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江戸時代、飛脚を使ってお中元やお歳暮は贈られていたのでしょうか?
そうだとしたら、やはり東海道でも飛脚は走っていたのでしょうか?
すみませんが、どなたか教えてください。

A 回答 (4件)

中元、歳暮というのは元々季節・日付を表す言葉です。

その日(時期)に自分の主人の家に伺候する(挨拶する)という習慣自体は鎌倉時代の武家で、既にありました(おそらく平安時代からあったはずです)。

大切なのは、伺候する・挨拶する方で、その際に手みやげとして持参したのが贈り物としてのお中元・お歳暮の始まりです。ですから、今のように品物を贈ることが主となっている事とは、考え方が全然違います。

大事なのは本人が行って挨拶をすることですから、手みやげ自体は、例えば白扇一本でも構わないのです。ということは、逆にモノだけを贈って済ませるというのは、非常に失礼なことになります。

商家なら主人が行けない、或いは行かなくても良いところなら番頭が代行する。武家なら用人・家老級の人間が代理で行く、というのが普通でした。もちろんそれとは別に贈り物(賄賂も含めて)をする習慣はありましたが、その場合は高額ですし、人に頼むようなものではありません。

ということで、どちらにしても飛脚を使うという発想自体が考えられなかったでしょう。

ちなみに、私の両親も昭和30年代には、当たり前のようにお世話になったお宅には、中元・歳暮を持って出かけていましたよ。それだけで数日を費やすので、結構大変でした。
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この回答へのお礼

お中元とは夏のご挨拶という意味合いの強さがよくわかりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/02 15:16

<江戸時代、飛脚を使ってお中元やお歳暮は贈られていたのでしょうか?



現代の感覚で言う「お中元・お歳暮」を飛脚を使って届けることはまずありません。
もともとは飛脚は公用のもので、重要な幕府の通信手段でした。
現代の宅配便ように気軽に庶民が飛脚を利用することはありませんでした。
たとえばどこかの大名が将軍につけ届けをするとしたら、自ら家臣を伴い江戸にあがり、直に届けるのが武士の作法だったでしょう。
武士でなくても贈り物というのは直接届けるのが礼儀で、昭和中期まで宅配で贈答品を送るような習慣はありませんでした。

<そうだとしたら、やはり東海道でも飛脚は走っていたのでしょうか?

ご質問の意図がわかりません。
そうだとしたら?いや、そうではないけど、東海道でももちろん飛脚は走っていました。
まあ、詳しくはこちらでもお読みになってください。
http://www.japanpost.jp/teipark/display/museum_s …
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この回答へのお礼

参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/02 15:17

まず、生活地域があまり離れなかったです。

江戸に住んでる人はずっと江戸に居る。
だから贈呈先も江戸の中

次に贈答は自ら出向いて贈る物であって、誰かに託すのは恥ずべき行為となります。

で、飛脚
主に通信文などの小型軽量な物が主体でした。

で、金持ちな人も居ましたので、中には贈った人も居るでしょう
江戸から大阪まで4両です、庶民の年収が25両の時代です。
今の年収が500万円として、送料が80万円
すんごい金持ちなんでしょうね(^_^;
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この回答へのお礼

飛脚便って、そんなに高いものなのですね!!
とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/02 15:18

飛脚は現在の郵便で言うところの封書を運ぶ役割です。


現在の宅配便とは意味合いが全く違うものです。

お中元・お歳暮のような慣習は江戸時代の商家の
年2回の集金が終わると主人が神棚の前でお供え物を
して「無事あきないが出来たこと」のお礼の神事を行い、
そのお供え物のお下がりをお世話になった人に配ったのが
始まりです。

また、重い荷物は飛脚が運べるようなものでは有りません。
さらにいえば、お中元やお歳暮を宅配便を使って贈るように
なったのは、昭和の時代からであり、江戸時代にはそういうことやっていません。
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この回答へのお礼

参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2009/06/02 15:19

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