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伊勢物語の東下りの中の男(在原業平)が都(京都)を離れた理由は何ですか?

A 回答 (3件)

一般に『伊勢物語』の東下りと言うと、第9段の「むかし、をとこ、ありけり。

そのをとこ、身をえうなき物に思ひなして、京にはあらじ。あづまの方に」以下をさしますが、第7段の「むかし、をとこ、ありけり。京にありわびて、あづまにいきけるに」、第8段の「むかし、をとこ、有りけり。京やすみうかりけん、あづまの方にゆきて、」以下も東下りを構成しています。
7,8,9段は、その前の3,4,5,6段の後の二条の后(藤原高子とされる)と昔男の恋に関する段に連続する構成となっています。「ほかにかくれにけり。」、「そのかよひぢに、夜ごとに、人をすゑて、まもらせければ、いけども、えあはで、かへりけり、」、「おに、はやひとくちにくひてけり。」、「御せうと―略―とどめてとりかへしたまうてけり。」にしろ、昔男は後の二条の后を取り返され、行くことを妨げられ、よそに移されてしまったことにより、恋に破れたわけです。
恋に破れた事と東下りとは直接に関連を示してはいませんが、段の構成から東下りは恋に破れたことが原因となっていると想像されるわけです。

第9段の文章から読み解くと、「身をえうなき物に思ひなして―自分のことを世の中に必要のない物と思い込んだ」事が都を離れた理由とも考えられます。この場合もそのように思い込んだ原因は恋に破れた事と想像されるわけです。

恋に破れた⇒自分のことを世の中に必要のない物と思い込んだ⇒東下りと言う関係が成り立つと思います。

以上、参考まで。
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在原業平について



「父は平城天皇第一皇子の阿保親王、母伊都内親王は桓武天皇の皇女で、
業平は父方をたどれば平城天皇の孫・桓武天皇の曾孫であり、
母方をたどれば桓武天皇の孫にあたる。血筋からすれば天皇家の嫡流
ともいえるが、薬子の変により皇統が嵯峨天皇の子孫へ移っていたこと
もあり臣籍降下して兄行平らとともに在原氏を名乗る。」

「業平は『日本三代実録』に「体貌閑麗、放縦不拘」と記され、
美男の代名詞のようにいわれる。早くから『伊勢物語』の主人公の、
いわゆる「昔男」と同一視されている。ちなみに『伊勢物語』では、
清和天皇女御でのち皇太后となった二条后(藤原高子)や、
惟喬親王の妹である伊勢斎宮恬子内親王などとの禁忌の恋が語られている。
なお、恬子内親王との間には密通によって高階茂範の養子・師尚が
生まれたという説があり、以後高階氏は業平の子孫ではないかと噂された。」

つまり、美男で出自のいいのをいいことに
あちらこちらで手をつけてはいけない女性に
手をつけたために、京(みやこ)にいるに
いられなくなった。ということです。

簡単にいうと「ぼくちゃんオイタが過ぎたのよ」なのです。

http://www.weblio.jp/content/%E5%9C%A8%E5%8E%9F% …
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下記サイトの「伊勢物語-東下り」の口語訳を参照下さい。

冒頭にいわく、
「昔、男がいた。その男は、我が身を無用のものと思い込んで、もう京にはおるまい、東の方に住むのに良い国を探しに行った。以前から友としている人、一人二人と一緒に行った。・・・・」
http://homepage3.nifty.com/jonan/adumakudari.html
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