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私は24の時に鬱病に陥りました。
原因は、、、大失恋、過労、色々考えられるのですが、「真実を知り過ぎ、真実から目をそらせなくなったから」ではないかと思っています。
ブランキージェットシティーというバンドの「悪い人たち」という曲があります。人類の血みどろの歴史について歌われています。
(鬱の方は、歌詞を見ない方がいいです)

そう、私は真実を知って鬱病になった。
鬱病は「病(やまい)」と書きますが、本当は、鬱状態の方が正常な状態であるのではないかと思うのです。
鬱でない状態の方が真実を目の当たりにしてない、真実から目をそむけている状態ではないかと思うのですがいかがでしょうか?

A 回答 (7件)

私も全く同じような事を考えて生きてきました。


今でもそういう節はあります。
その上で色々考えた結果ですが
真実から目を背けていようがいまいが「正常」なのだと思います。
欝というのは質問者様の考える「真実」をうまく自分の中で
整理して消化できていない状態なのではないでしょうか。
答えの出ない答えを必死に探している状態とも思っています。
ブランキーさんはその「悪い人たち」を歌っていても欝ではないんじゃないでしょうか?
真実とは残酷なものですが自分なりに受け入れているかいないかが
欝になるかならないかではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

その通りかもと思いました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/02 23:06

では24歳までは異常だったのでしょうか


あくまでも鬱病
病気ですよ
みんな真実の中で生きてます
これは鬱病でなくても一緒じゃないですか
真実が辛かったら辛くならないような生き方考え方をしてるだけ
みんな真実の中で生きてると思います
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お釈迦様の四苦が一番正しく表現していると思います。

基本的には人は必ず死ぬということに尽きるのでしょうが、鬱が当然というのは正しいと思います。たとえば火星や月の表面が未来の地球を示しているということを知れば鬱になるのは当然です。しかし宇宙飛行士が地球は青かったというように、明るい面だけを取り出すことも可能です。この自然もそこに含まれる生物も人間の文明も芸術も喜怒哀楽もすべて結局は火星の表面のようになってしまう地球には存在できません。せめて今を大切にして生きる以外にはないのではないでしょうか。勝ち組も負け組も結局は同じものです。むしろ結局は同じなのだが、どうすればよいかと考えるのはどうでしょうか。鬱は結果を先取りした状態でもあると思います。誰でも死んでいしまうのだから何をやってもしようがないと思うことは自然です。しかし何もしないでいられるわけでもありません。
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Jonathan Haidtというアメリカの心理学者が「The Happiness Hypothesis」という本を書いています。


アメリカも鬱病、鬱状態の人が多いようですが、その一方で、どんな状況でも樂しく暮らせる人が、もちろん少数派ですがいるそうです。そういう人達には、抗鬱薬も、心理療法も、瞑想も必要なく、Haidtは「cortical lotteryに当たった」と表現しています。要するに脳の構造が鬱状態になりにくいように作られていて、それは遺伝的なものであるらしいのです。
残念ながらあなたはcortical lotteryに当たらなかったのです。まあ人類の大部分の人は当たらないようで、そのほうが普通なんですが。
私は、適者生存の法則が働いて、cortical lotteryに当たった人の割合がこれから少しずつ少しずつ増えていくのではないかと思っています。
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人は誰でも「自分が正しい」と思ってます。


後になって「あれは間違ってた」と思うことがあるかもしれないけど、その瞬間の行動はすべてその時「自分が正しいと思った行動」のはずなので、誰でも「自分が正常」です。
つまり言い換えると「他人が間違ってる」のです。
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真実に気づいていない人もいるし、目をそむけている人もいるし、真実を知り、受け止めて自分なりの答えを出して人生を歩む人もいます。

人には人の生き方、人生。あなたにはあなたの生き方、人生があなたの後ろに道になって行きます。あなたの人生はあなた次第です。ご自愛下さいね。
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少なくとも正常である私から見て、あなたが正常である様には見えません。



私は軽度の鬱病にしか掛ったことはありませんが、
当時私は自分が正常ではないということを自覚していました。



まぁそんなことも考えられないくらいな状態になれば、
正常だの異常だのというのは関係ないのでしょうね、きっと。
ある意味幸せなことです。


自分の姿が醜いと嘆く人がいます。
しかし鏡も無い、周囲に自分の容姿を指摘する人間も居ない、
或いは指摘されてもそれを指摘された当人は理解できない。
そんな状態であったなら、自分の姿を醜いと認識することもなければ
嘆くこともない。 そういうことです。
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