美術品から、美とは何かを明らかにしたようという野心的なスレッドは、既に多く立っています。しかし中でも、とある美に見開かれていない方の、名だたる美術品に関する罵詈雑言ばかりが並ぶスレッドを見て、私は考えました。この人は、美について問いながら、何が美しいのかを論じていない。美については実例を上げることが一切できない。しかも自ら、美術品をほとんど観たこともなければ、美術館に行く気もないと公言している奇妙な方だ。では一体なぜ、美を知りたいなどというのだろう。
私は続けて考えました、――仮に、恐るべき僥倖が起き、天上の神とでも言うべき存在が、美の定式を快く教えてあげたとしよう。しかし、それがいったい、この人にとって何になるだろうか?と。この美を問うものは、実例がないのでは、まず、その定式が正しいかどうか、正しく判断する材料がないことになる。そして、美の定式が分かって、ますます、美についての造形が深まるということもない。受け止める力がそもそもないのだ。しかし、一体全体、定式を知って何になるのだろう。そして私はついに、それらしい結論を見出したのです。――知ったかぶりをしたいということだ。他人に「美」を我こそは知っていると吹聴したいのだ。
私は思わずつぶやきました。おお、何というスノッブなバカ者か。美に関心はなく、労力を払う気は一切ないが、尊敬だけは集めたいのだ。しかし、なるほど、こういう人は実は多くいるものです。ただし、多くの人の場合どうするか。自尊心を満たしたいだけなら、ヘーゲルでもスタンダールでも、世阿弥でも利休でも、誰か文人の提案した言葉をあれこれ吟味するものです。そして、美とは何かを問い求めてボロなど出さずに、内なる殻にこもっているものです。
しかし、私の出会った方は、そうした知恵もお持ちではないらしい。俺は美に見開かれていない、しかし、美について教えろ、と叫んでいる。あたかも、俺が美だと思うものを、目の前に並べてくれ、とでも言うように。何たる傲慢。社会に対する反逆。というのも、結局、こうした話は、俺に美を与えなかった社会を許さぬ!美を享受している者よ、分け前をよこせ!おまえの施しが不十分なら、俺は痰を吐きかけてやるし、その権利があるぞ!という態度でしかないからです。そしてこの方には、身近に見つけた、ささやかな美に感謝し、それを深く知ろうという謙虚な態度がないのです。
私は、こういう人は美に見開かれていないのだし、小さな美を与えてくれた世界に対する忘恩という時点でミューズが見捨てるのも仕方ないとみなして、放っておくのがよいと思ったのです。
が、逆転の発想があることに気付きました。彼は、醜さというものについて、豊富な例をもって語ることができるのではないか? 醜さならば明晰に定義することができるのではないか。そこで、この点に気付いた私が、問うてみることにしたのです。醜さとは何か?
美を求めていても、さっぱり得られないが、しかし、醜さを罵ることにかけては一流の腕を持っているという方々。我こそは美に見開かれていないと自負し、ミューズにいかに嫌われているかを吹聴し、己の理不尽を抗議したいという方々、歓迎いたします。
念のためにいえば、次の論述の手順を踏んでくださいますよう。
(1)もっとも醜いと考える美術品や事物の具体例を挙げる。
(2)醜さとは何かを定義する。
(3)その定義を応用し、さらに具体例を挙げ、醜さの序列をつける。
これは大変有意義でしょう。というのも、醜さが定義できるのなら、醜さを効率的に避け、美を選びとる術が明らかとなるからです。なお無用と思いつつ、最後に一つ付け加えれば、これは特定の何者かを攻撃したわけではありません。私のユーモアとお考えくください。
それにしても、ここに回答し、自らが美の乞食であると認め、醜さを知りつくした悪の王であると証明しようという勇気のある者が、――言い換えれば、匿名とはいえネットという公的な場で自尊心を危険にさらすスリルを味わおうという者が、私以外に、果たしているものでしょうか?
No.29
- 回答日時:
拙文にお付き合いくださりこちらこそありがとうございます。
>いかに西欧化されているか、西欧の文化に敬意を払っているかという指標を示すものであったと思います。しかし今後、西欧との関係は、また変わっていくだろうと私は思います。その時によく変われるといいなと思います。
本当、そうですね。 では、私も失礼して。
マエストロのために捧げられたものの、タンゴ=ラテアメの舞踊曲というイメージからずっと敬遠してきた末に、弾いたら大層気に入ったという逸話つきの殊更エンディングにかけてが官能的で美しい曲です。でも人によって好き嫌いがはっきり分かれそうな感じ。
youtube "Piazzolla Le Grand Tango Mstislav Rostropovich (Audio Only) "
>いえいえ、ボードレールもシャネルがいたら、きっと気に入ったことだろうと思います。
>安価な宝石で身を飾った恋人の姿に、万物照応の幻影をみたのですから(「宝石」)。
「宝石」の彼女、ご指摘を頂きあらためて驚きました。
あるいは「赤毛の女乞食」で「まがいものの安宝石、そっと横眼で見て通る、御免よ!僕にはそれさえも買ってやれない。 お行き、飾りなんかは要りはせぬ、香水も、真珠も、ダイヤモンドも、痩せたお前の裸が一番綺麗、可愛い娘よ!」(ボードレール全集 人文書院)などはどうでしょう。
ギャルソンヌのシャネル、そして彼女の心意気に通じるかのようですね。
ボードレールなら「仮面」が好きです。
日本の能面というのは故意にですが微かに左右非対称に仕向けているので、傾き加減でいかようにも表の容貌が怪しくうつろい、まるで生きているみたいですよね。
一方、イタリアのカーニバルの仮面などはその容貌のせいか表情を変えず硬質で、それがいつしか鏡に思えてくるのです。
自意識過剰かもしれません。
>この記事の書き手にしてみると、稀代のプレイボーイであるということが重要なことであるらしいのですが、この点は、私から見ると、どうでもよろしかった。
小気味良いご感想ですね。
良かった、「危険な関係」のヴァルモン子爵をダンディの筆頭に挙げようと思っていたのですから。
あの記事の書き手は600億の数字をタイトルに掲げていますね。でも、当のバロンにとっては実はどうでも良かったのだとは思いませんか。
ご指摘下さった「つき」や彼の資質の真の理解者や機会にこそ恵まれたかったのではないでしょうか。
案外自身の学や才能のかげりを直感して早々と達観し、パトロンを含めた散財にこそ天賦の才能を自負していたのかもしれず、だとすれば財産尽きて物書きに携わったというのは何とも皮肉なものですよね(勝手な解釈)。
でも私財の目減りに一喜一憂しない潔さは凡人ならずも大富豪にもなかなか真似できないのではないでしょうか?(想像)。
サイコロさんはもしかして白洲次郎など思っていらっしゃった?
>有名建築家が賞をとった作品らしいですが、浴室がガラス張りで、普通の住人は(室内だから誰も見ていないが羞恥心として)、目隠しのポスターなどを貼って、誤魔化すのだそうです。しかし、浴室がせせこましくなくて、浴槽にずっと入っていられるというメリットもあるなぁと思ったものです。
貴重なそして素敵な体験をなさったのですね。いいなあ。
そのガラス、パッと曇りガラスに変わったら、逆に悩ましく演出できて良さそうな。どうでしょうか。
それはフランスのアパルトマンなのですか。
私が最初の滞仏で一番印象的だったのは、ゲリラ的にいつ友人宅を訪れてもきちんと整理整頓されていた点です。
さすが百科全書の国だなあってとても感心したのでした。
あと、一番最初に「醜い」と思ったのが中世の教会で見かけた"l'homme vert"や"mascaron"などの一連の奇怪な存在たちで、それが何と銀食器までにしつこく装飾されているのですから、当時は無理解もあいまってかなり可笑しく思えたものです。
>ご自宅が、現代建築とは。自由に改造もできるでしょうし
う~ん、勝手に増改築してもよいのかしら、事務所の許諾が必要かもしれませんね。
私が何気に耐震性について伺ったことがありまして、その建築家は「どんな地震が来てもびくともしない建築なんて僕は興味が無いしつくりませんよ」と言ったので思わず仰天したことを憶えています。
傍らの主人まで笑っていたのをみて、ようやくホッとしたのですけれども、この国では不謹慎な話で洒落にもなりませんよね、まったく。
どうもありがとうございます。楽しく拝読いたしました。
>でも私財の目減りに一喜一憂しない潔さは凡人ならずも大富豪にもなかなか真似できないのではないでしょうか?(想像)。
確かにそうですね。虚構の世界に生きるモンテ=クリスト伯爵でもない限り、お金を気にするものです。そして、虚構の中とはいえ、モンテ=クリスト伯爵が散財する度に、人知を超えた印象が増していきます。「カエサルのものはカエサルに、俗世は私に関係ありませんよ」と言っているかのよう。バロンも、おそらく、非キリスト教圏から来た超人に見えたことでしょうね。
しかし、私はお金を使いはたすことがあまり大した才能だとは思っていないのです。芸術家を見れば、こういう人はいくらでもいるのですから。ジェームズ・ジョイスはお金持ちではありませんが、一晩で、お給料を飲んでしまうような豪放さ。シャルトリューズを飲みに飲んだのでしょう(確かに美味しいお酒なので、もしご経験が無かったら、お勧めです。クリスマスのお酒なので、時期的にもいいですね)。そしてうろ覚えですが、ジョイスは「こんなにも楽しくお金を使えるのだから、私は才能があるということであって、この才人に金を心行くまで使えるように与えるのが当然であるはずだ」などと言ったそうです。借金をしても返さず、「天才、間違わず」と放言したとか。酒を飲んだと言うといかにも愚かしいのですが、これで詩が湧くのですから、やはり無駄な金ではないわけです。こういう伝説をもつ芸術家は、モディリアーニなど、いくらでも名前を挙げていくことはできると思います。
バロンの方は華やかではありますが、お金が無くなり、明日食うにも困るという境遇に追い込まれるなどとは、想像しなかったでしょう。だから、金を使いはたすという点にかけては、詩人らの方が自覚的であったと思うのです。でも、私は、職や財産を失うかもしれない時に、タナトスの衝動に飲まれて散財するとか、俗世を超えたことをしてしまうより、涙をのんで留まる詩人らが好きです。
たとえばゴーティエ、マラルメなど。ゴーティエは自分がキレて喚いたら、他の若い詩人が職を失うことをわかって、黙って泣いていたそうです。マラルメなど、結局、恋人と逃げることもできなかった。言い訳を延々と書き連ねた手紙は、情けないものですが、私はこれが好きです。永井荷風が「文学は金がかかる」と言って、守銭奴であったことは有名ですが、人生に緊張感があるという意味で、私はこの方に味を感じます。
>サイコロさんはもしかして白洲次郎など思っていらっしゃった?
白州次郎は興味深いですね。しかし、彼自身は、日本の社会では勝っていたのだと思います。敗けと言っても、彼は決して、日本の社会では敗けてはいませんから。やはりお金持ちの才人という範囲に思えるのですが、これは間違いでしょうか。結局、私の場合、限られた手持ちの中で、つまらない生活をいかに面白くするか、という人が好みのようです。
でも、白州次郎の名前が出て分かりましたが、マシュマロさんにとって重要なのは、外交上の要所を担ったというところにポイントがあるのでしょう。確かに、白州もバロン薩摩も、私人としてかかわったに過ぎないのですから、これはすごいことです。
それにしても、ピアソラの曲は堪能しました。一時期、毎日聞いていた曲です。リベルト・タンゴよりも、私はこちらの方が好きでした。怪しい感じが好きですね。タンゴも日常を豊かにするものだと思います。決して超大金持ちの道楽ではなくて、タンゴは庶民的なものだそうですね。
日常的な感覚から、どうしてこういうものが生まれてくるのか。私の想像を完全に超えていますが、これもまた、日常を輝かせるという意味で、ダンディを生む揺籃なのかと思います。
>あと、一番最初に「醜い」と思ったのが中世の教会で見かけた"l'homme vert"や"mascaron"などの一連の奇怪な存在たちで、それが何と銀食器までにしつこく装飾されているのですから、当時は無理解もあいまってかなり可笑しく思えたものです。
ゴシックは好みが分かれますよね。私も最初、首を捻っていました。大聖堂の怪物らも、一体何なのだろうか?と。しかしノートルダム大聖堂のミサに参加した時(正確には「見学した」ということになりますが)、ゴシックの怪奇趣味も美しいなと思ったものです。聖なる儀式というより、一つのイベントとしてみても、美しいと思います。巨大な円柱が並ぶ中で、お香がもうもうと立ち上って、パイプオルガンが鳴り響き、ラテン語で連祷が始まると、あたかも柱が「曖昧な言葉」を漏らしているかのように思えます。「万物照応」の世界だなぁ、と思ったものです。案外、信仰心というより、美を愛好するという感覚で、通う人がいてもおかしくないと思ったものです(そういうことを述べているロマン派の作家がいますが、嘘ではないのだな、と思いました)。しかしこちらは、タンゴと違って、歴然と特権階級が牛耳る儀式ではありますから、庶民が内奥に入っていくのは、容易ではない世界です。いや、二つを美から受ける快楽という観点から比べてしまうのが、間違いなのかもしれませんが。
No.28
- 回答日時:
こんばんは、iacta-alea-est2さん。
さてと、絵に飛んだところで一昨日の出来事を少しお話しましょうか。
場所は、わたくしめの職場
昼下がりの午後、仕事も一段落ついたあたりで、息抜きがてらYahooのHPを開き
ボヘーとニュースに目をやったあたりから…
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【ルーブルの照明、LEDに=東芝が器材提供―パリ】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111207-00000 …
【パリ時事】パリにあるルーブル美術館の建物外観のライトアップに使われる照明が環境に優しい発光ダイオード(LED)に切り替わることになり、第1弾として工事が完了した同館敷地内の「ピラミッド」前で6日、点灯式が行われた。
照明の切り替えはルーブル美術館が進める環境保全活動の一環で、昨年6月にパートナーシップ契約を結んだ東芝が照明器具を無償提供した。点灯式でロワレット館長と東芝の佐々木則夫社長がスイッチを入れると、350台の照明器具の光がガラス製のピラミッドを照らし出した。
【ルーブルの照明、LEDに】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111207-00000 …
時事通信 12月7日(水)9時17分配信
ルーブル美術館の建物外観のライトアップに使われる照明が環境に優しいLEDに切り替わることになり、第1弾として工事が完了した同館敷地内の「ピラミッド」(写真)前で6日、点灯式が行われた=パリ
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/led/?132 …
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「なになに、パリのガラス張りの美術館の照明がいま流行のLEDへと総取り替え?!
こりゃすごい!」
ビッグニュースとばかりに書類のファイル背中合わせ、向かいの席に座る年配の同僚に声を掛け、
いま目にした話を得意気に話す。
「ねえ、ねえ、○○さんこれ見てくださいよ、LEDに総取り替えですって、なんかすごくないですか?
ガラス張りピカピカさぞやきれいでしょうね」
「はあーん?これって… どこよ?どこに載ってるの?」
「ヤフーのホムペに記事あがってますよ。じゃ、ちょっと読みますよ」
「【パリ時事】パリにあるルーブル美術館の建物外観のライトアップに使われる照明が環境に優しい発光ダイオード(LED)に切り替わることになり、第1弾として工事が完了した同館敷地内の「ピラミッド」前で6日、点灯式が行われた。
照明の切り替えはルーブル美術館が進める環境保全活動の一環で、昨年6月にパートナーシップ契約を結んだ東芝が照明器具を無償提供した。点灯式でロワレット館長と東芝の佐々木則夫社長がスイッチを入れると、350台の照明器具の光がガラス製のピラミッドを照らし出した。」
○○さんもYahooのHP開き記事に目を通す。
「350台の照明器具を総取り替えですよ」
そう話しかけたあと、ファイル越に向こうに座る○○さんを覗くと、眉間がギュっと
。
あれ?なんかいけないこと言ったかなと思う間もなく、○○さんから言葉が返ってきた。
「これだから、何を考えてるのか、いや、考えがなさすぎる。省エネだとばかりにこぞってLEDを奨励しているけれど、本当にわかってるのかね、LEDを作るのに(製造段階で)どれほどの電力(エネルギー)が費やされているかをわかってないいんだよなあ。製品となったLEDは長持ちすというところだけをみて省エネ効果大といっているようだが、全体から見れば本当のところ果たして省エネになっているのか怪しいもんだ、それと同じくCO2削減も」
たしかに、いわれてみれば製造段階でどれほど電力を消費したという話は伝えられてないよな。
うむ…リサイクル製品然り。
「そうですね、LED奨励とばかりに助成金がついてたり流れは一方向ですからね、あたり見渡しても。これだけ大きく報じられてるとみんな挙ってLEDに取り替えてますよね。需要を見込んで大量に生産するとなると、当然そこには人手が必要になってきますね。製品としてのLEDを作るまでは、製造工程過程では人が必要となって一時的には雇用創出には弾みはつきますが…でもどうなんでしょう?LEDは長持ちするって話じゃないですか?一度買ってから、次に買い替えるまで間がだいぶ空くんですよね?間が空いた期間どうするんでしょう?需要がガクッと落ちるとこれまで製造過程の職に就いてた人も一気に人減らしに合うんでしょうかね?職に就く者の身分を非正規から正規へと働きかける動きはあるものの、その一方、長持ちな製品を産み出すと、<いるとき、いらないとき>みたく期間労働者(非正規)扱いな雇用形態を促進することにもなりかねない逆の動きが生まれますよね。」
「知ってるかい、日本だと長持ちはいいことだと思うだろ。ところが、アメリカはそういう面厳しいよ。日本のようにしっかりしたつくり(頑丈)だと、耐久性が過剰とみなされ罰金をとられる場合もあったりしてね。アメリカはほんとに使い捨てだからね。だから内需は活気がある。返品は簡単に交換してくれるしね。日本からアメリカへ商品を持ち込むと規格と違う(しっかりし過ぎる)とハネられることもある、逆にいい加減なつくりが多い(すぐ壊れる)中国製の商品の方がアメリカでは簡単に受け入れられていたりとそういうこともあるんだよ。日本人からすれば、信じられない話だろうが」
「なんか、日本の常識は、世界の非常識みたいな話になってきますね」
「るろうに剣心 悪・即・斬 牙突」
http://hidenrpg.web.fc2.com/Hiden/PDF/ruroken.pdf
リトルキスちゃん、へーなるほどね。近所でそんなことが起きていたのかぁ(世のことは、基本的に疎い)。いや、私も、製造の際にLSDが微妙なのは知っていたよ。でもね、私の考えだと、中長期的な視野を持って環境問題を考えるのなら、LSDがいいと思う。東大が電球を総取り替えした時に試算したけれど、初めは損だけれど、最終的に、LSDの方がいいんだってさ。そしてパリにはLSD売ってないもん。これは環境後進国だなぁと、私は電球のコーナーを見て、思ったものだった。LSDの販売プロモーションを兼ねているのじゃないかな(勝手な予想)。
フランスは環境問題をまともに考えていないと思うことも多いんだ。フランスはごみの分別もちゃんとしていない(瓶くらいはわけるが、テキトーでよく、混ぜても持って行ってくれる)。超高熱で有害物質が出ないように燃やしているのかもしれないけれど、リサイクルという発想がない(が、なぜか、商品にはリサイクルマークがべたべた貼ってある。回収していないのに、どうしてリサイクル可能なのか。工業製品のリサイクルということなんだろうなぁ)。フランスは、環境問題では、明らかに後進国であり、日本が胸を張ってよいと思う。何でもかんでも、欧米が正しいってことはないと思うんだ。フランスは電力の八割が原子力だからねぇ……電力なんて屁の河童さ。
ただね、フランスが無駄遣い大国というわけでもない。フランスは電飾がほとんどないんだ。クリスマス・イルミネーションなんて、限られた場所だけ。普段でも、街路は薄暗く、日が落ちると、危なくてジョギングなど出来ない(それでもする人はいる)。もともと、電力を消費しないようにしている文化なんだよね。どれくらい暗いかと言えば、原発で電力が節電になった東京がパリのスタンダード。
わざと、すぐ切れる電球を売るという意見には、売り手に対するいらだちを感じつつ、非常に納得。だってフィリップスの電球は、二カ月に一回の頻度で切れるのだから。電圧を間違って買ってきたのかなぁと換える際に調整をしても、三カ月もったためしがない。パッケージには二年もつとか書いてあるのに、何か変だ。友達の家でも、必ず切れるんだってさ。私だけが悪いわけじゃないみたい……うん。
どうもありがとう。るろうに剣心って、やはりあなた様は……絆創膏をとらないでください。ひー(笑)。
No.27
- 回答日時:
ためになるお礼をありがとうございました。
世間話でもよろしいと仰るので、仏文学者さんに伺います。
小説というのはそもそも真実を嘘にまぶして書くものであり、そのテーマは、人間の卑小な醜さである、という、私の理解は間違っていますでしょうか。ですから、小説の登場人物たちが滑稽で卑近なのは、当然、といえば当然と考えていたのです。
演劇はそもそも神に捧げるためのものであり、悲劇はヒーローがテーマであり、喜劇は人間がテーマであり、その喜劇から派生したのが小説であると考えておりましたが、その辺りを教えていただけると、私の小説への偏見もなくなるかもしれません。
そんなわけで、ジュネは残念ながら読んだこともないのですが、読んだほうがいいでしょうか。とあるブッククラブでフランスの小説を読む時期があり、サルトルの代表作を読んだのですが、覚えているのはベッドから立ちのぼるむせるような体臭。。。という部分だけです。バルザックもボードレールも読むには読みましたが、何も覚えていません。読み方を間違えていたのでしょうか。ヒントを教えてくだされば幸いです。
そのなかで、私が今も敬愛しているのは、モリエールで、それは私がただの演劇好きだからかもしれません。彼には心から愛したお人がいたのではないか、と思われる節があるのです。
さて、文学の中の醜さに戻りますが、カラマーゾフ家には三人兄弟がいて、三男は修道僧、次男は無神論者という設定でした。
小説の中盤辺りで、いきなり次男が演説を始めて言うには、”現在のキリスト教ほどくだらないものはない。教会は腐敗している。もし、今の世界にイエス・キリストが現れて、布教を始めたら、たちどころに異端諮問にかけられるであろう。だから自分は無心論者なのである”というくだりがあり、三男のアレクセイの心を悩ませます。
この一見整合性のある意見は、醜さの極地ではないでしょうか。真実を否定する一番の方法は、そのメッセンジャーと批判することである、と言われています。その手法で、自分の立場を正当化する、”神を恐れぬ傲岸不遜”の典型であるといえます。
何に拠らず、敬虔で愛に満ちた人や事象を、美しいと感じるのでしょう。
神に捧げる生け贄の子羊の問題もありますが、今日はここまでにさせていただきます。
Ciapolpoさんは、おそらく、キリスト教的な美を一つの基準となさっているのでしょうね。かなり特殊な理解のなさり方だな、と思いました。いや、キリスト教的な美を主張する議論はいくらも知っているので、その点からすると、私は驚きはしなかったのですが、そういう方とお話しするのは初めてだったので、どうしたものかなと思ったのです。しかし、キリスト教的な美を認めるのだとしたら、これはどうか?という点について先に記述してみます。
>小説というのはそもそも真実を嘘にまぶして書くものであり、そのテーマは、人間の卑小な醜さである、という、私の理解は間違っていますでしょうか。
うーん。フィクション批判ということでしょうか。これは、キリスト教芸術的に見ても、違うと思います。すべては、まず真実の定義にかかっています。現実そのものを描けば、真実になるのか。必ずしもそうではないでしょう。現実は雑多で、様々なものが混交しています。その中で、真と呼びうる要素を抜き出し、再構成することが必要ではないでしょうか。この真と呼びうる要素をどのように判断するのかが難しく、原則的にいえば、神の力を芸術家が借りないことには、為し得ないのです。この発想はどの芸術ジャンルでも同じです。
>演劇はそもそも神に捧げるためのものであり、悲劇はヒーローがテーマであり、喜劇は人間がテーマであり、その喜劇から派生したのが小説であると考えておりましたが、その辺りを教えていただけると、私の小説への偏見もなくなるかもしれません。
これも微妙な話ですね。小説の起源が喜劇にあるのか?そういう説を唱えた人もいます。が、これ自体は論証できることではありません。むしろ、一説には、十八世紀まで連綿と続けられた聖書の翻訳が、十九世紀の小説の潮流を作ったと言われています。ラテン語の翻訳、ヘブライ語の翻訳などを通じて、散文を書くという文化が脈々とありましたから。また喜劇=劣ったジャンルとは言えません。ダンテの神曲の原題には、コメディという語が含まれていたでしょう。
ご投稿は続きます。が、まず、ここら辺まででどうでしょうか。というのも、あまり議論を急いでも、齟齬が膨らむと感じたからです(続きも書いたのですが、ちょっとな、と思ったので敢えてとどめました)。
ところで、その基準ですと、ヴィクトル・ユゴーなどお気に召すと思うのです。知らぬ人はいない作家なのでお手に取ったことがあると思いますが、どうでしたでしょうか。
No.26
- 回答日時:
追記
以前にこのカテゴリーの質問にも回答しましたが、美とは 大きな羊のことだと思うのですが。
つまり、満たされる・安心する・癒される・潤う ものを、美しいと言う。
とすれば、その反対が醜い、ということになりますね。
充足するものではなく、奪うもの。見ただけで消耗・疲弊するもの?
>では一体なぜ、美を知りたいなどというのだろう。
感じ取れないからですね。
>小さな美を与えてくれた世界に対する忘恩という時点でミューズが見捨てるのも仕方ないとみなして、放っておくのがよいと思ったのです。
忘恩もなにも、感性が抑圧・刺激過剰によって麻痺したのだから、何を言うでもない。
>忘恩もなにも、感性が抑圧・刺激過剰によって麻痺したのだから、何を言うでもない。
一もにもなく同意するところです。こういう方は何を話しても不毛なことでしょうね。感性がないと、話していても面白くありません。心が死んでいるのであって、ご自分を機械のように感じて、恥ずかしいだろうと思います。オズの魔法使いのブリキの樵のように。しかし、あまりいうのはやめます。ご自分だと名乗り出てきた方がいらして、お気の毒ですから。
それにしても、大きな羊はわかります。争いもなく分けられる大きな羊こそ、美だというのでしょう。白川静も、そういうことを書いていましたから。しかし、酒と鬼はどうお考えですか?
No.24
- 回答日時:
>ボードレールの「女はダンディとは程遠い〈生き物〉である」という台詞
はい、仰る通りに、所詮シャネルはボードレールの言わんとする範疇には入りきらないのでしょう、きっと。
強いて重ね合わせれば、自身の装いやライフスタイルに対する美意識に情熱を生涯注ぎ続けたこと、そして当時の流行りに迎合せず一線を画した潔さという点でしょうか。
ご承知のように、上流階級の女性たちを飾りたてるハイ・ジュエリーなど眼中無いかのように、安価なコスチューム・ジュエリーを公に身に着けその美と洒落っ気を見事に演出してみせたその心意気は本当にたいした自負心だと思います。
もっとも、中世ヨーロッパにおいて(ベネディクト派の清貧や謙譲に近い意味合いの他に)染の劣悪さも相まって汚く醜の色とみなされていた黒については、毛織物絹織物の生産につれ転じて美として流行した時代がシャネル以前にも何度かあったようですね。
絵画上から黒に対する礼賛とリバイバルが垣間見れ興味深いです。
>・学歴の無い建築家(若き安藤忠雄)
考えてみればこの国において、長屋ならずも住宅内にすきま風や雨滴一つ気にせず用を足したり洗面する空間を享受できるような高気密住宅が普及したのなど、つい最近のことなのでしょう。それが当たり前になってしまっている豊かさというものがあるわけで。
でも住吉の長屋の場合、彼自身長年慣れ親しんだ長屋において何が一番の贅沢で有難味なのかと彼なりの信念あったからこそ、あの利便性の削ぎ落としが可能となったのでしょうし、だから自身の経験というものは得難い宝物なのですよね。
(余談ですが、拙宅も同作品賞の別の建築家(故人)の手によるもので、利便性を損ねないまでも遊び心が盛り込まれているというか、互いの両親からは奇抜に思われる思い切った空間が、逆にこどもたちとその友達にはウケが良いのが好対照なのです。)
ところで今、先の長屋の回顧展を数年前に開催した場所とさほど遠くない六本木の一角で、奇しくも中銀カプセルタワービルのカプセル一棟が展示されています。
私は思わず侵入してみたい衝動に駆られました。(メタボリズムの未来都市展)。
宇宙船内部かドールハウス風で、什器設備がぎゅっと凝縮されている開けたらびっくりおもちゃ箱のようにも映りました。
だけど、住吉の長屋と数年の隔たりしかないのにこちらのほうに殊更愛おしさやら哀愁のようなものがふいにこみあげてきたのは、やはり建て替え予定を先に知ってしまっていたからでしょうか。
>この者のダンディに心を斬られた
そうですね…心を斬られたというか、フランスに縁がある人物を一人挙げるとしましょう。
パリ日本館に私財を投じた「バロン薩摩」などはどうでしょう、彼ははたしてダンディと言えるでしょうか。
薩摩治郎八 (上) http://maesaka-toshiyuki.com/detail?id=349
(このネット上の記事はあくまでご参考の目安とお考えください。)
>>やはり経験が裏打ちしている問いは、重みがあってよいなと思います。
はい、長年のご経験から直観なさったあの絵画上の水平方向に向かう穏やかなリズムと日本の山水とが少なからず重なり合って世界中の人々を魅了するとすれば、それは何故そして何に由来するものなのだろうと思ったりもします。
>>しかし、案外、フランスでも、自国以外の文化はあまり盛大に保存しません。ギュメ美術館などありますが、ちょっとがっかりするくらいの大きさでしたもの。日本も予算の配分を、日本美術にもっと回すべきだ、と私は思います(もちろん西洋美術も好きですが)。
はい、日本も含め自国の文化と西洋文明との両立を課題とする国々は決して少なくないのですし、これにつき主導を望みたいところではあるのですが、極端なナショナリズムに陥ることなく文化遺産の保全や新たな文化産業の育成に注力すべきという文化政策を実現するのは言うは易しで、議論し尽されていない感が拭えません。
せめて自国の伝統美術工芸品くらいは美も醜も与えられることに甘えず積極的に見出していきたいものです。
マシュマロさん、丁寧にどうもありがとうございます。
>ご承知のように、上流階級の女性たちを飾りたてるハイ・ジュエリーなど眼中無いかのように、安価なコスチューム・ジュエリーを公に身に着けその美と洒落っ気を見事に演出してみせたその心意気は
いえいえ、ボードレールもシャネルがいたら、きっと気に入ったことだろうと思います。安価な宝石で身を飾った恋人の姿に、万物照応の幻影をみたのですから(「宝石」)。女性のことを軽蔑する一方で、女性の参政権を唱えた女性闘士を詩に登場させもするのです。彼の場合、ああいえば、こういう、という曖昧さを常に持っているので、一概に、言い切れないのです(これが扱いにくさだと言われます)。私の手落ちとお考えください。
>でも住吉の長屋の場合、彼自身長年慣れ親しんだ長屋において何が一番の贅沢で有難味なのかと彼なりの信念あったからこそ、あの利便性の削ぎ落としが可能となったのでしょうし、だから自身の経験というものは得難い宝物なのですよね。(余談ですが、拙宅も同作品賞の別の建築家(故人)の手によるもので、利便性を損ねないまでも遊び心が盛り込まれているというか、互いの両親からは奇抜に思われる思い切った空間が、逆にこどもたちとその友達にはウケが良いのが好対照なのです。)
住んで見ないと分からないものがあるかもしれませんね。私も奇抜なアパートに部屋を借りて住んだことがあります。有名建築家が賞をとった作品らしいですが、浴室がガラス張りで、普通の住人は(室内だから誰も見ていないが羞恥心として)、目隠しのポスターなどを貼って、誤魔化すのだそうです。しかし、浴室がせせこましくなくて、浴槽にずっと入っていられるというメリットもあるなぁと思ったものです。住めば都といいますが、人間、住むと使い方を発見するものだと感じたものでした。現代建築は、パッと言ってみるだけではなく、長く付き合ってみないと(あるいは自分が住む姿を想像してみないと)、良さが分からないものかもしれません。それにしてもマシュマロさんはご自宅が、現代建築とは。自由に改造もできるでしょうし、少し羨ましくもあります。
>パリ日本館に私財を投じた「バロン薩摩」などはどうでしょう、彼ははたしてダンディと言えるでしょうか。
おや、あまり悪口は言えない相手ですね。日仏の橋渡し役となった功労者ですから。しかし記事を読みましたが、残念ながら、気ままに、金も人脈も時間も蕩尽した人物として描かれており、人生に緊張感がない人なのかな?と感じたものです。この記事の書き手にしてみると、稀代のプレイボーイであるということが重要なことであるらしいのですが、この点は、私から見ると、どうでもよろしかった。もう、いくらでもプレイボーイにせよ、プレイガールにせよ、いるわけですから。それに私は、品行方正な方の方が好きなのです。自らの不良を誇っても、十代の少年が仲間内で自慢するならともかく、ちょっと大人のすることとなるとさびしいと思うのです。
しかし、勝手に話を再構成してみると、このバロンも、案外ついていないですね。二十代までは、学習院に落ち、小説は無視されます。しかし家に金があったという人です。オクスフォード大に行かせてもらう。学位をとったのか知りませんが、その後、パリで遊んで暮らす。この遊び方が尋常ではない。常に心に穴があった人だろうなと思います。もちろん、蕩尽しきるだけの持てるものがあったのは羨ましくもありますが、それほどまでにしないと心が埋まらなかったのだと感じました。人の心の溝は深まれば、果てがないものだと、ボードレールの詩を思い出しもしました。
>はい、日本も含め自国の文化と西洋文明との両立を課題とする国々は決して少なくないのですし、これにつき主導を望みたいところではあるのですが、極端なナショナリズムに陥ることなく文化遺産の保全や新たな文化産業の育成に注力すべきという文化政策を実現するのは言うは易しで、議論し尽されていない感が拭えません。
アジアの国にしてみると、西欧の美術をそろえるということは、美しいからそろえているというより、いかに西欧化されているか、西欧の文化に敬意を払っているかという指標を示すものであったと思います。しかし今後、西欧との関係は、また変わっていくだろうと私は思います。その時によく変われるといいなと思います。極端なナショナリズムは、私も御免蒙りたいところです。
No.23
- 回答日時:
No.22
- 回答日時:
No.21
- 回答日時:
こんばんは、iacta-alea-est2さん。
推理小説じゃないんだけど…
司馬遼太郎の「ペルシャの幻術師」(文春文庫) [文庫]ってのはどう?
短編7ページ~49ページ。短いよ。
最後に生き残ったのは…ナン
ナンに象徴されるものは何かなあ?と。
「貞節」がkeyかなあ?
【貞節と忠誠】
http://www.t-koyano.jp/ainid.html
あっ、そだそだ、お賽ちゃん~♪
ジュリアン・グラックの『シルトの岸辺』
↑
これ、読もうと本屋さんへ行ったんだけど…
在庫なくて、取り寄せお願いしたんだけど…
調べてもらっても出版社にも在庫ないって…
まだ読めてません。
まだ読めてないといえば…
ジュリー ケナーの「ママは悪魔ハンター」早川書房
これ、今読みたい本なのね。
今日、仕事帰りに本屋さんへ寄ったんだけど…
在庫なくて、取り寄せお願いしたんだけど…
調べてもらっても出版社にも在庫ないって…
さて、どうしましょうかね?
それにしても、デコピン!する―――?(`へ´)いたいなもうー
額の絆創膏 はがれたら 知らないからね☆ oteyawarakani
リトルキスちゃん、こんにちは。ははは、デコピン、当たったんだ(笑)。え、額の絆創膏がとれたら、狂戦士に変貌するって?これは困ったなぁ。
本ね。うん、それは新本は無理な気配がしてきた。でも「日本の古本屋」というサイトで見つかるよ。何かアマゾンで探したら、『シルトの岸辺』はとんでもない値段だったが、「日本の古本屋」なら、そうひどくもない……でも、図書館で一応、トライしてみてね。幻惑で、本当に眩暈するから。
私も本、読みたいなぁ。機会があったら、お勧めの本は読んでみるね。どうもありがとう。
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