プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

昨日、家庭教師の生徒のところへ行くと、思いっきり落ち込んでいました。
断片的なことしか聴き出せなかったのですが、動物の臨終の瞬間に出くわしたことで、「生の儚さ」と「自分の無力」を感じてしまっているようです。キーワードとして、「安楽死」という言葉が出ていましたから、その動物が徐々に苦しみながら動かなくなっていく様を見ていたのだろうと想像します。
初めて「哲学している」高校二年生の男子生徒に、アドバイス・故事・良書、何でもよいので一言かけてやってください。

A 回答 (14件中1~10件)

・・・何にせよ、みんな結局死ぬんですよ。


それなのに、何故「自分の無力さ」を感じるのですか?
あなたは、絶対的な<死>に対して、一体何ができるというのですか?

・・・後悔をするということは、現在の世界と自分を完全に否定する――即ち現実逃避をするということですよ?
素直に現実は、受け入れましょう。そして、十二分に活用してしまいましょう。。
それよりもあなたにとってまず、「他(自分以外の何か)」が<死ぬ>ということは、どういうことですか?

少なくとも「あなた」という存在は、「意識」「感覚」「この世界との直接的な接点(いわゆる身体)」の3要素から成り立ちます。。このどれか一つでも欠けてしまうと、あなたの存在が失われるわけです。。
では、「他」は、一体どのようにして存在しているのでしょうか。。
・・・結論からいうと、その媒介となっているのが、「自分自身」なのです。。
どういうことかというと、例えば僕があなたの質問を見る前は、僕はその「質問」も「あなた」も知りませんでした。。ましてや、「その友人」や「動物」などもってのほかです。・・・つまり、あなたは(僕にとってですが)存在していなかったのです。。
あなたにとっても同じ事です。。
あなたはこの回答をみるまでは、この回答のことなどもちろん知らないわけです。。という事は、あなたにとって「この回答」も、「僕」も存在していないのです。。(この「存在」という点に関しては、ハイデガー氏の書物を友人に薦められました・・・結局読んでませんが)

・・上記に関してどう思われても結構です。。要するに僕がいいたいことは・・
――あなたの存在ははっきりとあなたの物であっても、それ以外のものはあなた次第で存在もするし、消滅してしまったりするのです。他の存在=自分自身の記憶の断片でしかないのです。。

・・このことをあなたがどう解釈されようと、それは僕の知ったことではありません。。自分勝手の様に聞こえますが、本当に、個人の「理解の仕方」というものには、全く手も足もでないのです。。

・・・<死>とは、それ自体をどのように存在し変えてしまうかで、そんなに恐ろしかったり、悲しんだりするものではないんですよ。。
それは、生きるという事と、全く同じなのです。。


なんだか、支離滅裂で長ったらしくて威張りくさった文章になってしまいました。。僕自身言語能力が非常に乏しいため、皆様方が読みにくいことこの上なく、非常に申し訳なく思っております。。それなら書くな!とかクレームが来そうですが、せめてものお役に立ちたい一心で書かせていただきました。。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。
彼が感じた「無力」はあなたがおっしゃるとおりのことだと思います。「死に対して抗いようがない」ことがわかったからショックを受けたのだと思います。
今彼が考えているのも多分あなたのおっしゃること、自分が死ぬとはどうなることか、ということだと思います。

お礼日時:2003/11/14 04:56

死が分からない人が死を知るには、いつか死んでみれば分かりますよ。


僕は個人的に、一つの生が終わっても、その後は何もないとは思いませんし、詳しい事は言いたくもありませんが、実際に「何か」があることを実体験として既に確認しています。
でもこの社会に満栄した懐疑主義を相手に言葉で何を言おうが、あまりに次元が違いすぎて理解できるはずもありませんから、もし理解したければ、自分で理解してください!という感じです。

しかし、科学が死後の世界を認めていないので、死後の世界を認めないという人がいるなら、現代科学がその程度の科学であるという事に気付いていない人だということです。つまり科学妄信者になります。
人間が自分で勝手に100という数字を決め、90まで理解したが、どうも残りの10が解明できない。そしてその残りの10という数字の密度が異常に濃いものであることを知らない。そもそも100という定義が間違っていたことさえも・・・
今の科学はそうゆう段階だろうと思います。

臨死体験をした人や、いわゆる霊能者なら、主観として実は死が存在しないことを理解しています。

つまり何が言いたいかといえば、べつに死を恐れることはないということです。
それが分かる時には自然と分かりますから、それまで余計な事を哲学するよりも、ただ何かを頑張って今を生きていればいいのではないでしょうか。
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死ぬという問題は人類史上の難題です。


現代社会は科学信奉ですが、科学は肉体と独立した魂の存在を肯定していませんから、死ぬことの意味を生きていることが終わることとしか説明してくれません。
古来この問題に解決を与えてきたのは宗教です。科学は宗教にとって変わることができないのに、宗教の様々なことを否定してきてしまった。宗教は迷信に過ぎないと全部否定されてしまったりする。しかし宗教は世界や死の問題に対して回答を与えてくれるという科学にできないことをやっている。そういう意味で、極めて有意義です。
ところが有意義だから宗教を信じてみてようか、ということにはならない。宗教が有意義な側面をもつことと、実際に宗教を信じることができるかということは別なことです。
私は宗教を信じている人が羨ましいです。しかし原理主義的に宗教を盲信している人と関わると大変迷惑なことが多いです。
にもかかわらず、宗教に頼らないにしても、死んだらどうなるらしい、といったことについて、何か手がかりみたいなものはほしい。

科学がこの問題に解決を与えることができないために、現代社会は死を隠蔽するようになりました。死を実感する機会がとても少なくなってる。
世界人口がだいたい63億人、日本人口が1億2700万人。平均寿命が70歳だとすると、世界では1秒に3人ぐらい、日本だけでも1分に3人ぐらいは人間が死んでます。
人間の死だけではなくて、たとえば毎日食べているものは何かの死体がほとんどですが、植物はさておくとしても、魚も肉も切り身でしか目にしない。極端な人は料理されたものしか見なかったりする。実際にそれが生きているところから殺して食べるということを考えることが無い。
昔は、死を実感しつつも、それに宗教的な物語を与えることによって安定しようとしてきたんですが、現代は、死そのものを考えないようにしようとしています。
これは全然異質なことです。死ぬというのは非常に怖いことですけど、避けることができない以上は逃げて忘れるのではなく直視して馴れるしかありません。懊悩煩悶するかもしれませんが、一度そうやって消化するプロセスは必要です。そしてそれは、実は小さいうちにやっておいた方がいい。子供が小さいうちに愛情を注いでいるペットが死ぬといった体験をして、それがどうにもならないことだという絶望を、体験しておいた方がいいんです。
死ぬことは克服できませんけど、死という現実に絶望している状態は克服できます。
お坊さんには怒られると思いますが、例えば釣りに行って釣った魚を殺して食べる、そういうことを、その魚を自分が殺すんだ、そうするとその魚は死ぬんだ、それを自分が食べるんだ、と考えながらやってみたらどうでしょうか。

死後の世界に対する物語に触れた本として、宗教的なものでない本では立花隆の「臨死体験」(上・下)などを関心を持って読みました。宗教関係の本はほとんど読まないので知りません。生き方をテーマに書いた本は、同時に死ぬことをテーマにしている場合が多いので、良い物語を書いた本が探せばあると思います。
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それ=死を感得した事


その人が、その時、考えも無く死を感得した事。
それは、美しいのではないですか?という意味です。
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それは、美しかったのかもしれない。


声も出ないほどに。
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ンじゃぁ一言だけ!(笑) A^・^;


【はじめての】哲学感情。
それは大事~に大事~にしとってください!!
そのうち知識も付いてくるかと思いますが、
それに溺れて、自分をごまかすために哲学をするよ~になったら負け!!
心の奥底、コレには正直でいてくださいね★

ンじゃま、そゆことで……(^・^)/

この回答への補足

様々なご意見ありがとうございました。
今週の授業が近づいてきましたので、一応閉じさせていただきます。尚ポイントの発行は本人と相談しますので後日ということにいたします。
本当にありがとうございました。

補足日時:2003/11/15 05:25
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
おっしゃるとおりです。なんとなく安心できるような言葉を溜め込むことはできるかもしれませんが、自分が安心したところで必然的に死はやってきます。その現実は自分ひとりで受け止める以外、仕方がないものです。死から逃げ切った生物はいないのです。まじめに取り組みましょう。

お礼日時:2003/11/15 05:21

生の儚さ。

お薦めします。武士道とは死ぬことと見つけたり。著:新渡戸稲造(5千円札)「武士道」。私が読んでいるのは訳:奈良本辰也の三笠書房です。あと日本人ではないですが、著:李登輝「武士道解題」。これにお薦め本がわんさか紹介してあります。自分の答えを見つける参考にしてください。生と死、生きる上で考えて無駄になることはありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私はまだ読んだことはありませんが、紹介しておきます。

お礼日時:2003/11/14 05:02

こんにちは


先日四十年とちょっと生きていて初めて、お亡くなりになる前の日に病院に見舞いに行き、本当に死にそうな人に逢いました。

TVや映画で描かれているのとまったく違います。
よく亡くなる直前、静かに寝ていて、パット目を覚ましてろうそくが消える前のように一瞬元気になり、言いたいことを言った後、にこっと笑ってから逝かれるパターンがあるでないですか。まず、静かにねていず、はあはあぜえぜえとした呼吸をしていて、辛そうでした。しいていうと風邪が思いきり重症なのを5倍に酷くした感じです。

軽はずみに死ぬほどやるとか、命をかけるとかの表現使えないと思いました。命というもの少しだけわかったような。
申し訳ない、回答になりませんでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。
私も祖母や叔父など数人の見舞いに行ったとき、同様のことを感じたことがあります。「死と戦っている」現場でした。もちろんこれだけが「死ぬほど苦しい」ということでもないのでしょうが。

お礼日時:2003/11/14 04:41

「いつでも会える」(菊田まり子)がぴったりだと思います。

これは絵本ですが、生徒の今には力となるでしょう。単純な話の中に、すごいドラマと哲学が含まれています。
読んで泣いた後に感想を聞いてみてください。
自信があります!

昨日読み終わった「四日間の奇蹟」(浅倉卓弥)も生徒にぴったりな話です。ある有名な小説にとても似ていますが、私はそんなことに関係なくとても感動しました。
「生きる意味とは何か?」を考えさせてくれる話です。

「火の鳥」(手塚治虫)もいいかと。
哲学であり、宗教論であり、歴史でもあるこの作品は、きっと何かを教えてくれるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。
この中で私が読んだことがあるのは「火の鳥」だけですが、マンガの神様のライフワークだけに読み応えがありますよね。紹介しておきます。

お礼日時:2003/11/14 04:30

今の彼は、『死』という一つのことに捕われてしまっていて、


『人生』全体が見えなくなっているようです。

この本を、是非とも読ませてやってください。

「ブッタとシッタカブッタ〈1〉こたえはボクにある」
「ブッタとシッタカブッタ〈2〉そのまんまでいいよ」
「ブッタとシッタカブッタ〈3〉なぁんでもないよ」

たぶん(1)だけでも十分かと思いますが。

ちなみに、幼い子供を亡くした母親を救う説話などもあります
ので、死の問題について考えるにはよい内容かと思います。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840107 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お礼が送れて申し訳ありません。
これは面白そうな本ですね。紹介しておきます。

お礼日時:2003/11/14 04:24

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