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三人称の語り手について教えてほしいことがあります!

一元描写と、多元描写(神の視点)の区別が付きません。

例えば、

 ノブオにはトリという女の知り合いがいた。彼女は文学科の学生だったが、将来は画家になる意志が「あるらしかった」。ノブオはこの女の学生と、昔から親しく往来していた。それがお互いに絵という共通の話題ができてからは、一層その親しみが増した「ようであった」。

という文があるとします。この文の、「あるらしかった」と「ようであった」の部分は、三人称の何にあたるのでしょうか?

一元描写か、多元描写か、そのビミョウなところがよくわかなくて、ちょっと迷走してます。

一応、大雑把な意味は把握しているつもりですが。

すみません、三人称の語り手に関する質問の答えをいろいろ見せてもらいましたが、やはりよくわからなかったもので。

お願いします。(できれば、文学理論に精通している方の意見を聞きたいです。)

A 回答 (1件)

> この文の、「あるらしかった」と「ようであった」の部分は、三人称の何にあたるのでしょうか?



こういうときは、「あるらしかった」「ようであった」の語りの主語を考えます。
「あるらしかった」と考えているのは誰でしょう?
ノブオがそう考えている、と判断されます。したがって、こういう場合は、「三人称一元描写」ということになります。

このとき視点は、つねにひとりの人物の目を通して見られることになります。
おおざっぱに言えば、一人称にまつわる話を三人称で書く場合、と考えてよいでしょう。
語り手としての作家がいて、視点として人物がいるわけです。

この三人称一元描写というのは劇的な集中性と連続性を実現することに有益です。この種の作品はたくさんありますが、ここでは芥川龍之介の「ハンカチ」を例にとってみます。

この作品はすべて先生の視点から描かれています。先生の目から、西山憲一郎のお母さんの姿が描かれていきます。

真ん中少し過ぎたあたりに

「こんな対話を交換してゐる間に、先生は、意外な事実に気がついた。それは、この婦人の態度なり、挙措(きよそ)なりが、少しも自分の息子の死を、語つてゐるらしくないと云ふ事である。眼には、涙もたまつてゐない。声も、平生の通りである。その上、口角には、微笑さへ浮んでゐる。これで、話を聞かずに、外貌だけ見てゐるとしたら、誰でも、この婦人は、家常茶飯事を語つてゐるとしか、思はなかつたのに相違ない。――先生には、これが不思議であつた。」

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43_15 …

という箇所があります。婦人の態度が「語っているらしくない」と書かれている。それにたいして、先生が「不思議であった」と感じている。西山夫人の描写は外から、先生の描写は内からであることに注意してください。

他人のことは外からしかわからない。だから最後にどんでん返しが起こる。
人間の外に現れない心理が、どうかしたはずみにぱっと現れるようなことを、緊張感をもって描くときに、非常に効力を発揮します。

多元描写というのは、複数人物の視点によって描かれるものです。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』とか、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』とか。作家=語り手は存在していますし、客観描写もありますが、冒頭、ダロウェイ夫人が花を買いに行ったのちは、同じロンドンの街のなかをセプティマス・ウォレン・スミスとイタリア人の妻ルクレチアが眺めている。そんなふうに「誰の目を通して見ているか」の視点がつぎつぎに移り変わっていきます。うまくいけば、動いていくカメラを通して映画を観ているように、独特のドライヴ感が得られるかもしれません。

多元描写と一元描写の出来損ないは、まったく異なるものです。

ディヴィッド・ロッジは『小説の技巧』のなかでこのようなことを書いています。

「怠慢な作家や未熟な作家にありがちなのは、視点の扱い方に一貫性がないことである。たとえば、こんな物語があったとしよう。ジョンがはじめて故郷を離れて大学に行く。その物語がジョンの体験のままに語られていく――荷造りをし、最後に寝室をぐるりと見回し、両親に別れを告げる――が、突然、何となくここで他の視点を入れたほうが面白そうだと考えた作者が、ほんの数行だけ母親の意識を差し挟み、それからまたジョンの視点から物語を書き進めていったとする。もちろん、小説を書くにあたって、作家の都合で勝手に視点を変えてはいけないなどという法や規則があるわけではない。だが、視点の変更が何らかの審美的な構想や原則に従ってなされるのでなければ。作品への読者の参与が、読者によるテクストの意味の「生成」が妨げられてしまうだろう」(p.47)

これに対しては、ロッジと同じように、文学の研究者でもあり、作家でもあるバイアットが反論していて、かならずしも「絶対に一元描写の作品では、一人の視点を守らなければならない」というばかりでもないようですが、とりあえずはこの原則を守った方が、読者にとっては読みやすいものになるといえるかもしれません。別の質問でもなさっておられるようですが、このような一元描写からの逸脱を指す名称は、(わたしの知る限りでは)ないと思います。
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この回答へのお礼

すみません。ありがとうございます。
大変、参考になりました。

返事、遅くなって申し訳ないですm(_ _)m

小説を書こうかなと思って、今視点の勉強中です。
でも、視点というのは奥が深いですね。むずかしいですp(><)q

また、いろいろ、文献当たってみます。

お礼日時:2009/12/10 20:22

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