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よく詩などで昔的な言葉を使いますよね。なぜなんでしょうか?
昔の人が昔書いたものをそのまま本に載せるのは許せますが、現代人がわざわざ昔の言葉ずかいで書く必要があるのでしょうか、
例 コールリッジ
さながら人のさびしき道を恐れ おののき歩みては こわい悪魔の背後より 近ずきくるを知り足れば ひとたび首をめぐらして 二度とは見ずにゆくがごと。

この様に、外国人の詩までよくわかない言葉で訳されていました。
この詩が元は英語だったとして、こんなわかりずらい表現だったのでしょうか?英語はもっとはっきりとした表現しかないように思いますが、なぜ日本語にするのにこんなにもわかりにくくする必要があるのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

前後して日本語・日本文学を叩く質問(というよりは主義主張の発表)をしていますね。


http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4924344.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4924594.html

「純文学と大衆文学を無造作に同列に扱って、日本文学を劣ったものだと表明する」
「日本語だけがもっているわけではない言葉の欠陥を指摘して、日本語を劣ったのもだと表明する」
「書き写し間違いをして、古い日本語を悪いものだと表明する」
など、共通点があります。

1、質問ではなく主義主張の発表(百歩ゆずってもアンケートカテゴリ向け)
2、主義主張の発表が許されていたとしても、前提条件が無造作すぎるせい、もしくは自己の能力に限界があるせいで、誤った結論に飛びついている

などの問題を持っているところも、共通です。
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この回答へのお礼

回答者さんの回答は大体あってると思いますけど、でもそんな難しいことを質問してるのではないんです。
古い日本語を悪とも言っていません。
年寄りには馴染みの表現でも、20代の私からすると、聞きなれない表現なので、現代の新聞や雑誌のように、いわゆる現代の共通語で書いてほしいということなのです。
他の人はどう思っているのか知りたかったんですけど、意外でした。

お礼日時:2009/05/05 10:35

文語をよく知らない人が背伸びして書いた悪文ですね。


PCゲームなどの疑似古文と同列のものです。

「近ずきくるを知り足れば」
仮名遣いは措くとして、「知り足れば」はないでしょう。
完了の助動詞「たり」を「足り」と書いていることから他も推して知るべしです。
文語なら「こわい悪魔」とは言いません。
「見ずに行く」は口語なのに「ごと」を継ぎ足しています。

解りやすいか解りにくいか以前に、読むに堪えません。
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この文章を読んで、別に判りづらい文章だとは思いませんでした。

単に貴方が読み慣れていないだけですね。

人間が他の動物よりも優れている決定的な能力は、言葉を使って情報を交換できると言うことです。語彙がどれだけ豊富で、かつ、自分の頭の中にどれだけ多様な表現方法が用意されているかで、その人が単なる動物ではなく、所謂「人間らしさ」が判断されるわけです。

質問者さんの文章によると「普段使いもしない文体は必要がないではないか」と主張しておりますね。そんなこと在りません。例えば、多分質問者さんばかりでなく普通の日本人が実際に文章を書く時に使う漢字は、一生の間でも1~2千字位、多い人でも3千字位だと思います。ところが、普通の日本人の方でも、自分では書いたことが無い漢字をその数倍は知ってます。そして、その漢字達はいつかその人に使ってもらいたいと出番を待っているのですが、結局一度も使われずに終わってしまうのが殆どです。それでも、その使われない漢字をいっぱい知っていることで、世界の見方、先人達の書いた物の理解を深くしてくれるなど、その人を大きくさせ、厚みの有る者としてくれて、その結果、自分の埋め込まれている文化の深みを理解させてくれていると言う意味で大変役に立っているのです。蛇足になってしまいますが、文化とはその人やその集団の持っている価値観や世界観のことです。

最近では、男言葉と女言葉の差が大分小さくなって来ておりますが、それでも男言葉として、先ず女性には使われないだろうという言葉がいっぱい在ります。女性達はその言葉を一生使わないからと言っても、その言葉を知らないわけではないのです。「皆さん普段そんな言葉を使わないですよね。だから、そんな言葉を遺す必要なんて在りませんよね」という理屈がどれだけ未熟で、文化を理解する能力が浅い者がいう言葉だか判って頂けますか?

質問者さんは、例えば文化などに関する講演会を聞きに行ったことがお在りでしょうか。講演会と言っても、ピンからキリまで在ります。質の悪い講演者の話は聞くに絶えず、退屈で時間を無駄にしたと感じてしまいます。ところが、質の高い講演を聴くと、どんどん引きつけられ、時間を忘れて恍惚として聞き入ってしまいます。もし天国が在るなら、きっと天国とはこんな所だろうかと思わせるような恍惚状態すら味わえることも在ります。実は素晴らしい講演をする方には共通した特徴が在るのです。その方達は、単に話術が巧いから良い講演になっているのでは在りません。その人が、例えば1時間で話した講演の内容を裏付ける知識や経験が、その何十倍も裏に控えており、その語られない部分が巨大であれば巨大である程、その人の話からオーラが放出して、聞く人を魅了させるのです。語られなかった知識や、現在使われていない言葉づかいは役に立たないではないか、などと言っていると「もう一度出直しておいで」と言われておしまいですよ。

私は外国暮らしが長いのですが、日本人の持っている表現の中で世界に類を見ない素晴らしい表現がありますので、機会があればそれを外国の友人達に紹介しています。彼等もそれを聞いて喜んでくれます。それは「一人前」と「半人前」という言葉です。日本人の文化では、その者が生物学的に生まれて来ただけでは、人間とは認めない文化が在るのです。その方が、自分の埋め込まれている文化を認識し、単にそれを盲目的に受け入れるだけでなくて、それを咀嚼し批判的な目を持って受け入れられるようにならなければ、一人前の人間としては認めてもらえないという文化を持っているのです。

質問者さんが半人前の人間ではなくて、日本人の言うこの高度な人間であることに目覚め、西欧を含めた世界からもその文化の高さで一目置かれている、長い歴史を持った日本に生まれて来たことに感謝できるようになった時には、こう言う表現があっても良いのだと言うことが分るようになります。質問者さんにもそんな時が来ると良いですね。
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>「コウルリッジの詩、自体はどうでもいいんですが。



いやいやコウルリッジの原文に対してどうなのかという考察無しでは訳文が妥当であるかどうかなど誰にも言えないと思いますよ。
そもそも詩文は論説文のように理路整然である必要など全くないばかりかひとつの語にいろいろな意味を重ねて解釈できるような仕掛けをわざわざしたりしていますからわかりやすさと言っても論文などとは違うと思います。
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えーと・・・



文語調が難しいと言っているのか
翻訳の仕方が悪いと言っているのか
よく分からないのですが・・・・

まず、
文語調については
こうした言い方になれてしまえば、結構味わいが出てきて、捨てたものではありません。これは馴れです。社会人となれば、こうした言い方をしなければいけない局面もあると思います。
・・・・え、あなた社会人ですか? 違いますよね?

翻訳の仕方については、コールリッジの原文が残念ながら分からないので(;_;)、原文が古語で書かれているのならば、原文に忠実に訳すのが第一義だと思います。ただ、コールリッジが当時の話しことばで詩を書いているのならば、日本語としても今の言葉で訳すのが正解だと思います。
例えば、古い例になりますが、サリンジャーという作家の『ライ麦畑でつかまえて』という1950年代の小説を知っていますか。
この小説は、1952年の橋本福夫訳では『危険な年齢』1964年の野崎孝訳では『ライ麦畑でつかまえて』、1967年の繁尾久対訳では『ライ麦畑の捕手』2003年の村上春樹訳では『キャッチャー・イン・ザ・ライ』というように、題名すら年代とともに変わっています。この小説の内容は、第二次大戦後の若者の姿を書いている小説で、当時の話し言葉で書かれています。この原文を生かすには、「今」の言葉で書かないと内容が伝わらないと言うことで、その時代その時代での翻訳が為されてきて居るのだと思います。
今の言葉と数年前の会話の言葉は違います。臨場感を出すためには、10年ごとくらいの翻訳のし直しが必要だったのでしょう。

例えば、ラップなどで「よーよーよー」何て言いますよね。あれは、youなんですよね。100年前は「いー」でした。文字でかくと[ye]でした。2人称も[ye][you][yo]のように変わった来たのです。
わかります。この翻訳の違い。
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コウルリッジには特に詳しくありませんし例として出している訳文の原題と出典がわからないのでなんとも言えないのですが、次のような理由が考えられます。



1.翻訳した時期が古いから
2.翻訳は新しいのだけれど、翻訳者が原文の古めかしい英語の感じを出そうと工夫した結果
3.翻訳は新しく、原文も現代口語に近いのだけれども翻訳者の好みでそういう文体(文語調、擬古文調)にした
4.翻訳自体も古く、その上に翻訳者が原文の古めかしい英語の感じを出そうと工夫した結果

「必要があった」と解釈できるのは1,2,4の場合だと思われます。

http://plaza.rakuten.co.jp/plexus/diary/20081226 …
コウルリッジの詩は会話詩と幻想詩といわれる二つのスタイルがあるようです。
原文と一緒に英語のカテゴリーで質問してみるともっと違うことがわかるかもしれません。
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この回答へのお礼

コウルリッジの詩、自体はどうでもいいんですが。
とにかく皆さんありがとうございました。

お礼日時:2009/05/02 01:54

こんばんは。

またお会いしましたね。

ご質問文で挙げられている例文は、難しいとは思いませんが、
それは、さておき・・・

文語を用いることによって、以下のうちの、どれかの効果が出ます。
A 文が引き締まる
B 叙情性が増す
C 口語では出せないインパクトが出る

Aの例
・一流の弁護士にならんとすべく勉強に励むべし。


(いきものがかりの「SAKURA」より)
♪君と春に願いしあの夢は

(松任谷由実の「春よ、来い」より)
♪あふるる涙のつぼみから(中略)♪愛をくれし君のなつかしき声がする


テレビでアナウンサーが時々使います。(特に、スポーツ中継とか)
「○○企業として世界に冠たる××」
「野茂のフォークボールは、メジャートップの大打者をして世界一と言わしめた。」
「それこそがイチローをイチローたらしめる所以である。」


以上、ご参考になりましたら幸いです。
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この回答へのお礼

共感されると思ったら・・・
確かにA,B,Cの効果はありますね。現代語をそのまま書いたら間の抜けた印象になるし。でも基本的に漫画ばかりで育った20代の私にはかなりの違和感を感じます。
「~べし」ってなんか笑っちゃうし。
「それこそがイチローをイチローたらしめる所以である。」なんて意味わかりません。私には言語明快意味不明な文章です。

お礼日時:2009/05/02 01:50

例に出されている文章は、さほど“昔的な言葉”とは思えませんが(“昔的な”という言葉に対するつっこみや、写し間違いがありそうな点はおいといて)。


確かに現代の話し言葉からは乖離していますが、書き言葉としてはさほど古めかしい言い回しに思えないのは、小生が年寄りだからでしょうか。

それはさておき、コールリッジという人は確か1700年代か1800年代の人だったと記憶しています。日本で言えば、江戸時代後半です。

今の日本語と江戸時代の日本語が違っているように、英語でもその当時の言葉と現代の言葉は違っていると思われます。そのことを表現するのに、日本の古い言い回しを使うことは充分考えられることです。
現代の英語の詩ではなく、古い時代の詩ですよと分かるようにしていると思えば、訳す時に古めかしい言葉を遣っても、そんなに目くじらを立てることはないと思います。
きっと、現代のイギリス人も、コールリッジの詩を読んで、「こんな古めかしい言い方、今はしないよ」と言っていると思います。

また、英語の詩というのは韻文です。日本語の詩では韻を踏むという習慣はなく、その代わりに「七五調」というリズムを使う場合が多いように思います。七五調にするには、現代の話し言葉よりも文語的な言葉の方が便利です。
そういう事情もあると思います。
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昔は話し言葉と書き言葉が明確に区別されていたといわれています。

文章を書く人は書き言葉のルールに精通しており、もちろん意味をしっかり把握していました。現在に残っているのは草紙や滑稽本のような例外を除いて、書き言葉だけです。したがって、明治以前のの書き手が、しっかりと美しく文章を書く場合には文語を用いたのも自然だと思われます。ある高名な美学の教授が聖書は文語訳を読め、口語訳は未完成であるというようなことを著書で言っていました。私は文語訳を読んでいると、細かいところがあやふやでだんだんわからなくなり、口語訳を参照して意味を把握したりして、全く二度手間です。
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随分と突っ込みどころの多い質問文ですね。


「本に載せるのは許せますが、」ではなく、「本に載せるのは理解できますが」とか「わかりますが」と言いましょう。「昔の人が昔書いたものをそのまま本に載せる」ことは普通のことであって、あなたが許したり許さなかったりするような問題ではありません。
「言葉ずかい」ではなく「言葉づかい(言葉遣い)」です。
「わかりずらい」ではなく「わかりづらい」です。あなたが日本人なのかそうでないのか存じ上げませんが、どちらであっても、これくらいのことは正確に書けるようになってから、日本語の有り方に文句を言ってほしいと、昔々日本語を話せず、別の言語を話していた私は思います。

一応質問に答えます。
現在は、古文の研究を生業としている人以外はわざわざ古文で書いたり訳したりする人はいないと思います。引用されている文がどこからの出典かわかりませんが、それこそ「昔の人」が訳したものなのではないかと、一読して思いました。これを「わかり『ず』らい」と思うのは、あなたの日本語がまだまだだからだと思います。
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