プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

カウンセラーや心理学に詳しい方に聞きたいんですが
もちろん、それ以外の方でも大丈夫です。

仮定の話として、事故や病気などで手や足を失った方がいるとします。
そういった人たちは、身体的コンプレックスと失った喪失感、それにより
強い絶望感を感じると思うのですが、そういった人たちの心のケアは
どのようにされているのでしょうか?
つまり、変えられない身体的な問題が心に作用している時、そして
その身体的な問題は医学的・物理的に取り戻せない時、どのように
カウンセリングをして患者に受け止めさせ希望を見出せしているのでしょうか?

A 回答 (3件)

患者さんによりけりかと思います。



受け止められない人に受け止めるとどの角度から訴えてもそれは無駄でしょ?
この人は、こういうことを受け止められない。では、違う方法で。

カウンセリングは、こういう事例にはこの方法でとは教わりますが、それを10人に対してすべてそう行うことはありません。

10人いてもこの方法ではないほうがいいとなれば、その方法を使います。

一応、一つの方法として、障害のある人には、こういう方法があります。ということは習っても、それがすべてに通用するとは、学んでいる人は思いませんよ。

今回ならば、片腕をなくしたことで、ある人はそのままの姿を進める人もいれば、器具を用いることを進める人もいるでしょうし。
まずは、そうなった経緯を受け止めさせて、それから今腕がないことについてを考えさせるカウンセラーさんもいるでしょうね。

大学での講義ではないので、参考にならないかもしれませんが。
まずはクライアントをよく観察するよう、そういう目をもつよう指導されました。
落ち着きがない人だとか、髪を触りながらしゃべると饒舌になる人だとか、自分から話したがらない人だとか、そういう観察から、言葉の観察をし、そして、どう進めていくか決めていく。
でもその通りいかなければ、また、最初から戻る方法もあるし、進路変更をする人もいますので。

カウンセラーは、常にこういう持って行き方をするとは断言できません。
あくまで、クライアントと面談し、その時になってもしくは若干時間をかけてカウンセリングをしていきますので。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

人によって違うのですね。個人の性格や癖などから、治療方針を
変更するとはプロだなと思いました。

お礼日時:2011/07/10 21:54

私は私にカウンセリングしました



私は自分のやりたいことをやって脳座礁(以前のような考える能力記憶力はなくなりました)足の痺れ半分麻痺状態、目もものが2つに見えます
こんな状態になってしまいました
今ももう元へは戻りません
そしてそのやりたいことはもう出来ない体になりました
一時死のうとも考えました

私がカウンセラーなら

今の体になってしまったのは何故か
私は好きなことやってその結果が今です
なら満足じゃないか
そこまでやれたのではないか

もし自分に非があるなら
それは受け止めるしかない

もし自分は全然悪くないとしたら
運命として受け止めるしかない
その中でも
まだこの程度で済んだということに幸せを感じさせる

次に

今の体を認めさせる
もう前のような体はない
今の自分から目を背けない

それから

一番言いたいのが
まだまだもっと辛い思いしてる人はいる
そんな人たちにはずかしくないのか
この程度で
この程度で一番不幸だなんて言うな
辛い思いしてる人はたくさんいる
それでも生きている
その人たちの笑顔を見られるか
余ったれるな

もうこんな体になってしまった以上
元に戻らないのなら
その体があなた
もう変えることは出来ない
一生付き合っていくんだ
それをしなくてはいけないのがあなたで
あなたにしか出来ない

私はこういう場合はその人の辛さは聞きません
まだまだ可愛いもんだ
こんなところで弱音を吐くなって言いたい

実際には辛いのがよくわかるから
だからそれに負けないで欲しいから
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

何か古傷を蒸し返してしまってすいませんでした。
心の強さに感服しました。

お礼日時:2011/07/10 21:53

「受容」のレベルは個人差があるじゃない?


本当に当然の、圧倒的で、一方的なアクシデントなのと。
病気などのある程度のプロセスを経ての喪失感と。
その人の事情によっても全く違うんだよね?
尚且つその人の性格もある。生活環境もある。
担っていた役割もある。立場もある。
直ぐに受け止め「させて」、希望の光を~という部分を
急かさない事が重要になる。
あくまでナビゲーターだから。
その人のペースを何よりも尊重して。
丁寧に丁寧に向き合っていく事になるんじゃないかな?
勿論ナビゲートしていく中で脱線しそうになる事もあれば、
全然動かない停滞が続いてしまう事もある。
でも、それも長い目で見ていくと「過程」の一つなんだよね?
どうしても目に見える今「だけ」に集中しがちになる。
本人だけではなくて、身近な人も煽りを受けてしまう。
それに対して専門家は。
今に対しても丁寧に、誠実に向き合うと「同時」に。
長い目で見た、鳥瞰的に受け止めた姿勢も持ち合わせている。
だからこそ、辛い状況にある今の相手を受け止めながらも。
導き手としての役割も担っていける。
簡単な事ではない。臨床の経験がモノを言う。
ただ、
直ぐに希望の光とか、特別な何かを見せようとか、感じさせようとか。
そういう「気負い」は持ち込まないんだと思う。
受容自体が、既に一つの希望だから。
後は相手のペースで、その希望に沿ったこれからを描いていく。
それは急かすものでもなくて、一気に提示するものでもないんだよね?
あまりにゆったり構え過ぎても。
今という時間でもがいている患者には遠く感じてしまう。
かと言ってあまりに深く深く相手の事情に連帯してしまう事で。
ナビゲーターとしての距離が取れなくなってしまう事もある。
お互いに苦しくなる。
そこは難しい所だよね?
一人一人事情が違う。
ケースワークのようには行かない。
その部分の「弁え」がある人が担っていけるのが理想だよね☆
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

人にってケースバイケースだが、焦りは禁物ということですね。

お礼日時:2011/07/10 21:50

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