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神社やお寺や祭りでマスクをした人をみかけます。
といってもインフルエンザ予防ではありません。

見かけた場所は以下のとおり。

(1)京都の東寺で1月8日、後七日御修法の行列で、僧侶の方が口にマスクをしていた。
http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-news/08/n …

(2)京都の須賀神社で節分の日、懸想文売りと呼ばれる人が口にマスクをしていた。
http://enmusubida.com/spot/05kinki/kyoto013.html

(3)祗園祭の綾笠鉾で棒振りをする人が口にマスクをしていた。
http://www4.ocn.ne.jp/~mibu/yodan.html

(4)一遍聖絵。犬神人だそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/46489071.html

これらの人々が口をマスクで覆っているのはなぜですか。
推測でも結構です。教えてください。

A 回答 (4件)

昔、手伝った際に一度だけ聞いたのですが、なんと言ったか忘れました。

「白覆面」だったか…。でもみんな普通にマスクって言ってました。

神職でなくても刀鍛冶等でも使います。
一つの理由は神聖なものに息をかけるのは穢れると考えていた事。(神饌など)
一つは湿気を嫌う事(刀など)

もう一つは…昔、人が念を篭めるのに息を吹きかけました。これを息吹と言います。
雛人形なども元は紙の人型に息吹をかけて、自分の厄を乗せて流します。
人を呪うときも息吹をかけます。(映画、陰陽師を観ると良く判ります)
つまり息がかかるというのは自分の思いを通じるという事や念がこもるという事。それを防ぐ為にマスクをします。
もちろん他からのケガレを受けないためにもマスクをします。

今でも「息がかかる」って言いますよね
例「あの会社はライバル銀行の息がかかっているらしいぞ」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「白覆面」というのですね。

そういえば6月の晦日に人形に息をふきかけて川に流した記憶があります。
宮司さんに息をふきかけることで穢れを人形に移すのだ、
と伺いました。

「息がかかる」というのは念をこめるということなので
相手に敬意を表し、息がかからないようにマスクをするのですね。

素晴らしい回答を本当にありがとうございます!

お礼日時:2009/07/11 12:25

ラブレターの代筆が貧乏な公家のアルバイトだったなんて



蛇足ですが。
吉田兼好の代筆も有名
http://ja.wikipedia.org/wiki/吉田兼好
以下引用
「当時の足利氏の執事高師直に接近したとされ、『太平記』にその恋文を代筆したとの記述がある。」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
吉田兼好もラブレターの代筆を!
代筆のラブレターもらっても私なら嬉しくないですが
昔は粋な歌を詠まなければ恋も成就しなかったのですね~。
でも吉田兼好って貧乏だったわけじゃないですよね?

お礼日時:2009/07/13 13:17

須賀神社の懸想文売りは顔を見られると恥ずかしいからという理由らしいです。



http://enmusubida.com/spot/05kinki/kyoto013.html
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この回答へのお礼

ご紹介くださったサイトには
懸想文売りはもともと家柄はよくてもお金には困っていた公家たちがラブレターの代筆を請け負っていたのが始まりで、アルバイトをしている姿を見られないようにと文売りは覆面をしている。
とありますね。

ラブレターの代筆が貧乏な公家のアルバイトだったなんて
初めて知りました!

それは顔を見られたくなかったことでしょうね。

素晴らしい回答をありがとうございました!

お礼日時:2009/07/11 14:06

>これらの人々が口をマスクで覆っているのはなぜですか。



#1の回答にもありますが、「穢れ」という説でしよう。
「吐く息」には、それぞれの匂い(口臭)がありますよね。
これを「その人の、心の色・性質」と、宗教では見ていました。
ですから、「直接、息がかからない」為にマスクをするという考えです。
身近なところでは、仏壇の蝋燭の火を消す・線香についた火を消す時も、「吐く息」で消す事はタブーです。

また、別の意味もあります。
質問者さまも質問に書いていますが、神社仏閣には「神職・僧侶の支配を受ける集団」の存在です。
感神院(現、八坂坂神社)でも、(明治維新まで)「僧侶に従属する集団」が存在していました。
彼らは「穢れた者」として、僧侶の命令によって境内の清掃・仏(神)具の補修・お祭り時の警備(警護)・山車の引き回しなどを行なっていました。
ですから、彼らが(お祭り時に)「神聖な物」に触れる・近づく場合には「見を清める目的」で「白衣」をまといます。
この白衣が、時代を下るに従って進化し、名残としてマスクが残ったという説もあります。
身近なところでは、遺体を納棺するときに「白衣に着替える」事も同様の考えらしいです。

この回答への補足

犬神人(つるめそ)の 緋衣赤き 暑さかな
はまちがいで正しくは
つるめその 緋縅着たる 暑さかな
でした。
すいません。

補足日時:2009/07/11 16:46
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この回答へのお礼

吐く息は「その人の、心の色・性質」を著しているのですね。
仏壇の蝋燭矢線香の火は手の平で風を送って消すようにと
親に言われた記憶がありますが、そういうことだったのですね。

祗園祭で棒振りをする人も犬神人らしいですね。
彼らは祭りのときには白衣をまとっていたのですか。

犬神人(つるめそ)の 緋衣赤き 暑さかな
と言う川柳は祇園祭のころの暑さを歌ったものだそうですが
ここでは犬神人は赤い衣を着ていたということになっていますが
時代が変わって赤い衣を着るようになったのかもしれませんね。
一遍聖絵では犬神人は黒い衣を着ていますね。
このあたりも興味深く思えますね。

すばらしい回答をありがとうございます!

お礼日時:2009/07/11 14:01

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