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教育工学の勉強でソクラテス的発問と教理問答(カテキズム)的発問の違いについて問題が出ました。
両者の問答の内容を調べ、大体の考え方は分かりました。
・カテキズム的問答‥最初に完全な文章を与え、語句の説明がなされ、証明事項が付け加えられる。教師は教え、伝える。
・ソクラテス的問答‥証明事項→推論→真理の追究。教師は指導せず、共に探求する。
以上のような感じで合っているでしょうか?(知識が浅いため自信がありません。)

また、両者を調べていると宗教・哲学的な話が多く、教育としての違いがいまいち説明できません。
(真理を教え導くという点では同じなのかもしれませんが、教育現場での発問の仕方における違いが分かりません。)
具体的に、どのような発問がソクラテス的発問で、どのような発問がカテキズム的発問なのでしょうか?
現代の理科などで行われている課題解決学習はソクラテス的な授業展開と考えてよいでしょうか?

また、ソクラテス的発問とカテキズム的発問の勉強をしていたら、帰納法と演繹法の関係に似ているのかな?と思うようになりました。
これは的外れな意見なのでしょうか?

質問が多くなってしまいすいません。
1つでも分かる方、また参考になる文献・HP等を知っている方がいらっしゃったら教えてください。

A 回答 (3件)

カント「人倫の形而上学」の第2部 徳論 の第49節・50節に詳細が書いてあります。



テーマは、「倫理的弁証法」
人間学(今風に言えば、ソーシャルエンジニアリング)を元に開発されるべき「質疑の学」の代表としてこのふたつが上げられています。

自由を重視するという立場をとりながら、人が経験を学によって啓発し開発うるとすると、学ぶものが自己実現をするには、師弟の交流形態として、まず、二つあるそうです。しかしながら、徳論自体は、教義的側面を持つとされます(ご注意ください)。

ストア派の言葉をかりながら、義務・徳目のハンドブック化によって個人の啓発が行われないものであり(主意)、(徳論の場合はとくに)実体験を含む実践で養われていくべきであると語られます。

(ちょっと長くなりました。あとはお読みください)

ええっと
端的に言うと・・・

質疑哲学的には、
カテキスム的発問は(機械的に之まで教義的に習ってきた)知識を問うこと、ソクラテス的発問は、良心を揺り動かすように定式化せず問うということです。

たとえば、友人を殺そうと殺意を持つものが、その当該友人と雪山登山し、偶然事故(支えるべき手を誤って離してしまう)でその友人を失ったと仮定する場合。

法学の学生に
法的解釈の可能性を設問もしくは、定義を含め論理学的に殺人といえるのかどうかを発問するのが、カテキズム的発問(単に知識を問う)。

カテゴリー不問で
事故になって生き残ったものの気持ちを想像させ、同じような気持ちになったことがあるか質問する、また、自分にひきつけて、そのときどう行動したか、またはするかを体系的に議論するのが、ソクラテス的発問です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

両発問が質疑の学の代表として載っている文献があったのですね。
とても参考になりそうです。
さっそく探して読んでみます。

教育において工学的に方法論を考えることはあっても、道徳などのハンドブック化・対応のマニュアル化によって成長を促すことは出来ないと思いますので、共通する部分がありそうですね。
実体験を含む実践、経験を振り返ることでの知識の会得や考え方の深化・拡大、全てを通しての人間形成は学校教育ならではの大切な部分であると思うのでとても勉強になりそうです。
塾などでの知識の教授とはまた違う部分ですもんね。
徳論は教義的な側面があるとのことなので、学校教育に生かすときは宗教的な考え方から離れて独自の応用が必要かと思いますが、教育工学としての視点を忘れずに読んでみます。

具体的な発問の例も提示してくださり、とても分かりやすかったです。
法学生への例でしたが教育での発問の特性が理解できました。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/08 17:52

カテキズムという用語自体に馴染みがないのであくまで推測です。



カテキズム的問答:Q&A形式、知識の教授
ソクラテス的問答:産婆術、考え方の教授
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅れてしまいすいません。

私自身教育を志す者として、今回勉強するまでカテキズムという言葉を知らずお恥ずかしい限りです。
ソクラテス的と比べなかなか馴染みが無い言葉ですよね。

「知識」と「考え方」とはとても分かりやすい表現ですね。
説明する文章を何度か読んでいてもうまくまとめる事が出来ずに困っていました。
とても参考になりました。
もう少し調べ学習の方も頑張ってみようと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/08 16:37

カテキズムは教理や信仰の問答などに使うのでは?

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなりすいません。

ご指摘の通り、教理問答は信仰などで行うようですね。
その後調べたら明治時代の日本教育では教理問答的な発問が多かったようですが、なかなか具体例が見つからず困っていました。
キリスト教などの印象が強いようなので、西洋の教育方面もあたってみようと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/08 16:31

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