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善・善という人がいて困っています。

他人をたしなめようとなさる方が、よく
 意思は良いものであるというような論旨で物事をかたっているかと思います。

「意思は、善である」と断言するのは問題ではないでしょうか?というのも「アレコレイズム」が、全て善となってしまうからです。「意思は善である」と述べたとき、その根拠は何処にあるのでしょうか?わかる方お願いいたします。

A 回答 (21件中21~21件)

「善悪」は方便(立場により、時代により異なる相対的なもの)


であり、根拠は“実用性=そうすれば社会がうまく行くから”と
いうだけに過ぎません(「過ぎません」と言っても重要ですが)。
1つの物体や行為が、絶対的に善(ないし悪)に属することはなく、
可変的なものです。

物体に本質的な目的(価値性)はありませんが、それゆえエントロピー
増大=淘汰として、常に生物の目的を「生きること」に収斂させます。
それは、個人の意識において、「意志の達成=充足の追及」となります。
つまり「人生を通算した精神的充足量の最大化」のみが、本質的目的です。

それは肉体に付属した感覚器官に基づくものゆえ、短絡的・即物的に
なりがちですが、3つの点で、そうではありません;

1.「人生を通算した充足量」を構成する関数は、欲求の強さや達成率
だけでなく、それを感受する上で「認識の深さ」が大きな要因であり、
麻薬的な感覚的快感とは反対の方向性を持つ。
(意味的深さ)

2.「人生を通算した充足量」を目指す上においても、「認識の深さ」
によって人生全体を見通し、短絡的衝動をコントロールする必要がある。
(時間的長さ)

3.分業化や組織化において人が社会性をもつにつれ、自己の生存の
成立に、社会全体の活動が必須となり、真に「利己的」であるには、
社会全体の自己の肉体と同等の自覚化(他我化=愛)が必要となる。
(空間的広がり)

こうした「自己の肉体の外における『人生を通算した充足量の最大化』
の要因=社会行動」を自覚的に行なわずに、政治(法規)や経済(お金)、
宗教(善悪)、慣習(正義)など、他律的に行なう時、そこに先入的価値
が生じるのです。
社会性の発達において他律的方法論をとったという事は、自発的な意思
によって生きていない=「精神的充足量の最大化」という真の目的に
おいて、人類は退化しているという事です。

いわば善悪の既成概念そのものが、「自律的生=社会生命的自覚化」を
省略して自己チューなまま安易に社会化する社会システムのための、
必要悪です。

この回答への補足

回答をもう少しまとめていただけると幸いです。支離滅裂とまでは行きませんが、回答になっていないようです。わかる方ということで伺いました。
回答者様も含め、
意思は、善である(たとえば必要悪)ということをおっしゃる方に関し、
その根拠を伺っているのですが?個人的な回答として、根拠はないということでしょうか?
出来れば簡潔にお願いいたします。

補足日時:2010/11/08 21:26
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この回答へのお礼

貴重な回答をありがとうございました。

具体的に
わからないことが多いので、愚かな私にいい含むませるというい意味で
もうひとこと・ふたこと
誠に恐縮ですが
お願いできますでしょうか。できれば補足回答をお願いいたします。わからずやですみません。
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>「1つの物体や行為が、絶対的に善(ないし悪)に属することはなく、
>可変的なものです。」

もし質問者様が時代の先端を走っていらっしゃるという幻想をお持ちであるとすれば、
質問者様が「時代に沿って」全てを決めることが出来る
ということと解釈いたしました。間違っているようならご訂正くダサい。

>物体に本質的な目的(価値性)はありませんが、それゆえエントロピー
>増大=淘汰として、常に生物の目的を「生きること」に収斂させます。

>それは、個人の意識において、「意志の達成=充足の追及」となります。
>つまり「人生を通算した精神的充足量の最大化」のみが、本質的目的です。

意思の達成=充足の追及というのは、
「社会に沿っている『わたし』のやりたいようにやらせろ」ということであり、善とは相容れないのではないでしょうか?
ご存知の範囲でよろしいかと思います。回答をお願いいたします。

以下重ねて
>物について・・・ 即物的ではない素晴らしい主張ということですが


?1.「人生を通算した充足量」を構成する関数は、--->(意味的深さ)

精神的充足・意味および認識の深さは関数では表せません。関数で表せないもののインバース・もしくは反対は存在しません。
「上記のそれとは違うもの=何か」という発言しか出来ないのではないでしょうか?
それがなにかということについて具体的にご説明願えますでしょうか?

?2.「人生を通算した充足量」--->(時間的長さ)

時間は存在しません。(※注 この主張は私の意見ではございません。)
よって時間の長さについてここで書くのは規定違反です。

?3.分業化や組織化において---社会全体の自覚化(他我化=愛)が必要となる。
>(空間的広がり)
必要論の繰り返しです。質問者である貴方が何かを必要となさっているというのはわかりますが根拠がありません。
それ(他我化)が必要であるであるという主張の根拠をお示しください。

1-3に共通するのは時系列抜きでは測定不能という事象であって、論の根拠とは別の(異質の)問題です。

質問者様の説明では、
『私(質問者様)』=特定個人(私はそう思う・私が社会の中の最善の部分である)と言う共通項以外に善の根拠が見当たりません。
回答者様である貴方は、本当に自分が善であると思っているのでしょうか?

最後の文章=人類は退化しているという事です。
自発は進化、他律は退化と単純化して表現なさっておられるようです。しかし、自分から出発していれば善というのは理解できません・・・
この点が、あたくし個人が、「質問にまで至った原因」といってよいと思います。

>いわば善悪の既成概念そのものが、必要悪です。
質問者様が善悪をのべるのは、そのときそのとき(回答者様にとって存在しない『時』および)状況にあわせてやっているということと理解しました。
そういうのを偽善と呼ぶのではないでしょうか?

会社では他律の愚か者たちに合わせて活動しているが、私は、ほんとうは(ネット上では)自発の善人であるということと
どうちがうのでしょうか・・・

よろしければ説明をお願いいたします。

お礼日時:2010/11/09 05:13

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