アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

平均的な東大合格者は、受験勉強に何割ぐらいのポテンシャルを使って受かってるのですか?

生活を犠牲にして勉強づけにならないと合格できないようなら、初めから東大なんか目指さない方がいいという話をたまに聞きます。

例えば、東大合格者は試験科目があと2、3科目増えても余裕で対処できるような余力を残している人達が多いのですか?

A 回答 (9件)

東大卒の社会人です。

おそらく、学力的にはあの大学の中では平均的な学生だったと思います。
仕事をしている今にして思えば、当時受験勉強に傾けていたのは8割くらいでしょうか。
(受験科目に対応する学校での該当する授業も含めて)
仕事をしていなかった当時は、8割以上の気分でいたかもしれません。
とはいえ、生活を犠牲にするのはまっぴらごめんでしたので、なにかを「我慢した」というのは記憶にありません。「○○をすることを控える」のはもちろんありましたが。

先の回答者さまがたの回答を読んで、うなずく箇所は沢山ありました。
わたしも「科目は多いほど有利」と考えるクチでした。
苦手な科目(数学ですが)もありましたが、それ以外の科目はおおむね平均かそれ以上いけると思っていましたので、苦手科目のマイナスをカバーするには、科目が多いほうがよいのです。
ですので、滑り止めの私立の入試のほうがなんとなくイヤでした。

なお、科目が増えることは、「余力を充てる」のではないんです。
効率よく、美味しいところを沢山つまみ食いするかんじです。
一皿の料理のソースの味や揚げた衣の成分まで分析しながら味わうより、多くの飲茶をパクパクつまんだほうが美味しくて楽しいので、勉強のモチベーションが下がりにくいという面もあります。結果、効率よく習得ができます。

「勝負士魂」というのも、苦笑するくらい、当たってます。

生活を犠牲にする人のうち、少なからずの人は、「生活を犠牲にしてまで頑張っているんだから、実力がついているはずだ。報われるはずだ」という暗示を自分にかけています。暗示の側面が大きくなると、より効率的な勉強、楽しい勉強ができなくなり、習得することが目的ではなくて、勉強をすること自体が目的になってしまう場合があります。それはときに無意味な勉強を本人に強いることになり、そのことに気づけない人が、不合格になりやすいのです。

東大はとてもよいところでした。
学究のたのしさや、知るということがとても新鮮なものであることや、自分の凡才さ(ひいては謙虚さ)・・・いろいろなことを教えてくれたほんとうに素敵な場所でした。
どんな小さくてくだらないことであっても、「知」や「考」ということに対して楽しさやオドロキを感じられる素養がある人に、あの大学は向いているような気がします。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。8割という数字は1つの目安になりました。科目数が多いほど勝負がつきやすくなると考えるのは、やっぱり私のような凡人とは別次元の発想だなあと思いました。色々お話を伺っていると、勉強に対して「鷹揚で構えない態度」を持っていられる人の方が合格者に多いように感じました。

お礼日時:2011/05/03 06:20

ちょっと補足しておきますね。



無勉強といっても、生活を根掘りは掘り聞き出すと、本人が自覚していない勉強をしているのが分かります。受験勉強はしていない、というだけで、日常の興味が学者さん並みの好奇心で、大学生が読むような本を、勉強の自覚なく読んでるんです。
こういう人は、多分、科目が増えたところで気にならないかも。

記述模試の解答に、バカみたいな長文の解法を書いて、採点を別枠でやらなきゃならないって人もこのタイプかも。受験問題集を見ないから、いわゆる「お約束」が通じない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。無勉強というのは受験勉強の枠をはみ出ちゃってるという意味ですね?
それから模試のエピソードは面白いですね。さもありなんという感じで…。

お礼日時:2011/05/01 04:56

>東大合格者は試験科目があと2、3科目増えても余裕で対処できるような余力を残している人達が多いのですか?



自分が受験する半年前にいきなり科目増が公表されたら(=これは制度上ありえません),そりゃあ面食らいます。でも,「これで勝敗がつきやすくなった」と開き直る,度胸というか勝負師魂は持ち合わせているでしょう。東大くらいを受ける層は,科目数が多いほど有利です。理系でも国語に漢文があるほうが有利です。すでにお答えがあるように,「理系でも文系でもいいよ」というレベルなのです。

>生活を犠牲にして勉強づけ

たまに勘違いしている人がいますが,これは大学に入ってから,とくに大学院に入院中のはなしです。どんどん厳しくなっていきますので,受験勉強で精力を使い切ったらしょうがないです。遊びは高校までにすませておく。いまふと思い出しましたが,ぼくは文芸部で駄文を書いてましたね。いっぽうで,電子工学の基礎も独学で習得しましたから,東京にでてきたときの感激のひとつは「これで毎日でもアキバのジャンク屋に通えるぞ!」。じっさいには勉強で忙しく,資金もありませんでしたが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。なるほど、大学院の勉強は受験で音を上げる程度の者では到底ついていけないくらい厳しいんですね?これは参考になりました。

お礼日時:2011/04/30 11:49

そのようなものは 測定不能。


私は、共通一次第一世代ですが、東大に入ってみて、理一のくせに日本史・世界史好きが多いことに驚いた。文系なんだか理系なんだか。

この前、在学中の学生さんが「私の東大受験体験」みたいなことで話していた。
東大に合格しましたと、高校の先生に報告したら、文一だと先生には思われたが、実際は理一で、文系なんだか理系なんだかという体質は、30年経っても受験生基質として変わっていないようだ。


生活を犠牲にして勉強づけにならないと合格できないようなら、初めから東大なんか目指さない方がいいという話をたまに聞きます。

前総長の小宮山さんの著書では「大学に入ってから燃え尽きなければ、どんな(不正でない限り)手段で入ってこようが構わない」とのことだ。

入れたら入れただけのことはあると思う(他の大学の経験はないが)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。参考になりました。なるほど、前総長がそんなことを…。「燃え尽きなければ」という条件が意味深ですね。それは「目的意識、意欲、執念、バイタリティー」なんかを持ってる事だと解釈してもいいんでしょうか…。

お礼日時:2011/04/30 07:05

この手の御質問にはいつもこう答えています。


集中して勉強出来る人、言い換えれば「勉強のやり方」が分かっている人は、能力次第で受かります。
それが出来無い人は必死に勉強しても合格後授業についていけずに退学します。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。やっぱり集中力と要領の良さがないとダメなのかなーと思いました。

お礼日時:2011/04/30 06:50

科目、というよりも、勉強時間では、東大の受験者が、他の難関大並に勉強をしていない、というのは、3割弱いるみたいですよ。


反対に、ホントに死ぬほど?勉強をしていた人は、落ちている側に多いみたいです。
合格者と、不合格者で、人数の多い勉強時間は、だいたい同じくらいですが、勉強時間が多い側の裾野が大きいのが不合格者の方という感じの分布です。

なお、無勉強、というのは、さすがに少数なんですが、ほとんど合格者にしかいません。

東大は分かりませんが、企業が大学の新卒を採るときに、「生活を犠牲にして勉強づけ」になった人に価値を見いだしているようです。受験勉強以上に働くことを学ぶ際に、そういうことに耐えられる資質には、きっと価値があるのでしょう。
さらに、体育会系は就職に有利、推薦合格は就職に不利、みたいですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。参考になりました。無勉強の層は合格者側に、勉強づけの層は不合格者側に多いというのは示唆的ですね。この辺が東大合格者の特徴なのかなと思いました。

お礼日時:2011/04/30 06:43

本人の能力により、いろいろいます。


まるっきり勉強しないで合格なんていう人はいませんが、かなり余裕があって、3年の夏まで部活をしていて合格した人も居ますし、浪人して精一杯頑張ってやっと入った人も、それでも落ちた人も。

つまり、余裕で入った人も、生活を犠牲にして入った人も、それでも入れなかった人も。

平均的なところは、かなり一生懸命勉強し、だからといって、何もかも犠牲にしてというほどではなく勉強した人かと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。人並みか、それをちょっと上回る程度の努力で受かるのが実相かなぁと思いました。

お礼日時:2011/04/30 06:34

身近な東京大学合格者に、姉(文2)と姪(理2)がいます。


また、従兄(文2)と従兄の子(理3)がいますが、少なくとも姉の場合は普通に勉強をしてました。
父親からの「国立大学しか進学を認めない」に対して平然としてました。
ですから、余裕を秘めてたのだと思いますが、商社勤めをしたい理由で経済学部を卒業しました。
その姉の独り娘(姪)は医学部(理3)を目指してましたが、自分の能力を悟ったようで理2から薬学部に進路変更しました。
不可解なのは、従兄の子です。
やはり、医学部を目指して東大理3に合格したそうですが、理3合格を辞退して慶応医学部に進路変更です。
因みに、従兄は一浪しての合格ですから、浪人中は予備校に通って懸命に勉強したようです。
ですから、東大合格者も己の実力を知って余裕で受験する者と多少は背伸びして合格する者が存在するはずです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。確かに個人の事情まで含めて考えると非常に難ししいですね。

お礼日時:2011/04/30 06:26

私は大学受験の当時、地方都市に住んでいて父親が定年退職していましたので自宅には現金がない頃で、実力的には東大に入れる程度でしたが、結局は地元の国立大学に入りました。


それはさておき、いわゆる難関大学に入るには、努力よりも動機・才能だと思っています。何時間勉強しないといけないとかいう公式が当てはまる世界ではありません。
また、そのような公式にすがるようでは合格しても先はありません。
同級生とかで実際に東大に行ったものは多くいますが、勉強はしていたようですが、将来の目標への一ステップとしてとらえていたようです。
私の経験では難関大学に入るには、やはり勉強の仕方がわかっていないといけないようです。このことは学校や予備校では教えてくれませんし、千差万別なんじゃないでしょうか。この勉強の仕方がわかり「わかった」ということが分かったのはその後の人生の大きな宝物になっていますね。
お答えになっていないようで申し訳ありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。参考になりました。目的意識やモチベーションも重要だと思いました。

お礼日時:2011/04/30 06:19

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!