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一日の内でほんの5分か10分なのですが、死について考えることがあります。

マンションを見ると「あの屋上から飛び降りたら死ぬのかな。今日飛び降りたら、明日の今ごろはもうないんだ」という風に。他にも線路沿いを歩きながら特急電車が通りすぎるのを見ている時とか。

実際にそれを行動に移そうとは思わない…というか怖くて移せないし、そんなことしたら大勢の人に迷惑かけるしとんでもないことだと分かっています。

それに、自分はたとえどんな高いところから飛び降りても死ぬことはなくて、大怪我で残りの人生きっと一生後悔して生きていくことになるんだ、と思っています。
楽して死ねることはないだろう、と思っています。

でも24時間中のほんの数分とはいえ、毎日そういうことを考えている自分が少し不安です。
何かあったときに衝動的に行動に移すんじゃないかという気がして。


誰でも死について考えることはあると思うのですが、毎日(ここ3か月ほどです)・現実的に(哲学としてではなく、という意味で)死について考えるという行為は心理的な面から何か理由があるのでしょうか?
口に出して話す話題でもないから、みんな言わないだけで、死について考えるのは自然なことなのでしょうか?

ぼんやりと死について考えてる自分が、自分自身つかめなくて怖い気がしたりします。
なので抽象的な質問ですが、死について考える人というのは例えばどんな心理状態なのか、教えてください。

よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

多くの人の支えによって


暮らしが成り立っているという自覚がないのと、
自身のライフデザインに描いた
目標を実現するために
完全燃焼できていないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに2点とも思い当たるところがあります。

的確な回答、ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/05 13:17

心理的なことは人それぞれとしか言いようがないですね。


個人的にはよく考えますよ。
私の場合は死にたいけど勇気がないからまじめに生きてるだけですけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

人それぞれですよね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/05 13:18

健康な人と病気の人によって違いがあると思います。


(といっても100%健康な人も100%病気な人もいませんが)

あなたが「健康な人」という前提で言ってみますと、

どんな健康に自信のある人でも、死に対する不安はある。
病気じゃなくても事故や天災、事件に巻き込まれれば人は死ぬ訳で。

「死ぬとどうなるのかな?」、と考えるのは知的好奇心。
「ああ、いっそ死んでしまいたい!」というのは現実逃避。

都市化が進んだ現代社会の中で、車や電車を見て、そう考えたことのない人の方が珍しいかもしれませんね。

「死への情動(タナトス)」なんて言葉もあるようですが、詳しくないので、他に譲ります。
検索してみても興味深いかもしれませんね。

人と交流していたり忙しくしていたりする中で、そんな衝動は消えていく、というのが経験から思うところです。
あまり考え過ぎないことをおすすめします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>都市化が進んだ現代社会の中で、車や電車を見て、そう考えたことのない人の方が珍しいかもしれませんね。

養老孟司さんの著書でも、趣旨は違ったかもしれないけれど、「都市化された現代社会の中では、何もかもコントロールできると考えがち」というようなものを読んだ記憶があります。
「都市化」された社会というのが一つの要因ではある気がします。


自分でも、どんな答を望んで何を求めて死について考えてしまうのか分かっていないので、fbeltさんのおっしゃる通りあまり考え過ぎないようにしようと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/05 13:33

私がバイクに乗る理由は2つ。


1つ目は自分でねじ1個まで気持ちを共有できるから。
2つ目は、ハンドルを一瞬右に切れば、いつでも相対速度100km/hオーバーだから。
だから切らない切れないというアンバランスの中のバランス。
人生、常に綱渡りだから楽しいのです。(あとで考えると)

スキーもバイクも何回転ぶかというかそういう乗り物。
転ばないで済ましてきた奴は。  ですよね。

ま、死ぬのはいつでも、簡単に、できるってことです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「アンバランスの中のバランス」という一言に、何だかはっとさせられました。
私は小心者だからか簡単に死ねるとは思えないけれど、確かに死ぬのはいつでもできるって思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/05 13:37

こんばんわ。



死ぬ事とか死について、今まで一度も考えた事がない人がいたら
私だったら、その人には怖くて怖くて近寄れません。。

何が怖いって、死ぬ事ほど怖いことってないじゃないですか。

子供の頃、死んだらどうなるの?って母親と話したこと
ありましたけど(その頃は死ぬという事について、よくわかって
なかったです。はは~)
いろいろと母親と話しているうちに、だんだんわかってきて
「死んだらお母さんと会えなくなるんだ」とか「わたしが居なくなって
皆泣いちゃうんだ」とか
ぼんやりとわかってきて。今でもわかってませんけどね。

生きている以上、死に対する恐怖っていつでもどこでもあると
思うんですよ。恐怖って、たぶん、最も根源的な本能じゃないかなあ、
って思うんです。
それに飛び降りたって痛そうだし、私は高いところ苦手なので・・・。

死について鈍感な人って、平気で学校の2階とかから飛び降りたり
しますよね。で、そのまま興奮したまま校庭へダダーっと走って
いっちゃって・・・グラウンドの真ん中あたりでいきなりバタッと
倒れちゃって。
結局病院に運ばれちゃったり・・・。
こういう人見て「死ぬ事とか考えた事ないんだろうなあ・・・」って
思いました。

とにかく何するかわからないので見ててもこっちが怖くて怖くて
ハラハラしますし。

ですから、死について考える貴方を不自然だとは思えません・・。
すっごく自然なんじゃないかなあ、と思います。
というか、むしろホッとします。

生きていれば、日々死ぬ事と向き合っているわけですしね。
それが自然だと私は思いますよ。
(ただ、死の考えにとりつかれて生気のない顔が続いてる
病んだ妄想が止まらない!とかでしたらご相談できる機関に
行ってみたほうが良いんじゃないかなあ、とは思いますけれど)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

いました。死について鈍感なのか危機を感じにくいのか、そういう人。
はらはらしますし、大丈夫なのかなって思います。
…やっぱり、多少は死について考えるのは、自然なことなのかな。

>生きていれば、日々死ぬ事と向き合っているわけですしね。

本当にそうですよね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/05 13:42

私も良く考えます。


中学生くらいからかな…今は30歳過ぎています。
でも生きてます。

大抵、単調な生活が続いてる時、もしくは人間関係で悩んでいる時ですね。

うつ状態の時とか…

私は精神安定剤を毎日飲んで生活しています。
悩みが重なると何もやる気が起きなくなって、ふとそんな事を考えてしまいます。

そうゆう時は、mini-minnyさんがおっしゃっている通り、人に多大な迷惑をかけるし死を怖いものだと
自分がちゃんとわかっているんだなぁ…と自分に感心します。ここ数年でやっとそう思える様に
なりました。

生きてるから悩むし、死に対して考えることができる。

何事も思ったり考えたりするのは自由ですよ。

だから自分を追い詰めないで下さいね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自分を追い詰めたらダメだって分かっているのですが、追い詰めないと答にたどり着けないってすぐに思ってしまいます。
苦労や苦痛を味わわないと、何かを得ることはできないって思い込んでるところがあるみたいです(日本人独特の思考の文化?なのでしょうか)。
ダメな癖ですね。

>何事も思ったり考えたりするのは自由ですよ。

そうですよね。
死について考えてるなんて、ちょっとおかしい人ていう感じなのかな?とどこかで自分自身を偏見の目で見ていましたが、考えるのは自由ですもんね!

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/05 13:55

>毎日そういうことを考えている自分が少し不安です。




お兄さん? かな お姉さん? かな。

ちと危なくありませんか??

「ウツ」の傾向ありませんか??
自分が気がつかなくとも、話してみて分かる事もあると
ウチの兄貴が話してましたから、ココだけじゃなく
家族や、友人、恋人にも 重い気持ちじゃなくて
普通に話されてみてはどうでしょうか?

人間、忙しければ、死ぬなんて考える暇がないと
兄貴が申しておりますが・・。
そういわれてても、・・ですよネぇ~。

通常は、毎日は考えないでしょう?

なので、 死について考えるというのは 別におかしくないし、
考えても 正常だけど、
「毎日」・・考えるのであれば 私からみれば 「ウツ」です。

専門的な知識なくして
 失礼いたしました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

抗不安薬と抗鬱薬は飲んでいますが、飲み忘れても平気だったりして
「アレ?私って何なんだろう。病気?ただの悩みやすい不器用な性格?なんなんだろう」
という状態です。
でもウツの傾向はあるのかもしれません。


>人間、忙しければ、死ぬなんて考える暇がないと
兄貴が申しておりますが・・。
そういわれてても、・・ですよネぇ~。

なんだか笑ってしましました。
本当にそうです。そういわれててもー・・・ていうところ、あります(笑)


回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/05 14:00

確か大学の時の授業で、一般人の心理には、



”破壊的行動”への欲望或いは衝動が、深層心理に潜んでいると聞いたのを覚えています。

高いところへ登ると飛び降りてみたくなる、運転をするとスピードを上げてみたくなる、といったことでした。それを抑えているのがなんだったか、ちょっと忘れました。すみません。常識的に考えれば、家族や友人への愛情であり、将来への希望であり、昨日今日と続いてきた惰性であり、もっと根源的な生への希求でありましょう。

そういった明るくポジティブな心の動きの隙間から、生まれたからには必ず死んでゆかなくてはならない定めが、例えば、失恋したり、病気になったりした時にちらちらと透けて見えることがあるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

今までは仕事がものすごく忙しく大変で、あまり考えすぎない…というより考えてる暇もなく、
ただ嫌なことがあっても嬉しいことがあってもほんの一時で、月日がただダーダーと流れるように過ぎて行く。という感じでした。

でもそんな仕事の毎日に耐え切れなかったようで、ネジが1本飛んでしまった感じで…ここ最近、休職したりしていました。

そういう状態だからこそ、普段潜んでいるものが今はちらちら透けて見える、というのはとても納得できます。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/05 14:05

>ぼんやりと死について考えてる自分が、自分自身つかめなくて怖い気がしたりします。


なので抽象的な質問ですが、死について考える人というのは例えばどんな心理状態なのか、教えてください。

宗教・哲学的思考の結果、死に関して考察するようになりました。
自分がいつ死んでもいいように、必ず1日の終わりにその日の感謝事項を挙げて床についています。
今日という日は二度と来ない、
超越的存在(自分を超えた)の定める自分の運命の中で最大限の努力をする、
肯定的に人生を捉えて自分の運命を全うする、
という認識を常に強めるよう別の訓練も行っています。

死に関して怖れるというより、
いつ来ても怖くないように又悔いのないように、今日この瞬間への集中力と洞察を強めるという感じです。
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この回答へのお礼

具体的な回答をくださり、ありがとうございます。

>いつ来ても怖くないように又悔いのないように、今日この瞬間への集中力と洞察を強めるという感じです。

死についてkappiehappyさんのような面から考えていなかったので、同じ「死について考える」でも、私もただやみくもにぐるぐる悩んでいるのではなく建設的に考えたいと思わされました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/05 14:10

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