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僕の元知り合いで、よく自分の苦労話をする奴がいた。
そいつはよほど人の家の芝生が青くみえるのだろうか。
自分だけ苦労したように、思っているのだろう。

だが、そんな僕も若いときは人の苦労話には耳を傾けていた。
やはり若いときは、人の苦労話には感動させられる。
それで、だまされて損したこともあった。

アイドルのAKB48の人気の一つがまさにそれだ。
彼女らはテレビや映画を利用し、自分らは苦労して、努力して、
ここまできました。と宣伝している。
それをまに受けた愚かな若者が感動して、ファンが増えたのである。
が、歌もダンスもヘタで、何をどー努力しているのかはわからない。

まあそれはそれとして、若者というのは感動に弱いように思う。
もちろん感動というのは年寄りにもあるのだが、良し悪しは
別にして、ある程度歳をとったら冷静な目でもみれるようになる。

みなさんどーおもいますか?

A 回答 (8件)

世の中難しいことだらけですから、理屈しか知らない


若い人は、割り切れないことが大嫌いで拒否したがります。
簡単明瞭な答えが欲しいのです。

知恵も経験も、地位も財産も名声も無く、でも未来は
輝いていて欲しい。 だけど、理屈も通じない世界では
不安でしょうがないのです。

自分の不満と鬱屈は、社会のせいだと思いたい。
自分は悪くない、自分は凄い才能を秘めた人間だ、
つまらない奴らとは違う、輝く未来があると思う。

でも、自分の道を真剣に考えて精進できるかと言えば、

進む方向さえ判らない。決められない。決めたくない。
確信が持てないし、失敗するのが嫌だから。

努力したりあがくのも嫌。自分の力を試すのも嫌。
無能な只の人だったらと判明したら怖いから。

地道な努力も嫌。 地味に埋もれるのが怖いから。
一生やったってスターになんかなれないから。

何かと出会って、誰かに見出されて「頑張った」位の努力で、
「秘められた才能」が開花して鮮烈なデビューを飾って、
世の中に躍り出て、普通じゃ会えない有名人に次々に会って
「インスパイア」されて成長して、押しも押されもせぬスターになり
やがて世界を目指す・・・

他の有象無象の人々は「救世主が現れ世界を救った」と感動の涙。
賞賛と憧れが自分を包み、多くの人が苦しんでいた問題が
鮮やかに美しく解決し、自分は神の一人となって世界を幸せに
導く・・・

大なり小なり、こういう馬鹿馬鹿しいことを本気で信じるように
若い頃は出来ています。 そのような幼稚な超人願望や
現実性の希薄な射幸心の妄想をドラマは広めようとします。
大ヒットを出そう出そうと寝る間を惜しんで研究しています。

そして、大なり小なり、そういう要素を盛り込んでメディアは
感動を演出しようとするわけです。 何のために?
操るためです。 何を? 市場を、です。

歳を重ねると、そういう見え透いた安っぽいものに無思慮に
踊らされなくなります。
 
それらは利益が沢山取れる安物を、楽して山ほど売るための
手垢の付いた商売人の呼び声に過ぎないのですから。
それだけのことです。

メディアの「感動」は演出です。 それに無条件に感動させられ
思考停止に陥ることは、感情を操られるロボット化にも繋がります。

でも、感動に水を差されると、理由も考えずにキレる人が多い。
感動、というのは一種の麻薬です。 段々効果が薄れてきて
より強い感動を求めるようになります。
そして、麻薬が切れると暴れるように、感動に水を差されると
激怒の感情が襲います。 つまり、禁断症状の一種です。

麻薬物質の原型分子構造が脳の中に自然に存在するように、
感動そのものは生まれながらに備わった脳の機能の一つですが
それを合成して処理できない量を投与することで、依存症に
陥り、極端な場合には廃人になります。

ゲーム廃人、という本がありましたが、快楽は強力な麻薬性を持つ。
それが切れるととてもダルい。 日常がつまらなくて仕方が無いのは
この仕組みによるものです。

さて。年寄りだって感動します。 ありきたりの、普通のことに。
若者が、取るに足りないものだと思っている、なんてことない
小さなことにしょっちゅう感動して立ち止まっている老人も
います。
その側を、感動を求めて若者がアクセルを吹かして
通り過ぎていきます。

歳を取ると、自分で必要な量の脳内麻薬を自然体で安定供給
出来るのです。自給自足です。

しかし、どんな人でもそんなに自然体になれるわけではない様に
長いこと強制的に感動麻薬を注入されてきた人は、思考能力も
感情の発露機構もかなり悪影響を受け続けて、人によっては
これらの脳の機能を壊されてしまったケースも少なくないようです。

感動は自分の能力としてするものであって、演出や諸々の魔法で
させられるものではありません。

と、野良猫は思うのです。

またたびには弱いのですが。
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ストックされている情報量がまだ少ないという理由が


あるかもしれません。感動という反応によって情報が
より入りやすい状態になるといえるかもしれません。
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それはあなたがメディアの中だけで判断してるからです。



あなたの質問はいつも部屋の中だけで考えてる内容ですねえ・・・

もっと物事の本質を聞きたきゃ現場を見てから質問した方がいいよ。

まともに答える気がしない。
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感動と感情移入は区別せにゃならんぞ。



女子蹴球の世界大会で日本チームが僅差で勝負をモノにした時、多くの人が「感動した」というが、これは「感情移入した」だけのことだ。実際に蹴球をやらずして蹴球で感動することなんてできないの。
それと同じでAKB48に感動してんじゃなくて、シンデレラ物語に感情移入して、あたかも自分もスターダムにのしあがったかのごとき陶酔をしているわけだ。「下流の宴」ですね。下流の宴を通じて、上流が収益をあげるのは古今東西を通じて不変じゃな。
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>若者というのは感動に弱いように思う。

もちろん感動というのは年寄りにもあるのだが、良し悪しは別にして、ある程度歳をとったら冷静な目でもみれるようになる。

そうですね。若い人も年とった人も感動は同じようにするのですが、そして老人になると涙腺が緩みすぐ涙するようになるのですが、感動してからが違います。
老人は感動してもそれだけ。アクションがない。
若い人。感動すればそれにアクションが伴う。パワーがあるし、頭が柔軟なので感動を受け入れてそれに影響されやすい。
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>それで、だまされて損したこともあった。



だまされて得をした例は多い。
そういう人は得をしたから、だまされたとは思わない。
世の中、あなたみたいに愚痴ばかりこぼして冷静でいるだけではいつまでたってもうだつはあがらない。
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>ある程度歳をとったら冷静な目でもみれるようになる



そんな事はありません。
人生経験を積むほどに、いろんな経験をして、他人の状況に共感
できるようになり、「歳をとるほど涙もろくなる」というのが通説です。
AKBの例は、感動するというのではなく、その対象の虚像に惹か
れた(自分の欲求の延長)というだけで、感動したというのとは少し
違うのではないでしょうか?
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同類の感動を繰り返し経験することで、感動の内容は変わらないのにその人の中では陳腐化する。


年齢というよりは回数。

よく、TVで名作の泣ける最終回特集のようなモノをやっている。
名作の放送当時に涙した人が、特集で改めて見ても泣くだろう。
しかし、その特集を繰り返し見たらどうだろうか?
「何度見ても泣ける」というのもあると思うが、全ての作品・全ての人にあてはまるはずもない。


それとは別に、年をとると他者の苦労話に感動するようになるが、これは「共感」というようなもの。
これは苦労した経験(回数)が多ければ多いほどに「共感」するという訳だ。


・・・と思います。
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