刑の判例に照らして、無期や30年などの厳罰相当の犯罪者でも、たまたま被害者や家族が寛大な処分を望めば、不起訴または短期の懲役になり社会秩序は維持できず、短期の懲役相当の犯罪者でも、たまたま被害者や家族が厳罰を望めば、罪に対して過剰な刑罰になり、法の下の平等も罪刑均衡のバランスも成り立ちません。

だから、刑事司法制度では、犯罪者の処遇については、原則として加害者に対する被害者の処罰感情は無視して、法定刑と判例に基づいて量刑判断してます。

被害者や家族に対する支援や救済は重用な政策テーマであり、今までそれが著しく不十分であり、今後は充実させて行かなければならないのですが、それは刑罰や刑事政策とは別個のテーマです。

上記についてご理解いただければ、認識の違いから派生する意見の違いを超えて合意を形成できるのではないかと考えてます。

>この質問の回答をじっくり読めば、どうすれば社会を死刑廃止にもっていけるか、貴重なヒントはいくつも隠されています。
>終身刑の問題

日本では報道機関の不勉強のため、終身刑と無期刑は全く別の刑罰と誤解されてますが、刑法や刑事政策の分野では、終身刑と無期刑は同義語です。日本の無期刑は別の言葉で言うと「仮釈放の可能性が有る終身刑」、英語表記では「Life Imprisonment With Possibility of Parole」です。

刑期が有期か無期かと、仮釈放制度が有るか無いかとは別個の問題で、アメリカの一部の州や中国などの少数の国を除いて、大部分の国では仮釈放制度が無い有期刑や無期刑は運用が硬直的になるので採用してません。

仮釈放制度が有っても、実際に仮釈放されるかされないかは、受刑者の反省や更生の状況やと、法務省の仮釈放の運用方針で決まるので、仮釈放を許可されない人もいます。つまり、仮釈放の可能性が有る有期刑・無期刑は、仮釈放の可能性が無い有期刑・無期刑の処遇を含んでいます。

法務省の無期刑受刑者の仮釈放の運用状況等についてのページの「無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について」の節(→http://www.moj.go.jp/HOGO/hogo21-2.pdf)、無期懲役刑に関する誤解の蔓延を防止するためのホームページ(→http://www.geocities.jp/y_20_06/)の「無期懲役・仮釈放者のデータ」の節、Wikipediaの日本の刑事司法(→http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の刑事司法)の、「刑罰の執行と仮釈放の実数」、「無期刑受刑者の服役年数別の内訳」、「刑罰の執行と仮釈放の実数の推移」、「刑罰の執行と仮釈放の比率」、「刑罰の執行と仮釈放の比率の推移」の節を見ると、現在の無期刑の運用において、1998~2007年の10年間では、無期懲役確定者は887人、仮釈放を許可された無期受刑者は104人、受刑中の死亡者は120人であり、過去には年間50~100人仮釈放されていた時期と比較すると、運用は著しく厳しくなってます。

超党派の死刑廃止議員連盟は、現行の無期刑の仮釈放条件や審査方法を厳格化するとともに、死刑の廃止または執行の停止を盛り込んだ刑法改正案を提案していますが、国会で可決される見込みが立たないので、法案提出は保留しています。

補足日時:2009/05/05 12:59
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>死刑廃止を訴える人って、ほとんど下記の内容に該当すると私は感じています。

>1)根底に死刑廃止という思いがあり、それを達成するために理論構築する
>2)構築した理論に対し、死刑賛成派や懐疑派から反論がある
>3)その反論に対し、さらに反論する
>4)反論に夢中になって、1の目的がどこかに行ってしまう

>相手を論破することだけが、社会的目的達成の手段ではないのです。
>その辺の智恵を、是非とも死刑制度廃止派の皆さんには身につけて欲しいと願っています。

ご指摘のことは私もいつも感じていたので、どのような訴え方をしたらいいだろうかという質問を、今までの廃止運動家の論理や運動のやり方やに対する反省をこめて、ネットで廃止運動家に対して質問を投げかけたのです。実世界で私が同じ趣旨の質問を投げかけた時と同じで、回答の大部分は死刑支持者からで、多くの廃止運動家は回答者様が指摘される問題に対して、自分を省みることがない、自分で自分に酔っていると思ってます。

死刑支持者の意見も尊重した上で対話を通じて、犯罪や刑罰や刑事政策に対する認識の違いを埋め、どのような刑罰や刑事政策を採るかについて、意見の違いを超えて合意を形成する、政治的な妥協点や落とし所を見出す、そのために死刑支持者にも納得される刑事政策のあり方を模索することが必要ではないかと、問いを投げかけているのですが、反応の大部分は死刑支持派からで、回答者様が指摘されるような死刑廃止派は自分たちだけの殻に閉じこもって、対話をしようとする姿勢にかけ、死刑の廃止を訴えている自分に酔っている。という問題点については回答者様の認識は私と同じだと思います。

>質問者さんに限らず、死刑廃止を訴える人って、ほとんど

死刑支持派も廃止派も全員が同じ考え名わけではなく、支持や廃止へのこだわりも、その理由も、訴え方もかなり差があります。回答者様から見ると、私も回答者様が指摘されている問題を自分で認識できない死刑廃止派と同類とみなされているので、死刑支持派に理解されるような表現力や訴え方をもっと磨く必要があると思ってます。

お礼日時:2009/05/05 12:57

反論の方法を知りたいですね。

意見表明でないと善意に考えて

「私は死刑賛成です。」と言って否定するのは大人とは思わないので

例.冤罪だったら取り返しがつかない
実例がなくても問題ないし、今の人間の能力では冤罪を証明できていないだけ(昔は死刑執行に消極的だが今は鳩山君等がどんどんやっていて判決後短い時間での執行もあり確率は高まる) とか

冤罪は刑事訴訟法の問題で・・は身体刑の死刑と自由を奪うだけの懲役と比較するのはおかしい とか


例.死刑は殺人の抑止力にならない
死刑の場合はそれが100%確実であるにすぎない。・・・仮釈放のない終身刑でも同じ
また国家と私人を同じ土俵で比べる方がおかしい

よくある難しいことばの連続で主張する場合は自分の言葉に酔っていることが多く本当に論理的かよく見る必要があると思います。

仮釈放のない終身刑を導入すると決まってある反論がそんな人を生かしてコストが無駄というものです。
前提が死刑の人といる前提で考えると無駄となりますが、死刑は元からないと考えが前提なら無駄な人はいないことになります。ヨーロッパなんかそうですね。
また、現実としていまの死刑囚は100人程度だと思います。そして刑務所にいる人は7万人程度です。
7万人の根拠は法務省の犯罪白書平成20年度の6の成人更生
http://www.moj.go.jp/HOUSO/2008/hk1_1.pdf
毎年10名死刑囚相当の人が増えても自然死する人がいるので200人ぐらいで収まると思います。
この程度人数の費用はある意味冤罪回避の費用みたいに考えれば安いかもしれません。
そして死刑の議論を生かすのに金がかかるという理由で否定するなら100歳以上は社会貢献していないので死んでもいいと考えるのと同じ素晴らしい感性です。

結論のあるものではないので色々な考え方ができると思います。
そしてこのサイトは質問に答えるというのが基本なので今後は自分のブログとかで勉強したことを書いてみたりしたらどうでしょうか?
過去の同じような質問もココにいる人の琴線に触れるのか感情的な議論になり削除されたりしています。
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#19です。

お礼ありがとうございます。

>再犯予防は死刑でなくても仮釈放の可能性がない終身刑や、仮釈放の許可や審査の条件が厳しい終身刑で代替できる。

これはここでも言っている人が居ますが、税金で犯罪者を食わしていくことになります。
またこういう犯罪者が増えていけば刑務所がどんどん一杯になり大変なことになります。
昔のように重労働でちゃんと自分たちの食べるためと被害者の方々に支払う損害賠償金を稼ぐようなことが出来るのなら良いですが、
そういうことを言うと死刑反対をするような自称人権を大事にする考えの人たちは加害者の人権をないがしろにしていると騒ぎ始めます。
現実的にはそぐわない机上論ですよ。

>生きて更生し贖罪することも、犯した罪や被害者や遺族に対する責任を果たす一つの方法であるという論理は、死刑支持派や中間派から、刑事政策の一つのあり方として納得され、多数派を形成できるでしょうか?

闇サイト殺人事件の被告の発言、名古屋アベック殺人事件の主犯格以外の加害者(すでに出所している)が賠償金などを払っていない事実、女子高生コンクリートの加害者の1人が再犯をしている事実などを見ても、とても反省などしていない加害者は非常に多く居ます。
そういう人間が居る以上生きて刑務所に入っているだけではとても贖罪をしているとは思えないでしょう。
これがそういう反省などをしていない加害者には死んだほうがマシだという拷問を受け続けるなどの人権無視の罰が与えられるというのなら、納得させることは出来ると思います。
しかしこれも自称人権を大事にする考えの人たちがもの凄い抗議をしてくることになるでしょう。

現実的に死刑廃止を訴えている人が想定していないような人間とは思えない行動を平気でする人間が居る以上、そういう人間を排除するのは仕方ないことだと思いますよ。
所詮人間も動物です。
群れをなして行動する動物だから群れの仲間は大事にするが、その群れの仲間に害を与える存在にはたとえ同族でも厳しい対処を取る。
自然の摂理を捻じ曲げるためにはもの凄い理論、例えば絶対神の教えのような理屈を超越した理論、で無いと戦うことは難しいと思いますよ。
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相手を理論で納得させようとなさっても死刑賛成の比率が圧倒的に多い現在では無理でしょうね。


この事に限らずほとんどの国民が反対するような事は法制化は無理だと思います。

唯一可能性が有るのは無実の人間を死刑にする事かも知れません。
なるべくテレビ受けするよう美人を選び保険金殺人など女性でも出来るような犯罪を完璧に仕立てて最高裁まで争い結果死刑を迎える。

数年後の冤罪が証明されてそれを元に映画化する。
ヒットは間違いないし国民の間で現行犯以外は死刑は行うべきでないという空気が起こると思います。その後裁判所は同様の事件では死刑判決を出すことは極めて難しくなるでしょうね。

その為には最低でも3人を犠牲にする必要が有りますが遺族に十分な保障を約束し自殺志願者を募り十分な計画を立てれば可能かも知れません。

事ほど然様に今の日本で死刑廃止を訴えても賛同者は少なく、説得力が無いと言う意味です。
悲劇のヒロインを作り上げ世論を誘導すれば可能かも知れませんが理論、理屈では無理でしょうね。
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>>刑事政策や刑法の目的が復讐や同害報復とは規定してません。



法を起点としてものを見るとわからなくなりますよ。
法で規定すれば人の心はいかようにでも変わるのですか?
では何故被害者は極刑を望むのですか?
法で芸術作品を猥褻と判断すれば猥褻なのですか?

ご質問は、刑事罰における死刑を論じているのでしょう?
死刑はいかなる価値観により立法化、制度化されているかということで論じられているのでしょう、答えになっていません。

>>被害者や家族の加害者に対する感情は人それぞれであり、全ての被害者が加害者に対して同じ感情を持つわけではないです。

よく読んでください、
(望まぬ被害者は、それはそれでよいでしょう。)と述べています。
極刑を望む者が大多数であるということです。
その大多数による多数決原理により立法化、制度化されているのです。


>>私も大部分の死刑廃止論者も「被害者に対して、加害者に死刑を望むことをやめよ」とは思ってもいないし主張してもいません。
個人の感情と国の法制度は別個のものです。刑事政策や刑法は国の法制度なので、死刑の廃止を訴えることは、被害者に死刑を望むことをやめよという意味ではないです。

完全に矛盾しています。

原理的に単純化していえば国家は国民により形成されており、国民の価値観(感情も含む)その表明により立法化、制度化が行われるのです。
その原理は多数決原理によります。
おっしゃる
>>個人の感情と国の法制度は別個のものです。ではなく、
個人の価値観(広義に感情を内包する。)により律法化、制度化されるのです。

すなわち個々人の意志の発露として制度かされた死刑制度に反対するということは、その個々人、つまり被害者に死刑を望むことをやめよ、と主張していることにほかなりません。

現在進行形で刑事裁判において死刑判決を望んでいる被害者にとり死刑撤廃が立法化された場合を考えれば解るでしょう。

質問者様は被害者に、あなたは加害者に対し死刑を望むことをあきらめなさいと主張しているのです。

よって
>>被害者に対して責任を取る義務はなく
義務は当然発生します。単純化した比喩をもちいれば以下です。

Aに1000万円貸しているBに対し、Cである貴方が1000万円の返却をあきらめなさいとAに主張する。
1000万円に相当する弁済を負う義務が法を超えて発生します。
義務が発生しないとするなら又何の権利があって無関係なBに対し返済をあきらめろとい主張できるのか?
その根拠は何か?ということです。
つまり何故、人を殺してはいけないか?ということです、これが最大のポイントで日本人には、その根拠を提示することは不可能です。
よって延々と議論が続くのでしょう。

私は死刑には反対の立場です。

私はクリスチャンであり、私の信じる神が、汝、殺すなかれ、と諭されているからです。
そして復讐は、、復讐するは我に有り(ローマ書12章19節~)神が裁かれる、神に委ねよ、とあるからです。
神は復讐心を持ってはいけない、とは述べられておりません。
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現実的な話をしますね。


「国家による殺人」とか「人の命は地球より重い」とか「刑罰の目的は報復ではない」とか言ってるうちはダメですよ。

法律を作るのは感情を持った国民(の代表者)です。極端な話、「立ちションでも死刑」と国民の大多数が考えたら、法律がそうなってしまう。法学者が「それはおかしい」と訴えてもダメでしょう。大元の憲法だって「国民感情」で改正できるのですから。法律の根っこは「国民感情」にあると思うんですよね(また、そうあるべきだと思う)。

だから、死刑制度を廃止したいなら、国民感情を変える必要があるでしょう。「死刑」という部分だけを議論していては、それは無理っぽいです。

下記の順番で「提案」をしていくのがよいのでは?

(1)被害者の救済方法
 実際の被害者は死亡しているので、被害者遺族ということになるでしょう。「原状回復」は無理なのですから、どうしたら被害者遺族に少しでも手厚い救済を与えられるか。現状では民事で決定した慰謝料すら受け取れない遺族がいると聞きます(加害者側に支払能力や支払意思がない場合)。

(2)再犯防止策
 「終身刑」の導入かそれに代わる絶対的な「再犯防止策」を提案する。

(3)加害者の反省・懲罰の担保
 例えば無期懲役になって服役しても、被害者側や一般世間には加害者が反省しているのかどうか、まるで分からない。だから、「反省もしないまま出所してくる」ことへの恐怖や怒りが生じる。「加害者の反省」が見えるような何らかの方法を提案する。

また、「加害者が獄中でのうのうと生きている」ことへの反発から死刑を求める声もある。だから、罪の重さに応じてそれなりの懲罰(労働など)が科せられる制度を提案する。「懲役の目的は犯罪者の更生だから…」なんて言っていてはダメ。

(1)(2)(3)について、しっかりした案を提示したうえで、死刑制度の廃止を訴えれば、多少状況は変わってくるのでは?

「死刑は悪だから、とにかくダメ」なんて独善的な態度は、反発を招くだけです。

この回答への補足

>被害者の救済方法
>現状では民事で決定した慰謝料すら受け取れない遺族がいる(加害者側に支払能力や支払意思がない場合)

回答者様のご指摘のとおりです。加害者個人の賠償能力には限りがあり、重い罪ほど罰も重く、賠償はなされていません。被害者や家族に対する被害賠償は加害者と被害者の個人間ではなく、被害者が受けた被害の程度や逸失利益や家族の生活状況に応じた賠償は、通常は政府にしかその財力は無い(個人的な大金持ちや大企業は別だが)ので、政府が被害者に賠償し、加害者は賠償能力の範囲内で政府が代理賠償した費用を政府に弁済する制度を整備する必要があると思います。

>再犯防止策
>「終身刑」の導入かそれに代わる絶対的な「再犯防止策」を提案する。

超党派の死刑廃止議員連盟が仮釈放の可能性が無い終身刑、仮釈放の可能性を現行の無期刑よりも厳しくした終身刑とともに、死刑廃止を盛り込んだ刑法改正案を提案していますが、国会で可決される見込みが立たないので、法案の提出は保留しています。

>加害者の反省・懲罰の担保
>無期懲役になって服役しても、被害者側や一般世間には加害者が反省しているのかどうか、まるで分からない。だから、「反省もしないまま出所してくる」ことへの恐怖や怒りが生じる。「加害者の反省」が見えるような何らかの方法を提案する。

回答者様のご指摘のとおりです。法務省は死刑囚も、受刑者も、少年院に収容されている少年も、情報を社会や国民から秘匿することが本人の利益、または、情報が知られると本人の不利益になると思い込んでいて(科学的な根拠は無い思い込みだが)、死刑囚や受刑者や入院している少年の情報は非公開主義で運用してるので、一般市民は死刑囚や受刑者や入院している少年の反省や更生の状況を知る方法が無く、出所や退院の情報も一部の例外を除いては開示されない。その結果、社会復帰した元受刑者が、仮に真摯に反省し再犯の恐れがなくなっていても、犯罪歴を知っている人からは、社会の中で法律を守り他人と共存していけるのか疑いを持って見られ、一般市民に受け入れられにくい状況がある。

刑事裁判を公開の法廷で行うと義務付けておきながら、刑務所での処遇状況や受刑者の反省の状況、仮釈放の審査、仮釈放または満期釈放の情報は秘匿することには全く整合性がありません。元受刑者や入院歴がある少年が社会復帰した時に、反省や更生の状況を認知され、一般市民から受け入れられやすいように、受刑者の処遇や内面の変化の状況を公開する制度が必要と考えてます。受刑者の情報公開制度は被害者や一般市民に必要な情報であるだけでなく、元受刑者が一般市民に受け入れられるためにも有効と考えてます。

神戸の連続児童殺傷事件は、国民の関心が高い事件だったので、例外的に、家庭裁判所は精神鑑定結果を公表し、少年院も処遇やAの状況を随時公表し、仮退院時と正式退院時に、退院の事実と、少年院での医療や教育の結果、犯した罪に対して真摯な反省の境地に至り、被害者と遺族に対して終身かけて謝罪・贖罪してゆく意思であること、遺族に謝罪を申し入れたが遺族からは拒否されたことなど、遺族も一般市民もAの変化について一定の情報を得ることができた。このような情報公開を制度として一般化できれば、被害者や遺族が加害者について、一般市民が受刑者について求める情報を知ることができ、被害者や遺族にとっても、一般市民にとっても、加害者・犯罪者にとっても、相互理解の可能性が高まると考えてます。

>「加害者が獄中でのうのうと生きている」ことへの反発から死刑を求める声もある。

日本の死刑支持者の大部分は、殺人犯は問答無用で全員死刑にしろとは要求していません。

中国や北朝鮮などの独裁国家には刑務所の他に政治犯の強制収容所がありますが、問答無用で殺すなら強制収容所は必要ないです。強制収容所があること自体、独裁政権が統治する国でさえも犯罪者や政治犯を死刑や処刑にするより、社会から隔離して無害化し、教育により更生させる政策を基本にしてるので、独裁国家でも死刑や処刑は例外的な処遇です。

>罪の重さに応じてそれなりの懲罰(労働など)が科せられる制度を提案する。「懲役の目的は犯罪者の更生だから…」なんて言っていてはダメ。

お礼欄やこの欄で述べたとおり、死刑制度が有るどこの国でも、殺人犯に対する処遇でも死刑は例外的少数で、懲役で処遇するのが基本です。
犯罪の原因である「幼児性愛」や「薬物依存」や「衝動的行動」や「他人に配慮できない性格」や「自己中心的性格」などは刑務作業の労働では解消できず、教育や医療による矯正が必要なので、受刑者に対する処遇は労働よりも教育や医療を重視する処遇に転換しつつあります。

補足日時:2009/05/05 23:04
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>「国家による殺人」とか「人の命は地球より重い」とか

という理由で死刑の廃止を訴えている人もいますが、私としてはそのような理由では死刑支持派や中間派の納得は得られないと思ってますので、そのようなことは主張してません。

>「刑罰の目的は報復ではない」とか言ってるうちはダメですよ。

私がそう主張して死刑支持派を説得しようとしているのではなく、世界のどの国の刑法でもそうなってます。世界最多の死刑執行国である中国の刑法でも(→http://www.geocities.jp/ps_dictionary/c/6/601.htm)、北朝鮮の刑法でも(→http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3277/nkeih …)、目的は社会秩序の維持であり、復讐や同害報復ではないです。刑事政策や刑法の基礎でも、応報刑論と目的刑論を混合して採用しているのが現実で、復讐や同害報復が目的と主張している刑事政策専門家はいません。

近年の日本では年間1200~1300件の殺人(→http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の犯罪と治安)があるが、1977年以後の死刑の執行は年間0~15人の範囲内(→http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の刑事司法)であり、近年のアメリカでは年間16000~17000件の殺人(→http://www.fbi.gov/ucr/cius2007/data/table_01.html)が発生してるが、1977年以後の死刑の執行は年間0~98人の範囲内であり(→http://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国における死刑)、殺人発生件数に対する死刑執行数は1%未満なので、死刑制度がある日米でも、殺人犯の99%以上は死刑になっていない。つまり、日米の殺人犯の99%以上は「同害報復」の死刑になってはいないのが現実であり、「刑罰の目的は報復ではないとか言ってるうちはダメです」という認識自体が、現実を正しく認識できていない。「刑罰の目的は報復ではない」とは、意見に対する賛否ではなく、世界のどこの国でも「刑罰の運用の現実」です。

お礼日時:2009/05/05 21:43

またまたNO3です。


無期懲役の件ですが
>昔と比べて仮釈放の許可基準は著しく厳しくなり、近年は仮釈放者数は著しく減少し、仮釈放者数よりも受刑者として天寿を全うする人数のほうが多くなってます。
いい傾向だと思います。しかし、ほうが多くなってるということはまだ出てくる人は現実としているんですよね。まあ、死刑廃止となればそこも見直しがされるでしょうから、それほど問題とは思ってません。

費用の問題ですが予算全体からみれば微々たるものでしょう。
しかし、僕個人の意識からしたら1人年200万って凄い大金です。
僕は1銭でもそんな人のためにお金を使ってほしくないです。

>貧困層に対する支援は政府の行政サービスとして重要なことですが、刑事政策とは別個のテーマであり、どちらも充実させる必要があり、二律背反の存在ではなく二者択一する対象でもないです。

これはもちろんあっちもこっちも出来れば一番いいのは決まりきってます。しかし現実には予算は限られてますよね?現実に限られた予算ではどっちかって選択しないといけないと思います。この辺りが理想論と現実論の差があるんではないでしょうか?

>刑務所は政府機関の司法機関の一部であり、自ら経済事業を行う組織ではないので、刑務作業で黒字化の可能性は非常に低いと思います。

この考え方ってお役所の考え方じゃないですか?公的機関だから赤字でいいんだって考えは違うと思います。今でも家具を売ったりはしてますしね。通常海外にいかないと採算取れないような製造ラインでも人件費200万なら採算取れたりするかもしれないですよね?そういう風な形で社会貢献できれば殺してしまうより労働力として有効に活用できて一般の方はうれしいんじゃないですか?

>刑務所の施設と運営を民営化している事例はありますが、受刑者は刑の執行中なので民営化刑務所でも刑務官の職務は刑務官が行なう。運営経費は法務省から民営化刑務所に支払われてます。現状では刑務所を運営する自己資金力を持つ非営利団体は存在しないと思います。

もちろん今はないと思いますよ。
なので提案なんです。ただ死刑廃止!っていってもなんの効果もでてこないんですよね?死刑廃止したいんですよね?
なので私たちが責任を持って管理するので死刑は廃止してください!と言う1つの提案です。

あとは、No24さんのいってるようにそもそも死刑に値するような犯罪がなくなれば必要なくなるんです。死刑廃止論者の方の特に理想主義者の方はそちらに注力されてはいかがでしょうか?

ちなみに死刑はひどい行為だ!といいますが、一生塀の中で生き地獄の方が僕としては嫌なのでどっちか選べと言われれば死刑にしてくださいと言います。
後、自殺してガスなんかで他の人まで巻き込んじゃう人とか、死にたいが為に犯罪を起こす人もいますよね。こういう人の為に自殺を条件を設けて公認化するというのもありなんじゃないかと思うんです。
まずは専門の相談所みたいなとこに行き、相談をしそこで共同生活みたいなことをしたりして、1年ぐらいいろいろやって、それでもどうしても死にたいとなったら楽に死なせてあげる。そういうことがあってもいいような気がします。

長くなってきちゃったので、もし続きあるようでしたら別掲示板にでも誘導おねがいします。
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この回答へのお礼

重ねての回答ありがとうございます。

死刑廃止運動家が死刑支持派や中間派の人たちに、廃止の訴えを納得されるために、努力が不足しているところは多々あると思います。2007年に「旧監獄法」が廃止され「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」に変わったように、受刑者の処遇のあり方も時代とともに変化してゆきます。回答者様が指摘されるように受刑者の収監にかかる費用を刑務所が稼ぐとか、民間団体が運用することも、受刑者の処遇のあり方も含めて刑事政策の変化の可能性として有りえると思います。

このサイトは議論の場ではないし、直ちに結論が出るような話でもないので、結論を出そうとは思ってません。

お礼日時:2009/05/05 20:47

No.16です。

私も廃止論者なのですよ。
だから、回答したはずです。

「諸外国と比較したり、死刑制度が犯罪の抑止になっていない 等々を
データで論理的に説明しても、相手は唸るしかなく、でもやっぱり、死刑はあった方がいいと思うと言われて終わります。」

>凶悪犯罪の発生率は世界各国と比較して驚異的に低いです。
そんなことは、とっくに知っています。

>犯罪発生率がゼロでないことを理由に、それを政府の怠慢と指摘して、死刑を廃止しない理由にする

そんなことは記載してません。話を飛躍させないでください。

和歌山毒ヒ素カレー事件で結局動機が解らないままでしたね。当時、模倣犯がいくつもでましたね。行政は、明確な意図をもって防止する手を打ったとは到底いえません。対策が打たれていない、動機も解らないということは、同じ様な状況が成立すれば、同様のことが起きるということです。
発生率がゼロになっていないことを指摘しているのではなくて、
なんら目に見える防止対策を打っていないことを指摘しています。

死刑制度をどうするかなど、凶悪犯罪を如何に撲滅するかより優先度が下です。この撲滅の議論を先にやらないから、死刑廃止の論理が妙に先端が尖ってしまってそちらの論調に移行しにくくなっていると思いますよ。

加害者なんか殺してしまえはあまりに幼稚、しかし、加害者の人権を守るために、それに見合う負担を負わないのはそれに加えて愚劣ということだと思います。この愚劣は、また同じことが起きるということですね。
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この回答へのお礼

重ねての回答ありがとうございます。

回答者様の回答の趣旨を誤解していたようで申し訳ありませんでした。

>模倣犯がいくつもでました

去年の秋葉原の事件後も模倣犯は出ました。模倣犯は新聞やテレビの扇情的な報道による影響が大きいと思ってますが、報道を規制することはできないので、報道機関の自制に期待するしかありません。

>和歌山毒ヒ素カレー事件で結局動機が解らないままでした

刑事裁判でも、それ以外のことでも、他人の内面が完全に解明できるわけではないです。1988~89年に埼玉と東京で発生した幼女連続誘拐殺人事件でも動機は解明されず、精神鑑定の結果が三種類に分かれました。精神鑑定の結果が公表されて、日本語の意味としては理解できるが実感としては理解しがたい動機もあります。1997年に神戸で発生した連続児童殺傷事件の動機は精神鑑定の結果、性欲を処理するためと公表されました。殺人や放火や強姦自体を快楽と感じる犯罪者も人間の中には少数ですが存在します。

>行政は、明確な意図をもって防止する手を打ったとは到底いえません
>対策が打たれていない、動機も解らないということは、同じ様な状況が成立すれば、同様のことが起きるということです。

動機がわからなければ、その動機による犯行を未然に抑止することはできません。標準的な感覚を持つ人と比較して、常軌を逸した感覚を持つ人の犯行を未然に予防する方法は現在の心理学では確立されていません。常軌を逸した人間性の発揮としての犯罪抑止は現実には不可能であり、政府がそれを制度化することも不可能です。常軌を逸した人が起こす事件の予防は、事後的な再犯予防や対症療法はできても根本的な一般予防策はありません。

政策として可能な一般予防とは、失業を低水準に抑え、再就職しやすい雇用制度を作る、極端な貧富の格差を予防する、社会保障を充実させる、地域のコミュニティを充実させ社会的な孤立を予防する、病気や借金やその他の個人的な悩み事を一人で抱え込んで思いつめないような相談システムを作る、学校や職場における教育で他人の考えを尊重し他人の状況にも配慮することを訴えるなど、いろいろあり現状でそれが十分に行われていない面もありますが、それを充実させる政策を訴え実施してゆくことは必要です。

お礼日時:2009/05/05 19:52

ディベートもいろんなところでやりつくされているようです 私は強い考えを持っていないのですが おそらく一般的感情をもつ人ならば 被害者の無念さを死刑によって晴らすのは当然と思うはずでしょうね ところが先進の世界各国はそういう流れではないと思います 日本人が死刑制度を堂々と主張できる背景には米国と同じ考えだと安心していられる面はありますけれど 一日に銃によって何人も被害がありますし、テキサス州などに代表される西部開拓時代の縛り首当たり前の考えが残る国家だから死刑存続なのです



世界が相手にしてくれたために豊かになった日本です もう少し冷静な判断が必要ではないかと自問自答したりしますが・・  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ディベートもいろんなところでやりつくされているようです

私事ではなく社会的なテーマについては、ディベートで勝ち負けを決めるのではなく、対話により、認識の違いを埋め、政治的な妥協点を見出すほうが効果的と思ってます。なぜなら、論じているテーマについての認識や経験は人それぞれで違いがあり、基礎的な事実認識が間違った状態(その原因の大部分は政府が公開している社会統計を検証しないか、間違った報道をそのまま信じていることによる)で論じられている場合が多々あり、間違った・偏った事実認識に基づいていたら、そこから先の話も無意味かまたは弊害になるので、認識が違う人とも対話によって認識の違いを埋め、論じているテーマについて基礎的な事実について正確でバランスの取れた知識を持つ必要があると考えてます。

そのうえで、意見が違う人とも(意見が違う人とこそ)対話して、意見の違いを超えて合意を形成する(政治的な妥協点を見出す)ことにより、社会的問題の解決や目標達成につながると思ってます。


>日本人が死刑制度を堂々と主張できる背景には米国と同じ考えだと安心していられる

そのように思ってる人もいますが、アメリカでは1972年に連邦最高裁が死刑は合衆国憲法修正第8条の残虐な刑罰に該当するので憲法違反であるとの判例を示し全米で死刑執行が停止されましたが、1976年に連邦最高裁が合憲と判例を変えたので、1972年以前より限定的な適用で死刑執行は復活しています。アメリカが執行を停止していた期間も日本は執行していました。アメリカは15州、ワシントンDC、プエルトリコ、バージン諸島、サモア諸島、グアム、マリアナ諸島は死刑制度は無いので、日本がアメリカの言いなりになって死刑を執行しているという認識は事実ではない。

お礼日時:2009/05/05 19:03

私はこれまであまりこの問題について深く考える機会がありませんでした。

それで、どちらに理があるのか、まだよく分からないで居ります。もし廃止論者である質問者様が、このようなあいまいな立場の人間に一突き有効な打撃を与えていただければ、充分に勝利が望めるのではないでしょうか。しかし、現状ではそうでもないようです。
>私が死刑を廃止すべきと理由を主張したのに対して、死刑支持派に反論されて、それに再反論できずに、議論に負けてくやしい思いをしたことがあります。
これだけを読んだ限りでは、貴方は議論に負けたのですから、潔く反対の立場に回らねばならないのでしょうが、口惜しい、と思うだけで、立場を変えるまでには至っておられない。
なぜでしょうか。
やはり、貴方の心の中では廃止だけが前提にあって、理屈ではない、駄目なものは駄目ということなのでしょうか。
中立の場にあるひとにとっては、このスレでのこういった「質問」は貴方の主張を弱めるだけだと思います。
貴方の目的を達成するためには、なぜ、貴方が廃止の立場を変えないのか、変えられないのかということを素直に、誰にも分かる言葉で説明する姿勢が必要なのではないでしょうか。

例.冤罪だったら取り返しがつかない

理論的には確かにありうることで、死刑廃止の最大の論拠なのでしょう。

人間が人間を裁く以上、この問題はいつもつきまとうと思います。
しかし、極刑を裁定されるまでには相当数の関門があるわけであり、よほどの警察、司法機関の錯誤、悪意が重ならなければありえない、極めて稀な事案ではないか、死刑をなくすといういわば逃げの方策よりも、今の司法を信じつつむしろ前例の徹底的な分析を含めてこういったことをなくすためのシステムつくりを強化することが先になされることではないのか、と思います。

例.死刑は殺人の抑止力にならない
様々な先進国での統計的な事実はそう語っているのでしょうね。でも、現在の日本においてそれが真実であるといえる証拠にはなり得ないでしょう。これは極端に言えば廃止論者がためにするデータの改竄に属する主張ではないかと私は思っています。
特にいまわしい犯罪をより減らすという観点に立てば、出来るだけこういった障壁を取り外すという冒険はするべきではない、と私は思うのですが、どうでしょうか。

人間が人間を合法的に殺すという行為そのものが前近代的な野蛮な行為であり、人権的にも許されるものではないという論議があります。
報復といった観点は問題なくクリヤーできるとは思いますが、刑罰ということを社会的に、効率的にどう考えるかという問題を含んでいて、すぐ結論が出るものではないでしょう。これも極論かもしれませんが、反戦、はては捕鯨反対論(感情論がおおきいですね)にも通じる文化的哲学的な問題であり、国家としてのコスト論議も絡んでくると思います。私はなべて人権をすべての人間に敷衍することには無理があるのではないかと考えます。

現時点での私の素直な思いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>貴方は議論に負けたのですから、潔く反対の立場に回らねばならないのでしょうが、口惜しい、と思うだけで、立場を変えるまでには至っておられない。なぜでしょうか。
>やはり、貴方の心の中では廃止だけが前提にあって、理屈ではない、駄目なものは駄目ということなのでしょうか。

例えば、政府の事業が成果を上げられず弊害のほうが多くて事業が破綻して事業を清算することもあるし、問題点を検証して再び事業を起こすこともあります。医療保険制度や年金制度に問題点が多々あるので、廃止して国民の自己責任にするという選択も、問題点を検証して新たな社会保障制度を構築するという選択肢もあります。

死刑廃止も同様で、今まで廃止運動側は国民の多数派を形成できなかった。だから死刑廃止運動を止めて、死刑は日本の伝統に適合した刑罰として容認するという選択も、国民の多数派からの支持を得られる理由も含めて問題点を検証して、刑事司法制度を再構築する過程で廃止をできる可能性もあると考えてます。死刑廃止という命題自体が国民の多数派から絶対に支持されない命題なのか、国民の多数派から支持される可能性はあるが、今までの運動のやり方や、理由の訴え方に問題があったのか、決着はついていないと考えてます。

>なぜ、貴方が廃止の立場を変えないのか、(中略)誰にも分かる言葉で説明する姿勢が必要なのではないでしょうか。

NO29以前の回答に対するお礼欄で述べています。国民の多数派に賛同いただけるか、賛否以前に、犯罪や刑事司法制度の現状に対する認識の違い(データを検証しないか間違った報道を事実と思い込んでいる)を埋められるか、意見の違いを超えて政治的な妥協点を見出せるか、それができるかできないかは、廃止運動家の努力しだいと考えてます。そのためには今までの廃止運動の問題点を修正することも必要と思ってます。こういうサイトで結論が出る話だとは思ってません。

お礼日時:2009/05/05 18:34
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