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幼い頃に両親から普通に可愛がられた人は大人になったら
自分が与えてもらったものを人に返せるのだと思います。

では、可愛がってもらえなかった、素の自分を認めてもらえなかったら
一体どうやって人にも与えれば良いのでしょうか?

私は取り繕った自分しか認めてもらえませんでした。
(愛情表現をお互いに伝達できなかっただけかもしれません)

ずっと、誰かに愛されたい、愛されたいと思ってきました。
でも、愛されるには誰かを愛することが出来なければいけない。

普通の人は与えられ、与え、そしてまた与えられます。
当然、どんどん与えるのも上手くなる(与えるのが好きになる)
当然、誰からも好かれるようになる。

欠陥人間は頑張って与えようとするも上手くいかない。
好きな人がいても、上手く与えられない。
そこに上手く与えられる人はその人に上手く与えてしまう。
当然、与えてくれた人は好かれる。欠陥品は相手にもされない。
ますます与えることが出来なくなる(怖くなる)
負のスパイラルがずっと続くだけです。

人は綺麗なものを好みます、自ら汚いものを拾おうとはしません。

上手く与えられない人間、不器用な人間からわざわざ貰おうとする
メリットはありません、あるとしたらそれに付け込みたい悪い奴だけ。

上手な人を羨んでも、憎んでも何も始まりません。
でも、チャンスすら全て摘まれてしまいます。
(憎いと言うのではありません、それは素晴らしいと思いますが・・・)

だったら、もっと気を配って普通の人より早く動けばよい、そうかもしれません。
しかし、誰かが何かを必要とするのをずっと気にしながら
早い者勝ちみたいに考えるのは本末転倒の様な・・・ましてや
そこまで必死な目をしながら何かしよう、しようという人間は
もっと警戒されてしまう気がします。

打開策がありません・・・結局、愛されなかった人間はずっと愛されないまま。
愛される人間はどんどん愛される(適切に与えられるから)

もう、疲れました。いっそ消えてしまいたい、消えても誰も気にしない。
要領の良い人には絶対に勝てないのでしょうか?(勝ち負けではないかもしれませんが・・・)

A 回答 (5件)

育児書、幼児教育書などを読んで勉強してみてください。



あなたが子供になったことを想像して擬似的に愛してもらいましょう。
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こんばんは。



>上手く与えられない…不器用な人間から…貰…う…メリットはありません
人は、最も少ないコストで、目的を遂げようとします。

たとえ貴方が不器用でも、低コストで人に何かを与えられるのなら、周囲は貴方を愛するでしょう。

低コストで人に何かを与える事とは、
例えば、「気軽な挨拶」、「小さな親切」、「感謝」などです。

>チャンスすら全て摘まれてしまいます。
貴方は、誰かに対し、相手が先に、微笑みを与えてくれる事を、期待していませんか?

相手からの、微笑みが欲しいのなら、先ず自分から、相手に微笑みを与え、
相手からの、顔面パンチが欲しければ、先ず自分から、相手の顔面にパンチを食らわしてやれば、
相手は、相応の何かを返してくれます。

待っているだけでは、チャンスは別の誰かに、全て摘み取られてしまいますよ。

汝、求めよ、さらば与えられん。
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>愛されるには誰かを愛することが出来なければいけない。


>好きな人がいても、上手く与えられない

ここに答えがあるのではないでしょうか。
あなたは不器用ながらにも、うまく与えられなくても「好きな人」はいるのでしょう?
あなたの考えからしても、あなたは愛することが出来ているのだから、愛されるはずです。

異性であれば少し違うかもしれませんが、
同性であれば、悪意無く好きだ、仲良くなりたいと思って接すれば、
思いは伝わるはずです。

抽象的な表現が多すぎてよく分からないのですが、
具体的にはどのようにうまくいかないのでしょう?
そこを教えていただければ具体的にアドバイスできるかと思います。

ただ一つ言えるのは、あなたの文章を読んでいると、ずんずん心が重くなるような気がしました。
もしあなたが人と話す際にこのような「どうせ私はだめな人間なんだ・・・」というようなことを
延延と話をするようなら、そこが問題のような気がします。
「悲劇のヒロインにでもなったつもり?」と思う人もいるでしょう。
負の気持ちを吐き出すことは相手にも負の錘を渡すということです。
自分なんか・・・・と負の部分をさがすのではなく、
明るく笑うこと、人のいいところを探すこと、今日あったいい事を見つけるなど、
プラスのことを見つけることから始めてみては?
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要領がよいことと、愛されて育ったことは別の問題のような気がします。



愛されて育った人が愛を与えやすい、という部分は多少はあるかもしれませんが、あまりにも「愛されること」が当たり前すぎてしまった人の中には「愛されている」事実をきちんと把握できずに逆に「もっと」と思う人も少なからずいます。むしろ「愛される」ことがいかに大事なことか、尊いものか、それがわかっている質問者さんの方が、何も考えずに与えられることに慣れた人々よりもずっと他者を愛することができるのでは、と想像します。

また、愛情は「親」からしかもらえないものではありません。「友人」から「知り合い」からも「愛情」はもらえることができます。質問者さんは本当に今まで与えられていないのでしょうか?「親」からの愛情に固執してしまって、他の、例えば質問者さんのいうところの「愛を与えるのが容易な人々」からの愛情を拒否してしまっているところはありませんか?

>愛されるには誰かを愛することが出来なければいけない

私はそうは思いません。むしろ

愛されるにはまず「自分」を愛することが出来なければいけない

と思っています。自分が嫌いな人間は人を愛することができないと思います。なぜか?それは、自分を好きでない人は大抵自分の価値基準を人に求めるからです。自分がどれだけ愛されるか、で自分の価値を決めることになります。でも、実際に相手がどれだけ「好きだ」と言っても安心できません。なぜなら、結局自分が嫌いなままではその言葉も信じられないから。相手を愛している、と思っても、結局相手の応えてくれたことを信じられず、結果、相手への愛情も揺らいでしまうのです。

また、人間関係はギブ&テイクです。ただし、そこで大事なこととして「与えた分だけもらえる」ではなく、究極的に言えば誰もが「自分中心」であることを理解して上での「ギブ&テイク」である、ということ。例えば、誰かに何かをしてあげたいと思ったとき、いきなり自分の身を削っての「与える」行為では相手は引きます。(自分にそのつもりはなくても、相手がまともな人ならそう感じます。)また逆に「自分は身を削ったのだから相手もこれくらいしてくれて当然」では相手もついてきません。「自分を大事」にしたうえで、相手も「自分が大事」と思っていることを理解して接する。その上で、余力で何かできることはないか?と考えるくらいの方が与えられた相手にとっても気軽に「好意」を受け取れると思います。

誰かをあてにするのではなく、まずは自分を大事に愛してあげてください。他ならぬ自分自身です。誰に遠慮も無くめい一杯愛してもよいのです。この際自分の悪い部分なんか目をつぶってよいです。自分の好きな部分、例えば質問者さんの文章を見た限りだととても論理的で客観的に自分をみているように思います。それはなかなかできることではありません。ほめてよいです。また、「愛されてなかった」と思いながらも「愛されて要領よくしている人」を憎んでいない、ということ。これだって、同じ状況なら私は憎んでしまうかもしれません。そんな風に考えられるあなたは素敵な人なのです。

今は、負のスパイラルに陥っているように思うかもしれませんが、それだって自分でその状況をきっちりわかっている。現状を見れるなら対策もたてられます。一呼吸おいて、「でも私だって捨てたもんじゃないわ」と思っていればよいのです。

「愛されなかった」と誰かをあてにし続けるのは終わりにして、幸せな人生を自分で切り開いていってください。
幸せは、自分で手をのばしてつかみとるものですよ。

長文、失礼しました。
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皆、不完全な部分を持っているものです。

少なくとも、自分だけが欠陥があるとか、欠陥があるから受け入れられないと思う必要はないですよ。

他人と比べても、所詮は他人なので、あんまり労力を費やしてもしょうがないですよ。ちゃんと自分を受け入れて(自分を愛せるのは自分だけ)、周りの人を見て、自然と気遣うことができれば、対人関係という面ではよくなりますよ。全然、自虐的になる必要はないと思います。

上手くいかない時期はあります。目先の勝ち負けを気にせず、マイペースでやっていれば、いつかいい時期もきますよ。
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