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叙述されなかった出来事は歴史なのでしょうか?

A 回答 (17件中1~10件)

歴史はあくまで記録です。


また「歴史は勝者が作る」と言われ、第二次大戦で日本が勝っていたら異なるのはその結果だけでなく、戦争に至った理由からすべて違うものが歴史となっていたはずです。

つまり御質問の件は、なんらかの経緯で叙述することとなった時点で(最初からそうであったように取り扱われ)歴史となります。

この回答への補足

>歴史はあくまで記録です。

出来事を現実に起こったとおりに保存されたものが歴史であるということでしょうか。

補足日時:2009/05/27 13:38
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この回答へのお礼

たいへん貴重なアドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/05/26 20:45

国語あるいは認識論の問題だろうと私は思います。



「人類がたどってきた歴史」というふうな用例では,過去に起こったできごとを総体的に指しています。

いっぽう,「われわれが学校の教室で習う歴史」は,だれかが過去に起こった出来事のうちごく断片的にわかるもの(文書だけでなく考古遺物,化石,地層なども含む)を集め,場合によっては意図的に改ざんし,1つの時系列的な記載をなしたものといえるでしょう。

この回答への補足

>「人類がたどってきた歴史」というふうな用例では,過去に起こったできごとを総体的に指しています。

>過去に起こったできごとを
というのは史料として選択され綜合されたものという意味でしょうか。

補足日時:2009/05/27 13:32
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この回答へのお礼

たいへん貴重なアドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/05/26 20:45

叙述されたことは後に情報源となり、情報は感覚によって取り入れられ


ます。感覚は習性とか習慣によっても真偽の形成を違えますし、誰しも
同じように感じているかどうかは検証不可能で、思考に至っては感覚以
上に錯覚を起こして、現実から遠ざかったことを採用選択したり、捏造
した結論を出してしまったりするそうです。

真逆は反対対等ということで、言葉の綾で嘘ともいえないが、若干の違
いがあること(表現上の嘘)を多用して建て前論に美化され現実とかけ
離れてはいない、近い感覚をだましていることが多いと思います。媒体
であるマスコミにしても主人格の売名行為にしても採用されるなら商売
になるからと都合良く建て前込んでしまってます。

書かれていることから感覚で膨らますことも大事に違いないけれど、
「何が書かれていないか」を思考で推測することも肝心となって、「流
通や資金の流れ」を教科書にも記すなら検証も容易となって現代でも有
用な歴史となれると思います。

数学、計算が苦手(というより無理?)な私ですが幕末からの近代史に
於いて金銭の流れや統計、証言を庶民でもしっかりと日本人は叙述して
たようです。なのでこれが証拠としては「ペンは剣より強し」となるだ
ろうし、戦後60年以上も経ってから老人が重い口を開いてようやく叙述
されるようになってお金の流れが明らかにされれば歴史もひっくり変え
るかもしれませんね。

書かれていないお金のこと、それによって世代の偉人の重要点や建て前
も、表現上の嘘内容が変わってきてますから。

戦争を知らない世代でも、当時生死の間で有機体なまま生きてる歴史を
刻んだ人、体験者とお金の話もしたいなと思います。

この回答への補足

何らかの価値に関係づけられることによって初めて歴史的な意味を持つということでしょうか。

補足日時:2009/05/27 13:01
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この回答へのお礼

たいへん貴重なアドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 13:06

叙述は物事のありさまや考えなどを、順を追って述べることだそうです。



もともと歴史は無いのかもしれません。
歴史を語る人、物事を関連付ける人がいるからが、歴史が誕生する。

歴史の語り手によって歴史が変わってしまうなら
歴史とは曖昧なものです。

この回答への補足

普通、他人の日常的などうでもいいような出来事は歴史とは呼ばないと思いますが、自分にとっては一回限りしかないような出来事は歴史という意味を持つということでしょうか。

補足日時:2009/05/27 13:20
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この回答へのお礼

たいへん貴重なアドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 13:09

>叙述されなかった出来事は歴史なのでしょうか?



ご存じかもしれませんが、日本語(漢語)の「歴史」は、res gestae(出来事)とhistoria rerum gestarum(歴史的叙述)のいずれをも指します。

あるres gestaeが起きたということは、誰かがそれをに直接的、または間接的に見聞したということを措いてはありえませんよね。
したがって、人間世界に於いては、historia rerum gestarum>res gestaeということになるのではないでしょうか。

この回答への補足

例えば「川中島の戦い」の具体的な状況は我々には知りようがありませが、そういった知りようのない出来事の経過は歴史であるということでよろしいでしょうか。

補足日時:2009/05/27 12:51
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この回答へのお礼

たいへん貴重な回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 13:08

記憶や想像、イメージも現実ならば


叙述されなかった出来事も歴史です。

この回答への補足

例えば「川中島の戦い」の具体的な状況は我々には知りようがありませが、そういった知りようのない出来事の経過は歴史であるということでよろしいでしょうか。

補足日時:2009/05/27 12:55
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この回答へのお礼

たいへん貴重なアドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 13:08

想像と現実を区別しないと大変なことになります。


叙述されなかった出来事は歴史ではないです。

この回答への補足

例えば「川中島の戦い」の具体的な状況は我々には知りようがありませが、そういった知りようのない出来事の経過は歴史ではないということでよろしいでしょうか。

補足日時:2009/05/27 12:55
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この回答へのお礼

たいへん貴重なアドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/05/27 13:08

歴史には「書かれたもの」という意味があるのは確かです。


しかし、それがいつかかれたのか、それは果たして事実に基づいたものなのか、これから書かれるものは歴史にはならないのか、ならないとすればそれはいつの時点からなのか?ということを考えていけばきりがありません。
私の独断ですが、
今叙述されていない出来事は歴史ではない。出来事ですらもない。何でもない。空白である。
書かれたものは歴史になりうる。
それは過去現在未来を問わない。

ご参考まで。

この回答への補足

例えば、「川中島の戦い」よりもっと近いところで「南京大虐殺」という出来事の信憑性を考えた場合、具体的な経過は叙述されているのでしょうか。
つまり正確な史料として妥当するものは存在しているのだろうかということです。
もし存在していなければ、>出来事ですらもない。何でもない。空白である。ということでしょうか。

>書かれたものは歴史になりうる。

例えば「川中島の戦い」の例で言えば「甲陽軍鑑」の信憑性という問題からすると史料の学的選択が重要になってくると言えるのではないでしょうか。

補足日時:2009/05/28 16:32
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この回答へのお礼

たいへん貴重な回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/28 17:03

NO.8 です。


>「南京大虐殺」という出来事の信憑性を考えた場合、具体的な経過は叙述されているのでしょうか。
>つまり正確な史料として妥当するものは存在しているのだろうかということです。
「南京大虐殺」は現代史のひとこまとして既に存在しているのではないでしょうか。ただ立場を持たない叙述はありえないので、完全に無性格な歴史というものも存在しないのではないかと考えます。写真ですら信憑性を疑わねばならない時代です。
時間と量的な資料の数が歴史を色抜きしてくれることは確かでしょう。近現代史はまだまだ確立してはいないと思います。

この回答への補足

>「南京大虐殺」は現代史のひとこまとして既に存在しているのではないでしょうか。

しつこくてすみませんが、そう信じる根拠は何でしょうか?

(お答えにならなくてもかまいません。)

補足日時:2009/05/29 00:10
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この回答へのお礼

むかし「東アジア反日武装戦線」という極左グループが爆弾テロを引き起こし多数の犠牲者を出しましたが、彼らの実践的確信の根拠と同様かな。

お礼日時:2009/05/29 00:17

MO.8 です。


>「南京大虐殺」という出来事の信憑性を考えた場合、具体的な経過は叙述されているのでしょうか。
それが真実であるかどうかは誰にも証明できなくても、その事実についての叙述が残されている以上、それは歴史として後世に残っていくだろうということを言ったまでです。
「南京大虐殺」はそんなもののひとつだと私は思います。
変なことをいいますが、この事実があった、というポジチブな叙述は当然それを補強しますし、更に、この事実はなかった、というネガチブな叙述であっても、それが思想の偏光レンズを剥がされたあとで逆に事実の存在を証明する資料になることもありうるということです。
「南京大虐殺」はそんな意味も含めて歴史的資料が非常に多い事例です。
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