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入学試験でカンニングが発覚せずに合格した人は幸福か不幸か?この問いに対してソクラテスならどう答えるか?また、なぜそう答えるか?

A 回答 (9件)

貴方なら、どう答え、また、なぜそう答えますか?


そうして、ソクラテスなら、貴方の答えに対し、どう考えるだろうか?を、貴方なりに考えて記してください。
そうすれば、暖かいヒントが書き込まれるかも知れません。
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「もっとも完全な不正は、不正をやった人ももっとも幸福にする」ですね。



そして

「他人の不正のせいで不合格になった人をもっとも惨めにする」
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どして あたしって誤字が多いんだろう・・・




失礼。

「不正をやった人 <を> もっとも幸福にする。」

と言ってますね。
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政治家ってのをファミリービジネスにしちゃって、親が政治家だったから政治家に成れた奴らが日本の上層部じゃゴロゴロしてるけど、それとカンニングとどこが違うんじゃいと答えるんじゃないかな。

5代目のマンガの麻生某とか4代目のイケメンの小泉某とか、何代目だか一々覚えていないが、渡辺某、小沢某、谷垣某、石原某、河野某、田中某、小渕某、中曽根某等々々数え挙げたら切りなくらいのカンニング連中は皆幸福そうに見えるがな。まあ、こないだ自殺した中川某はカンニングで政治家になっちゃって不幸になった例もあるけど、そんなの例外じゃね。最近の歴代総理大臣んでそんなカンニングやらずに総理大臣に成れた奴なんて居ないんじゃないの。安倍某も福田某も鳩山某も一見不運だったみたいな顔してるけど、あんたよりもよっぽど幸福なんじゃないかね。
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学試験でカンニングが発覚せずに合格した人は幸福か不幸か?



この問いに対してソクラテスならどう答えるか?

回答:幸福とも不幸とも言えない。

また、なぜそう答えるか?

回答:受験は人生の過程の一部でしかないので、その後の結果を見ないと判断できない。


例、欠員、補欠で入って卒業しても立派になった人もいるからね。アインシュタインは物理と数学以外は最悪、よく大学に入れたと思う。日本じゃカンニングしないと合格は無理だろう。でも物理の世界では神だからね。
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No.1です


冷たくあしらわれないようにするためにも、少なくとも
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF% …
に記述してある内容を良く理解してから、回答を考えましょう。
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何度もすいません。



不正をしてそれが発覚したら、入学取り消しという損を代償に受けますよね。

ところが、誰からも気づかれず不正が発覚しなければ、その人は合格のままで、不正で手に入れた得を喪失しないわけです。
損しないわけですから幸福ですよね。


そういう不正を犯して入学した人でも、不正が発覚した人を非難する。
おかしいじゃないか、不正を非難するってことは、不正は悪だという価値観があるから、非難するのではないかと思うかもしれない。

違う。
自分が他人の不正によって損をし不幸になりたくないから非難するわけです。

そうソクラテスは考えたんです。
というかプラトンがソクラテスについてそう考えたと書いた。


キリスト教もそうです。
ちょっと掠め取るじゃなくて、根こそぎ掠め取った。
かすめとった聖職者は泥棒とは呼ばれず、祝福された人と呼ばれた。
不正がバレていないから。

自分は得をしたし、他人からは祝福された人だと賞賛されるこのどこが不幸でしょうか?

ってことをソクラテスは考えた。


不正をする人ばかりの中で、正直者は不正をしなければ、他の人が不正により利益を得ているわけで、不正をしなかった人はずっと不正をした強者の下になるわけです。
お人よしなので、不正を働いた人のために奉仕し続け、自らに利益をもたらし自らを幸福にするということは決して無い。


このような考えがソクラテスにはあったので、茶番裁判という不正によって死刑判決が出て、脱獄が容易だったにも関わらず、完全な不正をなしとげた幸福な人は、不正をしなかった人を不幸にするという法則からいけば、完全な不正者によって自分が殺されるってことは当然だと考えたわけです。
脱獄するってことは法則に合わない。
自らをちょっとは掠め取って利益を得る泥棒にしたくなかった。

完全な不正者 VS 完璧な正しい人。
完璧な正し人は完全な不正者によって殺される。

という法則があるとソクラテスは考えた。

この思想が何百年後かに同じギリシャの地で、イエスの磔刑話として創作されることになったのだと思う。


ただ、確か本人は本を書いていないので、弟子たちがそう受け止めたってことですね。
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No.1 & 6です



質問者様、No.1と6の私の忠告をどのように受け止められましたでしょうか?

さらに、逆に質問形式でヒントを記しておきます。

「幸福・不幸」という価値判断(価値観)の基準について、自身が生きている間の「現世」のみを想定するのか、(死後の魂の有無にかかわらず)自身の「死後」に残された世界をも含めて想定するのでしょうか?

その切り分けによって答えは(少なくとも)二分することでしょう。
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No.5からの追伸



ソクラテスなどの多くの大哲学者は自身に厳しいだけなのですよ。厳しさを他に望んでいるわけではないのです。道理としては一過性の事象では判断できないことは自明なのですよ。
もう少し下ったレベルでは自身にも他人にも厳しい人もおりますが、それはまだまだ大が付かない段階なのですね。というか巷のレベルではそのようなのですね。
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