アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

宇宙はね、己の相補分化、なんですって。
つまり、自分をくりぬいた相手の型が、宇宙なんですって。
みんなは理解できないと思うけど本当だよ。私は理解できます。
なぜ、この説が一般化しないの?
異議のある人も、賛成の人も、自由に書き込んでください。

A 回答 (9件)

つまりは


巨大宇宙ダイアモンドの
一つのカット面のキラメキが
あなただということです。
    • good
    • 0

この世は唯物主義だからです。

    • good
    • 0

何となく分かりました。


勉強になりました。
ところで宇宙がどの様な存在かは分からないと思います。
私が以前こちらで書いた『多次元宇宙論』もありえます。
また、人によって生きている次元が違う(変な考えですみません)もありえるかもしれません。
例えばあなたはくりぬかれない相手の型かもしれませんが、私は創造者が見ている夢として宇宙の中を生きているかもしれません。
恐らく答えは出ないと思います。
    • good
    • 0

その説は、「自分は宇宙の一部ではない」という自己チュー宇宙論でしょう。



トンデモ説が一般化するほど、日本人、愚かでないあるよ。
    • good
    • 0

人間は


宇宙のミニチュア版「小宇宙」と言われています。
    • good
    • 0

ちょっと意地悪い感じになって申し訳ないけど、以前オタマさんは



>>誰が「宇宙は私の中にある」とか言ってんの?

>雪中庵(psytex)さんが言っています。彼は環境認識工学の先生です。
>「窮理の一夜漬け」で検索してごらん。全部書いてあるよ。

って、言っている。
と言うことは、自分も宇宙、自分の外も宇宙って事は、自分と他を分ける意味がない気もするけど
その辺はどうなのかな?
    • good
    • 0

ふむ。

勿論、ベーシックな概念だから理解できるけど、
鋳型に見立てた表現が結構的を得ていて面白いです。
哲学的な思考や観念は、一般化、とか標準化という、価値の表現体系の
言葉とは尤もかけ離れたものだから、その点については質問が成立しないと
思うけど、所謂存在論的な有無、虚実、表裏、自他など、ついつい二元論と
混同しがちな、でも基本中の基本思索について色んなアプローチで遊べて
面白いよね。 ただ、質問文章中の「みんなは理解できない~自由に書き込んで
下さい」まではつまらない。
ただの子供の陶酔と不安我にあり、でしかないから。
それは幼稚の代名詞だし、ありふれた陳腐な「天上天下唯我独尊」に
堕してしまうから。

自分は何者か、だの、宇宙観だの価値観だの青春期の光と影だの、
それは、浅い。 その思考自体の意味的なポテンシャルがとても低いから
せっかくのレベルを固定観念的な段階に落としてしまう。
鋳型だけに、嵌め込んでしまうわけです。
そういう雑味を除いて、純粋に思考の翼を広げて思索を楽しみましょう。

吹き飛ばされて飛び散る、のではなくて、その質量が消滅してしまう。
有であったものが無になってしまう。

今や古典的な概念となった原子物理学の対生成と対消滅のことですが、
「ある」ものは絶対に「ある」と想っていたニュートン物理学が
アインシュタイン達によってあたか架空の舞台の物語になってしまった。

あるエネルギーは物質の役を、あるエネルギーは時間や空間の役を演じている
物語が宇宙だ、と言う新概念のおかげで、空間は曲がるわブラックホールは
見つかるわ、時間は縮んだり止まったり、そもそも進んでさえいなかったりと
しっちゃかめっちゃかになった。

そうすると尚のこと、その各々の関係性とでも言えば良いのか、数式で表せる
美しいプログラムによるバーチャル空間のようなこの世界、と捉える時、
それを形あるものとして思索している私達の「私」とは一体全体誰なのか、
否、何なのか、という根源的な謎に対して、あなたが
先に書いた鋳型という捉え方がとても面白い輝きを増してきます。

「私」が「いる」というこの宇宙の中心点はいかなる機序による
明快な完結を見出せるのか。 ありふれた表現で恐縮ですが、
「私が存在する、というこの感覚は一体何?」
「私が例えば赤いものを赤いという、意味も感覚も含めて「認識」なり
「知覚」なりしている、この感覚は一体何?」
というような物語に連なっていきます。

ある時点から自分が絶対的に存在している、という観念は溶解し、
自分がいる、という感覚自体がいずこかの虚構が見ている夢のようなものだ、
その虚構自体がまたいずこかの・・・という入れ子のような無限論、
フラクタルな、単純な同じルーチンの無限の繰り返しによって生成される
様々な分化、数学的な構造に内包されている、ような考えも論理的には
成り立ってしまう。

私は他ならぬ私でしかなく、しかし私は誰でもあり、私は全てであり、
そして私は全てではない。などというαからオメガまで、等昔から人々が
想像していたメビウスの輪やクラインの壷のように、全てが連続している
宇宙である、という概念は・・・・鋳型の「形」という「意味」さえ
溶かしてしまったら出てくる視点です。 鋳型だけに、溶かすわけですね。

ああ、ついまた古典的な思考の檻に閉じ込められかけてしまう・・・

もっと飛んだ思考で遊びたい、真っ白な宇宙に、私は思考だけが無数の記憶群や
思考のパターン・スパークが閃き飛び交うシナプスのような電脳空間で形を失い、
エントロピーではない不思議な「主観的な力」、違う、何か意思のような・・・
えーい、丁度いい言葉が見つからない・・・によってバラバラに、しかし
原型を全くとどめたまま、広がっていく・・・薄まらず、場所も変わらず、
でもゼロになっていく。。。もう、サイケデリックなトリップですね。

我に返りました。

どうも、楽しませてもらいました。中々面白い「語」です。
鋳型、という哲学的な思考群をパッケージして記憶しておきますね。
私の中で別な思考ブロックのパーツとして大事に使わせて頂きます。

ありがとう。ではでは。
    • good
    • 0

>己の相補分化


頭が悪いのでよく理解できませんが、自分お頭で考えれば
>自分をくりぬいた相手の型が、宇宙
じゃあないでしょう。
おのれと、おのれを抜いた残りの型と、お互いに補い合ってひとつの一人前の宇宙を形作っていること ではないのかなーって思いますが、せっちゅうあんに笑われるかな。
どちらがなくても宇宙は成立しない、そういうことではないのではないのではないの?
そう考えれば実に常識的なおもしろくもなんともないことになってしまいますから、やっぱり違うのかな、この理解の仕方は。
    • good
    • 0

>なぜ、この説が一般化しないの?



 その説が一般化していないことを疑問に思う宇宙が 宇宙 だからです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!