この世には、最も美しい音楽があるらしい。それはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、それも第二楽章だそうだ。何でそれが一番かと言うと、優れた音楽家達に貴方が優れていると思う曲を5曲挙げてくれと聞くと、その5曲の中に選ばれる中でこの曲が一番多いからだと聞いたことがある。確かに、この第二楽章は聞けば聞くほど天上の音楽と言われるにふさわしいと私も思った。
ところで、同じ言で言うと、日本の小説家の書く文章の中で最も優れた文章は何かと聞くと、小説家連中は志賀直哉の『城の崎にて』を選ぶと聞いたことがある。
で、質問だが、どうしてこれが日本一の名文と言えるのか、解説してくれないか。私が読んでみて、確かに無駄のない簡潔な文章だとは思ったが、正直言って、ヘー、これが日本一ねえってな印象も同時に持った。誰か上手い説明をして下さいませんか。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
まあ、菊池寛の「志賀直哉氏の作品」をじっくり読んでみてください。
どうですか、わかりましたか。
わからん?
オリンピックの競走じゃあるまいし、誰が一番なんてわかるはずがありません。
こんなもの、その世界の権威者の言ったもん勝ち(言われたもん勝ち)なのです。
みんなそうだそうだってことになってしまいます。
菊池寛 「志賀直哉氏の作品」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/1388_ …
有り難うございます。お礼が遅れてしまいましたが、私は久々に日本を訪れ、ここ数日激務が続いておりました。
やはり聞いてみるものですね。菊池寛の感想は大変参考になりました。
No.6
- 回答日時:
あまりに静かすぎるので、またお邪魔してみました。
なんか老子の道徳経で、「上善如水」てゆーのがあったので
てきとーにコピーしてきました。
「水は万物を助け育てながらも自己主張せず、
誰しも嫌う低きへ低きへと下る。
水は低い所に留まっているが、その心は深く静かである。
与えるにわけへだてがない。
言動に偽りがない。
おさまるべき時には必ずおさまる。
働きには無理がない。
時にしたがって、変転流動して窮まることがない。 」
ちょっとだけ僕が講釈します。
面白いのか?・・・・・・・・いや、ちっとも面白くない。
興味をそそられるのか?・・・・・・・いや、ぜんぜん。
表現が困難極まりないのか?・・・いや、明瞭である。
強烈なのか?・・・・・いや、むしろ弱い。
きらびやかなのか?・・・・・いや、素朴である。
不可解なのか・・・・・いや、自然である。
泥臭いのか?・・・・・いや、洗練されている。
では、ぜんたい何なのだ?
これすなわち道ではないのか。
また余計な事をしたかもしれません。
再度の回答、有り難うございます。お礼が遅れてしまいましたが、私は久々に日本を訪れ、ここ数日激務が続いておりました。
私は「上善如水」の名前を酒の名前で知りました。私が30年以上前に日本を出たときには、酒には特級酒、一級酒、二級酒と言う分類しかなく、数年前に久しぶりに日本を訪れたときに、吟醸だ、大吟醸だと、全く訳の解らない分類があって驚きました。そこで、ある地方酒屋さんで、フルーティーな酒はないかと聞いた時に紹介された酒が「上善如水」でした。
No.4
- 回答日時:
小説の神様といわれた方ですから、そのひとの代表作(最も著名な作品)を上げておけば無難だ、と彼らは思ったのかもしれません(笑;)。
自然描写について、志賀直哉とは異なったタイプの三島由紀夫も、彼の文章読本では、志賀の卓越した力を認めています。彼があげたそれは「暗夜行路」のラスト部分ですが。
「城の崎にて」も自然描写が大部分を占めますし、それが作者の心理状態とまざりあって抽象化されるところはなるほど見事だと素人である私なども思えるところはあります。
自然描写と言うのは確かに文章力のありなしが最も試される部分だと思います。また、日本の文学において最も特徴的な、重点的な分野だったことも(これが代表とされる理由に)あるのではないかと思います。
中村明というひとの「名文」という本にある名文の定義のなかでは、「個性がない」ということがあげられています。いわゆる美文とはちがい、無駄のない、分かりやすい、お手本にできるような文ということでしょう。そういう意味で簡潔な志賀直哉の文章が「名文」と言われるのは理解できます。
ちなみに中村氏のその中では志賀直哉の「名文」には「山鳩」があげられています。
>どうしてこれが日本一の名文と言えるのか、解説してくれないか
申し訳ありません。私には出来ません。本来無理なことかもしれないとも思います。
No.2
- 回答日時:
> 小説家連中は志賀直哉の『城の崎にて』を選ぶと聞いたことがある。
というのは「ほんまかいな」とは思いますが、少なくとも「文章」という点に絞っていうなら、この『城之崎にて』という短編小説は、明治の言文一致体による文章改革から始まり、自然主義文学へといたった日本近代文学の、到達点にあたる作品のひとつであるとは言えると思います。
ここで別に文学史の講義をするつもりはありませんが、明治文学が今日のわたしたちに残した最大の遺産は「言文一致体」といって間違いはないでしょう。言文一致の自由な文体は、決まり決まった文章の作法にとらわれず、感情の細やかな動きや、内面を直接描かず悟らせる周到な描写を可能にし、そのことがやがて私小説へとつながっていきました。
私小説は当初、田山花袋の『蒲団』に代表されるように、作家の生活の危機の表現であったのですが、その劇的な構成すらも、やがては「虚飾」とみなされるようになっていきます。そこから劇的要素のまったくない、小説が物語から受け継いだストーリーや構成を避け、文章からも一切の虚飾をはぎ取って、「事実ありのままの感覚」を読者に与えることを目指すようになっていきます。ストーリーのある長編より、ストーリーのない短編の方が、嘘がない、真実により近い、それを小説の「純化」であると大正期の文学者たちは考えたのです。
『城の崎にて』という短編が書かれ、そうしてまた評価されたのはそういう時代だったことをまず頭に置いていただければ、と思います。
その上で、もう少し作品に即して見てみましょう。
最初に出てくるのは蜂です。
谷崎潤一郎は『文章讀本』の中で
「蜂は羽目のあはひから摩拔けて出ると……飛び立つと急に早くなつて飛んで行く。」
という一節を引用して、「寫生文のもつともすぐれたもの」と最上級の賛辞をおくっています。「ぶーん」という音の表記までも「嚴密なものである」としているのです。この「嚴密」をもう少し説明します。
抽象的な文章ではない、具体を記述しようとした経験のある人ならわかると思うのですが、目の前のコップにせよ、家にいるネコにせよ、脚をギプスで固定されたときの自分が歩くようすにせよ、描写というのはほんとうにむずかしいものです。
というのも、意味というのは、言葉が現実に対して抽象的であるように、それ自身抽象的なものだからです。意味は普遍化する性質をそれ自身のなかに持っているので、だからこそ個別具体的なものごとを人に伝えることもできる。反面、言葉にした瞬間、この世にたった一匹しかいない我が家のネコも、一度きりしかない経験も、本来の唯一性を失い、普遍的な相の中に置かれます。
そこでなおかつそのものごとや経験の唯一性を保持するためにはどうしたらいいか。
それは、そのものごとや経験の意味を、「自分にとってどういうものか」だけではなく、同様に他人にとってもどのような経験になり得るかをはっきり究めなければならない。そうして初めて抽象的な言葉を組み合わせ、自分独自の表現を生み出すことが可能になってくるのです。
自分独自の表現を生み出すことに苦闘した谷崎であるからこそ、「ブーン」でも「ぶうん」でもなく「ぶーん」という表記を、「嚴密」と高く評価したのでしょう。
さて、話を先に進めます。
「或朝の事…」から始まる「自分」がその蜂が死んでいるのを見つける段落です。
ここでは
・死んでいる蜂のようす
・ほかの蜂が「一向冷淡」なようす
・夜になってほかの蜂が巣に入ってからも死んだ蜂は冷たい瓦の上に残っているようす
が描かれます。
一見するとこの箇所は、先に挙げた箇所同様、写生文のように見えますが、そうではなくアレゴリーとなっています。
ここに出てくる「自分」=作者自身は、市電にはねられて、からくも命拾いした人物で、「城の崎」にいるのは、大けがをし、療養のためなのです。作者は「自分」としか書いていませんが、そうした事故のことや主人公の人柄についての予備知識は読者が持っていることが前提とされています(それが当時の私小説の一般的な読み方でした)。
ですから、ここで描かれているのは蜂の死ですが、それは一種の擬人法にほかなりません。
死んだ蜂は「象徴」ではなく、こうなったかもしれない「現実」としての「自分の死」です。そうして作者はそれを「淋しかつた」「如何にも靜かだつた」「自分はその靜かさに親しみを感じた」と書くのです。
細部を掘り出すように描きながら、同時にこの短編は、生と死についての思想となっている。
最初の方に、作者が青山(墓地)の土の下に仰向けになって寝ている自分のことを想像するくだりがあります。
「それは淋しいが、それ程に自分を恐怖させない考へだつた」と書きますが、それはなぜか。このとき作者は死の側に身を置き、そちらの側から、生きている者たちの世界を眺めているからです。
確かに死ぬという経験が誰にも未知のものであるように、この視点はあくまでも仮託されたものです。けれども、仮託された視点ではあっても、その「死」の側からこの世を見るときに現れる生命に対する驚嘆は、読者であるわたしたちにも――きちんと読みさえすれば――伝わってくる。ありふれた蜂の死骸が、的確に表現された言葉を通して、わたしたちの「認識の対象」となっていくのです。
何が一番かという問いは、およそ無意味なものと思いますし、質問者氏がこの作品を読んでもさほどの感慨を持たなかったとしても、一向にかまわないと思います。わたし自身、折に触れて読み返したくなるような作品ではありません。けれども、日本語で書かれた散文として、きわめて優れたものであるという評価にはまったく異論がありません。
以上、参考まで。
(※あくまでもこれは質問に対する「回答」として投稿したもので、質問者氏からの質問・補足要求にはお答えしますが、それ以外の方からの論評はどうかご遠慮ください)
有り難うございます。お礼が遅れてしまいましたが、私は久々に日本を訪れ、ここ数日激務が待ていました。
私は悪い文章だとは思いませんでしたが、これがそんなに良いのかね、とも思ったので質問してみました。参考になりました。
>何が一番かという問いは、およそ無意味なものと思います
に関しては、一番か二番なんて私も無意味だとは思いますが、それでもその道の人なら誰が見ても優れていると言う作品が在ると言うのは、私の専門分野からの経験からも、納得ができます。そう言う意味で、その道の人が誰が選んでも五本の指に入る作品は、一番良い作品と言っても良いと思っています。
No.1
- 回答日時:
「城の崎にて」を読んで。
電車に跳ね飛ばされたのに生きていた。
作者の強運に驚かされると共に、
あまりに冷静で、且つ他人事のように生きていた、
そして、ただ世の中の風景を傍観していた、
その欲の無さに、なぜか懐かしい感じがしました。
城の崎にて養生する傍ら、まるで穢れを知らない少年の心で、
世の中を、まるで活動写真でも観るかの様に、
しっかりと、しかし自分の中に、静寂な世界を持ちながら、
観ていた。
鼠と大人たちの風景を観ても、大人が感じる面白さよりも
少年の様な、あまりに少年の様な、偽りの無い慈愛の心で
ただ傍観していた。そこには細やかな観察力がある。
僕は、そこに共感を覚えました。
社会人として、あくまで歯車の一部として損得勘定に追われる
日々の繰り返し。仕事に忙殺されながら、失われていく
少年の日々、その心、そして危ういまでの純粋さ。
それらの失われて当然とも思える、少年時代そのものを
作者は大人になっても失うことなく、感じたままに
書き綴った。
蜂の遺骸にも、その存在を認め、行く末まで、思いを馳せる。
そして蜂の社会と一匹の蜂の遺骸との関係が
人間社会を暗示しているのだと作者は感じたのかもしれない。
つまり、作者は、少年の観察力を以て観察し
少年の純粋さを以て、あるがままに感じ
大人の客観性を合わせながら無常観に至るという
いわば哲学的な空観にも似た、世の中の味わいを
醸しているのだと思いました。
その離れ業をやってのけた事が、読む者の記憶を呼び覚まし
共感を呼ぶのではないでしょうか。
了
――――――――――――――――――――――――――――
あまりに静か過ぎるので、てきとーに回答してしまいました。
枯葉も山の賑わいと申しますので。
ところで、こんな回答を寄せてしまうと、また日本人の幼児性が
批判されてしまいそうですが、いま流行りの、萌え萌え文化を
考えれば、僕の回答も、間違いではないかもしれませんよ。
回答有り難うございます。
>その離れ業をやってのけた事が、読む者の記憶を呼び覚まし共感を呼ぶのではないでしょうか。
確かにそうかもしれませんが、そのような離れ業をやった文書は数限りなくあると思います。それなのに何故プロの書き物屋さんはこの文章を一番優れている(すなわち、優れた文章と言うと皆が選ぶ文章)と言っているのでしょうね。
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