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年々人を好きになるという感覚が分からなくなります。

30才の男です。
お恥ずかしながら恋愛経験もないので、嘲笑されても致し方ない側の人間です。

ずっと「(恋愛対象として)人を好きになる」ということが分かりません。
今も分からないし、年を重ねるごとにどんどん分からなくなってゆきます。

普通は中高生で好きな女子が出来る⇒告白⇒付き合うという一般的な感覚を覚えると思います。
私も女性にモテたいという気持ちは人並みにありました、見た目とかも気を使っていましたが、
「この人にどうしても好かれたい」という気持ちは社会人になるまで一度も持てなかったと思います。
その頃は恋愛よりも自分の将来やどういう仕事で自分はやてゆけるのかを考えていました。

以前に一人だけ、この人に好かれたいと思った女性がいました。
その人の不器用ながらもまっすぐな生き方に好感を持っていたので、一般的な男が
頑張ってアプローチする(女を落とす、と言うと言い方が悪いですかね)ことをやってみました。

相手を楽しませよう、喜ばせようという行為のつもりでしたが自分自身凄く辛かったです。
相手に好かれないのが辛いと言うよりも、自分がしていることが何故かとても虚しく思えました。
男は積極的に行け!というのが世間の常識ですが、何か違和感をずっと感じていました。
相手を楽しませる、喜ばせる、頼りになる人だと思わせる、一体これは何なのだろうと。
それで自分は嬉しい?楽しい?しなければいけないことばかりで本当に楽しいの?って
そんなことばかりで苦しくなって自分からフェードアウトしました。
今思えば相手のことはそんなに好きではなかったのかもしれないと思います。

恋愛で大切なのは「相手をどれだけ好きか」であるということだと分かっています。
しかし、自分にはその気持ちが分かりません。
数少ないながらも友人はいますが、特にそういうことを意識したこともありません。
仕事でもプライベートでも人としての優しさ、誠意には気を付けて接していますが、
相手に対する特別な優しさというものを意識したことはなかったように思います。

「あなたは外見が良いからモテそうだよね」と言われる度に「それは間違いだ」と思います。
そんな表面上の記号なんて何の価値すらない、本当に必要なのは「思いやり」
でも、その思いやりは自分には分からない、最早検討すらつかないものになりました。
本当は皆、それが分かっているのに表面上の記号のみで片づけられる自分は本当に卑しい人間です。

何もしないで愛してくれるのは母親だけ、というのは本当にそう思います。
何かをしてあげなければ自分を愛してくれる人などいないことも分かっています。
でも、何かをするのがとても辛くて苦しい、空しくて真っ暗な気持ちです。

一度くらいは人を好きになって、好かれたい。
普通の人が当たり前に出来ることが自分には出来なくて苦しく感じます。
他に熱中するものを見つけて嫌な事実から目を背けることが得策ですが、
それをしている内にどんどん「好きになる」感情がなくなってゆく気がします。

優しさって何ですか?とても自分には無償の愛を提供できる器はないと思います。

A 回答 (4件)

速返で逆に申し訳ない。


読んですぐの方が返事しやすいので
すぐ書きました。

質問者様が思う事も自然。私が述べた事も自然。だと私は思います。

根本的に根底で
違いがあります。

それは相手を好きかどうか。

質問者様がおっしゃられているのは『好かれたい時の心理』私が述べたのは『好いているときの心理』

私もただ与えるばかりではやがて虚しくなります。
だから片思いならばいつかはその恋を止める。

好いた場合。先日書いた内容の心理になります。
プラス両思いで付き合ったのなら、与えたい気持ちと同時に貰う事もします。
相手からも気持ちやそれを態度にしたモノを貰わなければ両思いと感じず

結局片思いとかわりないので虚しくなり終わります。

幸せで与え気持ちは好きな限りあるけれど
片思いでは届けも届けても届かない事があり

私ではない相手
両思いの相手にそれを委ねます
自分は諦めるしかない。

けれど質問者様は
好きというモノに虚しくなってらっしゃいます。
与えるのも気持ちからくるのではなく、好かれる為にどうすれば良いのか…という思考めいた感じがします

それは『恋愛がしたい』のであって『相手を好き』とは違うかもしれません。

その人が欲しいのか
恋人が欲しいのかは
違うモノだと思います。

質問者様は
届けかない返ってこない虚しさと
それを好きな相手ではなく恋人にしたい相手にするので
更に虚しいのかもしれません。(推測ですが)

私が献身的に見える程偏った事を書いたのは
まず
『好き』という感覚になってからだ
と思ったからです

それを経てから
やっと次に
与えたいとなり

両思いになれたのらば
その時初めて
向こうにも貰う事を求めれます。
(恋愛面での話)

もしも質問者様が
初めは相手を好いていたとしても
与えても与えても返ってこなければ誰だって嫌になります。

そしてその負担から
大半が好きではなくなっていく。

虚しいのは相手を好きじゃなくて、相手から好かれていなくて
それなのに頑張っているからではないでしょうか。

好きで好かれたら
与えたくて与えたいと思って貰えて…

誰かに何かをするのは必ずしも虚しいわけではなく
状況によるのだと思います

だから私は質問者様が虚しいと感じずに
与えたり与えられたりが出来る相手も居ると思います

誰とどんな状況でも虚しくなると思う気持ちが
何より好きを起こさせない気がします
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この回答へのお礼

幾度もの回答をありがとうございます。
回答者さんのおっしゃる、

>誰とどんな状況でも虚しくなると思う気持ちが
>何より好きを起こさせない気がします

この言葉に正直ハッとさせられました。ここに自分の原因があったのだと。

本当にどうすれば、どうやれば自分も普通の人のように恋愛出来るのかを考えていました。
情熱的に口説きたくなる女性などいなかった。
カッコ悪いことを進んでしたいと思えるほど惚れた相手もいなかった。
痛い目にあったとしても後悔しないと思えた人もいなかった。
気づいたら周りで恋愛出来ないのは自分一人になっていて劣等感の塊でした。
そんな中で半ば交通事故のように興味を惹かれる相手に出会ったしまった時に
どうすれば良いか悩んだ結果が「ちやほやする」ことでした。

でも相手を楽しませる、喜ばせる、良い気分にさせるといった行動に出るしかなかった。
普通の男性のよう恋愛できる魅力がなかったからちやほやするしかない。
女性が言う「熱烈にアプローチされたから付き合った」ってやつをやるしかないと思った。

>それは『恋愛がしたい』のであって『相手を好き』とは違うかもしれません。

きっとコレがそうだったんだと思います。本当に虚しかった。今思うと相手にも相当失礼だったと思います。

いまでもたまに合コンや紹介を受ける機会がありがたいことにありますが、
「どうせ好かれるにはちやほやしなきゃいけないんだろ?」という気持ちがどこか根底にあります。
あったのにそれをやるしかなかった自分、本当に虚無的な感覚です。自分がどこにもいない。

でも、自分よりちやほやするのが上手い奴は幾らでもいる、だったら自分を選ぶはずはない。
収入だって人格だって仕事だって魅力のある奴は幾らでもいる、だったら無理をしても意味はない。
虚しい思いを重ねても何も得なことなんかないじゃないかと。
そうしたら相手を好きになる気持ちが分からなくなったような気がします。

人に出来て自分に出来ないことがあることが許せないから歪んでしまいました。
純粋に好き、って気持ちにはもう一生なれないような気がしています。

それでも回答者さんのおっしゃられる献身的な感情が尊いものだと言う事は分かります。
世間一般の理には自分は適合できなかったけど、自分はきっとそうなりたかったんだと思います。

お礼日時:2010/05/15 00:09

ANo:2の者です


ちょっと打ち間違いをしてました…

>恋愛を手にする上で駆け引きを通す事により…

と書きかった。


えっと
私の思う『思いやり』と『優しさ』なのですが…

・思いやり→相手の目線や気持ちになる事
・優しさ→相手が優しさだと思う事が優しさ

あくまで私の考えなのですが、自分が優しさだと思っていても相手が優しさだと感じなければ
相手にとってそれは優しさではないので

誰かに優しさをあげる為には、相手が何を優しいと感じるか知らないといけない

つまり
相手の目線や気持ち、いわば私の考える『思いやり』がなければ『優しさ』も与えれない


私の中ではなります。

けれどそれだけなら
質問者様がやろうとしてきた事と似ています。
では虚しい事なのか…

それは私の中では『否』です。

上記の状態は淡々としてますが、多分…人は
もっとそこに気持ちの様な事を含んで
思いやりとか優しさと言います。

相手の為に良いモノを与えあげたい気持ちを人は思いやりとか優しさというのではないでしょうか

私が書いたのは
思いやり方、優しさの与え方。
でも伝わらなければ意味をなさない事もあるので
多分

思いやりたい気持ちと思いやれる事が揃って初めて
『思いやる事が出来た』となるのかもしれません。

そして
そんなにも大変な事を、人はやりたいと感じる様なります
相手を好きになると…。

好きな人に喜んで欲しくて…好きな人が悲しむのが嫌で。

好かれたくて何かをするのは自分の為です。
相手に喜びを与え悲しみを取り除きたいと思うのは

相手の為をする事が自分の為になるという人です。

好きな人が喜ぶと自分が嬉しいからするのです。

質問者様は好かれたくて、好かれるのが自分の為で、だから好かれる為に何かをした…という形なのかな?と感じました
(あの…これは責めているのではなく…)


好きになる→相手を喜ばしたい傷つけたくないと思う→自分に思いやりと優しさがあったらなぁ。

思いやりと優しさが必要かどうかは
どんな人がどう思うかではないでしょうか。

嫌々与えて貰っても喜ぶ人は少ない。質問者様を好いてくれる人は喜ばない。
(嫌々でも与えてくれるなら嬉しいなんて人は質問者様を好きじゃない)

喜ぶ事を嫌々する→嫌々なんだったら嬉しくない
これだと与えれそうで与えれず勿体ないです。

してあげたいと思う人を探して欲しいなと思います。
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この回答へのお礼

改めて回答ありがとうございます。

>好きな人に喜んで欲しくて…好きな人が悲しむのが嫌で。
>好かれたくて何かをするのは自分の為です。
>相手に喜びを与え悲しみを取り除きたいと思うのは
>相手の為をする事が自分の為になるという人です。

こういう感覚が私にはないのでそれが普通の型の感覚なんだな、という感じです。
何でしょう、良く言えば「献身的」悪く言えば「自己満足」のような・・・
相手が喜ぶのは嬉しいかもしれない、でも自分は常に楽しませらせる程奥深い人間ではない。
でも、普通の人はそれが当たり前に出来てしまう、では自分は何なんだろう?

こう書くと自分のことしか考えていない、と言われるのですが、
でも、いくら相手を楽しませても、自分を好いてくれないであろう相手に対して
好きだったら供給し続けることが出来るか、と言われるとやはり否と答えてしまうと思います。

仕事の場合、自社商品に興味のないお客様に対してもアピールすることは大切だと思います。
振り向いてもらおうと頑張ること、それは会社から給料を貰って働いているという責任感から。
でも、プライベートで女性に振り向いて欲しいと頑張る努力は一体どこに根っこがあるのか。
失敗しても会社がフォローしてくれるわけではない、恋愛に負けた責任は全て己で背負うもの。

だから「楽しませないといけない」「喜ばせないといけない」「優しくなければいけない」と考えると
一体自分は何でこんなことをしていて、一体何が欲しかったのかが分からなくなります。
自分の意思は関係なく相手にとって色々な意味で「都合の良い」人間にならなくてはダメなのか?
そうでないと恋愛は出来ないのか?マゾヒストにならなければ苦しみは緩和出来ないのか?
そう考えると自分がずっと相手に色々提供しなければいけないことが苦しく虚しくなります。

別に不特定多数にモテたいのではなく、一人に好かれたいのに、
その一人に好かれるために「しなければいけない」と考えると喜んで欲しいという気持ちは
嬉しい気持ちから虚しい気持ちへと変わってしまいます。

回答者さんの文章を読んで、「自分は他人の為にここまで献身的になれない」と素直に思いました。
「何かをしなければ好きになってもらえない」のにそれが虚しく苦しいです。

根本的に「好かれないのに好きになる意義」が理解出来ないです。

お礼日時:2010/05/14 17:51

私は恋愛関係において無償の愛は必要無いと思っています。

というか見返らない事は逆に上手くいかないと思っています。

誰かと2人で一緒に生きる事をずっと続ける、壊さない方法はバランスだと思っています。

持ちつ持たれつ
与えたり貰ったりして良い関係を保ち続ける。
対等さが大切だと思うので

与えて見返らない無償の愛は1対複数やボランティア等に合っている事だな
と思います。

文面を見た推測に過ぎませんが…質問者様は恋愛を手に上で駆け引き通す事により
思いやりとテクニックが入れ替わってしまった様に感じました

好きで笑って欲しくて幸せを願って…そんな気持ちで相手を喜ばそうとする時はもっと感情の溢れる感じになりそうですが

好かれたくて好かれる様な事をして嫌わるたくなくて…と喜ばそうとする時は虚しくなる気がします。

質問者様は好かれる様な人間になるためにご自身をすり減らしてしまったのかもしれません
(自分ではない別の人間になるような…そんな自分を捨てるような感覚)

思いやりは大切
けれど自分じゃない自分は虚しく、例えば好かれたとて下手したら『自分じゃない自分を好いてるだけだ』といった虚しさで恋愛を嫌いになりかねない

そもそもまず
最低限質問者様が自分らしさを失わずに居る事が大切な気がします。

質問者様らしい優しさ思いやり
質問者だからこそできる『相手を喜ばせる事』

これで誰かを好きになったり好かれたりすればもっと自分を好きな感覚というか…

駄目でも自分磨きになり
実れば自尊心になり
また恋がしたいという欲も高まる気がします

日々なんとなく“合う人”に目を向ける。なんて事から始めてるのはどうでしょうか。

多分きっと
他人同士歩みよりが必要だったり誰しも短所があるので変わらないといけない自分もあるかもしれませんが

それでももっともっと
質問者様らしい恋を
質問者あのまま好いてくれるような人との恋愛を出来る様な気がします

↑これも…虚しい事ですかね…。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>質問者様は恋愛を手に上で駆け引き通す事により思いやりとテクニックが入れ替わってしまった様に感じました。

自分の中で思いやり、というものが一体何だか良く分かりません。
「要はもっとちやほやしろってことだろ?」と思ってしまうのです。
「思いやり」「優しさ」この二つの言葉が恋愛において意味することが理解できないのです。

>質問者様は好かれる様な人間になるためにご自身をすり減らしてしまったのかもしれません
(自分ではない別の人間になるような…そんな自分を捨てるような感覚)

そうかもしれません。
「こうすればいいんだろ?」という感覚で男性が女性を追いかける、アプローチするというのをやってみたのですが、
もう明らかに普段の自分とかけ離れ過ぎていて・・・ちやほやするのが上手な男性のように「それが自然」という感覚になるまで
続けていればまた何かは違ったのかもしれませんが、自分発信で色々と与え続ける(そんなに与えたのかと言われると微妙ですが)ことに
疲れてしまった、「別にこんなことはしたくないんだ」という気持ちが勝ってしまった気がします。

>質問者様らしい優しさ思いやり
質問者だからこそできる『相手を喜ばせる事』

先日、友人の女性に「特別扱いしたり、ちやほやする感覚が本当に分からない」と相談したところ、
「別に特別扱いをする必要はない、あなたは普通に人として優しく対応できている」と言われました。
普通に人としての礼儀や困っていたら手伝うという感覚は持っていますが、それはあくまで一般的で、、
恋愛はもっと相手を特別扱いしてちやほやしなければいけない、という感覚が勝ります。
「無理な優しさを出す必要は全くない」とも言われましたが、普通にしていてダメなのだから、
「無理な優しさ」を出していかなければ何も変わらない、ということにジレンマがあります。

お礼日時:2010/05/14 01:22

48才、既婚男性です。


無償の愛ってあるんでしょうか?
相手に好かれたいって思う以上、無償じゃないでしょう。
母親や、肉親が与える愛だって、無償じゃないかもしれないですね。
優しさってのは、自然に生まれてくる感情ですけど、考えれば、考える程わからなくなりますよ。
本当に相手の為になるかどうかってのは、誰も判断できないですからね。
とりあえず、自分が思った優しさしか与えられないですよ。
相手が求めるものをすべて与えるのが優しさでしょうか?
それが、かえって相手に負担を与える場合もあるでしょう。
君の場合は、見返りが無い努力が虚しいと感じるなら、相手を本当に好きじゃなかったのかもしれないですね。
でも、本当に好きになれる相手ってのは、なかなか見つからないもんですよ。
だから、君も出会って無いだけで、そういう相手に出会えば変わるかもしれません。
無償の愛にこだわる必要も無いでしょう。
愛されたいから、優しくするでもいいような気がしますよ。
むずかしく考えすぎてます。
あるいは、君の気持ちに応えてくれないもどかしさから、自分はそういう事が出来ないって暗示をかけようとしているのかもしれませんね。
悩むのはしょうがないですよ、人間なんですから。
相手も人間です。
全能の神じゃないですから、すべて思いどおりには出来ないでしょう。
私も、君の気持ちはわからないですから、的外れの事を書いたかもしれません。
あまり、思いつめない方が良いような気がします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>君の場合は、見返りが無い努力が虚しいと感じるなら、相手を本当に好きじゃなかったのかもしれないですね。

確かにそうかもしれません。
元々自分に還元がないものを毛嫌いする傾向があります。
自分の周りにいる男性は変な言い方で恐縮ですが「女性をちやほやするのが上手」な方達でしたし、
彼らがやはり魅力的で人気があるのは自分でも理解できていた反面で、
「結局はちやほやしなきゃいけないんでしょ?」という感覚がありました。
「?しなきゃいけない」という強迫観念みたいなものでしょうか・・・

>君の気持ちに応えてくれないもどかしさから、自分はそういう事が出来ないって暗示をかけようとしているのかもしれませんね。

「?しなきゃいけない」というものを割と自分に鞭を打ってやっていた傾向があったので自分から発信し続けることに疲れてしまった。
そんなにいっぱい提供できる引き出しも持ってないよ、そんな感覚だったかもしれません。
「こんなことしたくないなあ、でもやらないとモテないわけでしょ?」そんな感覚でした。
実際は今もそれを抱えているからこそ、悩んでいるのだと思います。

そんなに難しく考えなくてよい、というのは気持ち的には嬉しいです。
生真面目過ぎて余計なことを悩みすぎだと良く言われます。

お礼日時:2010/05/14 01:10

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