プロが教えるわが家の防犯対策術!

17歳高校生女です。
高校生になってからいつも考えてしまうんですが、
勉強をする機会は公平なのでしょうか?実力とは何でしょうか?

日本の大学は入試が非常に難しいと言われていますし、実際そうですよね。
みんな入りたい大学に受かるように一生懸命勉強しています。
その中で、高いお金を出して塾に通ったり、通信教育を受けたり
優秀な家庭教師についてもらったりする人と、
そんなお金の余裕はなく、行きたい気持ちは山々だけれども出来ない人もいますよね。

大学は皆同じようにセンター試験や2次試験を受けて合否を決め、
賄賂などお金の力では直接的には入学する権利を得ることができませんが、
入学する権利を得る手段である学力は(この言い方は自分でも吐き気がしますが)
どれだけお金をつぎ込んでもいいのです。

有名難関大学に受かる人は、大抵は塾などの学校以外の教育の場所に
少なからずのお金はかけているのではないでしょうか。


また、私の通っている高校は私立なので公立だった中学のクラスメイトとどこか違います。
私立大学の授業料なんてとても払えない私の家庭では、必然的に
国公立の大学に受かるしか道はありません。必死に勉強しています。
しかし他のクラスメイトは落ちたら私立に行けばいいとか、
〇〇地方に住みたいから〇〇大学がいいと、お金の心配はまるでしていません。
国公立に受かる成績がないから私立でいいなんて、なんてお気楽なんだろうと。
挙句の果てには大学は遊ぶところだという子もいます。

学ぶ意欲よりお金の力が優っているように感じてならないのです。
私は有名大学に固執しているわけではありません。
行きたいと思っているところも違います。
ただ、いつもどこか歯がゆい気持ちでいます。

高校、大学は義務教育じゃないからといえばそれで片付くし、
もっと勉強すればいい話だ、という意見はもっともです。
しかし、これが今の社会の大人達の結論なのでしょうか?

A 回答 (8件)

 あやか 様は恵まれています。


資金が潤沢ではないが国公立ならいけるのですね。
 だから、勉強する意欲の湧く環境です。

>勉強をする機会は公平なのでしょうか?実力とは何でしょうか?
  判断の仕方は沢山あるので、すべて公平なことはあり得ません。


>学ぶ意欲よりお金の力が優っているように感じてならないのです。
  学ぶ意欲とお金の力は比べられません。
   基準が違います。
    学ぶ意欲は生育歴です。
     あやか 様は貴方の家庭に育ったから学ぶ意欲が湧いたのです。
  
  お金力も必要です。
    普通は親の財力です。 
   情報は有料です。図書館・新聞・TV・パソコン・参考書など、すべて無くても良いのです。
   しかし、どれも最低限必要です。 
 
 名門といわれる家庭は普通は質素のようです。
  蓄えと消費のバランスを考えます。
 成り上がりといわれる家庭は派手です。
  高級車やブランドで飾ります。
   一旦ことが起これば耐性はありません。

 国公立を目指した努力は別の機会でも役に立ちます。
 親の金で遊び惚けても、常に自覚していれば、体験は別の機会で役に立ちます。

 しっかり、目標を持って「あきらめないこと」に徹すれば、還暦過ぎて後悔しない人生を送れます。
 価値観をコロコロ変えては結局、なにが幸せか、自分で分からなくなります。

>ただ、いつもどこか歯がゆい気持ちでいます。

  まだあやかさんの方向・価値観が定まっていないのですね。
   高校も大学も仲間と語れることがすばらしいと思います。
  
 間もなく、胸きゅんの彼氏の存在が 考え方の新たな選択を迫るかも知れません。
   それが、信頼しているご両親と意見の対立になるかもしれません。

すべて、神様が与えてくれる公平な試練とチャンスです。    
  できるときにできることから済ましておきましょう。

 脅かすわけではありませんが、大震災のように人生何が起こるか分かりません。
  自分を大切に、高めるための努力はできるウチにやっておきましょう。

 蓄えがあればそれは、お金でも、知力でも、仲間でも良いのです。
  蓄えた経験で、瞬時に判断することを『 勘 』と言います。
   勘をとぎすませるように、不断の努力が必要です。
  利益と費用と損失を総合的に瞬時に判断するには、経験が必要です。
   但し、取り返しの付かない判断もあります。
    そこで、愛情ある親が介入してきます。
   介入の仕方もおやの生育歴で違いがあります。

最後にもう一つ。
 大震災で家族に必要なお金を得るために 首都圏で売春した主婦が摘発されました。
  売春がモラルとして受け入れられない私にはとも聞きたくないニュースでした。
   数十万円の持ち出しができたら、そんなことしなくて良かったのです。
    遊び仲間(若いときに遊び歩いた)がいれば、就職や他のことでも応援できたでしょう。

 息子の嫁の遊び仲間一家が被災して旦那の生家に体だけで転がり込んだそうです。
   「よし、旦那の生家の嫁さんが、不満漏らさないよう援護射撃だ。
    肩身の狭い思いはさせられない。」と息子夫婦たちは、
    女性の生理用品やホカロン?から日用品類を手分けして送り込んでいました。
  「余りゃ近所に配ればいい。近所でも無いはずだ。」と。

   勉強 という単語が曖昧なのですね。
     若いときに力一杯したことは、それなりに直ぐにできるようになります。
    それは教科書を読むことにプラスすることなので
   勉強と遊びは秤にかけないで、両方それなりに必要なのですね。
    いや絶対に比べてはいけないのです。 
還暦過ぎて、思います。
   
   
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教育とお金は本来は切り離して考えなければならない厳格さ


が必要です。ですから、たからずか音楽学校は清く正しく美
しい教育理念をもってしても、高校にはなれないのです。

現状はグレーゾーンでなんとか良心的にやっている、
食物科の公立高校の子供を前例的な危険にまきこまない為
にもこっそり粛々と法整備をしておく必要があるのです。
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 質問者さまのおっしゃるとおり、現在の日本では勉強をする機会は必ずしも平等ではありません。

他の回答者さまがおっしゃるように、保護者の年収と子どもの進学先の「偏差値」に対応関係があることはよく知られています。お金をつぎ込んだ分だけ、「偏差値」の大学に進学できる機会が拡大する、というのは確かであるようです。私たちの社会は、このことを問題視しており、なんとか是正の道を探っているところだと思います。こうした志向は、フェア(公正)な競争を目指すものであって、機会の均等ではなく結果の均等に重点を置く社会主義だとか全体主義に通じるものとはまったく別問題です。質問者さまも、「受験」がフェアな競争ではないというところに引っかかっているのですものね。
 ただ、日本の受験システムが、そういったアンフェア一辺倒かというと、そうではありません。質問者さまは「実力」についても気になさっておられますが、ほんとうに、「実力」とはなんでしょうか。受験では、まずは「学力(アチーブメント)」が試されます。ほとんどの場合、「学力」はインプットされたものをアウトプットする力のことを言うのですが、こうした力は、確かに学習塾などにお金をつぎ込んだ分、得られる値も高くなる、という種類のものかもしれません。しかし、内面や人間性を評価しようとするよりはずっと公正だということになっています。
 さらに言うと、じつのところ大学受験はそうした学力だけでは完了しません。各大学の入試問題をみていると、その大学あるいはその学部、あるいはその学科の先生方の、メッセージが伝わってきます。問題をつくっているのも、社会に対する問題意識をもった立派な大人です。大学の先生方にとっては、入試問題は受験生への大人からの「手紙」なのです。その「手紙」に、「うちの大学で学ぼうとするひとは、是非こういう力を身に付けてきてほしい」ということがかかれており、ほとんどの場合インプット=アウトプットであるような知識量だけではダメだよ、と書いてあるのではないでしょうか。
 もちろんなかには、大変な有名大学でも「ちょっとこれは私にはあわない」と思えるようなメッセージを発する試験問題もあります。日ごろから試験問題と根気良く格闘されていることと思いますから、そういった感覚をお持ちになられることもあるでしょう。ぜひ、大学選びに、そういった試験問題との対話を活かされ、質問者さまの考える、理想の「実力」を試そう、評価しようとする大学を受験なさってください。万が一そうした大学に合格することができなかったとしても、そのような「対話」を本気で目指した受験勉強は、大いに人生の糧になることがあります。
 また、蛇足ではありますが、私立大学でも「奨学金」制度や「特待生」制度が充実しており、質問者さまの条件に合致する大学がある可能性があります。現時点では日本社会における大学受験の現場全体としてはアンフェアだけれども、そのようにして、それを是正しバランスをとろうとしている取り組みはたくさんある、ということも是非評価いただけると、この社会をつくってきた一人の大人としては、すこし慰めになります。
 質問者さまの文章を拝見し、高校二年生か三年生にしては大変明晰で、健全な批判精神もお持ちであると感じました。17歳、18歳で学ぶことは後の人生に大いに役立つものと、年寄りの私は多少の経験から知っているつもりです。是非ともがむしゃらに、今しか出来ない勉学にさらにさらに励まれ、どのような結果であれ、あなたさま自らの力で未来を創り拓いてゆかれることをお祈りしております。
 長文失礼しました。
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>しかし、これが今の社会の大人達の結論なのでしょうか?



はい。そうです。

東京大学は国立大学ですよね。
誰でも受けられる。
では、受かった生徒の親の年収をみてみましょう。 平均で800万から1000万くらい。
どういうことかというと、金持ちの子供が東京大学に受かっている というわけです。

東京大学ですから裏口入学はなく実力です。
一見 フェアーに思えますが、その実力をつけるために、他の大学の生徒より高いお金が投資できる家庭の子供だってことです。

つまり高い学力を得た背景には、家庭がその子供が実力をつけるために必要な塾・教材・静かな部屋・勉強に必要な資材などをそろえてあげることができたので、子供はそれを利用して、学力をつけて、他の子と差をつけることができたってわけです。


他の子だって全力疾走しているが、ローラースケートを買ってもらえた子の方が、努力も少なく前に走れるってわけです。

塾も勉強に持つような教え方をする講師をそろえているところは、めちゃくちゃ高い。
だけど、教えるのがうまいので、実力が伸びていく。
生徒を伸ばす技術を持ている講師に高い給料を提示してスカウトする。
高い給料の講師を雇うので、当然塾代も高くなる。
それを支払える家庭に生まれていないと、ローラースケートを履いて走れない。


お友達は大学は知識を深めるために行くのではなく、大卒という肩書きを買いに行くという目的で、大学進学を考えているのだと思います。

それは海外の語学学校に短期留学する人と同じ動機。
海外留学の経験を持つという肩書きが欲しい、が 正規留学するためには、英語の実力も必要だし、国民じゃないので、国からの補助金は出ないので、学費は全額実費となり、大学の授業料だけ家が一軒つく金額がかかる。

お手軽に海外留学って肩書きを得るためには、ハワイの日本人だらけの語学学校に1月夏休みの間だけ行けば、海外留学を経験したことがあるといえるわけです。

別に海外の大学の知識など生きるうえで必要が無く、目的は自分の学歴を美化することなので、目的が達成できる海外の大学の一般聴講の講義でもいいわけです。
サッチーは海外留学と経歴に書いてるそうですが、大学の公開講義を聴講したので、海外留学したって経歴に書いているのだそうです。


そういうわけで、金持ちの子が質の良い教育機関で学べて、貧乏な子は金が無いから金持ちの子のようには得られない。
これは本人が原因ではなく運。
どこの家庭に生まれるかは、本人は決められない。

フェアーじゃないなんて と言うかもしれないが、生まれたときからフェアーじゃないんです。

持っている人は使えるが、持ってない人は使えない。
それではフェアーとはいえないということで、奨学金という制度がある。

だけど、家が金持ちな人が東大に入って奨学金を使うだろうか?

仲には子供の自立として、授業料は奨学金で払いなさいね って入学までフル援助し、おこづかいは月10万だけど、学費は奨学金を使わせる家庭もあるでしょう。
まあ、親の年収によっては奨学金を申請できない場合もあるが、親が望まぬ大学に入学したから、学費は援助してもらえないという訴えが通れば、奨学金を借りれると思う。

そして金持ちの家庭に生まれた以上、社会的成功をしている人の家庭の子になり、親の影響で一流企業に就職できたりするわけです。
企業は大学で応募者を選出するし、誰の紹介とか誰の子供 というオプションを持った子供が、知らない人の子より安全なので、採用するわけです。

そういうわけで、、、、フェアーじゃないですが、言ってもしかたないので、その他一般のエリートの家庭ではない家に生まれたものは、同じエリートの家庭じゃない人と、席を奪い合うことになるわけです。

仕方ないですよ。 これが資本主義社会ですから。
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あなたにとっての大学とは人生のゴールなのですか?


塾に行ったり家庭教師が付いたりすると簡単に大学に入れて、仮に失敗しても地方の私立に遊びで通えるのがうらやましいですか?

言っておきますが、大学は社会に出た時に必要な能力を身につける勉強をする場です。
そこに入るために苦労して身につけた学力は、誰かに与えられたものよりもしっかりあなたの身に付いているはずです。
そしてきちんと目標を持って大学に進学し、そこでも目的を持って勉強するあなたと、何となく受験して、大学なんて遊びに行くところだからどこでも一緒という気分の人間と、どちらがより自分を高められ、社会に出てから必要とされるのはどちらの人間ですか?

確かに大学に入るまで、というか大学生になるまでの勝負で考えれば、そこに達するまでの苦労は裕福な家庭の子供の方が有利でしょう。
しかしそれが本当に人生での有利と言えると思いますか?
今就活に際して自分が何をやりたいのかも分からず、適当な就活を続けた末どこにも就職できずとりあえずフリーターになり、数年過ごした末に正社員になれないと大慌てしているのは、大抵あなたがうらやましいと思っている人間ですよ。

あなたの人生において、一体何が本当の目的なのかをよく考えてみてください。
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今から10年もしないうちに随分と様変わりします。


早ければ5年です。

学歴や学問の土台は、全て西洋を土台としています。西洋はルネッサンスが起こっていますから、ルネッサンスの恩恵を蒙って学術が開花していくんですね。その西洋によって開花した学術を、僕たち日本人は基より、アジアの人たちは必死に暗記して学んでいます。

重要な事は、理解をしているのではなく暗記をしているという点です。

ところが、本Q&Aのサイトにもよく書き綴っておりますし、ブログにも記載していますが、今の時代となっては学術は土台が腐っている事が分かってきました。

つまり、理解しているのではなく暗記しかしていないという点です。

一流の大学に入った人たちが、戦争を推進する様な事をやっている・・・一体それの何がスゴイ事なんでしょうか?有名な大学の研究者や学者たちが沢山溢れている現代・・・だったら、2008年におきたサブプライムローン問題を回避させる事が何故できず、起きてしまった後に提出すべき代案も提出しないのは何故なのでしょうか?

また、3.11東日本大震災という危機を受けて、これを機会にチャンスへと反転させ、第二の高度経済成長期へと復興する為のビジョンを提案できないのは何故なのでしょうか?

学術の土台は腐っています。
今は、そこまで溢れている研究者や学者たちが沈黙しています。
不甲斐ない。

僕は、ayaka-1994さんが学術に希望を持ったり可能性を見出さない事を強く願います。今の時代、日本では学術よりも観術です。観術は、日本から東洋のルネッサンスを起こすものです。

西洋からきた学術を、理解もしないままただ覚えて暗記する学術の何が楽しいのでしょうか?また、世の中・社会に出ても何の役にも立たないどころか戦争や争いまで激化させる学術、そしてそこに沈黙する研究者・学者たち・・・学術の何が希望であり、何が未来なのでしょうか?

若者・学生たちの雇用問題一つ解決しません。
大学を出ても仕事場を与える事が出来ない学術。
もう学術に未来はないでしょう。

1が何なのか分からない数学者。
モノが何なのか分からない物理学者。
お金が何なのか分からない経済学者。
細胞が何なのか分からない生物学者。
考えが何なのか分からない哲学者。
心が何なのか分からない心理学者。


そんな学者が溢れています。
それが学術です。
一体何なのでしょうか?


学術の時代は終わっていますよ。

今からは観術に頼るのが宜しいかと思います。
観術をマスターした後に、学術は幾らでも勉強出来ます。
その時は、暗記ではなく、明確な理解となるのでとても楽しいですよ。

僕は、観術と触れる事を通して、それまでずっと追求してきた学術での疑問が全て解けました。学術の土台では、絶対に到達できない答であった事が今ではよく分かります。

遠回りになりましたが、言いたい事は一つです。
今から10年もしないうちに随分と様変わりします。
早ければ5年です。
気になさらなくて大丈夫!
むしろ、ayaka-1994さんが感じている事、その方向性で合っています。

ですから、そこまで悔しいのでしたら、早めに観術をマスターして、未来には学術をマスターした人たちを教える側に回っては如何でしょうか?スティーブン・ホーキング博士、リサ・ランドール博士、マイケル・サンデル教授・・・彼らは答を知りません。先に、ayaka-1994さんが答を得て、西洋の学者たち、そして日本の学者たちを教える側に回ってみてはどうかと思います。

僕も、社会の不公平さに悔しい思いや辛い思いを抱いた事があった一人ですが、今は逆に西洋や日本の学者たちが可哀想にも思えます。そのアプローチからでは答が得れないし、自己満足に終わってしまう事が明確に見えているからです。

知っているつもりで何も理解していない。
暗記しているけど、使いこなせていない。
それで、自分たちはエライと思い込んでいる。
(実際は、最先端の人ほど自分は何も知らない事を知っている)

とても可哀想です。

今では、より良い社会を実現する為に、学術の弱点を補う日常を送っています。ayaka-1994さんの力、若き力、とても大切な問題意識、それを次なる時代を創る為に使って頂けたらと思います。
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ご質問者さんの理想は、社会主義や全体主義の元になる考え方です。


一定の制限の中での完全なる平等。

日本は、自由主義かつ資本主義で、個人資産の継承が前提の社会です。
特に、文化的には、地縁や、家系、家の血縁を基調とした互助社会で、優秀な子ができたら、地域や親戚を推して助ける文化でした。
戦後、これが否定され、核家族の下での互助機能が失われて今になっています。

何が理想か、は、私にも分かりません。ただ、生まれついての完全なる平等の社会をうたった社会は、これまでまやかしだったり、国や集団として、今にのこれませんでした。
親は、子に、何かを残して、「自分の」子供に対してより良い未来を望む社会の方が、生まれた子が平等という社会より、国として栄えたんです。

日本国憲法で保証されている、教育の義務は、親が子に教育を受けさせる義務です。ここに、平等に、という概念は、子供を働かせたり、学校に行かせなかったりしては、いけませんよ、という意味で、質を保証してはいません。
わずか50年ほど前までは、そういう子が日本でも普通にいたんです。期待できない子に、教育の機会はなかった時代、今の憲法下でもありました。

そして、高校進学率が99%になったのは、平成に入ってから、大学進学率が5割を超えたのは、つい昨年です。
ちょっと前までは、差がものすごくありすぎて、それが当たり前の社会だったんです。
今は、やっと、ご質問者さんが考えられるように、背中が見える差になったんです。こうだったら、自分もこうできたのに、と、具体的にイメージ出来るような差の方が、より残酷なのかもしれません。ただ、今は、諦めずに手を伸ばし続ければ届く差なのかもしれませんよ。
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39歳男、大手電機メーカー勤務です。


ちなみに卒業大学は関西4大の1つといわれているところです。
冷静なあなたのご批判、ごもっともです。残念ながら教育の機会・質とお金とは格差が存在します。
そして今の社会はまだまだ学歴(というか大学名)による差別というか、差があります。
私の勤める会社も明らかに採用は国公立+有名私大(関関同立、早慶、MARCH)で、逆に言うとそれ以外からはほとんど不可能という状況です。

学ぶ意欲よりお金の力が優っているように感じてならないのです。→ごもっともです。しかしこれが現実です。
しかし考え方を変えてみると、例えば私大であれば、貴女のようにやりたいことが明確にあり、それが年次に沿ってストーリーが描けているのであれば、それをプレゼンテーションし認められれば授業料を免除してもらうことも可能です。また、留学等も有名大であればたくさんの提携先を持っており、安価で安全なところへ行けます。私立大も考えようによってはお金のかかるところでもないし、裕福でない家庭でも通える、色々な手を差し伸べています。(育英会奨学金、大学独自奨学金など)
この際、貴女はお金のことはご両親含め大人に任せておいて、自分磨き(学力含む)を徹底し、自分の夢を実現することに目を向けて頑張られてはどうでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。お金のことはいくら私が心配してもどうにもならないことです。
大学は過程に過ぎないし、自分の境遇を嘆いてもなにも始まりませんよね。
自分の本当にやりたいこと、夢に向かって前向きに頑張ろうと思います。

お礼日時:2011/05/18 07:43

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