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小学校2年生の娘(一人っ子)に友達がいないようです。
幼稚園が違っていたこともあり、同じマンションの同級生(女子4、男子2)達とも、
もうひとつ親しくなれません。女の子は同じお稽古をしています。
学校では1年生の時は何人かと遊んでいたようですが、2年になって離れてしまいました。
気になって「休み時間は何をしているの?」と聞くと「虫を探していた」とか
「登り斜面で遊んでいた」と言うのですが、いつも一人で遊んでいるようなのです。

遊んでもらえないのか?と聞くと、「入れてって言ったら『ダメ』って言われたから
一人で遊んだ」とか、「○○(自分)のこと、ヘンだって言う子もいるし」と…
変というのは、娘は休み時間になるとまず、お気に入りの木の所に行き、
木に挨拶?してから、もう一ヶ所のお気に入りの場所で、ちょっと座ってから
運動場に向かうことらしいのです。
「後から行かずに一緒に運動場に行けば、遊んでくれるんじゃないの?」と聞くと
「そうかもしれないけど…行きたいんだもん」と言うし。

どちらかというと娘はマイペースで、「入れてくれたら一緒に遊ぶけど
遊ばないと言われても一人で遊べばいいや」と思うと言うのです。
公園やキッズスペースのような所に行っても知らない子とも遊び始めるので
人見知りとか内気ということではないと思います。

先生は「みんなと協力して当番や係も頑張っていますよ」とのことでしたが
やはり気になります。

従妹は「みんなが行っているお稽古に行かせれば?」と言うのですが…
みなさんは、どう思われますか?

A 回答 (5件)

友達が居ない>嫌われてる?


という連想をしているかも知れませんが、そうとは限りません。

娘さんは、社交性は十分にあるようですが、
その上で、孤独が比較的平気である、そういう人種も居るのです。
マイペース、とはまた違うと思いますよ。

木に挨拶とか、というのは、今時珍しい感性をお持ちです。
我々には見えない「何か」が見えてるのかも知れません。

まずはその「感性」を信頼してみたらどうでしょうね。

例えば、その公園で一緒に遊んでいた「知らない子」とは
その感性を共有出来ているのかも知れません。

人間は、自分が理解できないモノを排斥したがりますが、
ある程度「突き抜けている」と、いじめの心配は逆になくなります。
自分より弱いかどうか判らなくなりますから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

本当にそうですね、たくさんの人といるから仲良しとも限らないんですよね。
物心ついてから、今まで一度も「姉妹がほしい」とか姉妹がいる子を羨むようなことも
ありませんでした。

お気に入りの木があって、お気に入りの場所がある…
それは自分が好きなものを知っているという事で、とても得なのかもしれません。
この子の中の自然を信じて、見守ってみます。

お礼日時:2010/06/15 01:04

ちなみに娘さんが「変わってるかどうか」について言えば変わってはいません。



木に挨拶をする、要するに「木が生きている」と捉えるような考えは
「アニミズム」と言います。
これは5歳ぐらいまでの子どもはみんな持ってる考えです。
幼児期は、何が生きていて何が死んでいるかの境界が曖昧です。

だから祖父母が亡くなっても「その死」を実感できなかったりして起こそうとしてみたりします。
そのせいで大人から怒られたり悲しみを誘ったりするのですが。
またイヌやネコやウマやウシに友達のように話しかけたり、一緒になって怒ったり悲しんだり
します。またこれがぬいぐるみだったりもします。
子どもは「ぬいぐるみは生きていない」と言う価値観自体を持っていないのです。
この「アニミズム」性は年齢と共に徐々に失われていきます。特に欧米ではキリスト教、イスラム教の
「一神教」の考えから「強制的に」失われていきます。

しかし日本ではまだまだそのような考えもあります。例えば「屋久島の縄文杉」とかですね。
「隣のトトロ」における森、アバターにおける森などもその一種ですね。
そういう意味ではアニミズムは大人にも生きづいてることになります。
ですから「この子は変な子じゃないか?」と言う心配はいらないです。

また、僕自身も割と自由な教育を受けましたが、日本の社会自体はあまり自由ではありません。
法的には明文化されてても、倫理とか公共の福祉と言う名目で、阻害されつつあります。
最近でも「イルカ漁映画の上映禁止問題」でもありましたが、要するに
「それがいい映画かどうかは別として好きに上映する権利」が守られていないわけです。
ボルテールの言う「あなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
と言う民主主義の根幹がきちんと存在していない。
多様性を認めていないから、変わった人がいると、よほど成功した人でないと認めないとなる。
残念なことですが、娘さんにとっては生きづらい国になりつつあります。

自由主義国家を謡ってても、事実、そうでない部分があるわけで、お子さんのような考え、思想の
子は潰される対象になりやすいです。
(子ども社会と言うのはおとな社会のコピーです)
ですから、もし世の中の「ふつう」と迎合しない生き方を選ばれるのであれば、
「何も悪いことしてないのに」と言う気持ちで生きていくよりも、「変えないんだ」と言うような
強い気持ちで望まれるべきかと思います。
娘さんの「ふつう」が通りにくい世の中である以上、強い気持ちで生きていかないと、
今後同様のトラブルの際に毎回悲しい気持ちにならざるを得ません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

そうですね。
ご指摘の通り社会が、ここに相談した時の私の気持ちそのものだと思います。
「ふつう」に迎合するも、しないも娘が決めることなので、先のことはわかりませんが、
彼女が、「自分のふつう」を貫く間は、私は「これでいい」と言い切る親でいようと思います。

お礼日時:2010/06/15 17:27

>変というのは、娘は休み時間になるとまず、お気に入りの木の所に行き、


木に挨拶?してから、もう一ヶ所のお気に入りの場所で、ちょっと座ってから
運動場に向かうことらしいのです。
「後から行かずに一緒に運動場に行けば、遊んでくれるんじゃないの?」と聞くと
「そうかもしれないけど…行きたいんだもん」と言うし。

確かに同級生からしたら、変に映ると思うし、子どもはそれを残酷なぐらいはっきりと示しますよね。
でも、僕はその娘さんの感性を大事にして欲しいと思います。
「みんなと同じこと」はできるようになるだろうし、それで社会性も身につく。
でも娘さんの感性と言うのは、僕は好きですよ。
それにその手の感性は、子どもから1度奪い取ってしまうと2度と得られないものです。

水木しげるさんも変わった子で小学校も中退し、その後も落第や中退を繰り返しました。
また戦争で腕を失い、若い頃は売れずに極貧でした。
それでも彼はその感性を変えなかったからこそ、いまあのような素晴らしいマンガが
描けているのではないでしょうか。

今「彼が芸術家だからそれが許されるんだ」と流すことは簡単ですけど、
彼が子どもの頃に有名な漫画家になるとは誰も思わなかったはずです。
同様に娘さんが将来、何になるかは分かりません。
そして娘さんには他のお子さんにはない「感性」があると思うし、
それを大切にして欲しいと思います。

幼稚園や少学校う低学年ぐらいなら、そういう感性は誰でも大なり小なりあると思う。
いつかは消えて無くなることが多いからこそ、大切にして欲しいですね。
お友達は出来た方がいいけど、友達を作るために大切な感性を殺すべきではないと思いますよ。
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この回答へのお礼

あたたかいご意見、ありがとうございました。

娘の通っていた幼稚園が、「一人ひとりの育ちを大切に」という方針だったので
多少、他と違っていても子供同士が、受け止めて、待つ環境だったので、
のんびりしているのでしょうね。

publicpenさんのご意見を読んでいて、そういう育ちを望んだはずなのに
いざ多数との違いを見せられて、うろたえている自分に気がつきました。
同級生が多少ヘンと感じても、集団の中での役割を果たす、他人を傷つけないことが
できている限り、口を出さずに娘を見守っていこうとあらためて心を定めることができました。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/06/15 00:48

小2娘一人っ子の母です。



わが子もまるっきり似たような感じです。
一人っ子なので、他人に同調するのが苦手。。というか、
同調する必要性を、まだ今は感じていないのかもしれませんね。


兄弟、姉妹のいる子たちは、
家族集団の中の位置付けとしての同じ立場同士で、
同調したり対立したりという関係性を日々経験していて
そうしたコミュニケーションの社会感覚には長けているのかもしれませんが、
一人っ子だと、いつでもどんなときでもマイペースで済んでしまうから、
同調性に欠けたり、ささいな対立でさえ避けたりするマイペースぶりが、
ある意味、超人的でヘンなのかもしれないなとか。。。
わが子については、そんなふうに考えることもあります


けれど、そのような社会性は、年齢が上がって、
これから段々と、活動の幅を広げていく中で、
必要に応じて学習していくのではないかなと、希望的推測をしているのですが・・
どうかしら・・?


それから、もっと単純な理由で、
小学2年生ともなると、得手不得手や趣味嗜好が出てくると思うので、
単純に、好きな遊びが違う、ということも考えられませんか?


たとえば、わが子の場合は、女の子なのですが、わりと外遊びが好きなので、
鉄棒、登り棒、うんてい、どかん山?、ドッヂボールなどが楽しいようなので、
そういう遊び場で一緒になる子がいれば、一緒に遊ぶし、いなければ一人であそぶようです。
一方、これまで仲よくしていた同じ幼稚園出身の女の子たちは、
インドア派(お絵かきしたりゲームしたり)のようなので、
休み時間は、別行動になっているようです。


>入れてって言ったら『ダメ』って言いわれた

こういうことを、最近の子供は言うみたいですよね。
わが娘のお友達にも、こういう言動のお子さんが結構いますよ。
親御さんの教育方針が違うのでしょうね。

こういう場合、自分の子供には、教育するしかないですよ。
自分は、入れてって言う子に『ダメ』と言わないようにしようね。
仲間外れをするのは、するほうがおかしいこと、恥ずかしいことだよね、と、教えるしかないですよ。

そして、こういう経験をしたときには、子供のいいところを沢山ほめてあげたほうがよいと思います。


まだ、小学2年生ですから、
いじめや、安全上の問題が起きない限りは、マイペースでもよいのではないでしょうか?
子供の個性を認めてあげてもいいように思います。
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この回答へのお礼

同じ立場からのご回答ありがとうございます。
「同調する必要性を、まだ今は感じていない」そんな感じです。

遊びの嗜好が違うというのも、とても納得です。
確かに娘はかけっこが苦手…それでも彼女なりに頑張っているようですが。

「入れて」「ダメ」にのやり取りはビックリするくらい多いです。
「仲間外れ」という感覚は親も子どもも全くなく、
親御さんは「今は○さんと遊びたくない気分。次の休み時間は普通に遊ぶ。
その程度の『ダメ』だから深刻に考える必要はないよ」と話していました。

娘は『ダメ』と言われたら「じゃまた今度ね」と言うらしいのですが
「『ダメ』じゃなくて『後でね』って言った方がいいのに」とも言っていました。

今のところ、協調性がなく迷惑をかけているという事ではないようなので
この子らしさということで、しばらく様子をみることにします。

お礼日時:2010/06/15 00:30

>「みんなが行っているお稽古に行かせれば?」



このあたりが無難な線だと思います。


>娘は休み時間になるとまず、お気に入りの木の所に行き、
>木に挨拶?してから、もう一ヶ所のお気に入りの場所で、
ちょっと座ってから運動場に向かうことらしいのです。

なんだかマイペースでいい感じですが。
こういう感性は大切にしてあげてもいいような気もします。
あまり気にやまないほうがいいかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
お稽古のことを話してみましたが、本人は全く興味を示しませんでした。
今度見学に行くことにしました。

この子らしさと捉えて、気にし過ぎないように様子をみたいと思います。

お礼日時:2010/06/14 23:59

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