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神道といって一口に括れないときは氏子の多い教団なり神社なりの考え方で結構です。一人一教団みたいな得体のしれない宗教は対象外です。

1 通常、神は何処に存在していますか。神事に際し、神は何処に存在しますか。天空であるとか、神殿の何処であるとか、祭壇であるとか答えられますか。

2世界を見ると神事には犠牲の儀式が珍しくありませんでした。歴史上、この風習は日本にもありましたか、今日でもありますか。あった場合、神の要求があって応じたのですか、人間の自発によって行われたのですか。

よろしくお願いします。

A 回答 (15件中11~15件)

1-1 霊界とは現代の物理学者がいう宇宙空間の一部にあるのですか、



○ 宇宙空間の一部ではありません。

それとは共通部分がないのですか。

○ ありません。
高天原で調べるといろいろ出てきます。高天原という場所は富士山で例えると7合目辺りの場所を指します。日本では富士山、インドでは須弥山ということですね。この山の形を2次元に投影したのが仏教の曼荼羅図ということでしょうね。

1-2 霊界に関する、この考え方の出所は分かりますか。
事情が許せばご返事が欲しいです。

天照の弟で乱暴ものの「すさのう」を追放したことから明らかですね。
「すさのう」は神聖な神殿に「生贄:鹿だったかな」を投げ込んだので追放されたんですね。昔は映画もありましたよ。「すさのう」で調べればいろいろ出てます。
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この回答へのお礼

分かりました。話の出所は、どうやら記紀神話なのですね。有り難うございました。

お礼日時:2009/05/24 07:17

#3です。


>願い事は何時生じるとも限らないので常在してくれないと不便です。

昔の神道でのお祈りの仕方は、決して願いことを称えないのだと、柳田國男は言っております。ご先祖様は、貴方にどういうことが叶えば貴方が幸せになれるかを、一々こちらから教えなくてもお分かりになっておられるそうです。ですから、たとえそこに神が居られなくても、神殿で神に祈る時には、身ばかりでなく心も清めて、無念無想で拝礼するものだと昔の日本人は考えていたそうです。

前にも書きましたが、お百度参りなどは本来の神道とは馴染まないのだと、柳田國男は言っております。
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この回答へのお礼

人品の卑しいところが出てしまいました。神社仏閣といえば願い事に違いなかろうと思っていました。
してみると、昔の日本人はがつがつせず、物欲し気でなく偉いものでした。No.3と併せ読むと、江戸時代の何処かで卑しくなったのですね。今や、よろず願い事賜り所の感があります。いや、他人様のことはいうまいぞ。
わざわざ誤りの指摘と訂正を有り難うございました。

お礼日時:2009/05/24 07:16

>> 1 通常、神は何処に存在していますか。



霊界に富士山のような高い山がありその山の8合目から6合目付近に住んでますね。

>>2 世界を見ると神事には犠牲の儀式が珍しくありませんでした。歴史上、この風習は日本にもありましたか、今日でもありますか。

日本神道には生贄の儀式はありません。それ故、仏教も自然に受け入れたのですね。
生贄の儀式というのは神々の世界にはないものです。高級な神々は生贄の儀式を忌み嫌います。そのようなところに降臨することはありません。実際は、悪魔や悪霊、たたり神と呼ばれるものの惑わしですね。それを信じたということですからレベルの低い話なのですね。
逆に言えば、日本神道は世界の中でも格式の高い宗教だということですね。
ちなみにイエスは生贄を商売にしているものに怒りをぶつけて、その結果の処刑でしたね。西洋にも立派な神もいたということですね。

この回答への補足

ご回答を有り難うございます。
1-1霊界とは現代の物理学者がいう宇宙空間の一部にあるのですか、それとは共通部分がないのですか。
1-2霊界に関する、この考え方の出所は分かりますか。
事情が許せばご返事が欲しいです。

何の根拠がある訳ではありませんが日本に犠牲の儀の風習はなかったような印象があります。日本だからというのではなく、農耕民族の発想からは出難い儀式なのだと推理します。この推理の当否は今でなくともよいですが、知っておきたいことの一つです。

補足日時:2009/05/23 12:38
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この回答へのお礼

折角ですが当面の私には何の参考にもなりません。きっと、誰か他の方が参考にしてくれるでしょう。
一冊の本を読了するには何層もの読書の入れ子構造に捕まるのを知らない訳ではありませんが、私の能力では到底、折口信夫の順番は来そうにありません。
大体、何から派生してこんな質問をしているのかすら判らなくなっています。つまり今ですら帰る地点が判らなくなっているのです。これは私の勝手ですが。

現在、喉が渇いている人間には浄水場の仕組みを教えてくれる人よりも蛇口の在り処を教えてくれる人の方が有り難いです。
可愛気のない返事で済みません。

お礼日時:2009/05/23 09:38

1.「皇室神道」では、汎神論ではなく太陽神「アマテラス」を祀っているとされています。

しかしながら、「出雲神道」では汎神論です。それは、暦にも残っている通り、「神無月」から分かるように「やおろずの神」が出雲に集まって会議を開くということから残っています。

現在では、神事などで授かるものとして、鏡がありますが、これは太陽神であるアマテラスを祭ったものであるとされています。

2.日本にもあったようですね。「人柱」と呼ばれるものです、古くは大和朝廷以前の大和地域で。伝承では、大和地域では「埴輪」の形で人柱の制度を辞めたとされています。佛教伝来後、この制度は終わりになりました。釈迦の骨などを治める仏舎利などがそれに変ったためです。

「神の要求だったのか?」はたまた、「自発的なものだったのか?」は定かではないですね。地域を治める豪族などが、巫女や神官のアドバイスで決めていたと想像されています。これは、古代ギリシアの神託に近いものだったろうと推定されています。

この回答への補足

ご回答、有り難うございます。知識がまるでないもので確認させて下さいませ。

1-1 .「皇室神道」では、通常「アマテラス」は太陽の中に存在しているのですか。鏡の中に宿っているのですか。鏡そのものが「アマテラス」なのですか。神事があるときも、ないときも、そこに存在しているのですか。
それとも、この件には誰も、はっきりした認識がないのですか。

1-2 「出雲神道」の場合、一例として「へっつい(竈)」にも神が存在するのだろうと思いますが、この神は「へっつい(竈)」の中に存在すると考えてよいですか。神無月には不在になるのですね。 

古代ギリシャの神々は天空に存在するために、祭壇は戸外に設けたそうです。犠牲の香と煙が真っ直ぐ天に昇るためには屋内では不都合なのだそうです。神道には、こういうはっきりした認識はないのですか。


2-1 直接ではなく間接的にでもよいのですが、「人柱」は言葉だけでなく史実として事例が確認されているのですか。

2-2 「埴輪」は「殉死」の変形ではないのですか。「殉死」とは別に「犠牲」の代用としても用いられたことが判っているのですか。

事情が許せばご返事が欲しいです。よろしくお願いします。

補足日時:2009/05/22 23:56
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