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また全力で取り組む人や人の悩みに全力で受け止めてしまう人、そんなに頑張りすぎたり全力だとすごく疲れると思います。私もある一部そういうところはありますが…。


こういった方々はなぜうまく加減できないんでしょうか?適度に適当になれないんでしょうか?


責任感としてはいいのかも知れないけど全てにこの調子では肉体的、精神的に良くないですよね?


適度にできない理由があるんですかね…。

A 回答 (8件)

あくまでも一例ですが。



幼い頃に親の愛情をしっかり受けて育った子は、いわゆる「無償の愛」の存在を知っています。
しかし、そうでなければ、「他人から愛されるためには代償を払わなくてはならない」と学ぶのです。
「愛される」ということは、自身の存在が許容されているということです。
つまり、親の愛情を受けられなかった人にとっては、
代償を払うことではじめて生きることを許されるのです。
そしてその人にとっての代償が、「頑張る」ことなのです。
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この回答へのお礼

大変遅くなりました。すみません。大変わかりやすかったです。ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/18 19:27

こんにちは。

もちろん個人個人で異なると思いますが、No.1の方が回答されているように家庭環境の体験が大きいように私も捉えています。

私たちは「頑張らなければ欲しいものが手に入らない」と親との関係性や学校などの体験で、幼少期に学びます。つまりは、努力=自分が欲しいもの、というレッテルを貼り、それが生き残るための戦略になります。大抵のケースで、幼少期に欲しいものとは、親からの承認です。

親からの承認が得られないと、外側に承認を求めようとします。それが、「頑張る」という形で現れます。もちろん、他者から見た場合と、実際の本人の体験で異なる場合もありますが、自らの意思で努力や頑張る事をする場合、自分の中で抑圧していて「見たくない」と思うものを見ないようにしている場合もあります。

本来は努力や頑張る事は必要が無いのですが、承認を求めてそれらの行動を取る傾向が私達にはあります。それらを諦めるためには、自分の道を自分で承認するしかありません。

以上ですが、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

大変遅くなりすみません。ご意見ありがとうございました。大変納得しました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/18 19:29

単に、





    『 気 が 済 ま な い の で す ! 』
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この回答へのお礼

大変遅くなりすみません。ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/18 19:30

「頑張る」ということに価値観を置いているひとは大勢いますね。


一種日本人に特有の概念なのでしょうか。滅私奉公が美徳とされていた時代の名残かもしれませんね。
逆に日本では結果如何を求める考えはウケないですね。
僕は結果の方を頑張った過程より重視しますが。
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この回答へのお礼

大変遅くなりすみませんでした。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/11/18 19:32

#3さんに同意します。


がんばりたいだけです。
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この回答へのお礼

遅くなりすみませんでした。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 13:42

私見です。


全力で取り組んで、何が何でも結果を出さないと
ゴミクズ呼ばわりされる という恐怖
自分本体は無価値だと思っているから
そういう結果にしか自分の価値を見出せない
全てにこの調子では肉体的、精神的に良くないのが分かっていても
それ以上に「出来ねーのかよ」と吐き捨てられるのが怖い。
そんな恐怖が原動力になっているのでは?
ゼロか百かの極端な思考です。
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この回答へのお礼

遅くなってしまいすみません。とてもわかりやすかったです。ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 13:44

適度にできない理由については


それに対する執着心が強かったりして、意志(精神)が肉体の配慮を忘れてしまう程に前に出てしまっているから、ではないでしょうか。

理由は様々でしょうが
「過去の自分を変えたかったり」「夢を掴みたかったり」「どこまで頑張れるのか挑戦してみたかったり」などなど、本当に色々あると思います。

>責任感としてはいいのかも知れないけど全てにこの調子では肉体的、精神的に良くないですよね?
ここについては必ずしも良くないとは言い切れないですね。
例えば、それで体調が崩した後に、更なる成長を遂げる人もいれば、体調を崩したままの人も居たり、ということがありますので。

限界に挑戦しているということは同時に
体調を崩してしまうこともあるけれど、その分で「体調を崩さなかった人が得なかったもの」も得ることができるかもしれないので。

ただ、そういうケースよりは、質問者さんがお考えになられているように、肉体的、精神的に悪影響になってしまってしまうケースがあるかと思います。
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この回答へのお礼

遅くなってしまいすみません。確かにと思いました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 13:46

> なんでも頑張りすぎる人はなんで頑張りすぎるんでしょうか?



・・・そういう状況下にある人の脳内には、興奮性の神経伝達物質が過剰に放出されています。
人を奮起させる神経伝達物質(アドレナリンやノルアドレナリン)で、それをカテコールアミンと言いますが、カテコールアミンが出ないと人間は生きていけません。頑張りホルモンとでも云いましょうか・・・。

頑張りホルモンのアドレナリンが過剰になると、人は常に興奮状態が続き、やる気満々・怒り・攻撃性等々に溢れる、といっても過言ではないかもしれません。
頑張りホルモンのノルアドレナリンは、人をやる気にもさせますが、過剰になると不安感が優位になるわけです。理由もなく不安感に襲われる・・・などと云うときは、ノルアドレナリン過剰のときです。
上記のことが原因で、不安だから頑張ってしまう、と云うこともあるかも知れません。

ところが、人の心は上手くできていて、その興奮を抑制する神経伝達物質もあります。「セロトニン」と言いますが、怒り狂ったときでも数分から数時間経つと人は平静になっていきますが、セロトニンやギャバがその役割を果たしています。

脳内で、興奮性神経伝達物質 > 抑制性神経伝達物質になってしまうと、適度にできなくなるのでしょうね。

極度に抑制性神経伝達物質が減ってしまうと、攻撃的・キレ易い・暴力的になる。また、逆の現われ方として、沈み込む・不安・無気力・抑鬱的などが現われます。

低血糖体質の人はアドレナリン優位になりますので、頑張りすぎてしまうことも多いようです。そしてアドレナリン優位でセロトニン不足になると、鬱病に進むことだってあるのです。
鬱病になりやすい人は、特徴的に「頑張ってしまう性格」と云われる所以かも知れない。

対処の方法もあるのですが、体の仕組み・脳と栄養の関わり、等々を延々と綴るのは少々きついです。
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この回答へのお礼

遅くなってしまいすみませんでした。アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2009/11/19 13:48

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