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人質をとる行為自体は、戦争の発生当初からあったと思いますが、
「質」というものは、金融制度があってはじめて可能なシステムだと思います。

「国宝」より先に「人間国宝」が存在するはずないし、
「魚雷」あってこその「人間魚雷」のわけですが、

たとえば、日本を代表する人質(?)であった、徳川家康の時代、「質」も「人質」も、ことばとして存在していたのでしょうか?

A 回答 (2件)

ああ、ごめんなさい。

ちょっと書き方がまずかったですね。
やはり「質」は「担保」の意味が本来です。それが「人質」の意味に転化して使われたのは
goo の国語辞書を見る限り「太平記」が初出だという意味だったのです。
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この回答へのお礼

補足ありがとうございます。

すると、家康(当時は竹千代)は、れっきとした「人質」だったわけですね。

お礼日時:2003/07/11 09:54

少なくとも「太平記」の書かれた時代(1371年頃)には「質」という言葉は


「人質」の意味であったようです。

詳しいことは小学館の「日本国語大辞典(第二版)」に当たったほうがいいでしょう。

参考URL:http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%B7 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

つまりは、もともと「質」というのは「人質」のことだった。

それが金融業の発達で「質屋」が生まれて「質」という言葉を金貸し用語として使うようになった。

ケースとして、「人質」をとることは戦国時代でもなければそうそうないので、「人質」のほうが特殊用語として独立した。

ということになるでしょうか。

お礼日時:2003/07/08 19:42

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