なぜ輪廻転生が必要なのでしょうか?

私は輪廻転生という考え方が怖いです。(すみません……)
小学1年生で六道についての本を読み、子供ながら怖くなった覚えがあります。なぜ輪廻転生する必要があるのか、と考えています。丁寧に教えていただけると非常に嬉しいです。

A 回答 (59件中1~10件)

私が質問者さんにできることは真理を伝える者として人生の真理と使命をお伝えする事位ですが、今からお伝えする事は質問者さんの今後の人生に大変重要な内容ですので、お心に留めて頂いて今後の充実した人生計画を立てて頂ければ幸いです。




転生輪廻をする意味を知り、人生に喜びを見出すには、「神が何故宇宙や人間を創ったか?」「人生の目的と使命」を知る必要があります。



何故、神が宇宙や人間を創ったか?

神は自己実現の一環として芸術を創るような気持ちで宇宙や星々や人間を創りました。

そして、その宇宙を文明実験場として、人間の魂にこの世とあの世を何度も生まれ変わり、無限の向上を目指す中でユートピアを創る使命と自由を与えました。

何故、そのような事をする必要があったか?というと神は全知全能と言われるように完全無欠の存在ですから、そのままでは何の進歩も発展もない訳です

しかし、あえて宇宙や人間を創り、無限の向上を目指させてユートピアを創る使命を与えて努力させる事によって自らの喜びとしようとしたのです。


人生の目的と使命



私は、死後の世界を実感として120%確信しているものとして、まずお伝えしたい事は死んで「無」にはならないという事です。




死後の世界は120%存在します。

質問者さんも死んだら魂として、あの世に帰り生き続けます。

そして、あの世で数百年過ごした後に、またこの世に生まれ変わって来ます。

人間の魂は、神仏に神仏の光から分光されて、神仏の光の分け御霊、神仏の光の子として創られて以来永遠の生命を与えられこの世とあの世を何度も生まれ変わり無限の向上を目指すとともに、この世の中を愛と優しさに満ちたユートピアする使命を与えられた存在です。


ちなみに、あの世の世界には街や学校、お店があり、天使の世界はダイヤやサファイヤなどの宝石がちりばめられていて光輝くきらびやかな世界となっています。


ですから、なぜ質問者さんは今生きているかというと自らの愛の器を大きくし、魂を神仏に近づかせていく中でこの世の中を美しいユートピアにする使命を果たすために生きているわけです。

そして、質問者さん魂は死んであの世に帰ると照魔の鏡といって、映画館に行き質問者さんがこの世に生きている間に生まれてから死ぬまでに心の中で思った事と、行った事が全て上映されて、いかに神仏の子として、美しい心で他の人に優しくして生きたか?どれだこの世の中神仏の理想であるユートピアを実現する事に貢献したか?により質問者さんがあの世のどのような世界に行くかが決まります。

なので、ユートピア実現に貢献した人ほど死後天国の光輝く世界に帰れるといえます。


では、ユートピア実現に貢献する生き方とは何かと言いますと現在、上記の価値観を知らずに無軌道な人生を送ってしまい死後地獄に落ちてしまう人がたくさんいらっしゃいますが、神仏の目から見て、死後地獄に落ちてしまいそうな生き方をしている人に対して、死後の世界の真実を伝えて天国に帰れる生き方に導いてあげる事は最も尊い事と言われていますので日々の生活で縁あるたくさんの方々に上記の人生の目的と使命、死後の世界の真実をたくさんの方々に伝える生き方であるといえます。


なので、質問者さんも回答に納得がいったか分かりませんが、質問者さんもたくさんの知人友人にメールやネット媒体、口頭で「okwaveでこんな事を言っていた人がいたよ。」と生きている目的と死後の世界の真実を伝えてあげて下さい。

上記の価値観が広まれば世の中は確実にユートピアになりますし、質問者さんの神仏の子としての徳が増し、魂の糧にもなります。


ちなみに、天使という存在がいますが一般的に生前無償の愛でもって1万人以上の方々の魂を救い地獄に落ちそうな方々にあの世の真実を伝えてあげて天国にかえれる生き方に導く事が出来た人は天使になれると言われていますので、質問者さんももし可能でしたら多くの方々を救うためにokwaveで上記の回答を様々な方々とシェアするなりして、お力お貸し頂ければ幸いです。


一見ユートピア実現というと難しい事のように思うかも知れませんが落ち着いて考えると例えば、質問者さんが上記の回答を10人の人とシェアしたり10人の知人友人に伝えて、さらにその10人に上記の真実を10人以上の方々に伝えるようにお願いして100人となり100人の人がまた
10人に伝えて、1000人、10000人、100000人の方々に伝えて…と人から人へと伝えていけば、あっという間に日本中全ての方々に上記の価値観が伝わり、世の中はユートピアになるわけです。


なので、質問者さんが今日から一念発起して上記の価値観を1日1日コツコツと伝えて、生きていけば、質問者さんも天使になれる可能性もあるわけです。

質問者さんも残りの人生を神仏の光の子としての使命に目覚めてユートピア実現の戦士となり愛と優しさに満ちた光の天使になる事を目指してはいかがでしょうか?

この回答への補足

ここは議論の場ではありませんが、私のお礼に対するあなたの見解を伺いたいです。私は宗教全体として『悪の教え』が足りないと感じています。この世には悪があります。その悪を完全に否定するのではなく、悪を見つめ、正面から向き合うこと。時には悪をも使うこと。悪を否定しては悪であること。あなたはこのことについてどう思いますか? 悪という食事をしなければ誰もが命を落とすこの世です。もっといえば悪の含まれない事柄は殆どないといえるでしょう。善は白です。悪は黒です。音楽に使う楽器は他の生物の死体です。他の生物を殺さないと音楽は使えません。人間の使う道具は全て地球を削るか生物を殺しています。地球を生物と見るガイア理論から言えば、人間の活動は全て地球を苦しめる悪行です。悪を否定したら何も出来なくなるでしょう。

私は宗教は無知な一般民衆を操るには最良の手段と考えています。だからこそ宗教などの善を勧める教えは大好きでも(?)と感じてしまうのです。なぜなら市民が宗教に従えば指導者はやりたい放題なのですから。いつの時代も聖職者が一番悪いことをしてきました。その事実があります。

お礼や補足でだいぶ失礼なことを書いて申し訳ないです。本当にすみません。しかし出来れば私の意見に対するあなたの見解を書いてくださると嬉しいです。あなたが愛の天使として生きるなら相手を説得する力が今後、必要になるでしょう。逆に言えば相手を説得する力が完全になればユートピアの建設が圧倒的になります。私もそのお手伝いは出来ませんか? 私が完全に納得できれば私もあなたの仰るとおり、愛の天使として生きていけると思います。どうかよろしくお願いします。

補足日時:2011/05/31 06:29
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この回答へのお礼

新興宗教では善を勧めるものが多いです。特に最近出てきた幸福の科学などもそうかと思います。あなたは幸福の科学の教えに似ていると私は感じます。私は幸福の科学の信者が意外と多いという事を知っています。と、いうよりも近所にもいることを知って驚いた記憶があります。私は幸福の科学の映画も見たことがありますし、それほど悪いものではないと考えます。しかしその教えには見落としている部分があります。

善とは何でしょうか。この世はユートピアになりうるのでしょうか。私達は繁栄すればするほど地球はどんどんと疲弊していきます。私たちが使う道具は全て地球を犠牲にしているからです。本は木を犠牲にします。鉛筆は鉄鉱石を犠牲にします。机も木を犠牲にします。機械は金を必ず使うそうです。電気は石油などを犠牲にします。プラスチックは石油を犠牲にします。樹脂も石油を犠牲にします。道路を作るためには山を切り開かなければなりません。家を作るためには地面を掘らないといけません。鉛筆のためだけにいくつもの鉱山が犠牲になっています。机のためだけにいくつもの森が犠牲になっています。私たちが原始時代に戻って道具を全く使わない生活になればユートピアになるでしょう。逆に言えば原始時代よりも優れた生活をすれば地球はどんどん消耗していっていつかは破綻します。モアイ像のあるイースター島では木を切り過ぎて滅亡しました。少なくとも現代文明と同等の生活を送ったとき、地球は永遠には持ちません。それは仕方の無いことです。

この世では幸せはありえません。それは全ての人が幸せにはなれないからです。毎日、私達は食べ物を食べます。それは他の生物の命です。他の生物を殺して生きています。毎日。殺さないと生きられません。そして今、69億人いる地球では、全ての人が食べていくだけでも地球はもう持たないでしょう。8秒に1人が飢えて死んでいます。この世に愛と優しさに満ちたユートピアの建築は不可能です。それはどうしようもないことです。仏陀は言いました。『この世は苦である。』残念ながら、それは真実です。そもそも動物や植物をムシャムシゃ殺して食べておいて幸せと言うならば、その人は真実を見ていません。私達は生きているだけでホロコーストも真っ青の大量虐殺者なのです。生物を殺して生きていますから。私の為に犠牲になった植物や動物のことを考えるだけでも私は幸せになれません。そして向上した人なら尚更そうでしょう。他の生物を殺して幸せではいけません。人間だけが幸せではいけません。全ての生物が幸せであること。これが本当の幸せの条件です。弱肉強食では幸せは成り立ちません

あなたはまだ気付かないかもしれませんが、必要悪はあります。つまり必要な悪です。人と人がいじめ合うのも必要です。もし現代社会からいじめが完全になくなったとしたら、ストレスから病気になって死ぬ人が大勢出てしまいます。現代の文明は高度です。そのために現代の文明の維持は大変です。それで現代の文明はストレスが多いのです。ストレスの多い社会ならいじめも多いのは仕方の無いことです。昔は高校でもDNAすら習いませんでした。勉強が簡単で楽でした。ストレスの少ない平和な時代でした。それが昔です。

私は善を勧める宗教は好きです。しかしそれなら何故、近所にゴミが落ちているのでしょうか。ゴミ拾いに出掛けると2,3時間で大体100個は空き缶・空きペットボトルを拾います。なぜ、それほどにゴミが落ちているのでしょうか。善を勧めるのならばなぜゴミが落ちているのでしょうか。このあたりを善を勧める宗教には聞いてみたいです。なぜゴミ拾いをしないか。

向上とは何でしょうか。みんなに優しかったら向上している存在でしょうか。違います。それほど素晴らしければストレスが溜まって病気になってしまいます。私の知人では優しい人は殆どが自殺しています。もし向上して、優しくなったら自殺してしまって他人を不幸にするのかもしれません。愛の器が大きくなった時、生きること自体に耐えられなくなります。なぜでしょうか。こうしている間にも貧困国では子どもがバタバタと死んでいます。誰かがいじめられて泣いています。誰かが病気で苦しんでいます。誰かが絶望に打ちひしがれています。誰かが自殺を試みています。誰かが後悔で苦しんでいます。誰かが寒さで震えています。本当に愛の器が大きくなると、それらが見えてきて人生が非常に辛くなります。ZARDの坂井泉水さんも優しすぎて自殺しました。歴史の西郷隆盛という人も優しすぎて自殺しました。国語で出てくる太宰治も優しすぎて自殺しました。良すぎる人は早死にします。それは知人でもうなずけます。人生は苦しみだらけです。だからこそ悪を犯さないと生きていけません。それが人です。人も他の生物と同じです。ただ子孫を少しでも増やしたいのです。人間の本質はそこです。善にかたむくと体を壊して周りが不幸になります。善とは自己犠牲の破滅への道であること。それを自覚していなければ修行が足りません。

そもそも他人を幸福にすることが出来ると思いますか? 良かれと思ったことが他人を不幸にすることはいくらでもあります。人生など不幸だらけです。他人を不幸に出来ると思ったら、それは人生を甘く見ています。他人など救えません。救えると思ったらそれは傲慢(ごうまん)です。私は人助けをしても、相手が不幸に遭って絶望するのをいくらでも見てきました。また、他人を助けるとその人の成長の種を奪ってしまいます。苦労や不幸は成長の種です。

あの世で裁判があります。よくある考え方です。人生は不平等です。幼い頃から愛をそそがれた人は他人を愛して生きていけます。そうすればその人は死後は良い世界にいけるのでしょう。幼い頃から人に憎まれて生きていくと他人を愛して生きていけません。その人は死後は悪い世界に行くのでしょう。これはおかしいと思いませんか? 人生は不平等なのに死後に平等に裁かれること自体がそもそも矛盾しているとは思いませんか? 幼い頃に愛をそそがれたか、悪をそそがれたか。それで人生などいくらでも決まってしまいます。それなのに幼い頃に愛をそそがれた人も憎まれた人も死後には同じように裁かれる。これはおかしいです。

悪は悪です。しかし悪を否定するのも悪です。悪は自分の気に入らないものを否定します。暴走族が世の中を否定するのも同じようなものです。極道が犯罪をするのも同じです。しかし悪を否定したら悪です。暴走族が世の中を否定するのは世の中の矛盾が辛いからです。学校の教師が勉強する理由を説明せずに勉強を押し付けるからです。学歴で人間を決めるからです。実際、社会に出たら勉強はほとんど役に立ちません。高等数学は一生、使いません。極道が世の中で悪いことをするのは悲しいからです。日本で最高の学校である東大。しかしそこの卒業生の集まりである官僚が日本を破綻させようとしています。私から見ても財政政策は完全に失敗です。学校の先生が理想としがちな東大卒が日本を破綻に追い込んだといっても過言ではありません。私は東大生の知人も割と多いですが、彼らは大体は金持ちです。挫折していない人達です。そういう人達には不幸な人の本当の悲しみや苦しみは分かりません。そのためか意外とエリートの知人は腹黒い人が多いです。そういう上を見て暴走したくなる気持ちは非常に分かります。私は洋書を沢山読んでいます。洋書は英語で書かれた海外の本です。実は洋書では現在完了や高校で学ぶ仮定法はほぼ出てきません。関係代名詞や不定詞は使います。しかし過去完了、未来完了などのマニアックな英文法の知識はほとんど使いません。SVOCなどの文型も洋書を読む際には使いません。私は結局、文型は覚えないで英語を覚えました。学校は社会で使わないことを教えて順位付けします。そういう矛盾に気が付いたなら、暴走したくなる気持ちが分かります。私は極道の知人もいますが彼らは間違いなく悲しい人生を送っています。彼らは割と貧乏な人が多かったです。そもそも幸せだったらみんなから嫌がられる極道にはなりません。幸せだったら悪にはなりません。あなたも幸せだったら極道にはなりたくないはずです。不幸だから悪になるのです。だからこそ悪を否定してはいけません。悪を許さなければいけません。悪には悪なりの理由があります。学校制度に矛盾があり、大人は嘘をつきたがる。会社でも上司はいばるばかりです。同僚は足の引っ張り合いです。人を教育すべき上の方が醜いことはいくらでもあります。社会に出た時に出世する方法は上に従うことです。それでサラリーマンは酒を飲むのです。この世は矛盾だらけです。苦しみだらけです。悪になってしまうのも当たり前です。

地獄は存在しません。私が神様なら全ての人を天国に送ります。地獄におちるべき人間はいません。この世には。誰もがこの苦しい世界で悲しんでいます。なぜ地獄に落ちる人がいるのでしょうか。どんな犯罪者でも必ず悲しみを抱えています。幸せなら悪になりえません。この世は苦しい所です。そのような場所では醜くなって当たり前です。神様は自分の気に入らない存在を地獄に落としてはいけません。そういう神様はワガママです。自分の気に入らない存在を地獄に落とす。悪を否定する。それこそが悪です。暴走族や極道と根本的に同じではないですか。それは神様としてあるまじき態度です。極道の人は非常に不幸です。私は彼らの悲しみや苦しみを知るたびに辛いです。悪人の苦しみや悲しみを全て分かったとき、この世には地獄におちる人がいないとわかります。地獄におちる人などいません。絶対に。

読んで下さりありがとうございました。

お礼日時:2011/05/31 06:21

スレッドまだ生きていますように。



>私は輪廻転生という考え方が怖いです。

古代インド人は例外なくそう思っていたそうですよ。ヴェーダ宗教の因果応報思想が、先住農耕民族の輪廻思想(祖霊崇拝など)を取り込んで成立したのが、古代インドにおける輪廻転生思想ということらしいです。
元になった因果応報思想は、「死んで天国に行ってまた死ぬ」という再死への恐怖に端を発する思想とのこと。
ブッダの時代、誰もがみな、この再死の恐怖から逃れようと思索していたのです。

彼らにとっては、輪廻転生は自明の論理で、必要だから在るというものではなかったようです。

現代哲学の最先端でも、「私」の必要十分条件を探ることで、輪廻転生が浮かび上がってきているようです。あたかも、インド哲学の「自己とは認識主体である」という命題や、ブッダの示した五ウン非我のように。
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この回答へのお礼

<スレッドまだ生きていますように。
生きています。大丈夫です。

<古代インド人は例外なくそう思っていたそうですよ。
そうですか。古代インド人に親近感が沸いてきます。

<元になった因果応報思想は、「死んで天国に行ってまた死ぬ」という再死への恐怖
これは何ででしょうか? 天国で死ぬという前提に疑問を感じます。天国では死なないというように私は考えています。難しいですね。

<彼らにとっては、輪廻転生は自明の論理で、必要だから在るというものではなかったようです。
ソクラテスの『無知の知』という考えがあるように、私は自明という言葉を使いたくないと考えています。

<現代哲学の最先端でも、「私」の必要十分条件を探ることで、輪廻転生が浮かび上がってきている
ある意味では睡眠すら輪廻転生に近いと思います。

質問からはだいぶ時間がたっているのに答えてくださって本当に有難うございました。

お礼日時:2011/05/28 10:11

少し本題からそれた話になってしまうかもしれませんが・・・


ご質問者様は、小さな生き物や、或いは飼っていたペットが死んだ時に、大切に葬ってあげられた事がおありでしょうか。
私には沢山の経験があります。
そうした時には、必ず心の底から祈る気持ちが少なからず湧いてくるものです。
それは悲しみと共にある、深い慈しみの心でもありますね。

輪廻転生という考えは、生死ある人間に対しての深い慈しみの心と共にあるものだと思います。
人が小さな生き物を見守るように、私達人間を深く見つめて離さない大きな智慧から生まれた考えや言葉だと思います。
その大きな智慧の世界に入らなければ、輪廻転生の真実は分からないのでしょう。
真実は分からなくとも、輪廻転生という言葉を生むほどの深い智慧に、いつも見守られているのかもしれません。
仏教ではその智慧の心を大慈悲心といっています。
限りなく深い優しさです。
「観音経」の結びの文を読んでみてください。

すべての良き働きを身に具えて諸人を凝視したもう
幸せは海の如く無量である
このゆえに・・・

とあります。
仮に輪廻転生があったにしても、そうした大きな優しい智慧の心に見守られている事を信じられれば救われる、という事でもあります。
輪廻転生の考えについては、仏教の業の解説をご参考になさってください(難しいかもしれませんが)
私はまた、そうした学問上の事よりも、大きな優しい智慧の心に見守られている事に気付く事が大切だと思っています。
信仰とまではいかなくとも、輪廻転生から救ってくださる智慧に見守られている、という事をありがたく頂くべきだとも思っています。
ご参考になさってください。
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この回答へのお礼

輪廻転生というのは人の為の思想なのかもしれません。愛するペットが亡くなった時に再び同じペットの魂と巡りあいたい。先立たれた人の魂と再び現世で会いたい。その思いや悲しみを叶えたり癒したりするためにある思想かもしれません。そう考えてみると私が輪廻転生を怖い考えだと思っていたのは間違いで、実はとても優しい思想なのかもしれないとも思います。輪廻転生の優しさに気付かせてくださってありがとうございました。
確かに大きな優しい智慧に見守られているということに気付くことは救いとなりそうです。
参考どころか私の見方を広くしてくださって本当に嬉しいです。誠に有難うございました。

お礼日時:2011/04/18 06:46

zakky74です。



観点固定・・・これ一つが中々に受け入れにくく、厄介なシロモノですね。

>確かに観点が自分に固定されている、というのはあります。あなたも昔は観術を学ぶ際に色々あったのですね。今からは想像できません。観点を変化するのが観術。これでやっと腑に落ちました。

しかし、この観点についての理解が進む事は、全てを理解する土台が飛躍的に高まります。分離されたモノの総和を理解するやり方ではなくて、観点一つだけを明確に理解するだけで全体を理解する姿勢は圧倒的に創られるものです。

b-w-stepさんの観点が、人間に固定されています。

ですが、もし動物に移動すれば、一体何が見えますか?
モノは?光は?細胞は?人間は?

本当に人間が見ている様に見えるのでしょうか?
その場合、人間の科学だけが本当に正しいのでしょうか?

もし植物に移動すれば、一体何が見えますか?
モノは?光は?細胞は?人間は?

人間が見ている様に見えているのでしょうか?

地球に移動して、地球から認識する時には?地球の認識方式では?
モノは?光は?細胞は?人間は?

太陽系・銀河系・宇宙・宇宙の外・・・に観点が移動して、そこから認識する時には?
モノは?光は?細胞は?人間は?・・・一体どう見えているのでしょうか?

人間が見ている世界は、一部ですし、部分ですし、真実の姿とは言えないのではないでしょうか?

その状態で

存在を確認する(脳の認識が働いています)。
名前を付ける。
覚える。
因果関係を規定する(判断基準が働いています)。
覚える。
因果関係に基づき、体系化を行う(判断基準が働く)。
覚える。

だから、次の様に思い切った事を言い切ります。

学術は、観点が人間に固定した時の認識方式しかまとめていません。
当然、物理学・数学・生物学・医学などもそうですし、ハリソン内科学もです。

それでは当然足りません!

人間の細胞は、人間が見ている細胞だけではありません。
他の全ての観点から見たときに見える人間の細胞こそが、真の人間の細胞です。


繰り返しますが、観術とは、観点を変化・運動・移動する認識技術です。
人間から観た人間の細胞を語る事も、当然にして出来ますよ。
それは2017年には確認できると思います。

>知っている、と思った瞬間に他の可能性を無視する。そして自信を持った瞬間に成長は止まる。これが人間なのかもしれません。

仰る通りです。

ですから、僕はよく観術からも離れます。僕が分からない事については素直に聞く様にしています。僕が知らないだけで、もしかしたら相手は知っているかもしれないからです。

このQ&Aでも何回がありました。

「最終理論を、明々白々に説明しているのは観術しかありません。」・・・これが僕の観点ですが、この観点自体も固定されているとそこから話は進みません。つまり、相手は最終理論を明々白々に説明できる存在かもしれません。この可能性を、僕は常に見ています。

ですので、最終理論について理解していたり、知っている節がある時には、観術の事をいったん置いておいて、まずは聞く様にしています。なぜならば、最終理論を明確に理解していて、しかも人に伝達可能な状態の場合には、人類の全ての問題を解消・解決する道までも明確に見えてしまっている為に、その喜びや可能性について共有したくて仕方がないからです。

歓喜溢れる心ですね。
人類500万年間の限界を突破した事の意味ですから。
涙だし、興奮ですし、感動はちきれんばかりです。

その事を分かるので、観術とは切り離す作業に切り替えます。

>>疑う程に逆に理解・納得が進みます。
>のは胸に響きました。他のサイトまで紹介してくださってありがとうございました。2017年をお待ちしています。

僕がそうでした。
また、観術に触れる多くの人がそうです。

信じて仰ぐ信仰は、妄信でとどまってしまいます。宇宙自然、人類文明歴史の何の整理もないままに、確信っぽい妄信で人生を突き進むから、69億人の幸せに及ばない程度の力しか発揮できません。

信仰よりは理解です。
天動説から地動説に移った事は、その事を教えてくれました。

ただ、学術的理解は信仰を抜ける意味ではそれなりに功を奏しましたが、まだ中途半端です。信仰・妄信よりは洗練されていますが、確信には絶対に至りません。ゆえに、学術からは輪廻転生や悟りについてノータッチです。

理解による確信。
その為には、疑問はとても大事です。
信じる事によって、疑問を有耶無耶にしたり曖昧にしたりする時代はもう終わりです。

b-w-stepさんの疑問については2017年の時には相当数晴れている事が、僕の目には観えています。その時の感動の出会いを楽しみにしています。
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この回答へのお礼

確かに仰るとおりです。私たちが見ているのは『人間を通した』物でしかありません。蜂や蝶などは人間とは違った風景を見ています。空を自由に飛ぶ鳥は人間では絶対に見られないものを見て、人間には絶対に感じられない風の中を飛んでいます。犬は人間の知り得ない匂いを嗅ぎ分けます。人間よりも聴覚に優れる動物もいます。
全ての存在にとっての全ての感覚。それを知らずして全てを知っている、とは言えません。私も大変勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/03 18:31

zakky74です。



なるほど。これは、即急という言葉の意味を、僕が間違えて受け取っていました。失礼致しました。

僕の話は、論理とイメージが両輪でもって展開していく特徴があります。あるひとまとまりのイメージが伝達されるまでには、ある程度の論理展開が入ります。その場合、相手の、この場合はb-w-stepさんの理解・納得のテンポがかみ合わない場合、僕が表現していたのは伝達したいイメージがあるが故の論理なのですが、その展開が速い・・・という様な意味で受け取っていました。

これは完全に僕の受け取り間違いです。

これをそのまま例に挙げますが、これがまさに観点固定です(笑)。言葉でとって、論理だけを取ると、その人が本当に伝達したいイメージが共有されませんね。b-w-stepさんが、即急すぎる・・・といったイメージとは、

>>即急というのは相手に逃げ場をしっかりと与える、ということですね。言い方を変えれば相手に気を遣う、ということです。「即急すぎるのは、b-w-stepさんです。」といきなり書いてしまわずに、『b-w-stepさんのお気持ちは本当によく分かります。人間はそうやって物事を疑う癖があります。ですので即急になる気持ちは痛いほど分かるのですが、ご勘弁をお願いします』というところでしょうか。ここまで求めるのは酷どころか異常と言えますが……。ですのであなたは悪くありません。

こういう事だったんですね。

如何に、観点が僕自身に固定されていたかが分かります。そして、僕が自分自身の観点に固定されていた事に一旦気付いてしまい、脳の認識のクセによって、

1.(部分だけを取って)僕も五感覚バリバリ元気な人間で、
2.(違いだけ取って)自分は観術そのものになっていない人だから、
3.(過去のイメージと繋げて取って)そんな自分はダメだ、悪い

などと、認識してしまうと、更にそこから来る判断基準の問題性5つによって・・・
などと、どんどん泥沼に入っていく事もある訳です。

結果的に、「それで悟りを得たのかよ!」などと自分で突っ込み、自己嫌悪、自己否定をしてしまっていたり・・・観術は、そんな流れにハマリそうな事を楽しく観察できます(昔のzakky74に起きていた事をそのまま例に挙げました・笑い話)。

観点(観察する主体、どこから観るか)を変化・運動・移動する認識技術、それが観術です。体の自分から見るのではなくて、体の外から、宇宙の外から全部を観る技術です(だから宇宙が丸見え、物理が丸見えです)。

>そこで私は喧嘩を売られていると思いました・・・
>それまでの回答で他の回答者様の矛盾を指摘していたので・・・

これは、「おやっ?」というところです。僕は、喧嘩を売る姿勢でもありませんし、他の回答者様の矛盾を指摘してはいなかったと思います。質問者さまとの交流の中で、必要と感じた時には質問者さまとの交流を深める意味で関わる事がありますが、そんな事はほとんどありませんでしたよ。少なくとも、本テーマではなかった様に思うのですが。

知ってる・・・そう思った瞬間、それ以外の可能性を無視します。

当人は、そういう意識がなくても、そういう意識なきままに結果的にやっている事がそれです。実際、もう一度僕との交流を読み直してくださいませ。その際、脳の認識のクセと判断基準の問題性によって、観てみるととても面白い発見があるかと思います。

僕は、絶対に譲っていない箇所があります。
b-w-stepさんも、譲っていない箇所があります。

それが、観点固定であり、観点が固定されている事を気付く為に、僕を道具として下されば嬉しいです。

ただ、その事を差し引いても、観術は最終理論を説明しますよ(笑)。

観術総合研究所
http://www.kanjutsu.jp/

NR JAPANスペシャルセミナー
http://www.nr-japan.co.jp/tabid/108/Default.aspx

>私は悲惨な人生を歩んできました。・・・をあぶりだしてくださってありがとうございます。

特別な人などいません。

b-w-stepさんは、僕が想像もしない様な悲惨な人生を歩まれたかもしれません。ですが、僕や観術開発者やこの地球上、或いは歴史上に想像を絶する人生を歩んでいる可能性もあります。少なくとも悟りを得る人はそうです。

b-w-stepさんの観点固定です。

真に悲惨であれば、疑いを通り越します。疑いが究極に支配するので、最後には疑いきれない真実と出会うからです。つまり、疑う程に逆に理解・納得が進みます。

b-w-stepさん、あなたは本当は真理そのもの。

> 正直、観術に対してまだ信頼していない、・・・待つ必要もありそうです。

2017年をお楽しみに^^
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この回答へのお礼

いえいえ。謝っていただくことが恐縮です。確かに、理解・納得のテンポは大事です。教える側と教えられる側のテンポがかみ合うことは大事です。確かに観点が自分に固定されている、というのはあります。あなたも昔は観術を学ぶ際に色々あったのですね。今からは想像できません。観点を変化するのが観術。これでやっと腑に落ちました。知っている、と思った瞬間に他の可能性を無視する。そして自信を持った瞬間に成長は止まる。これが人間なのかもしれません。<疑う程に逆に理解・納得が進みます。>のは胸に響きました。他のサイトまで紹介してくださってありがとうございました。2017年をお待ちしています。

お礼日時:2011/03/30 16:20

zakky74です。



b-w-stepさんは観術を感術だと思っていますと仰いましたね。感術ではなく観術としている事の意味、そのうちの一つをこのタイミングで紹介します。

観術では、観点固定が全ての問題の原因だと言い切っています。
その意味で学術は、観点固定から来る論理体系です。
観術から観た時の学術の限界とは、観点固定だと観ています。

学術の最先端を走る科学技術は、モノを変化・運動・移動する技術です。
観術は、モノの観方(観点)を変化・運動・移動する認識技術です。

ここで重要なキーワードが、『観点』です。

この観点の意味やイメージを、よく誤解されるので今からお伝えする事は極力すんなり受け入れて頂ければあり難いです。観点固定や学術から観たら、とても抵抗したくなる箇所です。

観点とは、観察する主体の事です。どこから観察しているのか?その観察の出所の事を観点と言っています。日常で、普通に使う観点とは異なるイメージです。

観点固定とは何の事を指しているかと言いますと、認識初期設定が人間の五感覚の脳に固定されていますし、その人の根本判断基準(Mindome)に固定されています。

b-w-stepさんは、3時間前に、或いは3時間後に僕の五感覚になれますか?
僕は、3日前に、或いは3日後にb-w-stepさんの五感覚になれますか?

なれませんよね?

それを観点が固定されていると言っています。

それ故に、脳の認識のクセ3つと、判断基準の問題性5つを抱えて全てと出会っています。全てと出会っていると言いましたが、実は出会っていません。自分の認識のクセとしか出会っていませんし、判断基準の問題性5つとしか出会っていません。

出会い、というのは正に悟りの言葉です。
出ないと会えません。出るから会えます。

まずは、自分の観点を抜ける事、そして人間の観点を抜ける事、そこから観術は始まります。観点が固定されている状態では、観術は始まりません。そんな技術。

これが、感術ではなく観術である理由であり、僕が観術の内容を語らない理由でもあります。即ち、観術の内容を語る時には、その人に自分自身の観点を、そして人間の観点(学術的理解方式)を一旦は横に置いておく事を確認しない限りは、話したとしても出会えないんですね。

出ていませんので、会えません。

出る、という心の決断をしない限りは僕は動きません。出ていないのに、出会っている様な錯覚に陥るからです。そんな事を何度も経験しました。

b-w-stepさんは、ご自身の観点と学術的理解方式を未だに愛しています。そこに観術が入るスキマが無いんです。ですから、b-w-stepさんに分かりやすく、そして学術からでも分かりやすく、更に五感覚を満足させながら・・・という事でしたら2014年まで、或いは2017年まではお待ち下さい。

ここからの話は、僕とb-w-stepさんの観点が如何に違ったのかを観て頂けたらと思います。

>一方でやや即急すぎる追求法とも感じられました。

即急すぎるのは、b-w-stepさんです。僕は、観術の中身を語るステップをお伝えしました。まず現実を離れる事から始まる事を何度も確認しています。学術の土台が倒れている事も確認しています。最終理論、万物の理論、或いは悟りの事を語ろうとする時に、如何に土台を倒さないといけないのでしょうか?

その作業の最中に、やっぱり土台は土台だから・・・とb-w-stepさんは言っている様なものです。土台は、後からやりますよ、って確認していても・・・です。

ですから、即急すぎるのでその話でしたら2014年です。
僕とb-w-stepさんの観点の違いです。

><b-w-stepさん。またも僕側の質問にはスルーですね。>は確かにそうですが。一方で・・・あなたも私の質問を無視しているので同罪です。一応、ここでは私が質問者なのですが……。

今までの流れから、僕がb-w-stepさんの質問を無視する理由をご理解頂けるでしょうか?加えますと、僕は応えられるところを答をしていないのですが、、b-w-stepさんは如何ですか?それと、僕が質問した意図は、b-w-stepさん自身が無知である事を自覚して頂きたかったからです。

それとも僕が、「b-w-stepさんは無知ですね」だなんて言えば良いのでしょうか?違うと思います。それに、誰か特定の人が無知ではありません。人間そのものが無知だし仕組みだと言っています。無知に対する悪いイメージや人を責めたりするイメージなど少しもありません。

知の不完全性。
無知の完全性。

それが悟りだと、そう言っています。無知は完全性です。
追い詰める!?b-w-stepさんにその認識・判断があったんですか?

すみません。字数が。
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この回答へのお礼

 即急というのは相手に逃げ場をしっかりと与える、ということですね。言い方を変えれば相手に気を遣う、ということです。<即急すぎるのは、b-w-stepさんです。>といきなり書いてしまわずに、『b-w-stepさんのお気持ちは本当によく分かります。人間はそうやって物事を疑う癖があります。ですので即急になる気持ちは痛いほど分かるのですが、ご勘弁をお願いします』というところでしょうか。ここまで求めるのは酷どころか異常と言えますが……。ですのであなたは悪くありません。
 あなたは2回目の回答で<それを語ったのは、観術が世界初、歴史初だと思っていたのですが、もしb-w-stepさんが語れるのでしたらご教授下さいませ。>と書かれました。そこで私は喧嘩を売られていると思いました。と、いうのも『教授下さいませ』という敬語表現が使われていたからです。喧嘩を売るときに敬語を使うこともあります。あなたの丁寧語が不快との旨を私は書きました。それがその表れです。また、それまでの回答で他の回答者様の矛盾を指摘していたので、私自身がケンカ腰になっていたという事実はあります。他の回答者様の手前、引くに引けなかった、という見栄もあります。恥ずかしながら。もっと言えば自分の博学さに酔っていた、という傲慢さも。最初の方の回答であなたがこれ程に熱心に観術について教えてくださるとは予想だにしていなかったという私自身の未熟さもあります。人間とは恥ずかしいものです。
 <追い詰める!?b-w-stepさんにその認識・判断があったんですか?>とありましたが、私はそう感じました。と、いうのもあなたがどの様な人生を送ってきたのかは知りませんが、私は悲惨な人生を歩んできました。そのために私は他人の悪意に過敏に反応するようになっています。自分の人生に対する恨めしさ、他人に対する妬み、努力しても報われない悲しみ。それらで心が痛くて仕方が無いのが事実です。krya1998さんの回答に対しても少しの指摘に対して私は過敏に反応していると思いませんか? そういう意味ではあなたは悪くないと思います。私自身、見栄と傲慢と過敏さがありました。それは間違いありません。ここで私自身の至らない面をあぶりだしてくださってありがとうございます。
 正直、観術に対してまだ信頼していない、というのはあります。土台を倒すにも観術で悟った人が回りに溢れていないと不安というのはあります。観術の為に土台を倒せるか。観術は土台を倒せる価値があるか。新興宗教にありがちな『……しなさい』に従ったら全財産奪われてしまった。と、いうのと似たことが観術で起こるのでは。と、疑っています。人生で色々と苦労し、人の裏を見尽くすと嫌でも悪い人になってしまいます。素直さが奪われてしまうのです。そういう意味では私自身、まだ時が熟していないのかもしれません。2014年、場合によっては2017年まで待つ必要もありそうです。ただ、観術、観察する主体から離れるという考え方は素晴らしいと思います。その様な宝物を抱えて生きていきます。

お礼日時:2011/03/27 17:35

zakky74です。



b-w-stepさん。またも僕側の質問にはスルーですね。

なるほど。b-w-stepさんから観て、そして学術的理解方式から観て間違いです。そして、僕はそれでも構いません。観術の姿勢・態度としても、観術の理解方式・説明方式としても、それで微塵ほども揺らぎません。

天動説から観たら、地動説は間違いですし、悪魔です。

明らかな間違いを正そうとする姿勢は、天動説から観たら正当な立場ですし、生きる姿勢として理解できます。地動説を理解しようとする心の余裕、その可能性の模索が無い事も深く頷きます。

b-w-stepさん。

僕も愚かではありません。b-w-stepさんの仰る疑問や追及も分かります。学術的理解方式から来るであろう質問と、その前提は分かります。だからこそ、僕が投げている質問の意味や意図、その質問の深さを読みとって頂けたら、僕が生命に関しても詳しいという事、細胞に関しても抑えているという事を少しは感じて頂けたかと思います。

ですが、そことそのまま付き合う事は僕はしません。
それは2014年までお待ちください。

69億人を悟らせる為に歩まなければならない道があります。それを何よりも優先します。b-w-stepさんが、五感覚にも分かる言葉を欲しい、学術的理解方式にも分かる理解を欲しい、天動説の人にも納得させてほしい・・・との想いを選択するのでしたら、少なくとも2014年までお待ちください。或いはどれだけ時間がかかっても2017年まではお待ちください。

その時に、もう一度交流しましょう。

この質問の主題『なぜ輪廻転生が必要なのでしょうか?』について、或いはその考え方が怖いという事について、現段階ではある程度b-w-stepさんにとっても、クリアになっている事かと思いますし、それ以上のクリアをするには僕から観ては観術しかあり得ないのです。

観術に興味・関心があると聞いてきたので、今までは観術を土台としながら極力は主題、テーマに沿う話をしてきました。ですが、b-w-stepさん。真に観術に興味・関心がある人の意見や指摘、或いは質問は少し違うんですね。b-w-stepさんは、学術的理解方式をとても愛している様に思いますし、ご自身の判断基準をとても愛してらっしゃいます。

観術は、学術的理解方式を真っ向から否定します。まず否定、次に肯定、そして補い・・・です。補うまでの過程では、否定・肯定・・・のプロセスを通過しないと補いません。b-w-stepさんから出てくる質問も、そのプロセスを経ます。ですが、b-w-stepさんは、初めから補いを期待されています。補いの前段階は、否定によって離れる事、執着を超える事、手放す事が何よりも大事です。

観術に飛び込めないのは構いません。

ですが僕の姿勢は違います。僕は69億人の為に何よりも優先して機能したいのです。その為には観術しかありません。その確信が僕側にあります。69億人の中にb-w-stepさんも含まれますので、今後はそうした間接的な疎通・交流で親交を温めていきたいと思います。

今までありがとうございました。
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この回答へのお礼

 <b-w-stepさん。またも僕側の質問にはスルーですね。>は確かにそうですが。一方で回答者なのに私に対して何度も厳しい質問をするのもいかがなものかと思ってしまいます。私も責められる部分はあります。<b-w-stepさんから観て、そして学術的理解方式から観て間違いです。>とありますが、あなたも私の質問を無視しているので同罪です。一応、ここでは私が質問者なのですが……。
 この場で私がこき下ろされること自体は特に問題はありませんし、私も自分の名誉にはこだわっていません。人々が幸せになるのならば。しかし回答NO.29から続くあなたの回答は良くないと思いました。相手を追い詰める、追い詰める内容の回答だったからです。<もしb-w-stepさんが語れるのでしたらご教授下さいませ。>や<最終理論を得ているか、得ていないか、が僕からの重要な問です。>などが不快に感じられました。学問が大したことではない、観術は学問とは違った方面から物事に切り込む。その様な考え方は素晴らしいと思います。一方でやや即急すぎる追求法とも感じられました。ソクラテスの産婆術を思い出しましたが、もう少し柔らかく行ったほうが相手に不快な気持ちにさせずに済むと思います。今回の私とのやり取りを観術、ひいては人類の幸せのために使ってください。
 ところであなたは子育てをしたことがありますか? 子供と接するとき、上から押さえつけるよりも、同じ目線に立って教えるほうが上手く行く場合があります。私はその様に子育てをしていました。たとえばある時に子供が文句を言います。子供が「何で歯磨きをしないといけないの?」と質問してきて「しないで虫歯にならないの?」と答えても説明不足です。子供は虫歯の怖さを分かっていない場合があります。子供が「何で野菜を食べないといけないの?」と質問してきて「とにかく食べなさい」ではいう事を聞きませんでした。そこで私は子供の意見を尊重して、子供が納得いくまで説明しました。歯磨きをさせる為に病理学の虫歯の写真、クチの中が滅茶苦茶になっている残酷な写真。野菜を食べさせる為にビタミン不足で起こりうる壊血病の写真、その他の病気の写真……を見せたときに子供は文句を言うのをすっぱりと止めました。その時子供に誠意が伝わったからです。嫌な野菜を食べさせているのも面倒くさい歯磨きをさせているのも子供のためである、と。愛が伝わったようです。これは少し変な子育てとも思いますが。ただ、子供は犬や猫と同じでまっすぐ持っていけばまっすぐに返ってくる素直さがあります。大人よりも扱いやすいとは思いました。
 しかし翻ってあなたの私に対する態度はどうだったでしょうか。私自身、観術の素晴らしさには実に興味深く思っていました。しかし観術自体の内容は明らかになっていないように感じました。<観術は最終理論を理解・説明する事に成功しています。>などと観術の素晴らしさを仄めかすだけでした。そういう意味で今のやり方では相手に対して不快感を与えてしまうと思います。やはり観術の内容を積極的に教えるべきではないでしょうか。観術の素晴らしさを隠さずに、敢えて教え続ける。私はそうすべきだと思いました。
 観術で人類が幸せになれる。そして私がそのための一助になれたのなら幸いです。ここでの縁を大事にして観術を応援しています。色々とありましたが、今まで回答してくださって本当に有難うございました。

お礼日時:2011/03/27 08:36

zakky74です。



認識には、脳の認識のクセがあります。
判断には、判断基準の問題性があります。

その上で、学術的理解方式(物理学・科学が特に主導)にも3つの思い込みがあります。目に見えているものを事実・真実だと思い込んでいる、或いは信じているのですが、それはどうやら理解しているという事とは違う様です。

以前、b-w-stepさんが仰った

>宇宙が無限にあるという事実を鑑みた上で無限の物理理論をも組まなくてはなりません。この宇宙での反粒子の消滅の理由、ダークマターの性質まであなたに説明できますか? それを全て説明するのが究極の理論と私は考えます。物理の法則ですら無限にあります。宇宙は無限にあるのですから。

について、b-w-stepさんは説明する事は出来ますでしょうか?

数学者や物理学者たちでさえ、それがどういう意味であるのかを語る事が出来ず、誰もが皆、明々白々に共有できる理論体系を未だ持ち合わせておりません。

仮説の段階です。

仮説であれば、他の理論や他の論理とも相関関係を見出し、相補的に理解が進む程に力強い仮説(≒事実)へとなっていくのですが、b-w-stepさんが投げかけた質問に対して、全ての学者が未だに弱い仮説です。

即ち、どういう意味で宇宙が無限にあるのか?
それでは1つに見えているのは何ゆえか?
1つに見えたり無限である事を行き来できる説明体系とはどんなものか?
その事と反粒子の生滅の理由、ダークマターの性質と繋げて語るには?

b-w-stepさんは出来ますか?

観術開発者は、やりました。論理とイメージでの伝達ですので、僕も当然理解している事です。また、同様の理由で、僕だけが理解している事ではなく多くの人が理解しています。

b-w-stepさんはどうですか?
学術ではどうでしたか?

以前、b-w-stepさんは、

>細胞の生滅メカニズムは分かっているはずです。と、いうのも既に人間は細胞を人工的に作っています。

と仰いましたが、物質から細胞を人工的に作ったのでしょうか?或いは、物質よりも細かい素粒子や光、力などから再創造を果たしたのでしょうか?

もしそうではなくて、既存の細胞を借りてきての実現でしたら、それは細胞の生滅メカニズムは分かっているとは言いません。アポトーシスに関して、僕が知らないと思われたのでしょうか?僕は、アポトーシスや死滅メカニズムの事は知っています。それを指して、生滅メカニズムとは言いません。

細胞の、誕生メカニズムを明確に説明出来なければなりません。

b-w-stepさんが説明できるのでしたら、以下を説明して下さい。

・光を集めたらどうして物質になるのか?
・物質を集めたらどうして生命になるのか?
・生命を集めたらどうして精神になるのか?
・ただ集めただけではどうして出来上がらないのか?

期待しています。

以前、b-w-stepさんは医学の事について、

>『都合の悪いことは隠される』・・・喘息を考えてみてください。花粉症も考えてみてください。・・・

の様に触れた事がありました。

僕は、この事も大雑把には分かります。ホントそうですよね。

利権の問題や威信の問題など、色々とはありそうですが、純粋に理解度という点で言えば、要するに分かっていないという事です。それは当然です。物質が何なのかを物理学者が説明できません。1が何なのかを数学者が説明できません。誰よりも、最先端の学者たちが、自分たちは無知であり何も知らない事だけが蓄積してくる事を確認していきます。

どうして物質が生命になったり、物質のままだったり、という事が説明されない限りは、喘息・花粉症の問題はクリア出来ません。今回、b-w-stepさんが説明してくださる事を楽しみにしています。

ところで、科学・物理は人間共通の拠り所くらいに思ってきました。

神を拠り所にしていた時代からは、圧倒的に客観的ですし、個人には素晴らしい道具だったからです。その科学・物理にも、コロコロと修正すべき点が見受けれられます。

大きなスケールでは、天動説と地動説ですし(それまでは知られていなかった)、小さなスケールでも原子モデルがありました。原子モデルに関しては、以前にb-w-stepさんが仰ってくれた事です。

この様に、未だ説明されない未開の地を埋め合わせるために、新しいモノの観方を導入する事で、まるでそれまでの理解方式や知識などを大きく覆される事などは歴史を見れば沢山起きています。

b-w-stepさんが理解する原子モデルは、もしかしたら更に変わるかもしれませんよね?しかも、観術は新しい原子モデルを既に発見・構築している可能性はありませんか?

新しいモデルによって、未開の地が開ける事はないのでしょうか?
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この回答へのお礼

前回の私の指摘でだいぶ気分を悪くしたようで、誠にすみませんでした。今回のあなたの文章が無機質なので機嫌の悪さが思いっきり伝わってきます。繰り返しますが、すみませんでした。しかしあなたの明らかな間違いを正さないのはむしろ失礼かと思ったのです。あの時、あなたのその間違いを正さずに色々と教えてもらうことは出来ました。その様にずるく、狡猾に生きることも出来ました。しかし間違いを正さないのはあなたに嘘をついていると思ったのです。あなたに対して、ずるく、狡猾に接してよいのか。あなたはそれ程の人間であると私自らが断言してよいのか。人類の幸せを考えているようなあなたに中途半端な態度をとって良いのか。そう自問自答したとき、私は敢えて『嫌われてでも真正面にぶつかる』ことを選択しました。

非常に心苦しいのですが、指摘だけさせてください。
<これが寝ている時はどうなるかと言いますと、脳は静かです。>これは違います。人間の眠りにはREM(=rapid eye movement)睡眠とノンREM睡眠があります。このREM睡眠の時には脳は活発に活動しているようです。夢を見るために脳が頑張っているのですね。人間自体が夢を作り出していることは間違いないようです。カプラン臨床精神医学にその旨が記述されておりました。
<情報処理は脳ではなくてDNAですね。>これも違います。情報処理は脳の神経回路のネットワーク上をインパルスという微弱な電気が行き来して行われています。DNAはあくまでも『物質』に過ぎません。物質にすぎないDNAは単体では情報処理が出来ません。他の回答でもDNAに情報が刻まれる、とありました。しかしDNAはあくまでも『物質』であり、基本的に生きている間は変わりません。
<寝ると体力が回復したり健康になる>とは医学書には載っていません。逆に起きたときに風邪を引いた、と思うことが多くありませんか? 寝ることは疲れます。夢を見るからです。身体をよこたえること、そして目をつぶることが体力を回復するのですね。
<DNAレベルでの情報の出し入れ>DNAは情報を出し入れしません。情報はインパルスという微弱な電流によって脳内をいったりきたりするだけです。
<細胞が初期化されている>細胞は基本的に初期化されません。修復されるだけです。初期化されるのは
精細胞と卵細胞が作られる時のみです。

上の事柄に対するあなたの見解を聞かせて下さい。DNA、睡眠、脳内の情報処理、体力回復、情報の処理。この基礎が分かっていないと宇宙について論じることは難しいかと思います。<認識には、脳の認識のクセがあります。判断には、判断基準の問題性があります。>と書いたところで脳内の情報伝達手段を正しく理解していないと、脳の認識方法すら分からないからです。判断を下す。<アポトーシスに関して、僕が知らないと思われたのでしょうか?僕は、アポトーシスや死滅メカニズムの事は知っています>いえいえ。DNAについて知らなければアポトーシスや死滅メカニズムについての正確な知識も持っていない、といわざるをえません。土台が悪いと立派な家は建ちません。ダークマターや反粒子などを論じる前に、まずは基礎を固めてください。DNAなどについて大変な勘違いをしたままでは困ります。未開の地について語るよりも基礎的な学問から固めていきましょう。あなたは物理は得意です。しかし生物が明らかに不得手のようです。以下の質問に答えられますか?

1:身体の直接の栄養素は何ですか? (グルコースは栄養素を作る素です。グルコースではありません。)
2:なぜRNAが生物には必要なのですか?
3:脳内の情報伝達を行う信号のことを何と呼びますか?

上は高校生物レベルの基礎的な問題です。ただし簡単には答えられないようにひねってあります。あなたは高校生物あたりを完璧にすれば知識に隙がなくなると思います。あなたの歴史の知識には舌を巻きました。物理や数学の知識も素晴らしいです。医学もお勧めします。

何だかんだ私もけちをつけて申し訳ありませんが、観術の考え方には非常に興味があります。しかしだからこそあなたに私の気持ちを素直に伝えたいと思って嫌がりかねないことも書かせていただきました。繰り返しますが、本当ににすみませんでした。

出来れば、これからも色々と教えていただきたいです。また、私もあなたの成長を手助けが出来ると考えています。あなたが人類を幸せを考えたいのなら、私の様な嫌な人間とも付き合う必要があります。そういう意味でこの場での私とのやり取りも嫌な人と付き合う練習と思えませんか? 何事も使い道次第です。私という嫌な人間も使い方を間違えなければ薬になります。私はこれからもあなたとやり取りをしていきたいと願っています。今までのやり取りも楽しかったですし。

お礼日時:2011/03/24 21:01

zakky74です。



今の時代、この世界は、とても沢山の情報や知識が溢れています。そして、沢山の専門家たちや学者たちがいます。そして、沢山の道具が開発されて、沢山の技術が溢れています。

なのに一体どうして、人類は未だに幸せになっていないのでしょうか?世界は、まだまだ争いが多く、経済もバブルや不況の打撃が大きく、日本を覗けば自殺者は毎年3万人を越えて、鬱・精神病の人が何十万人もいる中で、少子高齢化が進み、学生・若者の職場がどんどんなくなっている・・・そんな現状。

四苦八苦と無知の問題を、まだまだ解決できていない様に思います。

一体、何が足りないから人類は未だに幸せになっていないのでしょうか?何を知らないから、こんなにも多くのものに溢れていましても幸せになるどころか、四苦八苦・無知を超える事が出来ていないのでしょうか?

その問の答は後に触れる事としまして、疑問として残しておいて下さい。1.1.概観~1.7.総括の流れの中で、今日は1.3.悟りと輪廻転生のイメージについて触れてみようと思います。

ところで、先にお伝えしたい事があります。

悟りといいましても観術がお伝えする悟りは、21世紀悟りです。21世紀悟りは、論理とイメージにより伝達可能な悟りです。それ故に、悟りに対する理解ができるのですが、従来の悟りからでは悟りを理解する事は極めて困難です。ですので、悟りを理解の対象にしようとする時には、悟りに向き合うよりも観術に向き合う事をおススメします。

このQ&Aでは、b-w-stepさんの主題「なぜ輪廻転生が必要なのでしょうか?」に対して応えますので、観術から観た悟りの世界や輪廻転生の世界のイメージを、大雑把ながら共有したいと思います。

人間は、目を開けたり閉じたりを繰り返します。
そして、起きたり寝たりを繰り返します。
やがて、生まれたり死んだりを繰り返します。

行ったり来たりします。

もし、ずっと目を開けたままでしたら・・・大変ですよね?固定は苦しいです。目を開けたままで固定の状態から見ますと、目を閉じる事はとてもオアシスで、スッキリします。このスッキリの感覚。これです!

目を閉じている間は、五感覚の現実は消えてなくなっています。

目を開けたり閉じたりをしている間、ずっと起きています。起きている状態のまま、目を開けたり閉じたりを行ったり来たりします。やがて、起きている状態のままではいられなくなって、起きている状態だけに留まっていたのが寝るという状態にまで行きます。

寝ている間は、五感覚の現実は消えてなくなっています。

そのままずっと寝ている状態が続いているかと言いますと、寝ている状態が出来なくなる時が来ます。そして、起きる状態にまで行きます。そうして、また目を開けたり閉じたりします。

目の開けたり閉じたりをしながら、起きたり寝たりをも繰り返し続けています。起きたり寝たりを繰り返している間は、生きている状態です。そして、ずっと生きている状態でいられるかと言いますと、それが出来なくなります。そして死んでいる状態にまで行きます。

死んでいる間は、五感覚の現実は消えてなくなっています。

そのまま死んでいる状態が続いているかと言いますと、死んでいる状態が出来なくなる時が来ます。そして、生まれている状態にまで行きます。そうして、また起きたり寝たり、目を開けたり閉じたりします。

イメージ図を描きながら交流できれば一番良いのですが、文字による文章のみで共有する事をご勘弁下さい。

行ったり来たりの動きのイメージの中で、更に深めたい事があります。

起きている時は、脳細胞が働いています。情報処理は脳細胞のレベルで行い、情報を引っ張ったり出したりするのは脳です。脳が生き生きしています。これが寝ている時はどうなるかと言いますと、脳は静かです。情報処理は脳ではなくてDNAですね。DNAレベルで、情報を出したり入れたりしています。それでは死んでいる時はどうなるかと言いますと、DNAは静かです。情報処理はDNAではなくて、魂ですね。魂レベルで、情報を出したり入れたりしています。

起きている時や生まれている時も、DNAや魂も働いているのですが、メインで使っている情報処理が違うという事です。寝ると体力が回復したり健康になるのは、DNAレベルでの情報の出し入れによって、細胞が初期化されているからです。

重要な事を共有します。

起きている時は、脳機能に固定しています。
寝ている時は、DNA機能に固定しています。
死んでいる時は、魂機能に固定しています。

それらは全部囚われです。

死んでも魂レベルで、情報を引っ張ったり出したり・・・死んでも尚、離れられない。それが輪廻転生です。悟りは、それを離れてスッキリの状態です。
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この回答へのお礼

目を開けたり閉じたりという例はとても分かりやすかったです。あなたは例をあげるのが非常に上手です。
非常に心苦しいのですが、指摘だけさせてください。
<これが寝ている時はどうなるかと言いますと、脳は静かです。>これは違います。人間の眠りにはREM(=rapid eye movement)睡眠とノンREM睡眠があります。このREM睡眠の時には脳は活発に活動しているようです。夢を見るために脳が頑張っているのですね。人間自体が夢を作り出していることは間違いないようです。カプラン臨床精神医学にその旨が記述されておりました。
<情報処理は脳ではなくてDNAですね。>これも違います。情報処理は脳の神経回路のネットワーク上をインパルスという微弱な電気が行き来して行われています。DNAはあくまでも『物質』に過ぎません。物質にすぎないDNAは単体では情報処理が出来ません。他の回答でもDNAに情報が刻まれる、とありました。しかしDNAはあくまでも『物質』であり、基本的に生きている間は変わりません。
<寝ると体力が回復したり健康になる>とは医学書には載っていません。逆に起きたときに風邪を引いた、と思うことが多くありませんか? 寝ることは疲れます。夢を見るからです。身体をよこたえること、そして目をつぶることが体力を回復するのですね。
<DNAレベルでの情報の出し入れ>DNAは情報を出し入れしません。情報はインパルスという微弱な電流によって脳内をいったりきたりするだけです。
<細胞が初期化されている>細胞は基本的に初期化されません。修復されるだけです。初期化されるのは
精細胞と卵細胞が作られる時のみです。
うるさく書いてすみませんでした。しかしあなた程の知的能力を持つ人がこれ程の基本的な間違いを犯すのが悲しかったです。
このたびは指摘ばかりで本当にすみませんでした。

お礼日時:2011/03/22 14:43

zakky74です。



>日本人は完ぺき主義なのかもしれませんね。繊細ですし……。

仰る通りです。そして、逆説的かもしれませんが、その完璧主義ゆえに悟りに最も近い存在でもあります。今から、日本では悟りが当たり前の時代になっていきますでしょう。そして、日本から世界へと広がるのは、日本の繊細さゆえです。楽しみに待っていて下さい。

>人間が無知というのはソクラテスも言っていました。彼のテーマは『無知の知』です。

そうですね。ソクラテスは、無知の知を説きました。これも悟りとはとても相性が良いもので、観術もよく引用させてもらうイメージです。無知の知について、そう遠くないうちに触れる時が来るだろうと予測しています。

>観術は『理解』がテーマと解釈しました。確かに現象の原因を説明するからこそ理解できます。

観術は、論理とイメージによる理解を大事にしています。

そして、その理解とは積み上げるタイプの理解もあれば、それ以上に特に大切にしているのは解くタイプの理解ですね。僕は今、この話の流れでは特に解くタイプ、手放すタイプの理解を意識しています。

知識の執着をまず離れる事が第一歩ですね。

知識の執着を離れるために知識を使う、今の時代はそれが大事であろうと思います。知に対する執着を如何に離れるのか、それがとても大切ですね。

1.1.概観~1.7.総括の流れの中で、今日は1.2.背景について触れてみようと思います。

人間は、実は真実と出会っているにも関わらず、その真実を観る事が出来ません。その理由を、人間自体が持っているのですが、その理由自体も見えない様に出来ている為に、真実を観る事が出来ないどころか、錯覚の中にいるという事にも気付かない状態です。

人類が生まれてから500万年もの間、繰り返し続けてきた事はそれです。それが現象として現れたのが四苦八苦であり無知です。そんな中で、今、人類の現在地を追っかけてみたいと思います。

昔、王様が社会の中心であった時代がありました。農業社会の時代です。この時は、王様だけが夢やビジョンを描く事ができるのでありまして、個人は夢やビジョンを描く事は許されませんでした。結婚の自由も引越しの自由も個人にはなく、王様の許可が無いと叶わない事でした。

この時代は、それが中心であり、そういう社会プレートでした。

ですが、中心の移動と社会プレートの移動が起きる様になりました。それがフランス市民革命やイギリス産業革命の牽引を受けて、社会の中心が王様から個人へと移動し、社会プレートも産業社会へと移り変わりました。

この中心を移動させるのに一役かったのが西洋の学術です。

社会の中心が個人になりますと、夢やビジョンを個人が自由に描く事が出来て、今では個人・家庭・企業・地域・国家までが多種多様に夢やビジョンを描きます。

西洋のルネッサンスとも言える人類史上の大事でございまして、文明は飛躍的に進歩しましたね。そして、西洋は個人一人ひとりが皆、力を付けていき、西洋列強諸国へと変化していきます。

とにかく、学術による大ヒット。人間が、花咲きます。
ここから大量生産・大量消費が盛んになります。

振り返りますと、今まで人類が幸せになろうとして色んな追求がありました。大雑把には2つあるかと思います。一つは、哀しみを減らす方法。これは、宗教・思想・哲学などが大きな役割を占めていたかと思います。もう一つは、喜びを増大させる方法。これは、科学技術を先頭にして多様なモノ商品を生産する事で叶えて来ました。

では、こんなにも宗教・思想・哲学に溢れ、モノ商品に溢れている今、果たして人類は幸せになっているのでしょうか?学者達が溢れ、知識・情報が溢れ、本当に人間は幸せな文明社会を創建できてるのでしょうか?

未だに、幸せになっていません。
未だに、四苦八苦・無知を解消解決できていません。

沢山のビジョン・夢・理想に溢れてはいても、まるでお互いが競争したり、同じ対象を奪い合っているかの様なビジョン戦争が起きてしまっています。つまり、今は溢れすぎているパンパン状態に来ていて、何をどうすれば突破できるのか、未だに答が出ていません。

一体、何が足りないから、一体、何と出会えていないから、未だに幸せになっていないのでしょうか?ビジョンとビジョンが競争し、戦争するビジョン戦争の時代を終わりにさせて、ビジョンとビジョンが次元上昇されたビジョンとして出会い、ビジョン同盟、大統合のビジョンの時代へと進むには、何と出会う必要があるのでしょうか?

四苦八苦・無知の原因を理解する事と、真に幸せな生き方をする事は直結しています。また、個人の生き方と文明の創建も直結しています。

如何でしょうか?
溢れてはいても幸せでない理由が観えてきますでしょうか?
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この回答へのお礼

とても面白い文章でした。
地震などで親戚が大変なのでお礼は短く切らせていただきます。すみません。あなたの他の質問に回答を書いたので、是非見て下さい。

お礼日時:2011/03/16 19:45
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