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弱いものが負け、強いものが勝つ。そうすることで強いものだけの世界が維持される。そこには歪みも憎しみもない。そして発達していく文明に支えられ、徐々に精神性も増していく(つまり遺伝子の支配から遠ざかっていく)。やがては、殺し合いをせずとも、全体が洗練された集団になる。より良い世界が実現される。そのとき初めて、助け合いとか、分かち合いとか、されるべきでは。

ところが、今の文明はどうでしょう。病気になれば病院が助け、悲しめば誰かが励まし、憎めば誰かが一歩譲る。弱者は生存し続け、さらに他の人間に悪影響を与え、その結果遺伝子プール全体が濁ってしまう。これでは文明の発達スピードも遅れ、より良い未来の世界の実現まで掛かる時間が延びる一方です。


ただ疑問もあります。なぜ、人間は弱者を助けてきたのかです。「他者を守ることが種の保存につながるから」と説明できそうですが、メリットだけではなかったはずです。だいたい、目の前の一人がどうなろうと、傷物の相手を助けたところで新たな犠牲者を生む恐れも有るし、そもそも代わりはたくさんいるわけですから、遺伝子にとって逆に非効率、損失のはずです。もしかして、マイナスがプラスになる過程で、一度0を通過しなければならないのでしょうか?初め利己性だけがはびこり、人間は遺伝子の奴隷だった。しかし徐々に、遺伝子から離れてきていて、それが「相手の立場になって考える」「憎しみと向き合う」という理性的な情動として表れているのかもしれないです。それは遺伝子という強力なマイナスに抗うということなので、文明は不安定な状態になり、今に至っているのかもしれないです。ですが0を通過すれば、「特異点」を通過しブレイクスルーが起こり、人は遺伝子に打ち勝ち枷から解放され高度な精神と知能を得えられるかもしれないです。ですが果たして本当にそうでしょうか?なんだかご都合主義のような気もします。

なぜ、こんなことをごちゃごちゃ考えているかというと、自分自身、憎しみを抱えているからです。それを、出すべきか出さないべきか、相手を攻撃するか自分が犠牲になるかの狭間で葛藤があるからです。そして、後者を選ぶことは本当に相手を気遣ってのことなのか(自分を磨くため)、それともただ相手が怖いだけなのかがわからないからです。

自分は、どう在るべきでしょうか?皆様の考えがききたいです。貴方自身は、どう在りますでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

 こんにちは。



 わたしたちは ひとを愛し欠陥を憎むようにつくられています。
 欠陥ゆえにひとを憎むべきではなく ひとゆえに欠陥を愛すべきではない。
 しかも欠陥を憎むのは あくまでおのれのこころにおいて為すことです。その意味は おのれの主観のうちに似たような欠陥を探し これを憎む。すなわち徹底的に憎み これを内的に棄てる。すべて棄てる。
 こういう作業をするのが ふつうだと考えます。
 そのとき もし相手がその欠陥をなお突き付けてくるときには 当然のごとくこれを批判します。おのれの内で憎み棄てたときと同じように その非を明らかに示して 相手に対してそのことにつき批判します。

 これがおおむね 戦いの代わりになっていくでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答、どうもありがとうございます。素養のない自分にはうまく読み取れず、正しく解釈ができているかわからないので、よろしければ添削をしていただけないでしょうか?

欠点があるからって人を憎んではならない。人だからって欠点を許してはならない。憎むべきは自分の欠点だけ。何が欠点であるかを判断するのに、頼れるのは自分の主観だけだからだ(偏った判断をしてしまう)。自分の弱さだけを徹底的に憎み、それを克服するべき。

相手がそれをできず、相手自身の弱さを突きつけてくるときは、問題点を具体的に示して、それに対して批判してもよい。相手に相手自身の過ちを気づかせるために。

という解釈をしたのですが、どこか間違ってなかったでしょうか? たしかに、自分が耐えるだけでは、相手は自分の過ちに気づけず、また他の犠牲者を生むかもしれません。自分は、ただ怖かったのかもしれません、相手と対立することが。そのときに相手の罵声を浴びることが。
そして批判するにしても、「問題点を具体的に示して、それに対して」という状況の条件を破らないようにしたいと思います。

最後に、結果的に人の不快感を煽るような質問になってしまったことを、お詫びします。

お礼日時:2009/12/15 00:39

人は誰しも不安を抱える生き物です。

それと太古から知恵(理性)を付けて人は集団で狩りなどして協力して獲物をGETしてきた種族です。ですから助け合いの精神も脈々と受け継がれている本能なのではないでしょうか?目の前で知り合いや家族が予期せぬアクシデントに見舞われてあなたは放っておけますか?私なら身内とか関係なく見ず知らずの人たちが明らかに困っていそうなら声を掛けますよ。人間の凄さは言葉です。確かに争いはなくならないと思います。皆が自己中から解き放たれれば解り合えそうですが→これは不可能でしょう。人に違いがある以上差別や格差は無くなりません。ですから解り合うのは不可能ですよ。でも誰でも正しさを理解することは出来そうですけどね。他にもありそうですが、これもひとつの意見ということで。
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この回答へのお礼

ご回答、どうもありがとうございます。とても参考になります。
多様な生命が分かり合うのは不可能かもしれず、代わりに正しさを分かり合うことができるのかもしれません。はっきり言っていただき、助かります。そうなれば、今よりよい良い世界になるだろうと感じますし、自分自身こんなに神経質にならなくても良かっただろうと思います。いずれにしても、「遺伝子を洗練するために殺し合いが必要だ」という考えは行き過ぎていたと、今は思います。最後に、結果的に人の不快感を煽るような質問になってしまったことを、お詫びいたします。

お礼日時:2009/12/15 02:11

>『自分の納得できる事』=『真実』 ではないんですよ(#10さんより)


>貴方の文章を読むと、ヘンに考え込むことで自分で憎しみをを増幅している部分があるような・・・(#10さんより)

 少なくとも#10さんのこの部分は、最初に質問文を読んだ時から、自分も同じような印象を持っていました。

>こんなことをごちゃごちゃ考えているかというと、自分自身、憎しみを抱えているからです。それを、出すべきか出さないべきか、相手を攻撃するか自分が犠牲になるかの狭間で葛藤があるからです。

 このような日常茶飯事(あなたにとっては、そうでないのかも知れません)
から、「戦争は必要か?」という質問を立てる事自体が、率直に言うと、考えすぎだと感じました。自分の応えは、あくまでこの前提で書きます。

>自分自身、憎しみを抱えているからです・・・
 もしこれが、会社での理不尽な上司に対する憎しみなら、正当な理由に基づいて攻撃すべきです。そうしないで、何でもかんでも言う事をきいていると、全てあなたのせいにされます。あなたが損します。上司の上司なんて、上司の話しか聞きませんから、言えるところで声を大にして言うべきです。これは、生物の自衛本能とか生存本能とか言う話ではなくて、社会通念上是非やるべき事です。
 出来ない場合も確かにあります。そのときは、ここではなく、別の手段を探すべきです(あなたの境遇がわからないので)。

>そして、後者を選ぶことは本当に相手を気遣ってのことなのか(自分を磨くため)
 本当に、相手を気遣う価値はあるんでしょうか?。これは現実問題として、大きな判断材料です。そうでないなら、相手を気遣うあなたは。余りにももったいないです。

>それともただ相手が怖いだけなのか・・・
 もし本当にそうなら、それを越えただけでも、あなたには、何か得るものがあると思えます。

 以上、全く個人的意見です。
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この回答へのお礼

ご回答、どうもありがとうございます。仰るとおり、自分は神経質になりすぎ、後になって行き過ぎた考えであることに気づいて後悔することが多いです。今も読み返して、後悔しています。
人とどうあればよいのか、これまでもよくわかりませんでした。
ただ、実際、より良い世界を望んでいること自体は事実で、どうしたらよい世界になるのだろう、と考えてはいて、そのために自分がどう在るべきかを考える傾向はありました。でもそれと、今回のこの戦争の話とをつなげるのは、話が飛躍しすぎていたと考えております。いただいたアドバイス、大切にいたします。
最後に、結果的に人の不快を煽るような質問になってしまったことを、お詫びします。

お礼日時:2009/12/15 02:03

週刊誌に載っていたが、部族闘争ばっかやってる民族の中には、強い男性より比較的弱い男性の方が結婚できる確率が高いそうな。



強い男は殺し合いばかりやってて、死亡率が高いからだとさ。
女性からすれば、強い旦那がしなくてもいい争いをしたばっかりに、報復で妻子もろとも皆殺しにされるリスクもあるわけだしな。

生物学では、単に力の強い者が勝つ訳ではない、というのは常識。
ヘタに争えば、たとえ勝っても致命的な後遺症を受ける可能性があるからだ。
病院とかがあるわけじゃないしね。多くの動物はそのリスクを背負った上で戦っている。

私も貴方のような傾向があるので常に自戒しているが、よそに目を向けないで自分だけの論理をひねくっていると、それが正しいような気になっちゃうんだよね。
『自分の納得できる事』=『真実』 ではないんですよ。

>自分は、どう在るべきでしょうか?
事情は知らんが、もっと知識を蓄え、外の世界に目を向けてください。
貴方の文章を読むと、ヘンに考え込むことで自分で憎しみをを増幅している部分があるような気がする。
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この回答へのお礼

ご回答、どうもありがとうございます。仰るとおり、自分は神経質になりすぎ、後になって行き過ぎた考えであることに気づいて後悔することが多いです。いただいたアドバイス、大切にします。最後に、結果的に人の不快を煽るような質問になってしまったことを、お詫びします。

お礼日時:2009/12/14 23:45

相手が怖くなきゃその場でやり返して結果 何の問題もなかったはず


勝てそうならブリーフな相手を黙認する必要は無いと思いますよ☆

戦争の起因ぽい感情や思考は かなり健全な気がします
問題は望まない他者に参加を強要する独善のほうかとッ

やりたい連中だけでやるなら 誰もケチつけたりしないのでは?

この回答への補足

ご回答、どうもありがとうございます。たしかにそうかもしれませんでした。最後に、結果的に人の不快を煽るような質問になってしまったことを、お詫びします。

補足日時:2009/12/14 23:47
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ここは、哲学カテでしょ。

だったら、戦争の善悪を問う所ではないと思いますけど・・・
哲学で、存在するものへ善悪を問うのは、違和感を感じますね。

善悪は「倫理学」とか、「道徳」の面で考えるべきですよ。

「戦争とは何か」なら、分かるけど・・・・

この回答への補足

ご指摘ありがとうございます。今後は、その点も気をつけたいと思います。最後に、結果的に人の不快を煽るような質問になってしまったことを、お詫びします。

補足日時:2009/12/14 23:49
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戦争が必要だという人間に寧ろ尋ねたいですね。


「では、犠牲になって戦死する事も厭わないのでしょうか?」

この回答への補足

ご回答、どうもありがとうございます。今は、少し軽率な考えだったと思っています。最後に、結果的に人の不快を煽るような質問になってしまったことを、お詫びします。

補足日時:2009/12/14 23:51
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アインシュタインが大学で助手になれなかった時点で社会的に抹殺されていれば科学の進歩は遅れていたかもしれません。


結局、社会にのりしろというか寛容さがある方が社会全体にとって有益なような気がします。

また、強い者だけの社会というのも遺伝子的にのりしろの少ない社会のような気がします。つまり、ウイルスに弱く全滅しそう。
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この回答へのお礼

ご回答、どうもありがとうございます。社会的寛容は、大切だと今改めて思った次第です。ただ、親や教師などの責任の大きい立場の者に対して、寛容であって良いのでしょうか・・・そう思えてなりません。ですが、だからって戦争がそれを解決する訳はないと、今は思っております。最後に、結果的に人の不快を煽るような質問になってしまったことを、お詫びします。

お礼日時:2009/12/15 00:12

戦争とは何か、良く考えもしない愚か者のために、もう少し付け加えたどうでしょうw


 『戦争とは=殺し合い』しか頭にな人が多いようです。

一応補足として
 自分は戦争は肯定しますが、殺し合いは否定してます。
まぁ戦争を否定する人は学校で成績を争うこともない、会社で成績を争うことも無いのでしょう。ゲームで人と対戦することもダメなんでしょうな。
 

この回答への補足

ご回答、どうもありがとうございます。たしかに、少し言い方が足らなかったかもしれなかったです。自分といたしましても、何も殺人をしたいというわけではないです。
ただ・・・ちょっと喩えが悪い言い方になってしまいますが、世の中には、生きていても心が死に掛かっている人間がいるように思います。そのような人が、親であったり、教師であったり、社会の上の立場を取り仕切ってしまっているとしたら・・・そういう懸念があったのは事実でした。そのようなゆがみを生み出してしまうのは、過剰な福祉によるものではないか・・・そう思ったんです。ですが、それを闘争がすべて解決するのか・・・今は、考えが行き過ぎてしまったと思っています。闘争がすべて悪いことだとするのも、すべて良いことだとするのも、どちらも偏った見方であったと、今は思っています。

補足日時:2009/12/15 00:52
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 戦争とは絶対に必要不可欠のものであり、ないと人類が滅びます。


学のない愚かな人間は戦争といえば、スグに第二次世界大戦のような大規模戦闘を思い浮かべます。
 しかしそれが愚かなのです。

 『戦争』とは状態を表す言葉であり反対の言葉は『話し合い』です。
これを別の事に当てはめると・・・
 企業同士が開発を争う『開発戦争』、企業同士がその安さを争う『価格戦争』・・戦争とは争うことです。
 これが全くない、つまり競争心がなくなれば、人類は向上することはありません。科学の進化はそこで止まってしまうでしょう。
 人類に向上心、人と争う意識がなくれば人類はゆるやかに滅亡の道をはじめます。
 
 これはたの生物全体にも当てはまります。他者を押しのける能力のない生物は滅亡します。

この回答への補足

ご回答、どうもありがとうございます。
自分といたしましても、何も殺人をしたいというわけではなく、闘争の役割がそのようなところにあるとは思っていません。
ただ、闘争だけですべて解決するのか・・・今は、自分の場合考えが行き過ぎてしまったと思っています。闘争がすべて悪いことだとするのも、すべて良いことだとするのも、どちらも偏った見方であったと、今は思っています。

補足日時:2009/12/15 00:59
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