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私は「雷」が好きだ。自分の野性が目覚める感じで。
「血湧き肉踊る」ほど興奮する。
自分の座右名に「雷」としたいほど好きです。
特に、山の中で、近くに太々と落ちるのが、大好き。

今回の地震災害では、津波の映像を観て、ドクンときました。
自然の力は、すごい。こんな人間はどうですか?
ただの馬鹿でしょうか?

A 回答 (10件)

馬鹿ではないでしょう


確かに自然の力はすごい そういう番組や映画なども多々あります
被害とは別の次元でわけてみている訳です
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大スペクタクルには大変興味を惹かれます


ああいう目に遭うことも身近な経験者も交友関係も得られずに四十代になってしまったからあまり実感がないのでしょう
こういう人はいますね

この回答への補足

ああいうめ、って何ですか?

補足日時:2011/03/26 03:02
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ドラマの「のだめカンタービレ」の峰くんを思い出しました。

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私は夕日や朝日の撮影も好きですが


稲妻の撮影を好んでました。

壁にかけた映像を観ながらワインを飲んでいますと
情熱が湧き上がってきます。

ただ、津波被害の映像は正視に堪えません。

アナタは莫迦などではありません。

世には
バカと言われると一人前の世界がございますね。
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 んー、まぁ・・・今回の大震災を引き合いに


出すまでもなく、割と居るタイプだと思いますよ(酔汗)

私も自宅の窓の外の電柱に落雷があれば、妙にドキドキしますし。
個人的には遠雷の響きが好き&心地良く思いますけどね・・・
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おたまさんはもう四十代になったんでしょう。



自分の評価を他者に求めなくてもよいのではないですか。

雷も台風もオーロラも好きですけどね。

先日の地震も、揺れ始めるやいなや慌てて外に出る人を見てましたよ。

こんな人間てどうなんだろう?
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>私は「雷」が好きだ。

自分の野性が目覚める感じで。「血湧き肉踊る」ほど興奮する。

やっぱり張飛タイプなのでしょうね。
突撃が得意だけど罠にかかりやすいタイプ。

革命をするにはパトロンやスポンサーを口説いたり、部下を宥めたりしないといけませんから
劉備の才能こそ革命家に適してます。
張飛は劉備のボディガード、もしくは突撃隊長に適任でしょうか。

張飛は柄にもなく城主になったときは、部下と喧嘩して追放されたり散々でした。
反対に、長坂の戦いの張飛は輝いていますね。
つまり馬鹿だから逆に輝けるということです。

この回答への補足

>つまり馬鹿だから逆に輝けるということです。

いい言葉を頂きました。
本当にありがとう。

補足日時:2011/03/26 03:00
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この回答へのお礼

なるほど、面白い喩えですね。
じゃあ、Pさんが革命家で、私は突撃隊長になりましょうか。
しかし、NPOしたいけど、資産無いと無理だな~

NPO貧困問題対応
NPO世界大革命

後者は、
貨幣制度の廃止
国会の廃止
企業制の廃止
です。すでに代替案はできあがっており、どこかでテストしたり、
スパコン使ってシュミレーションしたりしたいのだ。

お礼日時:2011/03/26 02:59

男なら出て見よ雷にいなびかり 横にとぶ火の野辺の夕立 



大海(おほうみ)の磯もとどろによする波 割れて碎けて裂けて散るかも 


ただし、今回の地震災害や津波の話しを「血湧き肉踊る」話と一緒に持ち出すのは、あんたはただの馬鹿だ。
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まず、「馬鹿」って言葉を他者に向けて言うときのことを考えてみよう。



人は馬鹿として生まれてくることは、まず、ないよね。
ここでは頭に障害を持って生まれてきた人のことは入っていない。

なぜなら、「馬鹿」って普通「罵りことば」、「決めつけことば」として使うでしょ。
生まれつき馬鹿の人はいない。馬鹿ってスタティックな状態ではなく、
ある日、ある時、何かをしたり、何かを言ったりした、その内容について、評価する気にならなくて「馬鹿馬鹿しい」とか、程度を超えて「常軌を逸している」とかに対して、「馬鹿!」ってふつう言う。

それは、ふつう、自分以外の誰かが自分の考えや行動を評価して言う。
あるいは、ふつう、自分が誰かの言葉や行動を見て評価して言う。

全能なる神はあなたをいつも見ています。こころの中のありようも呟きもすべてお見通しです。行いでは当然のこと、こころの中でも邪なことを思っても考えても煩わされてもいけません。なぜなら、神は、あなたの行いが神のみ心に忠実であるかどうかで死後の永遠の安楽を約束するからです。

と心底信じ切っている者以外のひとは、この世で生きていくその生活の幅、人間関係の幅、行動の幅、口をついて出てくる言葉の幅を、他者もある程度共通に持っていると了解して暮らし、行動し、関わりを持つ。時代や地域やそれぞれの生活信条により多少の違いはあっても、目に見えない「それ」は、はみ出すと強烈なカウンター・パワーを返してくる。

常識とか良識とか呼ばれる、そのある程度の範囲内に、その行動や言葉や関わりがあれば、一応、「馬鹿」って言われずに済む。

Otamaさんが、津波の映像を見て、血沸き肉踊る思いをしようが、それはOtamaさんの勝手となります。思うのは勝手。変態趣味であろうがなかろうが、1日のうちの大半を妄想とともに暮らしていようがいまいが、それはOtamaさんの勝手(家族は大変かも知れないけど)。

ただし、それが、変態趣味や妄想が、自分の枠を超えてはみ出すと、途端に他者の評価に晒される。それは他者の中で生きている以上避けられない。

だから、思っている時点でではなにもない。
ここで、他者の評価を求めた時点で、君はカウンター・パワーを受ける。そして「ただの馬鹿」という評価を頂戴する。

繰り返すけど、犯罪じゃなければ、他者からの「馬鹿」っていう評価は、叙述限定用法の形容詞にならないからね。

ここまで書いてきて、Otamaさん、きみは基本的に「構ってちゃん」なんだな、と思う。
それは別に悪いことじゃない。他者との関わりでは程度の差こそあれよくあることだしね。
別の人からは殆ど評価に結び付かない「質問の連投」も面白いと思うよ。
よくそんなに(失礼ながら)下らない(っていうか、ちょっとは自分で考えてみれよ、という)質問を次から次に考え付くなぁ、と率直にそう思う。
でも下らないからといって、排除しようとは思わないな。
排除したいというか、少々辟易してきたのは、質問を多発することより、回答を得てきても質問者に、全然、そして一向に成長が見られない、ということかな。

もちろん、ここは個人の成長を促す場じゃないから「十年一日」も許容されている。
でも、これも程度問題。質問して回答が得られたら、質問の内容を自分なりに深めるとか、そういうことは興味がないのかな、と思う。

だから、ただの「馬鹿」ってことなのかな。

ある質問で回答を見事に「誤読」して覚醒した「ひとのみち」さんも面白かったけど、Otamaさんも別な意味で面白い人なので、少しずつでもいい方向で変化していってもらえればいいのかな、と思います。

3月も終わりになってきたけどまだまだ寒いので十分自愛してくださいな。
ほんじゃ(^^)/。
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誰にでもある自然な感覚だと思います。


私も津波の映像を何度も食い入るように見ました。
自然の狂ったような脅威には人間の感情や情緒を挟む余地
などありません。理由もなくドクンときます。
自然の摂理は人間の営みの中にある倫理感とは無関係です。
感情的な理由なく、そうだからそうだという感覚が今の日本
には、すごく大事だと思います。
窮屈すぎる大層な形骸化に進み過ぎた倫理観はもう必要あり
ません。

アメリカから原発収束の為のロボットが送られてくるそうで
すが、こんな非常時にもアシモは未だにそれを応援するチア
リーディングの真似ぐらいしかできないでしょう。
「かわいい優秀な私たちのアシモちゃんはそんなことしなくて
いいの」と民間の研究部門でさえまるでお役人の天下り体質化
となしてしまったのでしょうか。アシモのフレーフレーのダン
ス姿には悲哀しかありませんね。
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