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こんにちは

自殺の正当性についてご意見を伺わせてください。

現在日本人の自殺者は11年連続で年間30000人を超えています。
政府をはじめ各種団体は自殺者を減らすために様々な努力をしています。
そのことは非常に意義があり、必要なことであると思います。

「人は何故自殺という選択肢を選ぶのか」に関しては、自殺に至る
要因・原因も含め千差万別であり、様々な研究者、宗教家、医者、
カウンセラー等がそれぞれの立場で分析し、発言しています。
社会が悪い、政治が悪い、少子化の影響、景気悪化、格差社会、学校
教育の問題、インターネットの影響、テレビゲームが悪い(笑)・・・etc
個人的には納得できる意見も、「それは違うんじゃない?」という意見も色々目にします。

自殺者が増えている原因についてはこのように様々な議論がある一方、
「自殺をする」という「行為」に関しては、「自殺をしてはいけない」
という論調が圧倒的だと思います。
「最終的には自殺という選択肢もアリだよ」という論調はあまり聞きません。

「自ら死を選ぶ」という選択肢は本当に「ナシ」なのでしょうか。
人間は「生まれてくること」を自ら選択することはできませんが、
「死ぬこと」は自ら選択できます。この選択肢は「選んではいけない
選択肢」なのでしょうか。

精神的疾病など「病気のせいで」自殺を選択しようとしているのでは
なく、自ら論理的に分析、判断して自殺を選ぶ行為は「正当」といえるのでしょうか。

「自殺はいけない」という論調は例えば、
「死ぬくらいならなんでもできる、死んだと思ってやりなおせ」という
根拠の無い論旨のすり替えのもの、
「家族や親や友人を悲しませる、残された人間の気持ちを考えて」という
感情論のみのもの(この理屈だと「天涯孤独なら自殺して良い」ことになります)、
「自殺すると後世で生まれ変われない」などの宗教観によるものなど、
個人的には「説得力が無い、少ない」ものが多いです。

長くなりましたが、質問をまとめます。
「論理的に判断して自殺の選択をした場合、それは正当と思われますか?」

※私個人は自殺するつもりも予定も全くないです(笑)

A 回答 (22件中1~10件)

決して推奨しませんし、正しいとも思えませんが、世の中にはそうしないともうどうしようもない状況まで追い詰められて自殺された方もいます(記憶に新しいものでは、闇金融に追い詰められて自殺されたご家族がいらっしゃいましたよね)。


それを「間違っている」とは私にはとても言えません。
だって、自殺されたから事件が大きくなったのであり、それまではだれ一人、助けようとされていませんでしたよね。
自分の人生の幕の閉じ方をご自分で決められた。それによって世の中がどう変わろうと、その方には何の関係もありません。なのでその方がそうしなければならない、そうするべきだと判断されたなら、その人自身は責めるべきではないと思います。世の中、根性論ではどうしようもないこと、沢山あるんですよ。
残された方の苦しみは大きいですし、社会的には間違っているのでしょうが、その方が「楽になる」と思われたなら、少なくともその方の立場に立てば正当だと思います。
でもやっぱり、生きたくても生きられない人がいることを考えると自分で命を絶つのはやめてほしいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

はい。私も「感情的には」やめてほしいです。
感情論、宗教観など様々な葛藤の末「自殺」という選択をされる方
に対して社会が何を出来るかという難しい問題だと思います。

>闇金融に追い詰められて自殺されたご家族

非常に痛ましい事件だと思います。
闇金融がこれだけ社会問題化しており(ということは被害者は山ほど
いる)、法的にも「闇金融から借りたお金は返さなくて良い」という
ルールがあっても、自己破産制度や生活保護制度があっても借金問題で
自殺なさる方がいます。その一方同じ環境でも「死なないでがんばる人」
はそれ以上にいます。
単純に「金利を下げる」「闇金を取り締まる」などの政策で本当に
自殺者が減らせるのか疑問に感じます。

お礼日時:2009/05/28 16:22

自殺をしてはいけないという"当たり前の概念"は私たちが生きてきた中で植え付けられた偏見だと思います。



自殺をした場合、"自殺という本当の意味"を意識している人は少ないと思います。自殺した人の周囲の反応は、大抵"何かあったのか?"、"自殺なんて怖い、したくないものだ"なんていう一般人が口にしてきたことが現代の私たちにはまるで常識のように植え付けられ、結果、自殺行為そのものが異端行為だと思われてしまう。


自殺行為に対して肯定意見を持っているわけではありませんが、命を捨てることを感情ひとつで"粗末だ"と考えるのも、感情など一切の常識を取り払い自ら死ぬのも自由ってことです

この回答への補足

#22さんの補足欄をお借りして、再度お礼を申し上げます。
ご回答いただきました皆様、ありがとうございました。

皆様のご意見は自分の考えを深めるのにたいへん役立ちました。
ポイントの優劣は付けられませんので、回答順にさせていただきました。
本当にありがとうございました。

補足日時:2009/06/03 09:32
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ございません。

>生きてきた中で植え付けられた偏見だと思います

「偏見」という言葉を広義に解釈すると、私もその通りだと思います。
自殺という行為が感情で選択されたとすると、それを感情で制止する
ことは困難だと思います。
感情と感情がぶつかるとほとんどの場合決着しません。
一方論理の上で自殺という行為が選択された場合、それを感情で止める
ことは更に困難です。ただこの場合「相手の感情に訴える」ことができ
る可能性があり、その場合は抑止につながるかもしれません。

お礼日時:2009/06/03 09:31

#12です。



まず、私は自殺者や自殺志願者を「弱い人間・駄目な人間」だとは考えていません。いたずらに自殺者を非難しているつもりはありません。でもその上で、やはりどうしても自殺という「行為」そのものは否定したいのです。

私も、大切な人を自死で亡くしています。その人は本当に「良い」人間でした。私を含め、今生きているそんじょそこらの人より優しく・責任感のある立派な人間だったと思います。「自殺なんて弱い人間のすることだ」なんて決して思いません。

「自殺で亡くなった本人は、残された家族より辛い思いをしていた。だからこそ自殺を選んだ」確かにそうかもしれません。でも「家族より、本人の方が辛い」からといって、家族の辛さそのものまで否定できるのでしょうか。残された家族は「本人の方が辛い」から、悲しむことも許されないのでしょうか。

自死で家族を失った人は、大切な人を失った悲しみのあまり「どうして死んでしまったの」と故人を責めたくなる時だってあるのです。でも、それ以上に「大切な人の命を救えなかった殺人者としての自分」を責めているのです。それはそんなに極悪非道な「自殺者を敬っていない」ひどいことなのでしょうか。

私が死にたくなる時、その人が亡くなって、私やその人を大切に思う家族がどんなに身を裂かれるような辛い思いをしたか、を思い出します。そして、私の大切な人たちにこんな思いをさせてはいけないのだ、と思いとどまります。これは、亡くなったその人が私に命がけで残してくれた大切な「財産」だと思っています。

私は「可哀想」なのでしょうか? 私の感情は「自己欺瞞」なのでしょうか? …正直、自分でもよく判りません。ただ、それでも質問者さんや多くの回答者の方々が「説得力がない」「自己中心的」とされた「感情的」な理由が私が生きている・生かされている理由なのです。

あんまりこんな話ばかりしていると、「だから女性は感情的なのだ」と質問者さんに言われてしまいますね(笑)

でも、申し訳ないのですが、質問者さんがお聞きになりたいことが良く判りません。えーと、質問者さんは

>きちんと自分で考えた末の結論として自殺を選んだ場合」です。
>もちろんその考え(そこに至る論理)自体が「正しいか否か」は関係なく。

多くの回答者の方が「~こういった場合には自殺は正当とされる」といった回答をされていますが、そうではなく「本人が納得しているすべての自殺」で「客観的正当性は問題としていない」ということなんですよね? つまり、質問者さんは自殺を「本人の意思で飲酒をして、寿命を縮めるのは本人の自己責任であると同時に権利である」と同レベルの「権利」と考えていらっしゃるということですか? で、その考えが正しいかどうかと?

それとも「昔は自殺は正当とされた時代もあったのに、何故今はそうでないのか。自殺が不当とされることに明快な論理的根拠があるのか?」ということですか? 

これについては「戦争下で他殺が正当とされるように、自殺が不当とされる絶対的な根拠などない。ただし現在の日本では自殺を不当であると位置づけた方が社会的秩序が保たれる。だから社会的には自殺は不当とされている」と言うしかありませんね(そんなことは、聡明な質問者さんならご承知かと思いますが)

あるいは、すべての自殺者を説得することができる唯一無二の「何か」があるとお考えなのでしょうか? そして「それ」を探していらっしゃると? だとしたら、「そんなものはない」というのが私の考えです。

すでに他の回答で出ているように、場合によっては「話を聞くだけ」で救われることもあるし、一千万円を無期限無利子無催促で差し出せば、借金苦で自殺を考える人はすぐに思いとどまるでしょう、でも勿論それらがすべての自殺者に通用する訳はありません。だからといって「話を聞いたり」「闇金を取り締まったり」することに意味がない訳ではないでしょう。少なくとも「その人」一人は救われるのですから。

「自殺が不当とされた方が社会的秩序が保たれる」点について、もう少し道徳的な観点からの見解もあったのですが、今度こそスペースが足りませんね…。

質問者さんには不要のものかともおもいますが、一応参考文献を。
「さよならも言わずに逝ったあなたへ ~自殺が遺族に残すもの」(扶桑社/カーラ・ファイン著:飛田野裕子・訳)
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ございません。

>質問者さんがお聞きになりたいことが良く判りません

「自殺を選ぶのが個人の権利であり、その行為には他の選択と同じ
ように正当性がある」と仮定した場合、それでも自殺抑止の手段が
あるとしたらどのようなものなのか、という観点で考え始めたときに
皆様のご意見をお聞かせいただきたく、このような質問をさせていただきました。

>すべての自殺者を説得することができる唯一無二の「何か」がある
>とお考えなのでしょうか?

私は宗教的観点を否定するものではありませんが、このような観点は
宗教論でしか語れない(私にとっては意味が無い)と思っています。

私は大学、大学院で心理学を学びました。
一見矛盾するようですが、心理学は感情論と対極の学問だと私は思っています。
自殺の要因は様々な統計が取られていますが(借金や人間関係など)、
精神的疾病による自殺を除き「なぜ死を選択したのかの原因」は本当
のところはわかりません。理由を聞くことができませんから。
そこを少し考察してみたかったのです。

自殺を正当と仮定した場合、これを止めるのは非常に困難です。
それでも何かの糸口はないものでしょうか。
この仮定が正しいとも思っていません。可能性を考えたかったのです。

本を紹介いただきましてありがとうございます。
未見でしたのでぜひ拝読させていただきます。

お礼日時:2009/06/03 09:26

 生きていれば、周囲や社会に迷惑を掛けることが確実な場合は、「正当」かもしれません。

私自身も、将来的なことを考えると、そのように判断することがありえる人間だと考えています。失職し、全力で再就職を試みて、その上で見込みがないことがはっきりすれば、妻子がいない一人身の人間として、生活保護で世間様に一生迷惑を掛けるよりは、死を考えざるを得ないとは思います(昔の姥捨て山に行った方と同様に考えれます)。
 
 ただし、それは他人が決められることではありません。他人が決める意味での「正当」はありえないでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして申し訳ございません。

>他人が決める意味での「正当」はありえないでしょう。

そうですね。
逆に考えると他人が「不当」と決めることもありえません。
で、あればその行為に対して抑止するための方法論を考えるには
「自殺しても良い」「自殺するなんてよくない」という観点を捨てて
考える方がよいのかもしれません

お礼日時:2009/06/03 09:38

正当かと言われると答え難いが、


私は「死にたければ死ねばいい」と思っているので、
自殺を選択する事に対しては否定しない。
言うまでもないが、これをすすめるわけでもない。
「生きたければ生きればいい」とも思っている。
これを決めるのはその人の自由である。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ございません。

>これを決めるのはその人の自由である。

私も自殺に限らず、自己の行動における最終的な選択は自己責任で
全て完結すべきものであるとは思っています。
私は感情論だけで自殺抑止をするのは難しいと思っていますが、その
理由の一は回答者様のおっしゃる「自己の行動への自己責任」です。
ただ、もし友人や家族に「自殺したい」と相談されたときに、「自分で
決めれば」とはやはり言えません。
「論理と感情」をうまく組み合わせられればよいのですが。。。

お礼日時:2009/06/03 09:09

"正当”とは"正しく妥当な生き方”であるならば


件の本人にとっては"正当”であるのは間違いないですが、
他人から見た場合に"正当”か否かの判断は、
所詮判断する人間の価値観、人生観などによってきまる、
主観的なものにならざるを得ないでしょう。
私の主観では、どのような場合でも、
自殺は"正当”とは思えません。

なお60数年以前は、場合により自殺(自決)が
美徳とさえされていましたね。
自殺というものが時代、国、宗教、生い立ちなどによって、
見方が変わってくるものであるということですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなり申し訳ございません。

>他人から見た場合に"正当”か否かの判断は、
>所詮判断する人間の価値観、人生観などによってきまる、
>主観的なものにならざるを得ないでしょう。

はい。と、いうことは「正当性の判断は個人の主観であるので、もし
自殺を選択したとしても他人が否定したりとやかく言うことではない」
ということでよろしいでしょうか?
その上で自殺を減らすためにできることは、社会的システム整備などの
客観的対策になると思うのですが、まだまだ日本は遅れていると感じます。

お礼日時:2009/06/03 09:03

NO7です。

こんばんは
僕は、特に本読んだり研究してるわけじゃないので知らないのですが、今色々な自殺防止対策ってされてるのですか?
電話相談ぐらいしか僕は知らないです。

選択する人、しない人の違い・・・難しいですね。
たとえば、親には感謝してて自殺したら悪いと思って踏みとどまる。
そして、自分さえ我慢すれば・・・といやいや生き続ける人
感謝してるけど、それ以上にどうしようもないぐらいに思いつめて自殺しちゃう人
どっちにしても幸せじゃないですよね。

僕は 自殺=悪 っていうの辞めればいいと思うんです。
その上で、公的施設でも作って自殺したい人はそこに入って自殺しない選択がないかカウンセリングなり、いろいろな事をしてみてそれでもダメな場合は公式に自殺を認めてあげる。そこで自殺する分には悪じゃない、そんな事があってもいいと思うんです。
今の自殺=悪っていう考えだと相談すること自体にかなりの勇気がいると思います。その為に実際にそういう相談する人はごく一部にとどまってしまうんじゃないでしょうか。そこにいけば公式にokが出るとなれば、今アクションおこしてない人も結構な人がいくと思うんですよね。
また、何時でも死ねる その選択肢があることで、生きることをもう1度考えることができる気がします。
自殺したら家族や残された人が・・・って、よくいいますが、
その人が死ぬほど苦しんでいようと死なれたら困るから生きて
って言ってるように聞こえるんですが、これってすごく残酷な気がするんです。死ぬことも許されない。それってすごくつらいと思います。

ごめんなさい、相変わらずまとまらない文章で・・・
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございます。

>今色々な自殺防止対策ってされてるのですか?

そうですね。おっしゃるような「悩み相談」もあれば、経済的問題から
死を選ぶ方を減らすために、生活保護制度を充実させたり、多重債務者
問題に取り組んだりしています。他にも高度医療の保護制度とか。
新聞の社説などでも「自殺者削減対策を充実させよ」としょっちゅう
出ていますね。

>何時でも死ねる その選択肢があることで、生きることをもう1度
>考えることができる気がします。

おっしゃることはすごく良くわかりますし、私もある意味そう思います。
ただ、これを今の日本で行ってしまうには「まだ何か足りない」と
考えてもいるのです。
みなさんの意見を伺って「何が足りないのか」を考えるヒントにさせて
いただいています。

お礼日時:2009/05/31 20:51

「自ら死を選ぶという選択肢」は限定的に認められると思っています。


もちろん先の回答にあるような、周りに迷惑をかける方法は論外ですが。

何があるかというと、
病院でガン宣告を受け、手術したら80%の成功確率、手術しなかったら長くて3年と言われた場合に後者を選択すること。

身寄りのない一人暮らし老人が食べるものもなく生活に行き詰った時、近くの民生委員か市役所に電話一本すれば少なくとも命は永らえることは可能だが、あえてそれをせず空腹のまま命が絶えることを選択すること。

これらは自殺にはカウントされなくても、質問者さんの「自ら死を選ぶという選択肢」には該当するものであり、否定は出来ないと考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

はい。「自ら死を選択する行為」には「尊厳」の部分もあると思います。
「せっぱつまって死を選択した場合」と「自らの尊厳やポリシーの
ために死を選択した場合」は明確な違いがあると私も思います。
後者が回答者様のおっしゃる「限定的に認められる」場合なのですね。

お礼日時:2009/05/31 20:41

自殺に正当性なんてあってはならないと思う


だって、正当だと認めるということは
あなたの自殺は正しかったと褒めている事と同義でしょ
それは人道的にオカシイと思う
ただ、正当化したくはないけど・・・てのはある
また、説得力のない言葉を掛けるのは
ある意味、止める方も形振り構わずってこともある
たとえば、病気などで生きたくても生きられない人を
目の前にして励ます言葉がひとつも見つからないのと同じで
これは自殺する人を目の前にしても同じ事が言えると思う。
でも、なんとか止めたい、勇気付けてあげたい気持ちが
安易な言葉に変えさせているのだと思う。
ま、そう思いたいという願望です(笑)

論理的思考ができない人の意見でした
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>人道的にオカシイと思う

そうですね。
「まぁ自分で決めたんだから死んでもいいんじゃない?」と
考えるには私個人的にも釈然としない部分があります。
では、どうすればいいのか?という答えは無いのですが、その人が
それを選ぶことになった背景や考え方を理解することが第一歩だと思っています。

お礼日時:2009/05/31 20:35

正当性はないと思います。


というか、正当だとか、不当だとかということを語るものではないように思います。

よく、自殺した人に対して
「家族や親や友人を悲しませる、残された人間の気持ちを考えて」
と非難する人がいますが、
「じゃあ、あなたは自殺する人の気持ちを考えたことがあるのか」
と言いたくなります。
「周りの気持ち」は考えられても、自殺する人、自殺を考える人の苦しみを一切理解していない、理解しようともしない、無責任な発言にしか僕には思えません。そもそも、その家族や周りの人に、死ぬまで心の痛みを背負わすことが目的のひとつだったとしたら、まったく意味のない的外れな非難でしかありません。

また、鉄道などへの飛び込み自殺に対しても、
「迷惑だ。他でやってくれ」
と非難しますが、その迷惑をかけることが自殺者の社会に対する最後の抵抗、意趣返しだったのでは?とは考えられませんか?

そうした考えができず、いたずらに自殺者を非難するだけだから、自殺する人が減らないんだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>正当だとか、不当だとかということを語るものではないように思います。

そのとおりなのかもしれません。
私は今自殺をする気は全くありませんし、多分将来も自殺をすることは
無いと思います。
自殺をされた方々も数時間前、数日前、数年前までは今の私と同じ
考えだったのだと思います。
もし「自殺という選択肢を選ぶのも正当」という仮定をした場合、
自殺を思いとどませるにはどうしたらいいか?と考えた(仮設)のが
「正当か否か」という論点で考えてみようと思ったはじまりです。

お礼日時:2009/05/31 20:26

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