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仕事では失敗ばかりのお荷物
若手に舌打ちされたり、バカにされたり…

家族、家庭から愛情は一切ない
親も他人。と、敬語で話し、他人さまの様に関わる

結果のみが尊重される日々

何もかもが嫌になり、死にたいしょうどうにかられます。

死なない為に、感情を捨てたいと思います。


私は周囲から常に見られている、比較されている、バカにされている…と、周りが気になり、何もできなくなります。。

周囲等、一切きにもとめず、淡々と仕事や人生をこなせば、寿命に到達できると考えたからです。


私には友達、恋人はいません。
両親とは絶縁シてます。

自殺しても悲しむ物はいません。
ただ、お金がないんです。    



人生は詰まらなく、笑うより泣く、悲しい、悔しい、憎い…方が圧倒的です。
世の中そうですが…多分、生きてかぎり、人生における快の経験はないです。


生きて行くために、無駄な感情を捨てたいです。
よろしくお願いします

A 回答 (11件中1~10件)

とにかく一呼吸置いて冷静になることです。

この回答への補足

冷静になるて、無感情になれますか?

補足日時:2011/06/10 22:28
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感情は必要です。


感情があるから、仕事を頑張ってこなそうとできるのです。
感情がなくなったら、仕事はもっとしにくくなりますよ。
悔しい気持ち、悲しい気持ち、その他色んな気持ちが、仕事をどう頑張ればいいか考えさせるのです。
今を逃げないで、なぜこうなるか考え、対策を練りませんか。
向上心を持ちましょうよ。
そしたら、人生はより良くなります。

この回答への補足

書き方が悪かったですね。
仕事だけではなく、人生全てに置いて無感情になりたいんです。
何も感じない。

ある人から、他人にたいして、過敏に反応しすぎる。気を遣いすぎだといわれたので。

何も感じない、淡々といたいんです。

補足日時:2011/06/10 22:28
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2011/06/11 05:48

仏門に入るぐらいしか思い浮かばない。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2011/06/11 03:08

(1)とらわれない心。


(2)こだわらない心。
(3)あなどらない心。
お釈迦様のお言葉です。合掌。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2011/06/11 03:13

それでいいと思います。



自分に対しての悪い感情は全て無くし、良い方向に向けて 平素の努力を大事にして下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2011/06/11 03:14

自殺したら、悲しんでくれないでしょうが、普通に死んだときに、自分のために何人が心から泣いてくれるのか?



そういう人を少しでも作れるように、生きないと、だめでしょうね。

馬鹿にされても、人のために頑張って生きれば、何か変わります。
自分が過ごし易い人生だけを求めているから、逆効果になるんじゃないでしょうか。

生きていくために、感情は大事です。
感情を捨てて生きても、成長しません。

逃げることを考えないで、向かって乗り越えていくことを考えましょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2011/06/11 05:30

これって集中力さえあれば、


何とかなる問題ばかりですね。

いっその事、無感情などではなく、
不動心を求めて坐禅をしてみてはいかが?

快も不快も、仕事も、人間関係も、
生きるも死ぬも関係なく、全身これ緊張の中、
坐っている事すら忘れて坐る。

ただ、一心不乱の境地を目指して・・・。

日頃、辛い思いをしているだけに、
続くと思いますけどね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2011/06/11 05:29

感情を捨てるのは難しいです。


それは、何物にもときめかず、何物にも憎まない。
それは、とても難しいです。
だから、私は外で他人といるときは、何を言われても
頭では理解するけれど、心ではシャットアウトします。
笑顔で切り返しをしますが、実は、全てを冷めた目で見ます。
そして、自分1人でいるときは、好きに過ごします。
私は周りの人から好かれている方ですが、
そういう風に過ごしていると、とても楽ちんです。
なるべく、感情は手放さないことが一番の手だと思います。
でも、感情を自分と切り離したいならば、
全てをシャットアウトすると、案外簡単にできます。
私は、できるだけ多くの人に幸せでいてほしいです。
だから、最終的にはなるべくあなたが幸せになれる道を選んでください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2011/06/11 05:27

感情を捨てればあなたは人間じゃなくなります。


私も毎日毎日絶望していますよ。
うまくいかない自分の人生が辛くて辛くてたまりません。ですが、私には絶対に捨てたくないものがあります。
それは信念です。成功している人がうらやましい。
毎日楽しそうな人たちが憎い。
自分を馬鹿にして楽しんでいる人を地獄に陥れたい。
そんな人たちは関係ないのです。努力して勝ち取れば何者にも文句はつけられない。
そのためにも曲げられないものを持つのは大切だと思います。
そして、信念と同じように大切なのは「楽しむこと」だと思います。
あなたは今こなしている仕事が楽しいですか?それとも「実はこういう仕事がしたい」と思っていますか?
今の仕事が楽しいのであれば、大いに楽しんでください。誇りを持ってください。
それが成功と幸せをつかむ手段です。
ほかの仕事がしたいのであれば、迷わずその道に進んでください。
「夢をかなえるゾウ」って知っていますか?よかったら読んでみてください。
変わりたいのであればまず私生活から改善するのが大切ですよ。

私が言えることはこれぐらいです役に立つかどうかはわかりませんが今のあなたに私は伝えたいことをつたえました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2011/06/11 05:28

人間の主観作用にとって感情ほど重要なものはありません。


最高度の知的作用によって、冷静な判断に基づいた客観性を追求し、また実現しようとしても、判断に至る段階では、人は例外なく、どこかに納得しなければなりません。
この「納得」という行為には、感情が大きく関わっているのです。
早い話が、納得は感情領域に属する行為だということです。
なので、どんなに冷静さを誇る感情がないかのように見える人でも、感情すらないということはありえません。
最後の最後は感情から切り離しては人間を問うことはできないと思います。
あなたにとっては、感情が邪魔だからといって、それを無くしたいと思ったのでしょうけれど、
それは両刃の刃となって、自分に跳ね返ってくることでしょう。
感情を無くした瞬間から、さらなる地獄を見出すようになるでしょう。
というより、もともとあった感情を無くすこと自体不可能であることでしょう。
四肢五体や五臓六腑や60兆細胞が、最初からワンセットになってそろっていたのと同様に、感情作用もまた心の三機能(=知・情・意)に属し、且つ最重要機能でもありますのでね・・・
身近な例で、ありがちな発想の例を紹介します。
昔読んだ漫画で有名な「北斗の拳」というのがありますが、あなたも読んだことはあるでしょうか?
そこに聖帝サウザーという非情な人間が登場し、主人公の前に立ちはだかるのですが、彼がどうして愛を捨てて非情になったかを回想するくだりがありますが、彼の非情さの理由は、愛する人(お師さん=拳法の先生)の死があまりにも悲しかったからです。
彼の心に芽生えたのは、「お師さんの死がこんなにまで悲しいのなら、愛などいらない」という思いでした。彼の恩師への愛情の深さが、皮肉にも彼を非情な人間に変えるきっかけとなったのでした。
あなたもわかると思いますが、彼の感情や発想はわからないでもないが、明らかに本末転倒な展開になってしまったわけです。
彼の師を思う愛情は素晴らしい以外のなにものでもありません。
悲しみの深さは、愛情の深さの裏返しだからです。
愛深きゆえに生まれた悲しみであったのです。しかし、こともあろうに彼は悲しみたくないがゆえに愛を否定して非情になろうとした。
彼の間違いがわかりますか?
悲しみの乗り越え方が本末転倒だったのです。
恩師の死を悲しむまではいいのですが、その悲しみを拒否してはならなかったのです。
その悲しみを受け入れ、自己の胸にしっかり刻み、更なる愛情を内に纏えばよかったのです。
悲しみの否定が=愛情の否定となってしまえば、そこに不自然な歪みが生じるのは避けられません。
愛情は素晴らしいものじゃありませんか!!誰でも彼ほどの愛情を身に着けられるものでもありません。
彼は愛が素晴らしい人間なのに、それを否定し非情になってどうするや!!本末転倒ですよね。
ですからあなたも、感情がない方が良いのだと思うほどの人生だったことは判りますが、だからといって全否定は、決していい結果を生まないと思います。
それが自然ではなく、不自然だからです。
否定したくなる思いは、あなたに限らず誰にでもあることでしょう。
しかし、否定の本質は、情の転換です。
本来否定されれば、嫌な気持ちになるのが普通ですが、嫌だからといってそれを拒否するだけでは、本質的な解決にはなりません。
本質は、嫌な思いを素晴らしく思えるようになるということです。
嫌なことを喜ぶには、賢明にそして必死に生きて情の秘訣を知ることです。
情の問題は、回避や逃避や拒絶によって解決されるのではなく、情の昇華(=いっきに飛び越える)でなされるのです。そこに辿り着いた時、人間の情の秘訣や素晴らしさを実感できるのです。
両刃の刃だと言ったのは、情そのものを否定してしまえば、同時に、そういう情の奥深さを知ることもできなくなってしまうからです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます

お礼日時:2011/06/11 05:25

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