No.5ベストアンサー
- 回答日時:
>創造的なイメージを言葉にするとき、言葉で表現できないという印象を持つことがあります。
思うに、言葉は言葉である限り、その半分は表現者固有のイメージを表現つつも、残りの半分は同じ言葉を共有する他の人々のイメージを表現していますよね。
だから、表現者固有のオリジナルの言葉だけで表現すれば、つまり他者に通用しない言葉だけで表現すれば、「言葉で表現できない」モノ・コトなんてありえないはずです。
もっとも、これが可能なのは神様か幼児ぐらいのものですが。
たとえば、言葉を覚えて間もない幼児にとって、その言葉は幼児固有のイメージと寸分の隙間もなく重なり合い、さらにそのイメージは彼を取り巻く外界と寸分の隙間もなく重なり合っていると考えられますよね。
でも、幼児たちも、幸か不幸か、そのうちに言葉が自分の専有物でないことを他者との人間関係の中で否応なく了解させられることになります。
その代償として、他者との共有物でもある言葉を媒介に他者との交流なり、コミュニケーションなりができるようになり、こうして幼児は大人に成長していくわけです。
>まあ数分間、無理に考えて表現できるようになりますが、言葉にできた安心感とともに解釈の可能性を削った喪失感を感じます。
はい、たとえ無理矢理にせよ、われわれは表現し終えてしばらくの間なら、多少は自分のイメージ(内界)・言葉・外界の三者の融合に「安心感」を覚えるにせよ、すぐに自分の内なる他者によって、これら三者間の微妙なズレを厳しく指摘されるのではないでしょうか。
>やはり無理に表現するという点に原因があるのでしょうか?
いや、「無理に表現する」からと言うよりも、言葉が言葉である限り、もともと恣意性(固有性、一回性、個人性等々)と規範性(社会性、制度性、規範性等々)とを一身に兼ね備えている点にこそその「原因」を求めるしかないような気がします。
もちろん、観点を変えれば、以上とは違った説明もできなくはないですが。
回答ありがとうございます。
>すぐに自分の内なる他者によって、これら三者間の微妙なズレを厳しく指摘されるのではないでしょうか。
!それですね!
しかも、その方はアニマでしょうw
No.15
- 回答日時:
niki00001さん、 回答番号:No.14
人間の知的や言語性或いは、その他の能力での管理に伴って、原性的ダイナミックは脱落しますね。
それを脱落させないで、伝える事は伝える側と受ける側の責任、能力、そして過去からの歴史性でしょう。
両方の存在性、実在性の如何ですね。
メカニズムだけではありえないことです。
断定で講義風で不遜な言い方ですが、これは私古人の経験です。
同じ用語、言葉。全く違います。伝える人、受ける人。その人次第です。力が違う。存在性が違う。
文法や修辞、珍奇な言語。そんなものの次元ではない。
言い古された、ぼろぼろの新しい、流行のことば。
いやですね。言語の選択と工夫はつらいことですね。
管理や把握。人間の知性などの能力が管理や把握できる対象も在り、その外のものもあり、人間自体が依拠しその中のものであるにすぎない事柄もある。
それを人間が自己の中に管理、把握しようとする事に間違いがある。
それを認められない、近代ヨーロッパ的思考と主格意識は超克しなければ、回答を投稿する事ができません。
この回答への補足
回答ありがとうございます。
>伝える事は伝える側と受ける側の責任、能力、そして過去からの歴史性でしょう。
正直、私はこの段階に達していないですね。その前段階の内面での概念との共感(!?)における課題です。
>それを認められない、近代ヨーロッパ的思考と主格意識は超克しなければ
ヨーロッパ的価値感に基づく社会システムが既に強固にある状態で、別のシステムを個人の内面につくりあげるのは困難なことです。
No.14
- 回答日時:
niki00001さん 回答番号:No.10
オカルトや迷信、何かに依存するやり方は好みませんが、言葉は力です。そのことを古人が言霊(ことだま)とか直感的に言語表現しましたが、今の人はそれを外表面や何か不思議な力のような受け取り方をしております。
真理や実在を知らない人、それを体していない人、そういう存在になっていない人が、よく人まねやことば盗みをして、ものを言っていますが真にチャンチャラおかしい。
説得力もないし、何も伝えられない。このサイトでも人の話をご勉強なさって、何かとものをおっしゃっている場面があるが、どんなに自分なりに受け取っても、全く理解もしていない。誤解で人まねしている。
ここで話したことがさる講演会で正に同じ言語と語列で話されたが、なんとも力がない。
真実性がない。それは盗みだからです。ほんとに自分のものにしていない。
言語は思想と存在があって言語です。
そういうもののないものにダイナミックな働きも可能です。
要するに本人が実在しているかどうかではないですか?
イエスのことばは説得性がある。
それをいっている聖書には全く説得性がない。
存在になっていない人が記述していることがよく判ります。
ダイナミック、そのいうことに何を込めているか。
単なる技術や知識だけなのでしょうかね。科学の存在基盤は何なのでしょうか。
現今の学問の認識と存在の基盤は。
No.13
- 回答日時:
No.12です。
☆☆(No.12) ・・・《言葉にしないでおく》という例を出されました。
☆ 言葉として思い浮かぶまでじっと待っていればよいということですね。
それでいいと思いますよ。
無理に表現しようとしないで ときとこころの熟すのを待つ。これですね。
分かりました。
いろんな場合があるということで。
No.12
- 回答日時:
No.11です。
★★(α)(No.11お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
そのように立派ではないですねw
例えて言うと、女性と別れるとき、心の奥ではざわめくものがありながら、・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《心の奥でざわめくものがある》ことが なんで《創造的なイメージ》なのか よく分かりません。
つぎの対比もよく分かりません。
★(趣旨説明) ・・・ 言葉で表現できないという印象を持つことがあります。
★★(No.11お礼欄)(αを受けて)・・・言葉によって気持ちを整理する感じに近いです。
★★(No.11お礼欄) ...そう思うと、ざわめくものはざわめくまま観ることが大切だと気がつきますね。
☆ だったら
★ (趣旨説明) ・・・言葉にできた安心感〔も〕解釈の可能性を削った喪失感
☆ も関係ないですね。ぎゃくですね。《言葉にしないでおく》という例を出されました。
例えですから、全てが一致するわけではありません。
また、前後が逆に見えるところもあるかもしれません。
>例えて言うと、女性と別れるとき、心の奥ではざわめくものがありながら、言葉によって気持ちを整理する感じに近いです。
言葉によって気持ちを整理する=無理に考えて表現できるようにする
ただ、その言葉は整理(安堵)するために便宜的に使っている色合いが強いので
心の奥では(自分が気が付かない真意があるのではないかと)ざわめきは再発する=解釈の可能性を削った喪失感を感じる
結論、ざわめくものはざわめくまま自然に理解できるまで留めておくべきでは=無理に表現するのではなく自然に理解できるまで留めておくべきでは
昔から説明下手だけどわかった?
No.11
- 回答日時:
こんにちは。
ぢゃあ がんばってみましょう。
★ 解釈の可能性
☆ ここまで言うのなら その視像や描像はすでに 何らかの表象と成っており 《解釈の可能性》と認めるほどには 認識も出来ているというものです。
或る程度の認識も出来ていて その解釈の可能性を《削る》ということは はっきりと自分の意志で取捨選択をしているということです。つまり 《無理にする》とか《あぁ 惜しかった。もう少しで表現が得られるところだった》というたぐいの問題とは 一線を画している。こう見るべきではないでしょうか?
回答ありがとうございます。
>☆ ここまで言うのなら その視像や描像はすでに 何らかの表象と成っており 《解釈の可能性》と認めるほどには 認識も出来ているというものです。
そのように立派ではないですねw
例えて言うと、女性と別れるとき、心の奥ではざわめくものがありながら、言葉によって気持ちを整理する感じに近いです。
...そう思うと、ざわめくものはざわめくまま観ることが大切だと気がつきますね。
No.10
- 回答日時:
niki00001さん、 回答番号:No.8
はぁ削ることが問題ですか。
独り言なら削る必要がないかもしれませんね。
でも一定の目的への思考でしたら、目的外のものは削るでしょうし、必要なものはきちんと位置付けて、構成しなければいけません。
カント先生は哲学ですね。これは言葉と概念・観念の認識と思索ですね。
彼の少なくとも、お仕事の域では言葉で表現できないものは無用なものでしょうね。
必ず言葉化していると存じます。言葉の対象としていると存じます。
そして言葉的に扱っていると存じます。
若いとき十数年やった法学やカント派のラートブルッフ法哲学などは思想、思索、心のいろんな機能や思いなども当然要素に入りますが、それ自体は言語認識の世界です。
グスタフ・フォン・ラートブルッフは無論偉大な思想家、心の人格者です。
しかし近代欧州法律とはそしてその学(解釈・決定学)とは当為の定義体系です。
当然言語に始まり言語に終わります。少なくともそういう建前です。
従いましてそこでは、削るという喪失感はありえません。
他の学術との特徴的相違です。
他の学術や通常の言語での交流、表現では、目的・場・相手を念頭に置いて、表現し交流すると存じます。
こういう場面では、削りたくないものも削るかもしれません。
表現する語などの選択もします。
これは仕方がありません。これを無念と思うなら、独り言か個人随想・日記などで終わることになります。
目的と相手、どんな場か。当然にそれに合わして表現していくのが生きる事の通有性です。
問題にすることではありません。と思いますが違いますか?
回答ありがとうございます。
>目的と相手、どんな場か。当然にそれに合わして表現していくのが生きる事の通有性です。
私も第三者にプレゼンをするときは削ります。
ここで質問しているのは、ものや概念と私の閉じた関係を無理に言語を使ってやるのは適切なことなのかということです。
例えば、「11」という数字は絵でもあり、素数でもあり、数を表すシンボルでもあり、ドットの集まりでもあり、黒色でもあり、他にも解釈があると思います。
それなのに「11」を素数という言葉で管理しだしたとたんに、「11」からダイナミックさが抜ける・・・
ダイナミックさと管理しやすさの両立は無理かの~ということです。
とはいえ、お礼を書いているうちに問題の本質が整理されてきました。感謝!
No.9
- 回答日時:
>創造的なイメージを言葉にするとき
言葉は万能ではないと思います。
言葉以外にも人間は表現の多様さを求めて様々な技術や媒体を工夫し発明してきました。
イメージの種類によっては絵画やら音楽、舞踊などが適している場合もあるでしょう。
カントでしたか、言葉で表現できないものはない、と喝破したそうですが、ドイツ語と日本語との違いもあると思います。
基本は技能の練磨、そして経験でしょう。
>言葉にできた安心感とともに解釈の可能性を削った喪失感を感じます。
それは私もしょっちゅう感じることです。
>やはり無理に表現するという点に原因があるのでしょうか?
私の場合は、自分の未熟さが原因だと考えています。
回答ありがとうございます。
>それは私もしょっちゅう感じることです。
共感してくれると心強いです。
>私の場合は、自分の未熟さが原因だと考えています。
未熟さは私も感じますが、それは巧みに成さない未熟さではなく、いじりすぎる未熟さです。
No.8
- 回答日時:
niki00001さん
ちょいと左脇を遡りますが。現の同じ対象客体に接して(五感の何ででも、或いは、その複合でも)画いたり、抱いたりするイメージも人や時により一様ではないですよね。
無論、内心から起き上がってきている事柄・内容などはその人固有なのかもしれませんね。
もう一つ今度は右脇を遡りますが。仰せの事はいわゆる、
1. 経験と認識の個別性の問題に関連するのでしょうか
2. それは言葉やいろんな総合ツールでの把握、意識化、構成なんでしょうね。
3. そしてそこでの言葉やいろんなツールって、これまた個体固有なのでしょうかね。
4. それを今度は表現伝達の言葉やツールで描き出す。本当にそれで画いているのでしょうか?伝わる条件があるのが不思議なくらいですね。
5. そしてそれをうけとる、言葉やツール、そしてそれで描き出す、或いは抱懐するために構成する言葉やツールがありますよね。
6. 太初にことばありき ことばは神とともにありき ことばは神でありき というのでしょうか?間違っているかな。
そういうことばなら、そしてそういう世界であれば伝わるのでしょうね。
釈尊が十数人のみ弟子に囲まれ、お話をされていた。
ある菩薩が質問をした。寸時考えて釈尊は持っている花をちょいと撚った。
菩薩はにこっとされた。これも言葉では伝わらない事の伝えですね。
禅宗の公案や偈などにはこういうものが多いですね。
7. 創造のために言葉を発した神は、人を個別にするためにことばを作って、人と人を分離した。という話も聖書にありますね。聖書ではなかったかな?
私はことばでの思考や把握に積極的意味をもてません。
無論、論文や詩歌(しいか)の有用性と可能性は理解しております。
言葉で我々は生活しておりますから。
統治や法律などはそうですよね。そして管理や指示など。
私も法学や法哲学を長々とやってきましたのですが。
理性があれば、悪魔にも通じ、適用する。これが法律ですね。
しかしこれは通じさせる世界と内容が極端に限られています。
仰せのイメージの表現は、相手の存在内容が前提であって、初めて通じるのでしょう。
言葉での構成や表現も当然、相手を前提して、予測して作業するのでしょう。
誰か宗教者も、人をみて法を説けとかいっていますね。
難しいご質問です。言葉構成すると、当然もとの原形を制限し、デフォルメします。いえ私の経験ですが。
その構成したり、伝えたりしたものから、逆に影響や支配されて、今度はこちらの原形それ自体がその構成したり伝えたりしたものなのだという変化をさせられることがあります。
相手に託す。判る相手、通じる相手には話ができる。そんなものですね。
余談になりますが、・・。
私の友人に何でもわかる人がいます。
だから一生懸命自分の思いを言ってきました。
でもそれはこちらの思い違いで、彼は何もわかっていなかった。
それを彼の先輩牧師も、気が付いて呆れていた。
長い事、誰も気付かなかった。
まぁそんなこともありますね。錯覚って大事かも知れません。
No.7
- 回答日時:
こんにちは。
イメージをの中から
★ 創造的なイメージ
☆ を取り立てておられるのは ふつうのイメージなら言葉にすることがだいたい出来ると踏んでおられるのでしょうか? というよりも
★ 創造的なイメージ
☆ とはどういうことでしょう?
おそらく問題は 自己表現のあり方 もしくは おのれの文体ということ ここらへんにあるのではないでしょうか?
《わたしがわたしである》こととして 動きを持つ。その自己表現に当たって 当然のごとくその前の段階においてふつう 叫びか何かの音として表出することがあるでしょうし これをともかくの表象として思い浮かべるでしょうし ここから思想(生活態度)としての意味を捉え これを言葉によって表現するでしょう。
★ 言葉で表現できないという印象を持つことがあります。
☆ これは 表象しえた視像や描像のつたなさを別として起こるとすれば とうぜん思想のつたなさに起因します。ただそれだけのことです。
★ まあ数分間、無理に考えて表現できるようになりますが、言葉にできた安心感とともに解釈の可能性を削った喪失感を感じます。
☆ もし《解釈の可能性》があれば とうぜん《わたし》はこれを問い求めます。そうするはずです。表現が長きにわたっても とうぜんこれを追いかけます。ただそれだけだと思うのですが どうでしょう? 《解釈の可能性を削った》とすれば それは 表現を途中であきらめたということを意味するのみではないでしょうか?
★ やはり無理に表現するという点に原因があるのでしょうか?
☆ そういう問題ではないと考えます。つねに自己表現でありおのれの文体の動態があるのみであって 《無理》だとか《可能性を削る》という問題ではないのではないでしょうか? 繰り返せば 途中であきらめたというに尽きると思うのですが?
回答ありがとうございます。
>繰り返せば 途中であきらめたというに尽きると思うのですが?
「頑張ったら負け」が信条なのですが、なぜか頑張るタイプですw
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