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自分を好きになることって、あきらめることでしょうか?
どうしても欠点ってあると思うのですが、それを「ま、いいか」と思えること?
一例ですが、実は本当の自分はとても我が儘だとして、他人のことも考えられないし、自分の好きなことやりたいことをしたい…これを貫いて周りが離れていったとしたら…。
これはあるがままの自分で、そこを貫き通すことが大切なのか、本当自分をある程度は我慢し相手を思いやることが(そういった気持ちも出てきますよね)大切なのか。
程度があると言われたら、それまでですけど。本当の自分を貫き通してみた先に、何か違う世界が見えるかな?でもそのときは周りには誰も居なくなるんじゃないの?とも思います。

:自分を好きになる、受け入れるってどういうことでしょうか?
:それは一人きりでも可能ですか?
:具体的なオススメの行動とかありましたら教えて下さい

時々、考えちゃいます(>_<)
私にあなたの考えを教えて下さい。

A 回答 (11件中1~10件)

自分を好きになる事=諦める事では少なくともないと思います。


「自分」を受け容れる・・・というのはまず、誰でもそうだと思いますが、誰にでも長所・短所があります。良い所だけが自分ではないし、悪い所だけの自分でもありません。両方あっての「自分」です。
その両方、自分にはあるなあ・・という事実を認める。
どちらか片方だけではなく両方ある、という事を認める=それが「受け容れる」という事になるのだと思います。
ただ、これがあるから悪いとか嫌とかいう感情は置いといて、ただ、ただ眺めるように「ああ、こうゆう所が自分にはあるな」って認める事だと思います。そこから色んな事が始まっていくんじゃないでしょうかね。
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この回答へのお礼

アドバイスは心にとめていたのですが、自分に向き合うのが苦しくてなかなか御礼が書けませんでした。
でも少しわかったんです。自分はこうなんだって事が。その感情を否定せずに居たら何かつかめそうな気がします。
あぁ自分はこんなんだって今はよく自分を見つめています。
ありがとうございました。
御礼が凄く遅くなりすみませんでした。

お礼日時:2009/08/19 01:52

まさしく! 基本はkumazodesuさんのおっしゃる通りだと私も思います。

基本は…というのは、決してkumazodesuさんに反論するものではない、ということです。比較的健全な、自立のできた心の土台を親から貰えた人は、kumazodesuさんのおっしゃっているカタチで、自分を受け入れることができると思う。ただ、その前段としての作業が必要な人もいるのです。例えば私は自己愛性人格者であり、肥大化した空想的な理想の自分というのが心にある。そしてありのままの自分がいる。この両者を比べることで、ありのままの自分に劣等感があった。そこに自己嫌悪があった。理想の自分と比べたら、現実のありのままの自分は何てショボイいのだろう、です。

だからそういう意味においてまずは、現実の自分から目を背け、自分を受け入れられないでいた。この自己嫌悪は、これは短所というより修正されるべき欠点なのです。そしてこれを修正するための、一つのとても有効な手段が「自分を知る」ということです。ああ自分の心にある理想の自分は、肥大化した自己愛なんだと知る。そうすることでやっとまず、第一段階として自分を受け入れることができる。すると初めて、長所と短所その両方が自分なんだというkumazodesuのおっしゃる域に達することができる。

しかしそれが分かっても、この肥大化した自己愛がすっかり消え失せることは生涯ありません。だからそういう自分であるという前提で自分をコントロールする。それは変化流動するものなのです。ちょうど良い自己愛の大きさを探っている自分というのは、自分の側からのイメージは「変化流動、状況に応じて」という感じなのです。それが理想の自分に向けて突っ走る時には慎重に考えよ、なのです。そして最後は、そういう自分もひっくるめて、それがぜーんぶありのままの自分なんだということです。ここまでくれば単に自分を好きでいられます。そこそこ安心して、良い意味で自分を好きでいられる。受け入れられる。そんなことを前文で書いたのです。

この回答への補足

皆様、お礼が遅くなっていてすみません。まだまだ考え中です。必ずお礼はするつもりです。ごめんなさい。

補足日時:2009/06/06 07:59
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本来とてもここで書き切れる範囲の質問ではないと思います。


だからどこまで伝わるか分かりませんが…

まず、欠点に対しての「あきらめる」ということ。このニュアンスですね。
「悲しいあきらめ」では決してありません。
「ま、いいか」は、その場においてはそれでいいこともありますが…。
まず、本当に欠点だけの欠点は、それは修正していく必要があります。
しかし欠点ではなく「短所」というのもある。それは裏側では長所になっています。
そういう自分まで変えようとする必要はないし、第一それは不可能です。
洗練されなければいけない。つまり「本当の自分を知る」ということが洗練です。
自信を持ち過ぎている自分を発見することもあるでしょう。
自信が無さ過ぎる自分を発見することもあるでしょう。
自分を好きになり過ぎている自分、自分を嫌いになり過ぎている自分…
そうやって自分を知ることで、洗練されていく。
一定以上洗練されれば、悲しいあきらめもあきらめも必要なくなる。
ただ自分が好きになる。

それから、どこまでが我が侭なのか、これを決めるのは難しいことです。
突き通した先に何か違う世界が見えるのだと思えば、やってみることです、試してみることです。
しかし試すことで、取り返しのつかない「時間」「人」「金」などが発生する。
だからそれは天秤にかけてじっくりとケース・バイ・ケースで判断していくしかありません。
取り返しがつかなくても突き進んでみたいなら、やってみるしかありません。

どうやったら自分を好きになれるか、受け入れられるかは、人によっても違うというか、
一番汎用性の高い方法論だと分かり辛くなりそうなので、あてずっぽで貴方に合うと思うやり方を…。

理想の自分と現実のありのままの自分、この二つの葛藤があるとする。
まずは現実の自分、ありのままの自分を直視することです。辛くても、できる限りがんばって。
それから、理想の自分の存在も、それはそれで認めることです。
それは良い理想の部分もあり、同時に空想的な実現不可能な理想としての部分もある。
それで、理想の自分と現実の自分が絶えず流動的に変化しながら存在するのです。
どっちか片方だけが絶対に正しいというものではない。常に変化流動している。
その変化流動している姿を、そのままそれでいいと思えたら、その時自分を好きでいられます。
そしてありのままの自分を受け入れることができます。その全てがありのままの自分なのです。
これは先程のケース・バイ・ケースということに繋がります。
つまりそれは、理想の自分とありのままの自分を、ある程度自分でコントロールできているということです。

一人っきりではできません、最後は。基本は一人でもできます。というか一人でやらなければならない。
でも仕上げには、回りの人が必要です。自分を映す鏡がなければ、本当の自分の姿は分からない。

具体的なオススメの方法は、最初の「自分を知る」ということをどうやって行うか、なので、
「パーソナリティ障害がわかる本」を読むことをオススメします。
岡田 尊司さんの本です。私は自己愛性人格者だと分かりました。貴方は?

読み返してみると、何だかうまく集約できたのか不安ではありますが(汗)
一応きっかけ作りのヒント・アドバイスということで。
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この回答へのお礼

御礼が遅くなって申し訳ありません。ひとつの答えが出るのに本当に今までかかったんです。
アドバイスを頂いて、頭には置いときながらもなかなか分からなくて…。とことん自分の感情に目を向けて見たんです。
少しわかった気がします。自分を知る。理想の自分はとりあえず置いておいて、今は日々感じた感情を否定せず向き合っています。受け入れることが出来てるかはわかりませんが…。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/19 01:48

やってみたら


ライオンの子供時代って、親と同じようにやれると思って
無茶してバッファローとかにむかっていってぼろぼろに怪我するんだって。
だんだんそうした経験から かりがじょうずになるらしい。おとなになるらしい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とりあえず自分の感情に目を向けることにしました。御礼が遅くなってすみませんでした。

お礼日時:2009/08/19 01:55

 回答というよりは感想を文にまとめて見ようとしましたが、だいぶ長くなりそうでした。


 だから次のように短めにヒントらしきものを述べてみます。
 
 本当の自分を貫き通してみる(わがまま?)という行為(好きなこと?)が‘楽しむため’だけなのか。

 目標が(目標らしきものが)あっての行為なのか。

 こんな視点で自分を見つめてみるのはどうかなと思いました。

 
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この回答へのお礼

御礼が凄く遅くなりました。本当の自分をまず知るために、自分の心と向き合ってみようと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/19 01:57

> 自分を好きになる、受け入れるってどういうことでしょうか?



 自分に自信を持つことです。
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この回答へのお礼

自信が持てるよう頑張ってみます。大変御礼が遅くなってすみませんでした。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/19 01:59

:自分を好きになる、受け入れるってどういうことでしょうか?



自分について、好きじゃない部分があるとします。
その部分を変えようとするなら、まずそれを認めて
受け入れないといけない。そして、変えられたら好きに
一歩近づけるかも。

:それは一人きりでも可能ですか?

無理だと思います。私は、自分自身をそんなにすごいと
思いませんから、好きでもないのですが、そんな自分を
好きになってくれる人がいるなら、それでもいいやと
思っています。その代わり、その人のことは欠点らしい
ものはあっても、私は好きです。

欠点を含めて、ほんとに誰かのことを好きになったら、
解決するかも。
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この回答へのお礼

私の最近の気付きは自分を否定したりしていては、相手にも厳しくなるのかな?ということでした。自分の欠点を責めてばかりいて、相手の欠点も責めてしまうような…。
少し逆な感じですが、あくまで私の今の答えなんです。もちろん正解なんてないですよね。
ありがとうございました。御礼、遅くなって本当にすみません。

お礼日時:2009/08/19 02:03

要するに自分を理解することでしょうね。

ただ言っておきますが、過去の偉人ですら自分を100%理解した人はいません。自分の姿の事を背中に例える人がいますが、あれはわかりやすくていいと思いますね。要するに自分の背中はカメレオンじゃないんですから100%は見えませんということです。だからと言ってみる努力を失えば人間として生きてはいけないですよということでもあります。(人として行き詰ります)
徐々に自分はこう言った人と言う事を、本当に少しずつ理解していく地道な努力の事です。そうして人は成長してゆけます。欠点がなければ成長すらできなかったりします。それも既に人として欠点だったりします。ということは完璧な人間はこの世の中に存在しえないということです。

一人きりでも可能は可能ですが、かなり遠回りになるでしょうね。何せ例えた背中を冷静に見つめてくれる方がいませんから、言葉を与える人がいないということになり、自分というもののヒントが減りますからね。そのヒントも自分で探る必要がある分遠回りになりますね。

まずは「妥協と協調」の違いを考えてみてください。ヒントは「納得」です。(お礼欄に答えを書く必要はありません。私自身あなたの即答は期待する気がないですからね。じっくり考えることです)
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この回答へのお礼

じっくり考えて今になってしまいました。でもいまだ違いはわかりません。ただ、ひとつ感じたのは自分の色んな人との関係から感じた感情を見つめることが自分を知るような気がします。今までは否定な感情や思いは駄目だ、なんでそうなんだろうと考えてました。それは自分を無理させ、まだわからないのかと責めていたようです。
とりあえず自分はこんなことを感じるということを否定せず認めることにしました。
もしかしたらズレているかもしれません。今後どうなるかはわかりません。
自分が納得できて人と関われると楽ですよね。許しなのでしょうか。
ありがとうございました。御礼が物凄く遅くなり申し訳ありませんでした。

お礼日時:2009/08/19 02:12

こんばんは。

 
自分を好きになる事は=諦める事ではないと思いますよ。
好きな事を追及するのは、悪い事ではありません。もし人が去って行くなら、それも仕方のない事でしょう。 追及する事は=我がままではではありません。 しかし、人には自分でどうしようも出来ない定め見たいのはありますよ。家庭の事情は分かりやすい例でしょう。
自分に能力が無くて、追及する道を諦め無くてはならない事もあると思います。この豊かな世の中では、なんでも自分の道を模索できるし
努力次第で、ある程度は到達できるでしょう。 しかし より高度レベルを望む時、お金や時間、能力の問題から、自分の限界を受け入れる事は、有ります。 もし受け入れられなく、人の諫言を受け入れなく、また自分を受け入れなく、自分の道を追求するのであれば、孤独もあるでしょう。

また、自分を通す事にも、ある程度の社会的な通念から影響は受けるものです。 自分を押し通して、見える世界が好ましい世界とは思いません。 一匹狼とか、自分があるとかではないですよね。 
自分は独りで生きているつもりでも、社会システムの中で、生きている訳で、厳密な意味で、自分を押し通して生きてはいけません。
いずれも中途半端と思いますよ。  

つまり、 友達を失いたいと思えばいつでもできる訳で、かといって
社会のサービスの中で生きる以上、極端に我を通すこと自体、そこに意味を感じる事、またそれを否定する事自体、どうかなと思います。

理(様々な立場で)がれば問題ないですし、自分のわがままを押し通すとは理ではないので、あまり関心いたしません。 
世捨て人は本当の意味で、自分を通している思いますよ。
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この回答へのお礼

もう御礼は届かないようですね。すみません。自分を無理して、自分を貫こうとすることは苦しくて脆い気がしました。
とりあえず自分を知ることから始めます。ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/19 02:16

こんにちわ。


自分自身を受け入れることは難しく思えるようで、案外かんたんにできたりするものです。
自分をよく知る事から初めて、自分の大好きなところ、大嫌いなところ、など具体的にして、すべてを愛することだと思います。
例えば、いつも人に優しい自分、子供好きな自分、人前で赤くなってしまう自分、異性に声をかけられると固まってしまう自分など、そんな自分を愛することです。
そうすると自然と受け入れることができます。
いけない事とわかっていても続けてしまう自分を否定していると、人(自分も含む)を傷つけてしまうこともあります。
妥協点をみつけたり、貫き通すことは、また別のお話のように思います。
ありのままの自分をみつめることです。
自分自身のことなので、自分しか解決することができません。
わたしもひとつずつ受け入れるたびに、気持ちが楽になっていくように思います。人は変わろうとするとき、拒絶するものです。ですから、変わるのが大変なのです。本当はあっと言う間に変わることができるんですけどね。
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この回答へのお礼

今、あらためて読むと本当におっしゃる通りです。(何度が読んではいたのですが、最初は本当に自分の頭の中でピンと来なかったんです)
色んな出来事もあり、ふっと思ったんです。私は何をそんなに頑張るのだろう?無理をするのだろう?本当は嫌なんじゃないの?…。駄目な自分を否定したり、ごまかすために強くなろうとしたりしていました。
そうじゃないのかも。とりあえず沸き上がるどうしようもない感情を否定せず自分で一回受け止めてみようって。
これが「ありのままの自分を見つめること」かどうか、自分が変化するかはわかりません。
でも楽になってきたんです。
ありがとうございました。
御礼が大変遅くなり、申し訳ありませんでした。参考になりました。

お礼日時:2009/08/19 02:24

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