「フランダースの犬」のような悲しい作品は何のために存在するのでしょうか?
幼いころに両親をなくし、6歳から働き始め、養ってくれた祖父も死に、住む場所を失い、泥棒だと間違われ、挙句の果てには過労と飢えで衰弱死…。
見る人、特に子供に何を感じさせたいのか、何を伝えたいのかわかりません。
見る人を暗い気持ちにさせたいのでしょうか?
人生何をやってもうまくいかないこともある、とでもいいたいのでしょうか?
自分よりも惨めな境遇の人がいるということを知らせ、優越感に浸らせたいのでしょうか?
ネロのようになってはいけないよ、という教訓なのでしょうか?
捨て犬は拾ってはいけない、助けてはいけない、という教訓なのでしょうか?
私はたとえ物語の中でも、あんなかわいそうな描写をしてほしくないと思います。また私はまだ子供はいませんが、将来できたとしても子供に見せたいとは思えません。
「フランダースの犬」のような悲しい作品は何のために存在するのか。この点について教えてください。
よろしくお願いします。
No.12ベストアンサー
- 回答日時:
原作の絵本もアニメも観ていませんが、参考になればとの思いで回答させていただきます。
(回答するにあたり、ウィキペディアの『フランダースの犬』の項と、これまでの他の方の回答は読みました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9% …
>「フランダースの犬」のような悲しい作品は何のために存在するのでしょうか?
pringlezさんは、創作悲劇の存在意義を問うていると解釈し、回答します。
まず、子どもに悲劇を読ませる場合ですが、これは「他人を思いやる心を育てるため」ではないでしょうか?
おばけの話を聞かせて、「怖い」という感情が君にはあるんだよ、と教えるように、「悲しみ」や「可哀相」という気持ちを教えられるのかと思います。「悲しくない」と言う子もいるかと思いますが、そういった場合も、その子の個性を知る良い機会になるのではないでしょうか。いわゆる情操教育というやつです。
なかには「ネロは可哀相だよね。こういう人がいたら助けてあげようね」とか、「こうならないような社会にするにはどうしたらよいか」ということにまで発展させる大人もいるかと思いますが、これは道徳教育の意味があるのでしょう。
つぎに、自主的に悲劇を読もうとする場合ですが、これは「興味を満たすため」か「自己憐憫のため」ではないでしょうか?
「興味~」というのは、単純に「可哀相なことが見たい、知りたい」という欲求のことです。「ホラー映画で、気持ち悪いものが見たい」とか、「友達の恋愛話を聞いて、ドキドキしたい」とか、そういった類のものです。人はどこまで可哀相になれるか、という純粋な知的(感情的?)興味です。
「自己憐憫~」は、「(部分的であるにせよ)私と似ている境遇のあの子は、あんなにつらい目に遭っていて可哀相!」「こんな悲しいことが起きるのは、○○のせいよ!」と考えることです。自身の現実の境遇や生活と重ねることで、涙し、ストレス解消に役立っているのではと思います。
以上が、私の考える悲劇の存在意義です。ここからは、これまでのpringlezさんと他の回答者さんのやりとりを読み、私が「いわゆる一般的な悲劇」に対して抱いた感想です。
悲劇は、その原因が社会なり他人なりにあることで成立しています。もし、自分のせいなんてことになれば、それはただの自業自得になってしまいます。そのため、悲劇はしばしば「同情可能」なのか「自業自得」なのかで意見が分かれます。
『フランダース』にしても、さるベルギー人映画監督に言わせれば「負け犬の死にしか見えない」そうです(ウィキ参照)。
情操教育として悲劇を読み聞かせるのは、良いことかと思います。二度と起こしてはならない、史実の悲劇を語り継ぐのも重要です。同時に「どうやって悲劇を防ごうか」という議論も必要でしょう。
しかし、自己憐憫のための悲劇は好きではありません。
自分以外のすべてが不道徳、不誠実で、自分は清廉潔白で間違っていない。あるいは、日本の歌舞伎や文学などで馴染みのある「心中物」のような、社会に馴染めない者同士の美しき純愛。
どれも主人公を、ひいては自分を美化しすぎのような気がします。残念ながら、私は彼らに自分を重ねることはできません。「悲劇のヒロイン」には、なりたくありません。
自己憐憫の物語に溺れる、一部の人間の思考回路こそ、神様の書いた悲劇なんじゃないだろうか。などと考えてしまうのは、いささか早計でしょうか。
駄文、長文になりましたが、pringlezさんの参考になれば幸いです。
子供に対しては「情操教育と道徳教育」の意味。なるほど。
大人に対しては「知的(感情的?)興味を満たすため」というのも納得できました。「可哀相なことが見たい、知りたい」という欲求が私には無いが、それが強い人もおり、その違いなんだと理解できスッキリしました。
「自己憐憫のため」については、私には無い考えなので十分に理解できませんでしたが、なんとなくわかりました。
質問の意図を正確に読取った、そして論理的で的確な回答に感じました。
大変参考になりました。ありがとうございました。
No.17
- 回答日時:
#8と#9で回答した者です。
せっかくなので改めて図書館で「フランダースの犬」(雨沢泰 訳、2011年4月偕成社文庫 小学上級から)を借りてみました。この本の「解説」では訳者が「三点ほど読みどころ」を紹介していますので、少なくともこの出版社では、この三点は存在意義と言っていいのではないかと解釈していると思われます。その三点とは、かいつまんで書きますと以下の通りです。(1)「芸術をふかく愛したウィーダらしく、画家になりたいというネロの心が、とても熱っぽくえがかれていること」、(2)「すべての物語」が「コゼツさんが涙ながらに心を入れかえると誓」うというエピソードに「むかって動いてきたともいえる」ことからもわかるように、「ネロは悲しい運命をむかえますが、その美しい心と人の善意をたたえる『クリスマスの話』にふさわしい場面が、最後にいくつもかきこまれて」いる点、(3)「作者の犬への愛情があふれてい」る点。
この物語は何度も出版されていますが、おそらく他の本にも、それ独自の解説が書かれていると思います。ご参考までに。
「フランダースの犬」が悲しい話かどうかのキーポイントは、最後に死ぬかどうかです。死なずに、「最後は幸せになりました」という結末なら悲しいことはありません。
(1)と(3)は悲しい話とは関係ないと思います。ネロとパトラッシュが死ななくても、その点は伝えられると思います。
『「コゼツさんが涙ながらに心を入れかえると誓う」というエピソード』も、ネロとパトラッシュが死ぬ前の話ですので、心を入れ替えた後に、ネロとパトラッシュが幸せになってもいいわけです。
そういう点も含めて「なぜそこで死なすんだ!」と疑問に思ったことが質問のきっかけでした。
でも、教えていただいた書籍に書いてある「読みどころ」は重要な事実であり参考になりました。
丁寧に教えていただき、ありがとうございました。
No.16
- 回答日時:
人間というものは感動に飢えていると思う。
特に社会の仕組みが成熟し毎日同じことの繰り返しで刺激に乏しい生活をしてるなら尚更です。
感動とは心を激しく揺さぶられることです。
悲劇もまた心を激しく揺さぶるものです。
愛する者の死など耐え難い出来事も激しく心を揺さぶる出来事であります。
思い出すだけで涙が出てくる出来事もまたある種の快感なのだと思います。
心をリセットします、純粋にしてくれます。
フランダースの犬は現地や欧米では評価が低く日本だけ人気があるというのはアニメのためだと思います。
アニメでは原作よりネロの年齢を下げ10歳として大人の庇護なしに生きていけない年齢にしてます。
原作の15歳ならすでに社会にひとり立ちできる年齢で負け犬でしかないという評価。
一方日本のアニメは祖父が死に社会からは排除され行き場を失い死んでいくしかない幼い少年の話になっています。
私がこの物語りのテーマと感じるものはネロの選択したもの、
すなわち正直さ、勤勉さ、夢を諦めないことだと思います。
人は他人が見てないところでは悪いことをするものです。
ネロは家を追い出され行き場が無い中、大金の入った財布を拾いますがそれを届けます。
そしてパトラッシュをあずけて最後の場所に向かいます。
彼は最後の最後でもとても重大な選択をしたのです。
正直であること。
これは日本人の人生観や美意識と重なると感じます。
>正直であること。
>これは日本人の人生観や美意識と重なると感じます。
「正直で無いくらいなら死んだほうがマシ」ということですかね。私の人生観や美意識とは異なります。
それが、私に理解できない理由なのかもしれません。
参考になりました。ありがとうございました。
No.15
- 回答日時:
回答が締め切られろうとしているところに失礼します。
他の方への補足を読んでの回答が許されるのかわかりませんが、書かせていただきます。
>本来は作成者の意図なので「作成者の意図はこうです」という回答が理想なのですが、
そうでなくとも回答者の方が個人的に感じる意義やメッセージ性でも、
それを教えていただければと思って質問をしてました。
なるほど、そいうことだったのですね。
私は「存在の意義」と「作者の製作意図」は別物だと考えています。
たとえば、アインシュタインは「質量はエネルギーになる」ということを発見しました。
その「製作意図」は、おそらく純粋な知的好奇心、真理を知りたい気持ちだと思います。
しかし、それを他の物が応用し、核爆弾や原子力発電を可能にしました。これは「存在意義」と言えるでしょう(ここでは倫理的、道徳的な是非は問わない)。
物語でも同様のことが、あてはまるのではと思います。
『源氏物語』も、作者である紫式部は、もしかしたら現在の同人誌を作るような「製作意図」で書いていたのかもしれません。今日的には、当時の人たちの考えや文の書き方などを知る貴重な資料としての「存在意義」があります。
なので、もしpringlezさんが『フランダース』がどのような「製作意図」で作られたのかを知りたかったのなら、
『フランダース』の作者は、この作品にどのようなメッセージを込めたのでしょうか?
というタイトルのほうが、よりpringlezさんの希望通りの回答が集まったかもしれません。
直接の回答でなく、申し訳ないですが、参考になればうれしいです。
取り急ぎ失礼しました。
すみません。説明が悪かったです。
私は「製作意図だけ」を知りたかったというわけではありません。
存在意義、作成意図、また見た人がどのようないい影響を受けたかなど、いろいろ総合的な情報が知りたかったのです。
しかし有意義で丁寧なご指摘をいただき、ありがとうございました。
No.14
- 回答日時:
no4.ならびにno.10の回答を差し上げた物です。
何度か逆に質問させていただいたことに関してですが私にとっては質問者様のような「何故このような話で無ければならないのか」「ネロは何のために生き死んでいったのか」と言う疑問を起こすことが少なくとも「フランダースの犬」の作者の意図した作品の存在価値であるということを質問者様自身に気が付いていただきたかったので逆に質問する形で書き込ませていただきました。
ネロの死に関しては宗教色が強くなってしまうので、明確な回答にはならないかも知れませんがカトリックでは生前に清い行いをすることにより天国に召されるという教えのようです。
したがって、その教えを守ればネロの選んだ道と言うものは間違いではありませんしそういった意味ではネロは最後の時に天国に行ける確信があったのだと思います。
したがって結果的に死を迎えましたがネロの人生は本来否定される物では無いと思います。
また、この頃は輪廻転生という考え方も普通にありましたのでネロは来世に幸せが約束されていると思ったのかもしれません。(この辺も輪廻転生の概念がある仏教の教えがある日本でも受け入れやすかったのかも知れません)
つまり、作者やネロにとっては死は全ての終わりではないという意識であったのではないかと思います。
ですので少なくとも「死んだ方がマシ」などと言う逃げの姿勢でないことだけは言えるのではないかと思うのですがいかがでしょうか?
フランダースの犬が現実の物であれ空想の物であれ、人の死は残された人たちが意思を引き継いだり、自分達の生き方を反省する機会になると思います。
(98年の映画版が原作に近いということでネロの目線で物語を見るのではなくアロアの目線で見ることによって新しい発見があるのかもしれません。)
人の死を美化するつもりはありません。
苦しくても思い通りにならなくても生きなければならないと思います。
ただ、自分の身を守るがゆえに人を殺してしまうこともまた避けねばならない事柄だと思うのですね。
だから作者はネロとアントワープの人を通して他人や動物への優しさと命の重さを書きたかったのではないかと私は思うのです。
質問者さまは私の最初の回答のお礼に「私は命はとても大切だと思っているので、このような考えは受け入れがたいです…。」と書かれておられますよね?
自分が生きるためなら他人が死んでも良いという考えとも取れます。
それはある意味アントワープの人々と同じとはいえないのでしょうか?
コゼツの金貨を使って食べ物を買えばネロは生きられたのかもしれません。
ただ少しでも使っていればあの時のコゼツであればネロが生きるためとはいえ許してはくれなかったでしょう。
生きるために金貨を盗んだとさえ思うかもしれません。
それほどにアントワープの人々のことを悪く描いています。
そういった意味ではネロはアントワープの人々だけでなく空想の話であれば作者によっても殺されたのかもしれません。
ただ、それによって作者は、「愛に報いず 信頼には答えないこの世の中」を作っているのは、まさに私たち一人一人なのだということを訴えたかったのではないでしょうか?
そして それで良いのですか?と問うているのではないでしょうか?
そして それを違うものにするのは 私たち一人一人なのだということを言いたいのではないでしょうか?
死を通してしかそのような考えや問いかけを出来なかったことは作者の力量不足なのかもしれません。
でも死と言う物はこの世界で生きている以上避けられない事実です。
この問題は私自身まだ回答は出てませんが、突き詰めていってしまうと「人は何のために生きて何のために死んでいくのか」いう問題を問うている気もします。
そのようなことを含め最初にも書きましたが私は、少なくとも質問者様が作品の存在価値を疑問に思う機会を「フランダースの犬」と言う作品が与えたということ自体に存在意義があるという回答を質問者様自体に気が付いていただきたかったのです。
そのためにはご質問者様自身が考えてご自身なりの回答を得るために詳細をお願いする形でいろいろと逆質問させていただきました。
ご質問者様がこの質問を立てられたのは無意味ではないですよね?
様々な方が回答を書き込んでいただけたのは無意味なことではないですよね?
それならばこの質問自体にも存在意義がある様に作品にも存在意義があるではないでしょうか?
以上、私なりに補足への回答を書き込ませていただきましたが、まだまだ文章力が足りないため至らない点もあるかと思いますがご面倒でなければ再度補足いただければ幸いです。
また勿論、この文章が回答としての役割を果たせていないと思われるのでしたら管理者への報告をされて削除していただいても構いません。
この回答への補足
私は大概のドラマや映画の意図は理解できます。エンターテイメントとして「楽しませるため」「感動させるため」「怖がらせるため」などがあることはよくわかります。
また「戦争の悲惨さを伝える」「生き様を伝える」「世相を残す・伝える」などのメッセージをこめた作品も理解できます。
しかしフランダースのような作品は、どんな作成意図やメッセージをこめて作っているのかわからない。ただ悲しませたいだけなのか、メッセージ性があるのかわからないからそれを知りたい、教えてほしい、という思いで質問をしました。
本来は作成者の意図なので「作成者の意図はこうです」という回答が理想なのですが、そうでなくとも回答者の方が個人的に感じる意義やメッセージ性でも、それを教えていただければと思って質問をしてました。
そしてこれは私の考えなどまったく関係なく回答ができるはずの質問ですので、回答をせずに自分で考えろといったり逆質問攻めにする書込みには厳しいコメントを書かせていただいています。
# 「何故このような話で無ければならないのか」
# 「ネロは何のために生き死んでいったのか」と言う
# 疑問を起こすことが少なくとも「フランダースの犬」
# の作者の意図した作品の存在価値である
これは面白いですね。哲学的ですね。
ほかの部分にもいろいろご意見を書いていただいていますが、ここがキーでしょうかね。
# 作者はネロとアントワープの人を通して
# 他人や動物への優しさと命の重さを
# 書きたかったのではないかと私は思うのです。
これを伝えるために、ネロはあそこで死ぬことによってこそメッセージを伝えられたということですよね。
今回のご回答で、回答者様からいろいろなお考えが聞けてよかったです。ありがとうございました
最後に余談ですが、私は自分の命も他人の命も、そして映画やドラマ中の架空の登場人物の命も大切だと思っています。また動物の命はもちろん(本当は命は無いけれども)ぬいぐるみの命でさえ大切に思います。
長々とお付き合いありがとうございました。
No.13
- 回答日時:
ANo.7及11です。
補足に対して答えさせていただきます。
あんた自分を何様だと思っているんだ。こちらは補足に対しての精一杯誠実な答えをしている。無礼もいい加減にしろ!。自分の意見に同感できる見解を募るだけで自己満足しているのならそちらの方がよほどこのサイトの趣旨を理解していないことになる。他の回答者の方々に対しても無礼な補足ばかりしていることが何よりの証拠だよ。
> あなたが質問に対し回答する気がまったく無いということはよくわかりました。
このサイトは質問者が質問をし、回答者が回答をするサイトです。回答者が質問に関係の無い主張を展開する場でも、回答者が質問者に質問をする場でもありません。
このサイトのルールをきちんと理解してから、書込みをなさるほうがいいのではないかと思います。
上記の台詞はそっくりそちらにお返しさせて頂くと共に「公序良俗」によりあなた様からの補足の削除をサイトの運営会社に通報させていただきました。
No.11
- 回答日時:
ANo.7です。
補足ありがとうございました。と共に感じたことを書き添えさせていただきます。質問者様は「なぜ主人公が悲惨な人生を過ごさねばならなかったのか」「主人公の最後の瞬間の言葉から何を読み取ることが出来るか」と問い返されていますが、それは先ずご自身の意見を述べてからの質問であると思われます。なぜならこの質問は私が質問者様に問い掛けたモノだからです。
私が申し上げることの出来ることとして
(1)逆に「主人公の境遇が順風満帆なものだったとしたらこの作品はなり立ち得ただろうか」とも考えてしまいます。現代でも同じと思われますが、「その日の夕餉を笑顔で迎えることができる」。これだけでもどれほど多くの家族が地球の上で暮らしていると思いますか?。貧しくとも家族の笑顔があるだけでも幸せと感じる人もいます。ネロも物語に登場する街の人々の支えがあって「小さな幸せ」を覚えていたと僕は感じています。
(2)ネロの「ルーベンスの絵を見てそれを模写したい」との願いも、その前段で「提出した絵」の出来映えに既に表されています。二人の少年のうちの何れを教会に飾るかの競争でしたが、一度として実際には見たことのないルーベンスの作品に近いモノをなぜネロが描くことができたとお考えですか?。
それは「想像画」や「空想画」という性質のモノではなく、「画家が作品を通して観客に何を伝えたいか」を本能的に理解していたからだと思う。もしこれがごく普通の風景画だったらネロは「描きたい」と感じただろうか。ルーベンスの宗教画だったから描きたかったのであって、その作品の主題は「神の愛」だった。
僕は信仰には関心はありませんが、ネロはルーベンスの作品から「これまで僕の側にいてくれた人ともうじき再び会える。だから神様ありがとう」との気持ちになったと思います。傍からみれば、質問者様のように「貧しくて辛いことばかりの人生」だったと感じてしまうのかもしれません。けれどもネロにとってみれば「恰も家族のように感じる関係の人」に出会いそして再会できるから幸せと感じたのであり、逆に「疑似家族」や「仮面家族」のように表面を取り繕っても実際には家族の意味をなさない家庭に育つ子供が果たして幸せと感じることができるでしょうか。
絵本を含めて文学作品に接するには「想像力」が大切です。何よりも紋切り型で答えを出せと読者に要求するのではありません。他の回答者の方々への補足やお礼の文章を読んでいて気になったことですが、「飢えに負けたらパンを盗み、後で謝れば済む」との言葉から「パンがなかったらケーキを食べれば良い」と言い放ったマリー・アントワネットの言葉を想起しました。フランス革命の当時、パンを買うにも困窮していた人々がどうしてケーキを口にすることができたでしょうか。
また「作品」と一口に仰っていますが、優れた児童文学や絵本は「寓話」として文学作品に位置付けられています。それは「寓意を読み取り人生の指針となる」作品のみに許される敬称でもあります。
この回答への補足
あなたが質問に対し回答する気がまったく無いということはよくわかりました。
このサイトは質問者が質問をし、回答者が回答をするサイトです。回答者が質問に関係の無い主張を展開する場でも、回答者が質問者に質問をする場でもありません。
このサイトのルールをきちんと理解してから、書込みをなさるほうがいいのではないかと思います。
http://faq.okwave.jp/EokpControl?&site=guidePC&t …
当サイトは、困っている人が疑問や問題を質問して、それに対する回答をしていただく質疑応答の場として運営しております。
そのため、当サイトでは、質問と関係ない内容や雑談、便乗した質問、回答者同士のやりとりや議論、個人的なメッセージなど、質問に対する回答として成立しない内容を回答欄に投稿することは、申し訳ございませんが、禁止としております。
No.10
- 回答日時:
お礼いただきありがとうございます。
No.4の回答を書かさせていただいたものです。
お礼の中で、まだご質問者様のご理解をいただけない部分がありましたようですので補足の回答を書きこまさせていただきます。
>私にはとても悲しく感じます。簡単に言えば「死んだほうがマシな事もあるよね」ということを伝えたかったということですかね。
それは違うと思います。
ただ、ご質問者様のような捕らえ方も有って当然だとは思います。
(だからこそアメリカで作られた映画は最後を変更して作られたのだと思います。)
前回も同じ様なことを聞いたと思いますが再度、質問者様に逆に質問してみたいと思います。
質問者様は悲しいと思われたのですよね?
それは何故でしょうか?
ネロが亡くなるまで貧乏だったからでしょうか?
運命が好転したと思われるのが死んでからだったからでしょうか?
もう一度、前回ご紹介させていただいたサイトを今度はトップページまで戻って全ての内容に目を通して回答をいただけないでしょうか?
フランダースの犬が名作だと思うのは前回のURLのトップページからのリンクにも有りますが日本人の感性による物かもしれませんし、だからこそこの作品に「人の生き方」と「人の死に方」を感じる方もいるのではないでしょうか?
とりあえずネロは最後の時に、また誤解を生む書き方になるのかも知れませんが次の部分から救われて幸せになれた(仏教風に言えば悟りを開けた)からこそ死を受け入れられることが出来たと言えるのではないかと思います。
「そして 月明かりに照らされた「キリスト昇架」と「キリスト降架」の絵を見た時に「もうこれで充分です」と彼の心は満たされます。
自分たちは 天国に還れ 天国でも一緒にいられる という希望と共に。」
ご質問者様にとって「生きること」とはどのようなことでしょうか?
また、「死ぬこと」とはどういうことでしょうか?
最後に前回、「アントワープ」を「アントワーク」と書いてしまったことを訂正と共にお詫び申し上げます。
すみませんでした。
参考URL:http://www.a-dog-of-flanders.org/index.html
この回答への補足
質問をしているのは私なので、否定と逆質問攻めだけで終わるのではなく、最低限あなたの回答を書いていただきたいです。
以下はあなたが、あなたの回答の一部として紹介したサイトの内容です。
# 「一緒に死のう。みんなぼくたちに用はないんだよ。
# ぼくたちは二人っきりなんだ。」
#
# ネロはなぜ こう思ったのでしょうか?
#
# この世に生きながらえて苦しむよりは
# 死の方が二人にとってより幸せでした。
私は「死の方が二人にとってより幸せでした」という文章を読んで、『「死んだほうがマシな事もあるよね」ということを伝えたかった』という主張なのだと理解しました。(というか普通に考えたらそれ以外に考えられないと思うのですが)
それに対しあなたは
>それは違うと思います。
と否定しました。
違うと思われたのなら否定するのはいいです。ただ否定だけして終わるのではなく、違うのなら何を正しいと思っているのか、最低限あなたのお考えを書き込んでください。
また過去のご自身の回答が間違っていたと思われるのであれば、訂正もしくは取り消しをするのでもいいと思います。
よろしくお願いします。
No.9
- 回答日時:
#8で回答した者ですが、補足を拝見しました。
んん、宿題の臭いがプンプンするけど、それはさておき、そこを読者自身が考え、悩み、自分に問うことにこそ文学の意義があるのだとは思うんです。
ただ、これだけ申しておきますと、「マッチ売りの少女」から「銭ゲバ」まで、古今東西、悲劇というものは常に人気を呼んできたわけで、受け取る感動や教訓はさまざまでしょうが、ひとつには、社会の矛盾を娯楽としてわかりやすく伝えることで人々を開眼させたり、あるいは、登場人物の清らかさや哀しさに触れさせることで人の心を抱きしめる感覚を身につけさせたりするのだと思います。
例えば現実社会でも、原爆で死んだり、津波で死んだ人たちは犬死なのでしょうか。決してそうではないと思うのですよね。ちょうど今、そうやって死んでいった市井の人たちの生涯を丁寧に紡ぐようなドキュメンタリーやドラマが盛んに放映されていますが、それらを見ていると、犬死だとは思えませんし、その物語から、何も得ない人もいるかもしれませんが、多くの人は何かを得るのだと思うんです。
で、余談ですが、1970年代とかには不運な主人公が死ぬ物語が流行ったのですよ。ベトナム戦争でみんな、社会への怒りや死への悲しみにあふれていましたからね。
このご質問に至った経緯を補足していただければ、皆さん、より的確なアドバイスを書きやすいとは思いますが。
この回答への補足
# このご質問に至った経緯を補足していただければ、皆さん、
# より的確なアドバイスを書きやすいとは思いますが。
フランダースの犬を観て、なぜあえてカワイソウな物語にするのだろうかと思った、ただそれだけです。
ノンフィクションやドキュメンタリーは事実を伝えることが目的としてありますので、事実が悲しいなら悲しい内容になるのは当たり前だと思います。例え悲しくとも事実を伝えることは大切です。
しかしフランダースの犬はフィクションです。「つらいことがありましたが、最後は幸せになりました」という結末にすることも自由です。それがあえて「つらいことがあり、もう生きていたくないと思うようになり、最後は衰弱死しました」という結末にするその意図やメッセージが私には理解できなかった。そういうことです。
加えるならば最近観たドラマで、「ネロの人生は意味あったのかな」というやり取りをしているシーンがあり、自分以外にも似たようなことを感じる人はいるのだなと思い質問することにしました。
どこに宿題の臭いをプンプン感じてしまわれるのか理解できませんが、そんな理由です。
私の質問に対する回答に関する内容はこの部分ですね。
・人々を開眼させる
・人の心を抱きしめる感覚を身につけさる
逆に言えば、少年が惨めな死に方をする物語を見せないと、開眼しない・やさしさが芽生えない人もいるということなのですね。
参考になりました。
ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
ああ、どうもどっかで聞いたセリフだと思ったら『まほろ駅前~』でしたね。
いや、まさに今、放送中のテレビドラマ『それでも、生きてゆく』(ちなみに主演俳優が同じ)も「フランダースの犬」のような作品の存在意義を問うところから始まっていますよね。まあ、「死んだら終わり」とか「報われなければ無意味」という考え方を前提としたら確かに救いがないことになるのでしょうけれど、人間、そうじゃないから。
この回答への補足
# 人間、そうじゃないから。
「そうじゃない」と否定だけしかせずに終わるのではなく、ぜひその先をお聞かせください。そうじゃなくどうなんでしょうか?
よろしくお願いします。
# 『まほろ駅前~』『それでも、生きてゆく』も
# 「フランダースの犬」のような作品の
# 存在意義を問うところから始まっていますよね。
なるほど。この点を疑問に想う人は少なくないということですかね。
参考になりました。ありがとうございました。
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