プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ココヤシ村に突如現れたアーロン海賊団は、
大人1匹10万ベリー、子供1匹5万ベリーを村人から巻き上げる。
しかしベルメールには ナミ、ノジコ、自分 の3人分20万ベリーを払う余裕などない。
へそくりを足しても10万ベリーちょっと。
村人たちは、ナミとノジコの存在を隠し、アーロン海賊団をやりすごそうとする。
泣く泣く10万ベリーを払うベルメール。だが、
「子供2人で10万ベリー、それは私の娘達の分、私の分は足りないわ」
「家族がいないなんて言えない、口先だけでも親になりたい。」
そしてベルメールは殺される。

当時私はこの話を見て 正直「バカじゃないか?」と思い、怒りも感じました
せっかくフォローしてくれた村人、ナミ、ノジコ、を、自分のプライドの為に死ぬ事を選び
その結果、二人の子供は悲しみ、泣き叫び、ナミは連れさられ、島の為に村を裏切るフリをして
ドロボーに走りました。

もしもあの時、ベルメールが何も言わなければ もっとマシな結果になっていなのではないかと
思います。

ベルメールのあの発言は本当に正しかったと思いますか?

A 回答 (5件)

私も昔読んだ時はバカだなあ、と思いました。


数の上からの結果論ではベルメールさんが巻き起こした被害は甚大です。

しかしベルメールさん目線に立ってみれば、
・村からはもう誰も逃げ出せない。
・この場限りの嘘をついても、いずれノジコとナミの存在はバレるだろう。
この条件が重なった時、彼女は早々に「この場限りの誤魔化しをする」という選択肢を捨てます。

そして最も大きな条件が「ノジコとナミは自分が産んだ本当の家族ではない」という彼女の中にあるどうしようもない事実です。
何があっても自分たちは家族だと、心の底から信じることは出来なかったんでしょう。
この劣等感に似た感情は作中にも何回か描写されています。
癇癪を起したナミに「別の家に拾われたかった」と言われた時、彼女は豹変します。
ちょっと変えると「別の家に生まれたかった」「別に産んでくれなんて頼んでないし」。似た言葉は現実世界でも度々耳にしますが、言われた瞬間血相を変えて子供を殴り飛ばす親は少ないでしょう。
これがベルメールさんの中にある劣等感です。
この劣等感が彼女に死んでも「家族じゃない」なんて言わせなかったのです。
あの言葉は正しい・正しくないから選択出来たものではなく、「それしかなかった」という悲劇の描写です。
立派な人だと思いますよ。自分の中の劣等感に死んで乗り越えたのだから。彼女は自分の死の変わりに、ノジコとナミを「誰に何を言われても揺ぎ無い家族」に昇華したんです。

村人の乱闘は彼らからベルメールさんへの愛情で、ベルメールさんに責任はありません。
目の前の親子の見せしめに、震えて隠れることもできたはずです。
ですが、それだけベルメール一家は村から愛されていたんでしょう。

好きな話なのでちょっと語り過ぎちゃいました。こんなところでどうでしょう(*^_^*)
    • good
    • 6
この回答へのお礼

素晴らしい! ここまで深く考えてらっしゃるとは恐れいりました
確かにここまで考えると感動しますね

お礼日時:2012/01/28 21:27

正しいか正しくないかなんかわかりませんけど。


だからなんなんですか←
    • good
    • 0

> そういえばワンピースのキャラってどこの国の人々なのだろうか



ストーリーというか、キャラの動かし方は、任侠の世界観そのものですよね。
清水次郎長とか国定忠次とか、ご存知ですか?
    • good
    • 0

どっちが正しいか?


どっちも正しいと思います。

だけどベルメールさんは”自分のプライドの為”に言ったのではないと思います。
たとえ生きる為であっても「自分の子どもではない」と言って
ナミとノジコを傷つけることはできない
と、解釈しました。
特にノジコは自分の親を失くした記憶を持っていますよね。
小さな2人がその時「自分の子じゃない」と言わなければならない理由を
理解できるかどうか?一時的だとしても「自分の子じゃない」と言われた記憶が
2人の人生にどう影響するか?は、想像つきません。

ナミは、現在、そのことも総てひっくるめて、今の自分が在る
今は楽しいから・・
と言ってますよね。

ベルメールさんがその場しのぎで生きていたとして
ナミの人生は大きく違ったものになるだろうけど

ナミにとってどっちがマシなのか?はわかりません。

自分の人生もあの時こうしていれば・・・と考える時もあるけど
それでマシになるかどうか?は疑問です。
少なくとも・・・

>「バカじゃないか?」
とは思いません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かにそう言われると難しいですね
自分の為ではなく二人の子供の為 うーん
「自分の子じゃない」と言われた記憶 親のように親っていた人が殺された記憶
僕は殺された記憶が一番つらいとおもうんですがねぇ

お礼日時:2012/01/28 21:02

とても日本人的な話で、こういうのを「矜持」といいます。

プライドといいかえる人もいますが、ちょっと違います。
正しいかどうか、ではなく、自分の勝る点をどんなに不利な状況、破滅を招く状況でも貫く、人間としての尊厳を指します。

そこを曲げて利益を守ることを正しいというのなら、間違った考え方になります。こういうのを合理主義といいます。
ただ、人が自分の何かのために死を覚悟する道を取ること、これを日本人は間違ったこととはとらえない文化を持っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど!もしそうだとしたら
作者は日本文化にとても忠実な性格なのでしょうかね

そういえばワンピースのキャラってどこの国の人々なのだろうか

お礼日時:2012/01/28 20:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!