去る12月21日大阪高裁における靖国合祀拒否裁判は、一審に続き原告敗訴となった。
1988年の最高裁判例から予想されてはいたが。この時最高裁は、宗教法人の靖国が
遺族の意志に反して故人を祀るのも、靖国側の信教の自由とした。遺族の精神的苦痛は
保護すべき法的利益にあらずとも。宗教がどうも好きになれない私には、最高裁が大勢に
おもねって屁理屈を言っているとしか思えません。外国の戦没者追悼施設というサイトで
みると記載されている16カ国全て宗教性の無い施設です。日本の国立追悼施設は多分
出来そうもないので、最高裁判例が今後も厳然と立ちはだかります。困ったもんだ。
皆さんはどう思います?
A 回答 (10件)
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No.10
- 回答日時:
NO9です。
回答へのお礼ありがとうございます。この事案は、原告と神社側の私法上の関係としてとらえるべきであると考えます。そして、私人間の紛争は基本的に民法の規定によって解決が図られるべきものであり、その過程において憲法の趣旨を考慮することになります。つまり、私人間の紛争においては反対利益も十分に考慮しなければならず、憲法の趣旨を考慮するうえで一定の相対化がなされるのはやむを得ないと言えます。この等価的利益考量の手法は、相手側が個人であろうと組織であろうと変わりはありません。
そのことを前提として考察しますと、相手方の信教の自由と自己の宗教的静穏を天秤にかけることになります。原告の主張を認めますと、相手方の宗教的行為が著しく制約され、相手方の信教の自由が直接に侵害されることは明らかです。一方、原告側にとっては、NO9で述べていますように、単に感情的不快感を及ぼすものにすぎず、それ以上のもの、つまり、信教の自由あるいは思想・良心の自由(人生観・世界観)が侵害されたと断定することはできません。なぜなら、故人を追悼する自己の手段はもちろんとして、その基礎となる自己の人生観・世界観がなんら否定されたわけではないからです。
そうしますと、相手側の利益に優越的価値観を見いだすべき事案であると考えますが、いかがでしょうか。
更なるご回答有難うございます。
お言葉ですが、戦前の国家神道の体質を今の靖国神社は
そのまま引きずっています。合祀は国や自衛隊関係者が
当事者の一部分と言えるほど積極的に介在しています。
それが無ければ靖国(護国)神社だけでは出来なかった
事もあり、私人間の争いに矮小化すべきでない。憲法の
基本的人権をどう見るかだと考えます。
又、原告が靖国(護国)神社の合祀全体を止めろと言って
いるのならば、あなたの仰るように宗教的行為を著しく制約
すると言えますが、極めて少数の遺族の希望を入れ合祀を
控える事に著しくは大げさでしょう。
No.9
- 回答日時:
NO8です。
回答へのお礼ありがとうございます。「信仰の自由」とは、「宗教を信仰し、または信仰しないこと、信仰する宗教を選択し、または変更することについて、個人が任意に決定する自由」と定義されています。第三者が故人に対して宗教的行為をしたとしても、遺族の信仰の自由はなんら侵害されてはいません。遺族がその宗教を信仰することを直接・間接に強制されたり、圧力が加えられたわけではないからです。また、遺族が奉じている宗教を棄教するよう迫られたわけでもないからです。この理屈は、その第三者が身内であろうと故人の知り合いであろうと全くの他人であろうと変わりはありません。
確かに最高裁判決が述べていますように、遺族が不快な感情を持つということも十分にありえます。しかし、「信仰の自由」の定義からして、直ちに遺族の信仰の自由を侵害したと認定するのは困難であると思われます。要するに、遺族を不快にさせたからといって、その行為が直ちに法的に違法であるとは評価されないということです。
再度のご回答有難うございます。
>遺族を不快にさせたからといって、その行為が直ちに
>法的に違法であるとは評価されないということです。
遺族を不快にさせてまで、靖国(護国)神社は何故合祀
にこだわる?、
山口県自衛官合祀拒否訴訟では、県隊友会は合祀申請
取り下げ申請を3回もした。一審、二審共原告勝訴。最高裁
判決は「違法でない」事になりましたが、反対の裁判官も
いました。憲法19条、20条に合祀拒否を想定してまで詳しく
記載されていませんから、最高裁の多数派が憲法解釈を
恣意的にしたと思えるのです。
No.8
- 回答日時:
私も妥当な判決であると考えます。
社会的にも広く受け入れられる結論であると思われます。この事案は、いわゆる遺族の精神的静穏と相手方の信教の自由が対立する場面です。
精神的な静穏というのは極めて主観的であり、それを判断する確かな基準が存在しないこと、相手方の信教によって自己に何らかの強制や不利益が付与されていないことを考えますと、相手方の信教の自由に優越的価値観を見いだすべきであると考えます。
他宗教に属している身内の者が、同じく身内の故人に対する何らかの宗教的行為・儀式を行うことによって、自己の精神的静穏が害されたという主張が、法的には排斥されるのと同じです。むしろ、他者の信仰に対する寛容さが求められます。
ご回答有難うございます。
>社会的にも広く受け入れられる結論であると思われます。
そうなんですよね。それが判っているから、困ったなんです。
多数派なら、放っておいてもいずれその方向になると安心
していられる。
>相手方の信教によって自己に何らかの強制や不利益が
>付与されていないことを考えますと、相手方の信教の自由に
>優越的価値観を見いだすべきであると考えます。
>自己の精神的静穏が害されたという主張が、法的には排斥
>されるのと同じです。むしろ、他者の信仰に対する寛容さが
>求められます。
原告と靖国側の双方の信教の自由をどう扱うかでしょう。
1988年の最高裁は「原告が自己の信仰生活の静謐を他者の
宗教上の行為によって害されたとし、その事に不快の感情を
持ち、そのような事が無いよう望む事のあるのは、その心情
として当然である」と一応は言っているんです。それなのに
原告に対してだけ寛容を要求するのはおかしい。
No.7
- 回答日時:
>それがダメなら交通事故現場で勝手に花束を置いて祈ることも
>許されないことになりますよ。
>それは殆どの場合各個人の一回きりの行為です。遺族は精神的苦痛
>を感じることはまず無いと思います。
回数の問題じゃないでしょう。
遺族が来てるときにその目の前でやったらどうですか?
>社会通年上から見て倫理的に問題のある行為でない限りは
>遺族の精神的苦痛よりも信教の自由を優先させるのが当然です。
>故人の信教が不明の場合、遺族の意志(又は信教の自由)より
>一宗教法人の意志(又は信教の自由)を優先させる事がどうにも
>納得しがたいのです。
どこに納得がいかないのかがわからないです。
「人が死亡したということについて祈りを捧げること」
これが認められないのなら思想の対立はすべて許されないと言ってるのと同じですよ。
遺族側は「宗教的な理由で○○をされたくない」と言っているに過ぎないんですから。
それが認められたらその○○が何であっても認めなきゃいけなくなりますよ?
だからその○○が倫理的に問題のある行為でない限りは認めるのが当たり前なんです。
>極端な話で言えば、仏教のお寺で「世界中すべての人が幸せ
>になりますように」とお祈りしてそれに対してキリスト教やイスラム
>教の人が「勝手に自分の分までお祈りされて精神的苦痛を受け
>た」と言ってるようなものです。
>極端すぎでしょう。それで精神的苦痛を受けたと思う人は実質的に
>いないでしょうから。
なぜいないと言えるんですか?
結果論だけで話してるんじゃ話になりませんよ。
定義が「精神」である以上、どんな可能性だってあります。
他宗教に嫌悪感を持つイスラム原理主義者なら普通にあり得る話ですし。
再度のご回答有難うございます。
>どこに納得がいかないのかがわからないです。
山口県自衛官合祀拒否訴訟では、最高裁は「護国神社の
信教の自由」が「遺族の信教の自由」を侵害しているか否か
を不問放置する一方で、「遺族の信教の自由」の(救済は)
「護国神社の信教の自由」を妨げる結果を必然化すると、
断定しています。アンフェアですよ。
>遺族側は「宗教的な理由で○○をされたくない」と言って
>いるに過ぎないんですから。それが認められたらその○○
>が何であっても認めなきゃいけなくなりますよ?
>だからその○○が倫理的に問題のある行為でない限りは
>認めるのが当たり前なんです。
遺族は合祀拒否であり、交通事故現場での他者の祈りとは
次元の異なる話です。その合祀が遺族に精神的苦痛を与え
ているのですから倫理的に問題のある行為ですよ。
No.6
- 回答日時:
#3です。
>遺族の信教と、死んだ人の信教は異なるはずです。
どうして?故人の信教が不明の場合や、故人と遺族の
信教が一致の場合も当然あり得るのに。
↑
同じ名前の宗教をやっていても、信教というのは
一身専属的ではないでしょうか。
その人の人格そのものを構成しているんですから
他人が代替できる性質のものではないと想います。
>人は死んだら、ただの物質でしょう。
>それを祀るということは、もうそれだけで宗教性を
>帯びていますよ。
言わんとされる意図が判りません
↑
人は死んだから只の物質でしょう。
だからといって、生ゴミと同じ扱いができますか。
人間から宗教を切り離すことは無理ではないでしょうか。
>自然を尊び、先祖を想い、伝統に則り正月にお餅を食べれば、
>それでもう立派な信者なんです。
どういう名の宗教の信者でしょう。
↑
神道です。
>文部科学省の調査では、日本人の1億1000万人が神道の
>信者とされています。
信者とは人がその宗教の信者としての自覚があってこそ「信者」
だと言いたい。
↑
それは貴方がキリスト教のような宗教観に汚染されて
いるからです。
神道てのはそういう宗教なんです。
そういう宗教もあるんですね。
神道は民族の宗教感情ともいうべきものです。
一神教のキリスト教とは異なります。
再度のご回答有難うございます。
「自然を尊び、先祖を想い、伝統に則り正月にお餅を食べれば、
それでもう立派な神道信者なんです。」
「それは貴方がキリスト教のような宗教観に汚染されて
いるからです。」
私は無神論者ではありませんが、宗教は願い下げです。
宗教の信者は外の目で内を眺めるのが苦手なようですね。
No.5
- 回答日時:
>「へんな平和主義」とバッサリ片づけるのですか。
逆に、「変な」と云うより「異常な」平和主義、と言い換えたいくらいです。
こういう訴訟が、戦後何十年もたってから起こされること自体、異常だと思わないのが不思議です。
丁度、中国・韓国の反日教育が、戦後数十年を経て、過激さを増しているのと軌を一にしていると思えてなりません。
何かにつけ「天皇陛下」を持ち出していた下士官が、戦後「民主主義」「平和主義」を錦の御旗にした、そんな感じです。
日本の戦後は、アメリカによる日本に自己否定を強いる政策が原点ですが、その成果が現れたということでしょうか。
真面目な日本人はそれに盲従し、真面目じゃない方々はそれを活用した、その結果ですね。
再度のご回答有難うございます。
諸外国のように、公式に宗教色の無い国立追悼施設があり、
遺族ののぞむ墓地に葬るのなら、何も問題は無いのです。
日本だけが、一宗教法人により単なる追悼だけでなく、遺族に
よっては精神的苦痛と言う合祀をあえて行う。
一時、国立追悼施設を作ろうと少なくとも50人の国会議員が
会を立ち上げました。去年の民主党マニフェストには施設建設
がありました。彼らも異常な平和主義者と決めつけますか。
No.4
- 回答日時:
回答者の回答の中に『世界中の国々の中で、複数のの宗教が混在している国なんて、日本だけです。
』 と有りますが、世界中に複数の宗教が混在する国なら幾らでもあります。幾らでもあります。ドコまでご存知なのか疑わしい。靖国神社の件ですが、それほどの問題でしょうか、それほどと言う以前に問題があります。。
宗教を明確にして合祀反対者は、それほど宗教その他に潔癖な生活を送っておられるのでしょうか?
一部を取り上げて憲法だの、権利だのと騒ぐのは暇な人か、問題提起マニアでしょう。
完璧を求めると、自らも完璧を求められる。
ご回答有難うございます。
津地鎮祭の「政教分離」の件で一審は「違反せず」、
二審は「違法せず」、1977年の大法廷判決は違反せず。
この時5人の裁判官がが反対意見でした。その中の一人
藤林裁判長の意見の一部分を挙げさせてもらいます。
「たとえ、少数者の潔癖感に基ずく意見と見られるものが
あっても、かれらの宗教や良心の自由に対する侵犯は
多数決をもってしても許されないのである。そこには、
民主主義を維持する上に不可欠というべき最終的、
最小限度守らなければならない精神的自由の人権が
存在するからである。」
No.3
- 回答日時:
靖国神社は、私的な宗教法人に過ぎませんからね。
靖国が何をやっても、政教分離に抵触することは
ないでしょう。
そうなると、残る問題は、遺族の宗教感情と
靖国の信教の自由の問題、ということになります。
そして、
信教の自由は、その人だけのものなんですから
例え遺族でも関与するのはどうかと想います。
遺族の信教と、死んだ人の信教は
異なるはずです。
死んだひとが明白に、靖国に祀られることを拒絶して
いたのに、強引にやった、というのならともかく、
遺族、というだけで文句いうのはおかしくないですか。
そもそも宗教性が無い戦没云々てが矛盾しています。
人は死んだら、ただの物質でしょう。
それを祀るということは、もうそれだけで
宗教性を帯びていますよ。
ちなみに、日本の神道というのは本来、体系も教典、教義も
ない、日本人の宗教感情ともいうべき素朴な宗教です。
入信の儀式も、信者であるとの自覚も不要という
まことに宗教らしからぬ宗教です。
自然を尊び、先祖を想い、伝統に則り正月に
お餅を食べれば、それでもう立派な信者なんです。
文部科学省の調査では、日本人の1億1000万人が
神道の信者とされています。
ご回答有難うございます。随分断定的に言われますね。
>遺族の信教と、死んだ人の信教は異なるはずです。
どうして?故人の信教が不明の場合や、故人と遺族の
信教が一致の場合も当然あり得るのに。
>人は死んだら、ただの物質でしょう。
>それを祀るということは、もうそれだけで宗教性を
>帯びていますよ。
言わんとされる意図が判りません
>自然を尊び、先祖を想い、伝統に則り正月にお餅を食べれば、
>それでもう立派な信者なんです。
どういう名の宗教の信者でしょう。
>文部科学省の調査では、日本人の1億1000万人が神道の
>信者とされています。
信者とは人がその宗教の信者としての自覚があってこそ「信者」
だと言いたい。
No.2
- 回答日時:
「外国の戦没者追悼施設」って検索をかけたら、官邸ホームページの資料が出てきました。
これを確認すると、「宗教性は無い」と言うことにはなっておりますが、実際は
宗教性について(アーリントン墓地の例)
政教分離の観点から無宗教施設と説明されることがあるものの、正確にはあらゆる宗教・宗派、宗旨による埋葬を許容しており、特定の宗教形式を押し付けず、信仰の自由を保障することで宗教性を排している。事実、専属契約する聖職者の大半はプロテスタント系であるものの、カトリックの司祭やユダヤ教のラビなどとも提携関係、また埋葬者の希望に応じてあらゆる宗教形式が選択できる。
ちなみに、アーリントン国立墓地に建てられた墓石には、故人の信仰を表す宗教的シンボルマーク(Authorized emblems)が刻まれている。公式Webサイトによれば、施設公認のシンボルマークは41個存在しており、その中には仏教やイスラムの他にも、日本の新興宗教である天理教、金光教、創価学会、更には無神論者を示すものまである(ウィキペディアより引用)
とあり、日本のような幼稚な政教分離の結果、というより個人の宗教の自由を尊重したものといえるでしょう。
他の国も、宗教性があっても、一律「宗教性無し」と断じているだけで、実際にはプロテスタント、カトリック等の関与があります。
はっきり言って、靖国合祀拒否裁判は、靖国神社を軍国主義の象徴として捉え、それを平和運動の一環として行っているだけのものとしか理解できません。
日本人は、年の初めに神社・仏閣に初詣に行き、結婚式は神式若しくは洋式で行い、クリスマスを祝う。
世界中の国々の中で、複数のの宗教が混在している国なんて、日本だけです。
田舎に行けば、お寺の墓場の中に、キリスト教式の納骨堂が建ててあったりします。
靖国神社自体は、西南戦争で犠牲となった官軍兵士を慰霊する施設として設立されています。
その設立の趣旨から言えば、戦死者の霊を祭るのは、極当然のことです。
古い神社・仏閣等には、由緒正しい、戦前からあるところならば、出征兵士を讃え、戦死者を祭る石碑や書付等が残っています。
へんな平和主義こそ、否定されるべきと思います。
日本の千鳥ヶ淵墓苑なんて、引き取り手の無い、あるいは身元不明な遺骨の保管施設でしかありません。
主体的な自己の確立すら教えない日本の教育制度の下での、あるいはそれを容認する現代日本において、国立追悼施設なんて、必要無いと断言できます。
ご回答有難うございます。少々気になる個所があります。
16カ国の中のインドネシアもご指摘のアーリントン同様、
埋葬者の希望に応じていろんな宗教形式が選択できます。
従って遺族にとって問題とすべき宗教性はありませんから、
「宗教性は無い」と言っていいでしょう。
>その設立の趣旨から言えば、戦死者の霊を祭るのは、極当然
>のことです。
>はっきり言って、靖国合祀拒否裁判は、靖国神社を軍国主義
>の象徴として捉え、それを平和運動の一環として行っている
>だけのものとしか理解できません。
>へんな平和主義こそ、否定されるべきと思います。
昨日、沖縄戦遺族らの靖国合祀取り消し訴訟が沖縄地裁で
却下されました。理由は1988年最高裁判例を踏襲したものです。
原告の親やきょうだい計10人中5人は軍人又は軍属で当時1歳
男児を含む5人は一般住民だった。原告側は、沖縄住民は
旧日本軍により避難壕から追い出されたり、集団自決を強制
されたりした被害者だとし、「合祀により戦争被害者を加害者で
ある日本軍に取り込むことは死者に対する冒涜。無断合祀により
原告らの人格に深刻な侵害が加えられている」との主張です。
この心情を、「へんな平和主義」とバッサリ片づけるのですか。
No.1
- 回答日時:
判例は妥当でしょう。
>遺族の精神的苦痛は保護すべき法的利益にあらずとも。
それがダメなら交通事故現場で勝手に花束を置いて祈ることも許されないことになりますよ。
社会通年上から見て倫理的に問題のある行為でない限りは
遺族の精神的苦痛よりも信教の自由を優先させるのが当然です。
極端な話で言えば、仏教のお寺で「世界中すべての人が幸せになりますように」とお祈りして
それに対してキリスト教やイスラム教の人が「勝手に自分の分までお祈りされて精神的苦痛を受けた」と言ってるようなものです。
>外国の戦没者追悼施設というサイトでみると記載されている16カ国全て宗教性の無い施設です。
追悼施設なら宗教性は無いですよ。
追悼というのはその人の生前を考えたり死後を悲しんだりすることですから。
しかし神社合祀にしたら誰がどう考えても宗教性があるでしょう。
だから神社とは別の追悼施設を作るのが当然であって、
神社合祀に国が協力するのなら政教分離の原則に反するのは当たり前すぎる話です。
ご回答有難うございます。ストンと落ちない個所を挙げさせてください。
>それがダメなら交通事故現場で勝手に花束を置いて祈ることも
>許されないことになりますよ。
それは殆どの場合各個人の一回きりの行為です。遺族は精神的苦痛
を感じることはまず無いと思います。
>社会通年上から見て倫理的に問題のある行為でない限りは
>遺族の精神的苦痛よりも信教の自由を優先させるのが当然です。
故人の信教が不明の場合、遺族の意志(又は信教の自由)より
一宗教法人の意志(又は信教の自由)を優先させる事がどうにも
納得しがたいのです。
>極端な話で言えば、仏教のお寺で「世界中すべての人が幸せ
>になりますように」とお祈りしてそれに対してキリスト教やイスラム
>教の人が「勝手に自分の分までお祈りされて精神的苦痛を受け
>た」と言ってるようなものです。
極端すぎでしょう。それで精神的苦痛を受けたと思う人は実質的に
いないでしょうから。
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