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自分を含め一般人にとって哲学を学ぶなどは暇つぶしにしかならないと思うのですが(もちろんカネには繋がらないので)、もし哲学のどこかに人を感動させるもの...、例えばこの考え方は素晴らしいとか、如何なる議論に対しても持ちこたえうる完璧なものの考え方、理念などを見い出しうるのであればひとつやってみようかという気になるのですが、そんなものがあるのでしょうか。如何に技巧を凝らして言葉の言い回しとか、単に表現を複雑にするだけでそこに内容がなければ人は感動などしません。
哲学を学んでいる方で、そのようなコンテンツ、感動に値する内容にめぐり合えた人がいたら教えてください。

A 回答 (28件中11~20件)

お礼を拝見しました。


宇宙論の方は御納得いただけたようなので、裏の泥臭い話をしましょう。
宇宙の観測はあまり直接の経済効果のない所へ莫大なお金をかけなければなりません。スーパーコンピューター同様世界一の能力を持たないと学会で有力な学説を発表することができません。
アインシュタインはほとんど思考実験だけで相対性理論を作り上げたのですが、それが正しいかどうかは数十年後にやっとそれらしい結果がえられました。観測技術が進んだからです。
やがて宇宙が拡大して消えていってしまうという論議やいわゆるビッグバンの前にインフレーションという時期があったとかはハッブル望遠鏡と2000年代に入ってから打ち上げられた特殊な観測衛星で大体確認されました。

これにはもちろん膨大なお金がかかっています。景気がよく税収のあるときは先端科学への投資と称して税金から多額の出費がされ、それに多くの研究者やメーカーが集まります。不景気になり税金が出なくなるとまずメーカーが手を引きます。(スーパーコンピューターはすでに2社が引き揚げました。)これからは研究者がお金を集めなければならないので
・・耳触りのよい結果が期待できる
・・この研究をやらないと大パニックが起こる
のどちらかを言いふらします。(環境問題ではすでにどちらも起きています。)
宇宙研究のほうは無限か有限かとかビッグバンの前は?とかいくらでもテーマはあるのですがアメリカでも日本でも新しい探査装置の打ち上げは遅れる一方になるでしょう。
ただしこれらの研究に使う観測機はほとんど軍事用に転用できるので、アメリカは(多くを日本の部品に頼っているのですが)No.1を維持するためにある程度のお金を出し続けています。
アメリカの軍事・宇宙技術の部品・材料の多くを日本に頼っている事が日米安保条約がアメリカにとって必要だという理由です。ここにも日米の企業の利権があるのです。

人類が飢えているときに宇宙なんて・・といわれるのがまじめな宇宙屋さんにとっては一番つらいことのようです。
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この回答へのお礼

貴重な情報、有難うございます。
ただ私は他により根源的な理由があると考えますが、詳しく追求したくはありません。
すごくシツコイ連中であり、関わり出すと体力を消耗する事なので。

お礼日時:2009/12/23 15:43

質問者の最初の質問からかなり離れてきたような気もしますが面白いので回答を続けます。


No.15への御指摘についてですが、定常宇宙に回帰することはないと思います。ただあなたが後半で指摘されている「無限時間、無限空間へと終結する」というのは現在の宇宙論の仮説としての「定説」です。ダークエネルギーの存在が観測上「証明」されているのでこれ以外の結果はありません。やがて宇宙のすべての星屑はお互いに見えなくなり、量子的な蒸発によってばらばらの粒子になってしまいます。

あなたが最終的と予見している事はすでに宇宙論の学会では常識になっています。
人間の本性として宇宙のすべてがなくなってしまうという結論は受け入れがたいのでいろいろと新しい研究が進んでいるのです。

私も本当は定常宇宙の方が好きな普通の「脳」を持った人間です。
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この回答へのお礼

私が「無限時間、無限空間へと終結する」と言ったのは当然ではありますが何か宇宙を観測した結果述べているのではなく、
単に私の直感および思索から出てきたものにすぎませんが、たまたまこれが観測機器をもつ科学者の出した説と符号すると言うのであれば、それはそれでメデタシメデタシとなります。
私がビッグバン宇宙を否定するのは、この考え方が人間のノーマルな発想になじまないと考える理由のほかに、
何かこの発想には科学以外のところかる来る政治的、文化的な裏があると感じてならないからです。
それが何を指すのか詳しく言いたくありませんが何か科学以外のところからくるとてつもなくドロ臭いものを感じます。

お礼日時:2009/12/20 23:46

#7です。

回答拝見しました。
返答致します。散文になってしまったのですがご容赦下さい。

> 実践からの経験則、実践からの人生哲学の実用書ときますと、なにかセールスマン向けの自己啓発書のような本を想像するのですが、そういうものを言われているのでしょうか。このような自己啓発書というとアメリカ生まれのものが圧倒的に多いと思いますが、例えば一番有名なのでいうとD.カーネギーの「道は開ける」とかこのような本を言われているのでしょうか。
これは一概に「はい」と回答する事ができません。
人によって人生が異なり、置かれている状況も異なり、それに伴う問題意識も異なります。
そして今回のケースでは、それが哲学によって解決できるかできないか、という点に焦点を当てる事ができそうです。
哲学的な悩みを持っている方もいれば、現実問題の対処に追われる方もいて対応方法は様々になります。

例えば、実際に起こっている現実的諸問題、「全然モテないがどうすればいいのか? 」や、「彼女が精力過多でこっちの身が持たずこのままでは死んでしまう」、「バックでヤッている最中に彼女が携帯をいじってメール打っててショックだった」、「その後まだやってる最中なのに携帯料金の明細を見てた」、「仕事ができない・責任が取れない・対応もできない・仕事内容を理解していない・ふんぞり返るのは一人前と5拍子揃った先輩が自分の上についた為にとても苦労し、尻拭いや後始末をして私は心労で倒れたが職場が全力で揉み消した」、などの切実な悩みは現実的に言って哲学では消化できません。それには現実的な対応として、ちゃんと身なりをしっかりしろだとか、赤マムシ飲めだとか、ヤッてる時は近くに置くのは大人のオモチャにしろだとかをする必要があります。そしてそれらがこの指針で解決できない場合などに対しても、とあるQAサイトの哲学カテゴリーに投下された質問への回答の中に「とある方のおかげで私は心労で倒れましたが会社的には無かった事になっております。」などと事実を紛れ込ませて訴えればある程度はOKなのです。

しかし、先の例にあった会社の先輩のように旨い汁だけすすって他人から疎まれながらも利口に生きればいいのか、馬鹿正直に生きて潰れた方がいいのか、人間はどう生きるべきかという悩みを抱えた場合には、哲学で解消するのが最上でしょう。

カーネギーが説く人としての在り方などで悩みが解消される方が多い為にこの書籍が売れると私は考えているのですが(ちなみに私は購入したが未読です)、それではこれが万人の全ての悩みに対する万能薬かというとそうでもありません。該当しない方、あるいは年齢、性別、職業、時代などに漏れる人間もいる事は確かであって、需要と供給が全くマッチしない時にはどうにもなりません。
ご飯と味噌汁がとても食べたい時に、モンブランの最上級チョコレートを出されるようなものかと。美味いには美味いけど今求めているものと違う・・・と。

ですので「哲学で感動したか」というのは「哲学的な疑問を抱えていて、更に哲学で解決したか」という事になり、これに万人が該当する事は無いと思いますので、人によりけり、といった回答になります。
ただ、食べ物の好みと同様、年齢と共に人生の悩みは変化していきます。

これは私見なのですが、人間が自らの何かを改善しようとした場合には二つのタイプがあると思います。
一つは凹埋め。マイナス点をプラマイゼロまで持って行くやり方。
もう一つは凸出し。元々の基点から余剰価値を付与するやり方です。

そして哲学を人生に適用する場合には、これも個人的意見なのですが、凹埋めに対して適用されるものだと思っています。
つまりは悩みの解消ですね。

質問を読むと、
>例えばこの考え方は素晴らしいとか、如何なる議論に対しても持ちこたえうる完璧なものの考え方、理念などを見い出しうるのであればひとつやってみようか
とあり、これはどちらかというと凸出しの思考なのだと思います。
私自身は哲学については全く疎い方なのですが、一般教養としてやる分には物事の考え方の基礎固めができると思います。
但し、最初に書いた通り人によって人生が異なり、置かれている状況も異なり、それに伴う問題意識も異なる為、土台とすべき知識も異なってきており、私などは福澤諭吉が良いと思っているのですが、万人に勧められる訳ではありません。

まずはどんな内容が記載されているのかを把握しておき、自分の人生に困難が立ちはだかった時に、そういえばあそこにあんな事書いてあったわと思い出して再度ページをめくれば良いのですね。
それを考えると件のカーネギーはまだg3452sgpさんにとって必要な時期では無いように思われます。

ちなみに私が勧めている本は下記ですね。

学問のススメ/福沢諭吉
国家/プラトン
マイ・アメリカン・ジャーニー/コリン・パウエル
国家の罠/佐藤優
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No.9です。


ご回答読ませていただきました。あなたの言われる無限、有限という言葉は私の理解と少し違うようです。
最近の宇宙論ではあなたの意味での無限の時間の中であるとき量子力学的な揺らぎの中でビッグバン・・正しくはインフレーションの開始が起こりしばらくしていわゆるビッグバンになるのですが・・が起こることが仮説として承認されており、これからさきは今の観測では永遠に膨張していく事になっています。今の宇宙は有限だが端のない宇宙とする論が主力です。しかし時間は無限を考えています。現在の宇宙論によれば時間を含む4次元の空間で表わされているので例えば空間が有限とすれば時間は無限になる解が得られます。いわゆる無限宇宙論(宇宙が常に無限個出来てくるという論)もこの解の一部にすぎません。
そういう意味でわたしは少なくとも時間について有限宇宙を信じているわけではありません。

仏教のことは私の知識の範囲が狭いのでこれ以上の論議はしません。お許しください。ただインドの当時の人・・現在でも多くの人が・・輪廻という永劫回帰を信じています。

始まりがあれば有限だというあなたの意味では・・私の知っている限り・・このインドの思想とギリシャにあったといわれる永劫回帰の思想が宗教(哲学)にあなたの意味での無限の時間の時間をとりいれたものでしょう
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この回答へのお礼

一つ指摘しておきたいことがあります。
ビッグバン宇宙論にしろ現在の宇宙論にしろこれらはほかのものと同様、常に弁証法的に変化、発展、修正を加えられる運命にあるものの1つにすぎないということです。私はビッグバン宇宙論が現在では主流であるとされていますが、比較的近いうちに大幅な見直しがなされ一度定常宇宙論に回帰し、そこから振り出しに戻って再び変化、発展、修正のサイクルが繰り返されるものと予想します。ここで1つ言えそうなことは宇宙論が変化、発展、修正される過程で、宇宙は時間的、空間的に常に拡大する方向にあり、その過程の中で人間が宇宙に課していた制約(説明上必要としたもの)は常に取り除かれる方向で進んできたということです。これは歴史を振り返れば明らかです。
最初は天動説から始まり、地動説になり、銀河系宇宙が生まれ、ビッグバン宇宙と続きますがこの過程で一貫して言えることは、宇宙は常に拡大方向にあったということです。この拡大の過程がビッグバン宇宙で終了するはずはなく最終的にはいかなる制約もない無限時間、無限空間へと終結する以外にないというのが私の考えです。

お礼日時:2009/12/20 18:03

私はまだ若い頃に、自分がどんなときに幸せな気分を感じているかに気が付いたことがあります。

それは、へぇーと驚いたときなのです。あっそうか、とか、あっそうだったのか、なんて感じたときに感動して、嬉しくなっている自分に気が付いたのです。その後、自然科学系の専門家になりましたが、私が幸福を感じるのは何かに驚いたときであるという私のこの発見は未だに修正されていないどころか、ますます、その発見の正しさを確認し続けております。

自分の専門の学問以外にも、気の向くままに興味本位で、何の脈絡もなく、いろいろな学問を聞きかじったり、読み漁ったりしていると、今まで皆がやり続けて来た学問というものは、どの学問でもそれ固有の世界の見方が在り、固有の文化が在り、それが私達人類の考え方を多様で豊かにしてくれているんだなあと、感心させられ続けております。そんなとき、へぇーこんなことまで問題にするのか、だとか、こんな攻め方をするのか、だとか、こんな見方もあるのか、等々で、目から鱗が落ちる経験を何度もして来ました。ですから、哲学と言わず、自然科学でも、歴史学でも、民俗学でも、政治学でも、法学でもなんでも、何か読んでいて何かを教わったり、また、それを読みながら教わるというわけではなく自分で何かに気が付いたりして、あっと驚いたりするたびに、私は感動しております。

私自身自然科学をやっているので、哲学に関しては、モンテーニュの徹底した懐疑論や、数学に於ける真偽と自然科学に於ける真偽の間にある決定的な違いに関してのカントによる指摘や、ヘーゲルの弁証法による認識の発展形態や、あるいは、ギリシャ時代から永々と続いている、永遠を基軸に置いた決定論的な世界観と、変化に基軸を置いた確率論的な世界観の間の哲学的論争などなど、どれもこれも、自分の科学研究の経験に鑑みて、なるほどと共鳴しまくっています。自分で経験して何となく感じているが、まだ言葉にしきれないことを、先人達が既に具体的な言葉で表現していることに気が付いたときなど、嬉しくなってしまいます。だから、私個人的には、自分の専門分野ばかりでなく、私にとって全くの素人の哲学分野でも、驚き、感動、感銘、興奮、恍惚、人間として生まれて良かったなぁ、などなど、いろんな形で幸福感を味わっています。
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この回答へのお礼

私はここに投じた質問を通じて、他の回答者さんからのものも含め20通を超える回答を読むうちに、この問題について大分考えがまとまってきたと感じております。
最初に「哲学に感動はあるか」と題して質問したのは、哲学書の多くは様々な概念を様々な言葉、言回しを使って表現しますが(etc. 絶対、相対、超越、無限、可能、不可能、本当の、偽りの、真理、...)、如何なる言葉、言回しを用いて如何なる仮定、想定、発想を行おうとも最後に問われるのはそこから何が出てくるか、如何なる「感動」が生まれるか、というこの1点だけが問題であると思いこれを問うてみたかったからです。
これらの回答を読んでみて今思うのですが、そして予想していた通りなのですが、私の場合やはり「哲学に感動はない」というのが結論のようです。
しかし、問題がはっきりしたので満足はしています。

お礼日時:2009/12/24 18:34

私は、とってもとっても素人なのですけど、つい昨晩とっても、感動といってしまっては足りないような、おそろしくて、どうしようもないような感覚になりました。



ブロジェンヌさんにちょっと感化されて本居宣長をちょっと調べたら、びっくりしました。「からごころ」の排除(つまり理詰めで合理的に考えすぎてはだめよね)で「もののあはれ」(つまりすべて受け入れて深く感じましょう。そこからはじめませんか)、これってフランス人のサガンの「悲しみよこんにちは」ではないか「源氏物語」って、そっちにつながっているわけ?それでもってちょっと現象学はいってるんじゃないかしら(つまり考える原点って直感の気づきの連続だよね)、すごく自然に倫理にも導かれてる。それでもって形而上学にまた帰ってきちゃう。何か怖くないですか?
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この回答へのお礼

heartmindさん、私は今すごく困っています。
時間と空間の問題で悩んでいるのです。
今すぐ解決しないと死ぬかもしれないのです。
どうかブロジェンヌさんに相談して時間と空間が有限なのか無限なのか聞いてみてもらえませんか。
そして今すぐ私に連絡して頂けませんか、時間と空間が有限なのか無限なのかの答えを。
大至急お願いします。すごく苦しいのです。

お礼日時:2009/12/21 23:11

No.1です


>>>
それで、哲学ではどのような場面で感動は生まれると考えますか。
つまり哲学のどのようなステージで、どのような対象に対して、どのような認識あるいは理解を得たとき感動は生まれると考えますか。
もちろんこのような問いには実際に感動を得た人でないと回答できないと思いますが、No.1さんは感動を得たのでしょうか。
もちろん感動を得た、得ないは自己申告制であり客観的判定はできませんので、本人が感動したと言えば感動したことになるし、感動しなかったと言えば感動しなかったとなる訳です。
もし感動を得たのであればどのような感動であったのか一つ聞かせて頂きたいです。
<<<

他者との関連性の間、すなわち、「似ている・異なっている」といった認識の差異を感じるときに、多少なりとも情が動きます。

そういった差異が新鮮に感じられたとき、大抵の場合「感動」を覚えます。

恒久的・永久的に変化しないような静的な「知」には「感動」は覚えないですね。。。

でも、たとえ「静的な知」であったとしても、自身が体験したときに「あぁ。。。この言葉はそういう意味だったんだ。。。」と思う時に感動します。

私のプロフィールに書いてある言葉たちをそのように「動的に」認識したとき、感動しました。。。

結局のところ、「動的にこころが揺さぶられるとき」というありきたりな答えになるというところです。。。
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この回答へのお礼

分かりました。
No.1さんにとっては他者との関連性が重要なわけですか。
自分の場合は他者との関連性などどうでもよいことであり、
自分にとっては時間と空間がどのようなものであるかの方がはるかに重要なのです。
No.1さんは時間と空間についてどのように考えますか。
有限だと考えますか、それとも無限だと考えますか。

お礼日時:2009/12/20 12:53

No.9,10です。


まず私から。(理科系の人間なので専門用語が入ります。)
時間は記憶に残ったものが過去で直後に予測できることが未来でありそれが連続していると脳が考えている事だと思っています。
過去のことは「歴史」がありビッグバン(これは単なる今広く認められている仮説ですが)以来いろいろなことがあったのを学習によって認識はしています。
空間は今のところ虚時間、ビッグバン、膨張宇宙、ダークマタ-、ダ-クエネルギ-で表わされる(全部仮説ですが)アインシュタインの一般相対性理論が成り立つ世界(これは時間の概念も含んでいますが・・物理的な時間で上述した時間とはちょっと哲学的な意味が異なります。)を信じています。
もっともこれらは間もなく破たんするかもしれません。

仏教については専門家でないので知っている事だけ述べます。
仏教では「有限化か無限か?」という論争は決着がつかないのですべきでないと言っております。
しかし「刹那滅」(これは無限小の概念ですが)については昔の仏教学者が見つけたものですし、バラモン教から入った循環時間(劫の繰り返し・・いまでもこの考えを研究している物理学者も沢山います。)の考えは仏教の中にも入ってきています。(ただし日本で出来た仏教にはこの辺はほとんど論議されていないようです。)

時間と空間の考察で感動したかという質問がありました。
わたしは理科系で一般相対性理論を少しは理解しているので(実際の計算は出来ませんが)時間は何か空間は何かという問題で感動した事は特にありません。ただ昔の人が今の科学的に導き出された仮説を千年ぐらい前の人が理論的に導き出した(実験は出来なかったが)「脳」の働きに感動したということです。

回答になったかどうか不安ですが物理学的な表現はウィキペディアで調べてください。
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この回答へのお礼

分かりました。
そうしますとあなた自身は時間も空間も有限世界を考えていると判断します。無限時間には始まりも終わりもありませんが、ビッグバンは基点時間を前提にしていますから有限時間の世界となりますし、無限空間に膨張収縮の概念は有り得ないので膨張宇宙は有限空間の世界となるからです。

仏教はこのような問題には立場を明かさないというスタンスを取っているように一般には言われていますが、私は明らかに仏教も有限時間、有限空間ベースである考えています。例えば空間については三千大千世界のような巨大数を持ち出して、一見すると無限空間の雰囲気を漂わせますがこれは明らかに有限空間を持ち出しています。有限空間を持ち出す以上、時間についても有限時間が根底にあるはずと考えます。
自分が考えるに、宗教は洋の東西を問わず決して無限を受け入れないと確信しています。始まりも終わりもない無限時間を前提とする宗教があると思いますか。否定するかせいぜいダンマリを決め込むかのいづれかのはずです。

お礼日時:2009/12/20 11:33

No.9からの追伸です。


哲学は金繋がらない>
そんなことはありません。人と違うものの考え方を出来るようになれば
「新事業を行う」
「大詐欺師になる」
という良く似た金儲けの方法が見つかるはずです。最近の金融デリバティブは「高等数学」・・つまり一般人に理解できにくい哲学・・を用いた新事業であり詐欺でした。
財をなした人は金につなげる哲学を持っていたのだと思います。
もちろん西田哲学やニーチェの哲学ではありません。
最近論語が金持ちになるための哲学だと中国・韓国でもてはやされているそうです。子貢編がいいそうです。保証はしません。
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私の場合は少し仏教哲学・・というより・・二十年ほど前に仏教のものの考え方を勉強しているうちに、経典の中に今の物理学が証明した・・というより物理学で仮説として定着した考え方が書かれているのを見て、「あ!人間て昔からこういう考えをする人がいたんだ!」と「感動」した事があります。


哲学的なものの見方をすれば「色即是空・空即是色」と量子力学の相補性、「一刹那後の自分はすでに生まれ変わっている」と無限宇宙論、ちょっと苦しいですが「三千大千世界」と銀河宇宙論・・これらは同じように人間が考え出した・・今の言葉でいえば「脳が造り出した」考えかたであることがわかります。最近、芥川賞をとった禅僧の書いた本にも同様のことがかいてありました。
哲学が難しくなったのは明治時代に漢学者が古い中国語・・漢文・・でドイツ語でせっかく易しく書かれている言葉を翻訳したせいです。哲学は他の回答者も書いておられるように個人の理性の根源となるものですから「感動がなくなった」というのも哲学です。ニーチェはその絶望から精神病になりました。西田哲学のように一般人に解らない言葉で書いても、芥川賞の禅僧の書いたことでも私が考えたことでも最後のところは「人間が突き詰めて考えれば」というところに行きつきます。多分これが哲学でしょう。
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この回答へのお礼

別の視点から一つお聞きします。

仏教では時間や空間を様々な言い回しにより表現しようとしますが、
私にとって言い回しなどどうでもよいのです。
仏教では時間をどのようにとらえていると考えますか。
結局のところ有限なものととらえていると考えますか、それとも無限なものととらえていると考えますか。
空間についてはどうでしょうか。
仏教以外ではどのようにとらえられていると考えますか。
そしてあなた自身は時間や空間についてどのように考えているのでしょうか。また感動したとありますが時間や空間について考察した中に感動はあったのでしょうか?

お礼日時:2009/12/20 06:01

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