プロが教えるわが家の防犯対策術!

酪農が盛んな事由について
(1)海に面していない
と個人的には思うのですが、他にはどのような理由が挙げられるのでしょうか。
ご回答お願いします。

A 回答 (5件)

>海に面していない


と何故、酪農が盛んなのかその理由を聞きたいぐらいですね・・・・
十勝も海に面していないところが大半ですけど畑作が盛んですし、
空知にいたっては海に面していないが米作してますし。
だいたい、釧路の沿岸や根室・網走のオホーツク沿岸もほとんど酪農地域です。

「海に面していない」云々は一切関係ないですね。

単純に気候的なものです。
北海道の東部や北部は畑作ですら上手くいかなかった結果、酪農に頼らざるをえなかったということです。
北海道へ行ってみればわかりますが、札幌から東へあるいは北へ向かうと、ある一線を越えると畑はなくなり、一面の牧草地になります。
だいたいそのあたりが、畑作と牧草地の境目となるわけです。

とくに、釧路・根室地方は夏に濃霧が発生しやすく農作物が十分成育しにくいといった点、なだらかな丘陵地が続くので、畑にするには整地に手間取る、火山灰の層なので土地がやせていた・・・
といった事由がかさなったので、早い時期から大規模な酪農事業を展開してきた結果が現在につながっていると思いますよ。
酪農が盛んなのは根釧台地だけでなく、釧路・根室からオホーツク沿岸を経て宗谷方面まで全部です。
本当は面積あたりの収益の高い畑作ができればいいのですが、出来ないから酪農なんですよ。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/02/17 12:16

前の方たちの回答を総合するとお分かりのように、海岸線だからと言うだけで酪農になったのではなく、道東(普通釧路・根室・網走・十勝エリアを指します)の中でも釧路・根室地方は太平洋と根室海峡にはさまれていて、霧が発生しやすいところです。


 霧と言っても海霧と書いてガスと呼ばれる濃霧で、朝晩のひどい時は小雨のように衣服が濡れる状態になります。この霧の上は曇りではなく晴天なのです。
 この霧が負に働いて花をつけなければ実らない果実や畑作に向かず、気温もそれほど高くならないことから米はもちろん無理で、自然と酪農に活路を見出したエリアです。
 加えて国の政策としてパイロットファームと言う入植制度で酪農を普及したのが基礎になりました。いま結婚詐欺とか殺人とかで物騒な話題を提供している女性の出身地で、イメージが悪いのですが、善良な町民が取り組んで酪農は町民の10倍以上の数の牛が飼われている地域です。
 同じ道東でも十勝エリアは豆や甜菜(砂糖の材料)馬鈴薯などの畑作の盛んなところ。
網走エリアの知床半島に近いエリアも馬鈴薯・甜菜・小麦などの大畑作地帯、サロマ湖周辺から宗谷に接する雄武町や興部町にかけてはやはり酪農地帯です。
 海岸線のプラス面は前の方も書いておりますが、海水のミネラル分が霧に運ばれて牧草によい影響を与えて濃厚なミルク人なっています。
 興部町のミルクも濃厚で、タレントの田中義剛さんの宣伝で一躍有名になった「生キャラメル」は、ここの大黒さんの経営するノースプレインファームの努力で製品化されたものなのです。

 

参考URL:http://www.northplainfarm.co.jp/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/02/20 14:40

こんにちは、はじめまして。



北海道在住です。小学校の社会科で習いますが、根釧台地は冷涼な気候のため畑作に向いておりません。
それもあり、戦後の国の振興策として「パイロットファーム」という牧畜の振興と新たな入植を支援したのが大きいです。
http://pucchi.net/hokkaido/closeup/pilot_farm.php
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/02/20 14:39

根釧台地で酪農が盛んな理由には、海も大いに関係しています。


道東沖では夏になると、暖かい空気が冷たい海面に冷やされ海霧が発生し、それが南風に乗って根釧台地へと運ばれます。この霧は意外なほど内陸にまで入り込み、海に面していない場所にまで、海霧に含まれる塩分やミネラルを運びます。
根釧台地はいたるところに牧草地が見られますが、この霧に含まれた塩分・ミネラルがよい牧草を生育するのに必要なのです。
あとは、この霧のために夏の気温が低いです。霧に覆われると日照時間が少なくなり作物が育ちにくいということも関係しています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/02/20 14:39

当初は、畑作で入植された方がほとんどだったけれど、寒冷な気候で


それがうまく行かず、寒冷な気候でも出来る酪農に転じたと郷土史に有ります。

冷害で軒並みやらてて離農せざるを得なかったそうです。
春先に気温が上がるのが遅いのが致命的と聞いています
牧草は草なので寒冷な気候でも育つようです。

その頃、農林省の指導で根釧台地には酪農やビート栽培を畑作はオホーツク側に
集中させたらしいですよ。

海岸にも沢山牧場はありますから、海に面しているかは関係ない気がしますけど。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2012/02/17 12:16

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!