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鍋で煮ているのに鍋焼きというのはなぜでしょうか?

1643年の「料理物語」には「なべやき」という料理がのっているそうです。これも煮る料理で焼いてはいません。
http://www.kibun.co.jp/enter/nabe/n-rekisi.html
すき焼きのように最初は焼く料理だったものが煮る料理へと変化したわけでもなさそうです。

鍋を火にかけているから焼きだという説もあるようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
http://plaza.rakuten.co.jp/makiplanning/diary/20 …
それでは「湯豆腐」は土鍋に入れて火にかけるので「鍋焼き豆腐」なのでしょうか。鍋を火にかけているから焼きだというのでは煮物料理と焼き物料理と区別がつかなくなってしまうのではないでしょうか。それに鍋を火にかけて調理することことは煮るといい、焼くとはいいません。

さんざん調べても判らなかったことですから、たぶん御存知の方はおられないとは思いますがよろしく御教示お願いいたします。

A 回答 (10件)

上方言葉ではオデンの「関東だき」など、煮ることを「たく」と呼びますが、これは「炊(た)く」や「焼(た)く」とも記します。


「たく :煮る。大阪(「浪花聞書」)・大阪・京都。」(東條操編「全国方言辞典」)

古来、燃やしたり焼いたりすることを「たく」と呼んでいました。
「たく【焚く・焼く・薫く】(1)燃やす。焼く。「家(いは)ろには葦火(あしぶ)たけれど(多気騰母)」(万葉集20-4419)」(「古語大辭典」小学館)

したがって江戸初期の頃の「鍋焼き」という呼称は、磁器の鍋島焼や素焼きの土鍋などを、囲炉裏などで自在鉤に吊るして直火にかけるなどして、煮炊きすることが「焼(た)き」であり「焼(や)き」とも呼んでいるものです。

「たく【焚く・炊く・焼く・炷く・薫く】(何かをするために火を燃やすことをいう) (4)火を通して食べられるようにする。煮る。かしぐ。湯などをわかす。「寝いらぬに食(めし)焼(タク)宿ぞ明けやすき」俳・曠野・7」(「国語大辞典」小学館)
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
上方方言には煮炊きするという意味の「焼く(たく)」という言葉があったという御説。鍋焼初出の「料理物語」も上方で出版されたようですので、そういうこともあるかもしれないような気がしてきました。鍋焼きと書いて「なべだき」と読んでいたのでしょうか。上方古典落語には鍋焼きうどんがよくでてきますが、「なべだきうどん」とは言っていないようです。落語家さんもエンターテーナーですから聞き手に合わせてアレンジしているのかもしれませんが。

お礼日時:2012/05/16 21:11

#2、5、9です。



今度はやや角度を変えてみました。

1500年代には鴫肉詰め茄子を壺鍋という深手の石鍋に酒で煎り焼きし、塩付けで食し「鴫壺焼(しぎつぼやき)」という名称があったようです。
なお、ここに用いられる「壺(つぼ)は、古来須恵器や土師器製の広口の、いわゆる「坩堝(るつぼ)」のような「堝(つぼ)」を指すようです。それに」「しきつぼ」とは女詞で「柚味噌」を指しもします。
やがて略して「鴫焼(しぎやき)」となった頃には、鴫は省かれ、普通の土鍋で味噌焼きした茄子料理となったようです。
これは「鍋鴫焼(なべしぎやき)」、やがて「鍋鴫焼(なべしんやき)」や「鍋鴫(なべしん)」と訛ってもいるようです。
http://home.tokyo-gas.co.jp/shoku110/chie/556.html
また「炒(い)って焼(や)く」という「いりやき鍋」という流れもあるようです。
http://www.nagasaki-tabinet.com/tomocchi/item/1442
「ナベシギヤキ 鍋鴫焼 茄子を鍋の中にて油にていため、味噌を加へ煮たるもの」(「大辭典」平凡社)

このへんについて、江戸寛永期の「料理物語」では「なべやき、みそ汁にて鍋にて其ままに申候也、たひ・ぼら・こち、何にても・取りはせて候」と記されています。
ここから、1)油または水と、2)味噌(後には醤油味も)を使って、3)炒り焼き・煮炊きなどした鍋料理であり、しかも4)「鍋にて其ままに」食することにポイントがあるようです。

容器+煮炊き法としての「~焼き」については他にも、
杉焼(すぎやき):こうだて鍋で煮た味噌を厚切りの魚身の入った杉箱(へぎ)へ入れ牡蠣・豆腐などと一緒に煮炊きする(「和訓栞」「料理物語」)。枌(へぎ)焼とも。
紙焼き:紙立(かみだて/こうだて)の鍋で煮炊きする。
焙烙焼き:素焼きの平たい焙烙鍋に蓋をして蒸し焼きする。
網焼きのように炙ったり、鉄板焼きのように直火の熱で焼くだけが「焼き」ではなく、そもそも殺生禁止・動物肉忌避の時代からの調理法として、また雁擬(がんもどき)といった精進料理の流れからも、煎り焼きや煮炊き・蒸し煮焼きなど広い意味で「焼き」が使われていたということでしょう。

余談ですが、「すき焼き」についは、元来「剥(す)き」にした牛肉という語義が、明治中期において商売上の言葉遊びで「鋤(す)き」に転用されたとされています。
「スク 剥く 薄く切る。へぐ。」「スキミ 剥身 獣肉または魚肉の薄く切った身。きりみ。」(「大辭典」平凡社)
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この回答へのお礼

身近であるがゆえに誰も正確な記録を残そうとしないためでしょうか、料理の起源は調べてもわからないことが多いものです。

わずか十年やそこらの歴史しか無い我が町の名物スープカレーですらも、もうすでにどの店が元祖なのか判らなくなってしまっています。

それを考えれば、何百年も前の鍋焼の謎がとければ奇跡です。

まさか鍋焼きうどんなんていうテーマで、こんなにたくさんのご回答をいただけるとはおもいませんでした。ご回答くださいました皆様には厚く御礼申し上げます。

お礼日時:2012/05/19 23:28

#2、5です。


もう少し調べてみました。

「カントダキ【関東煮】 おでん。大阪でオデンといえば豆腐田楽のことで、東京でいう煮込みのオデンを大阪では関東煮というので、名称は同じでも東西では内容は全く違っている。…「かんと煮き背中の風は気にならず  水容」」(牧村史陽編「大阪ことば事典」)

普通「煮炊(にた)き」といいますが、上方詞ではそれを「煮(た)き」と呼んでいたようです。
そして、これは単なる地域限定的な方言ではなく、漢語の本来の意味を残した古来床しい伝統的な遣い方でもあるようです。

「【煮】 シヨ(呉音・漢音)・シヤ(慣用)/ニル…ニル義。煎・煑(煮)・烹の別。…煑(煮)は煮茶・煮粥等に用ふ。調味せず唯タク・ワカスということ。烹はもと享に作る。烹飫と連ねて料理塩梅調理してニルと。…【煮飯】(ショハン)飯を焚くこと。【煮売】(ニウリ)肴や野菜などを煮て売ること。【煮湯】(ニエユ)煮立ちたる湯。【煮麺】(ニウメン)いろいろのものを入れて素麺を煮たもの。」(「大字典」講談社)
この辞書の「煮(に)る」が「調味せず唯タク・ワカスということ」という点で、「烹(に)る」と区別される──「煮る=タク・ワカス」である箇所にご留意ください。実は「ニル」の中でも料理塩梅調理の有無や度合いで使い分けらえていた、字音も本来の呉・唐音である「シヨ」と読まれると。もしかすると慣用音「シヤ」は、その「烹(ハウ(漢音)・ヒヤウ(騒音)/ニル)」との区分がボヤケて融和した意味合いが潜んでいるのかもしれません。

ここから、「鍋煮」を「なべたき」と呼び、その漢字に「鍋焼(た)き」と振った方向が窺えます。
しかも「【鍋】クワ(呉音・漢音)/カリモ・ナベ・カマ」(「大字典」講談社)とあるように、「かま(=釜)」とも呼びますから、「鍋焚き/鍋炊き」では煮飯】(ショハン)と混線しないよう、ここは「鍋焼(た)き」となった可能性はいかがでしょう。

また、「滋賀新聞」の「すなわち、日本で最初に「鍋尻を焼いた」神様だ。そういうところから“鍋焼き”が多賀の名物として定着したのではないかというのだ」という由来および語源説も、上方の「鍋焼(た)き」がこの滋賀でのように「鍋尻を焼く」縁起と重なって「鍋焼(や)き」に転訛された経緯の一説としても興味深いと思われます。
http://www.shiga-np.co.jp/2006/061223eki.html

そして幕末期あたりからは関東を含む各地での町を流す「呼び売り」の「霜夜の鐘の冴えたるに、「鍋焼うどん、蕎麦ウヤウー」の声のいと眠れるが如くに幽かなるは物哀れなり」(「あいさつ語辞典」東京堂出版)のように、全国区の「なべやき」として定着して行ったとも。
http://dic.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%83%8A …
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%8D%8B%E7%84%BC …

ともあれ、「焼(や)く」は「焼(た)く」であること、そして上で見たとおり、古来また上方詞では「煮(た)く」でもあることから、現時点で合理的説明の裏付けが十分には取れないにせよ、少なくとも「鍋焼(なべやき=なべだき)」=「鍋煮(なべだき=なべに)」としての関係性は否み得ないことは確認できるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

何度もご回答いただき恐縮でございます。
江戸時代の煮る焼く炊くは、現代人の感覚からちょっとズレていることを知っただけでも大収穫です。また、鍋で物を煮るとき、調理という点に注目し鍋の中を見れば煮るですが、視点を鍋の外に移せば鍋そのものを焼いているように見えます。鍋底を焼くという言葉も、外から見た視点なのでしょうね。

お礼日時:2012/05/19 23:24

#7です。



もう一度、質問者さまの質問などを見直してみて、間違いが分かりました。
「鍋焼きウドン」は、うどんを鍋焼きするのではなく、鍋焼きにうどんを入れた料理。
土鍋で「煮る」ことを、なぜ「焼き」ということだったんですね。

ほかで「炊く・焼く」が本来で、「煮る」は、ゆでる・湯がくの意味。
料理用語として煮込む意味に転化したもの。かなり後から使われだした。
方言扱いだったのが明治以降、立場が逆転した、と分かりました。
すると、回答#2が正解?ですね。失礼しました。

味噌煮込みは、かなり近世の命名でしょう。

それと、豆腐は田楽として食べるのが普通だったので、わざわざ湯をつけたのでしょう。
もともと焼くので、鍋炊き(焼き)豆腐よりも明確に区分するため?
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この回答へのお礼

二度もご回答いただきましてかさねてお礼申し上げます。

つまり

 ・江戸初期には 「なべ焼、みそ汁にてなべにて其まま煮候也。たい、ぼら、こち、何にても取あはせ候」 という寄せ鍋のような「なべ焼」という料理があった。

 ・その「なべ焼」にうどんを入れたので「鍋焼うどん」になった。

ここまでは納得です。

さて疑問なのは、「なべにて其まま煮候也」といっているのに、なぜネーミングが「なべ煮」でなくて「なべ焼」なのか、です。。。 すくなくとも「なべにて其まま煮候也」と書き記した人には焼いているようには見えなかったのは確かでしょう。

重要なポイントは

・江戸時代は、焚く、焼く、薫く、炊くはみな「たく」と読んで、使い分けはあいまいだった。
ということですが。

ならば、焼に炊の意があるとすれば「なべ焼」は「なべだき」と読んでいたのだろうか?という疑問もわいてきます。

上方落語には鍋焼きうどん売りがよく登場します。「な~べや~きうど~ん」と売り声をあげて街を歩く屋台の小あきんどです。ですから、19世紀には「なべやき」といっていたらしいのですが。

お礼日時:2012/05/18 23:39

回答#2、#5には、なるほど、です。



「焼き」は、直火焼きのイメージが強いのですが、「焼き」を使った別の料理を考えると

鉄板焼き = 鉄板で炒める、加熱する
焼きウドン(チョウメン風ウドン) = 炒める
石焼き = 加熱

と直火でなくても、加熱・炒める意味でも使われます。
単純に、鍋を使って加熱するから、では駄目ですか?

煮込みうどんとは、煮込む時間の関係と思いますが、なぜ、煮うどんではないか、使い分けは分かりません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E3%81%8F_ …
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

煮ると焼くとの違いは、鍋の中に熱媒体となるスープやダシが入っていているか否だとおもっております。その点、鍋焼きうどんは煮る調理であって、焼く調理ではないと思っております。

煮込みうどんというのは、茹でていない生麺を鍋に入れて煮込む料理です。生麺を使うところが、茹麺を使う鍋焼きうどんとの違いといわれております。
http://yamamotoya.co.jp/shop/02_owari.html
http://allabout.co.jp/gm/gc/217108/

お礼日時:2012/05/17 17:02

> 鍋焼きうどんはもうすでに誰でも知っているものだった可能性があるのではないでしょうか。



まず食の文化圏で考えますと、関東は圧倒的にソバ圏で、うどんは圧倒的に関西圏です。

また、「下らない物」の語源などはご存知かと思いますが、当時の文化や流行の発祥や中心地は関西です。
逆に文化や流行において、江戸で全国的に有名になるとか、定着・発達すると言うものは多いですが、江戸発祥と言うのは極めて少ないです。
東京が文化や流行の発信源となるのは、明治維新で西洋文化が流入し、価値観がダイナミックにシフトした時点です。

江戸時代の豪商(三井家,鴻池家)などは、ほとんど関西出自です。
また屋号などでも「越後屋」「紀伊国屋」「三河屋」など、地域名を冠した店が、現在でも有名なくらい成功していますが、江戸出自の商人でさえ、成功のため、敢えてそう言う地域名の屋号を用いたと言われています。

その理由は、江戸時代の江戸では、歴史が浅い田舎であった関東の「地物」は二流として、嫌う傾向だったからです。

全国的にも、帝がおわす京都や、江戸幕府が開かれる以前から栄えた大阪など、「関西」が一流ブランドとして珍重され、また地方で流行ったものが、大消費地の江戸に持ち込まれると言う構図です。

庶民などは、高級ブランドであった京都・大阪の反物などは手に入らないので、唯一江戸が優れているとされた「紫」に染色された着物を、「江戸紫」と言い好んだと言われていますが、言い換えたら、これもやはり江戸物は「下物」と言うことですよ。

「関西で流行ったモノが、江戸で流行る」と言うのは、当時はごく当たり前の流れ・現象であり、食文化圏から考えても、「鍋焼きうどん」が関西発祥であることは、極めて高い可能性であると言って良いかと思います。
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この回答へのお礼

2度もご回答いただきましてかさねてお礼申し上げます。

関東はソバ、関西はうどんと世間では謂われておりますが、江戸にうどんの食文化が無かったわけではございません。歌舞伎『助六由縁江戸櫻』に登場する食べ物は蕎麦ではなくてウドンです。また、薮、更科と並んで老舗蕎麦御三家の1つと称される砂場は、その本家は大坂発祥であると聞きます。江戸時代は関東はソバ関西はうどんと、現代のようにきっぱり分けられなかったのではないかと思っています。また、カレー蕎麦が大阪谷町五丁目の蕎麦屋で誕生したという例もありますし、かならずしも新しいものがアウェイでは生まれっこないとは言い切れません。

と申しましても江戸起源を主張しているわけではございません。いまのところどちらとも判断できないと思っております。

お礼日時:2012/05/17 17:03

#2です。



>上方方言には煮炊きするという意味の「焼く(たく)」という言葉があったという御説。

この著名な引用辞書類の通りで、別に個人的「御説」ではありません。
そもそも奈良期の昔から煮ると焚くが同じだったり、その後「たく」という同じ言葉で様々な煮炊きの意味が生じたりという経緯は一言で語れることではありませんので、ポイントを幾つか。

陶製堝はもっとも古くから煮炊き全般に使われてきたが、中世に入ると、雑穀を使ってオネバを絞り流す「湯とり」炊きしたり、囲炉裏の普及で火に強い河内鍋など鉄鍋が主流となった。江戸期に入り、特に人口が稠密な江戸の町部では住宅面積事情と防火及び発煙・煤防止のために竈(かまど)、特に「二つべっつい」の銅竈や七輪(小型の竈)などが主流となり、そのため「羽釜」が普及した。
ここから、「白色米」を主食とする江戸では「焚干し」に適した「羽釜」による「飯炊き」と、鍋を使う「煮込み」「御付」、またお湯を沸かす湯釜での「沸し」など、魚類の七輪での「焼き」などと、「たく」で混在していた調理方法が分離し、今日のようにそれぞれの役割が区別されるようになったものでしょう。
したがって、調理の分化の著しい江戸言葉では煮込みと呼ぶうどんの調理法が、旧来の囲炉裏など直火を使う住宅面積の十分取れる地域では、自在鉤に吊るしてコトコトと焼(た)いていたもので、いわゆる「鍋尻焼く(ナベジリヤク)」といえば夫婦所帯を指すのはそのような経緯があってのことなのでしょうか。

ところで、土の堝や鋳物の鍋でも「鏊(やきなべ)」を使って、あるいは焙烙(ほうろく)と呼ばれる素焼きの「煎鍋(いりなべ)」で蕎麦掻やうどんのすいとんを水具合を極端に減らして、その焼き加減・煎り加減による調理法の延長から、やがて鍋焼きという呼称が広まったとみることもできそうです。
小麦粉を野菜汁の中へ千切って落とした「煮団子」から、小麦粉を練って焙烙堝で焼いた「焼餅」「垂らし焼き」へ、更にそれがうどんを野菜汁で煮込んだ「のしこみ/煮込みうどん」にもなって行ったが、むしろ焙烙堝のように土鍋で「垂らし焼き」に近い段階でありながら、独自にその具材や出汁を洗練していったのが、様式美の京風やだし昆布の一大産地である大坂風の「鍋焼き」だったのかも知れません。

参考URL:http://www.weblio.jp/content/%E9%8F%8A
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この回答へのお礼

二度もご回答いただきましてかさねてお礼申し上げます。

住宅事情によって加熱調理が細分化して行ったという御説興味深く拝読いたしました。

加熱技法の細分化については、調理がプロの仕事になったからだと私は思っておりました。ちなみにフードビジネスの歴史の古い中華料理では加熱調理も、焼、煮、炒、炸、煎、爆、燉、燴、蒸、涮、烤、燜、烹・・等々数えきれないほどです。

そういえば、中華の焼(シャオ) は焼くというより煮込むほうに近い調理技法なので、江戸時代の鍋焼きにも中華料理の影響があったのかもしれません。

お礼日時:2012/05/17 17:08

それほどお考えになる必要は無いのでは?と思いますが。



誰かが言い出し、それが受入れられ流行り、それを真似る同業者が多く、最終的に「鍋焼きうどん」が勝ち残り、最も定着したと言うだけではないでしょうか?

お調べになった様なので、ご存知かとは思いますが、発祥は大阪です。

似た様な大阪の不思議な料理名では、「ホルモン焼き」「モダン焼き」「どて焼き」など、イロイロあります。
関西の悪いクセで、「ウチが最初や!」などと言う店舗が結構あるんですけどね。
これらの語源も、まあ信憑性があったりなかったりの、色んな説がありますよ。

ただ、誰かが命名する以前から、そう言う料理は有ったんです。
たとえば関西で割と近年に出来た料理では「ソバめし」なんてのもありますが・・・。
しかし定着する以前から、そのメニューを出す店は有り、珍しくありません。

本題の鍋焼きうどんも、実際に今でも「煮うどん」「煮込みうどん」「鍋うどん」などと言う名称で、「鍋焼きうどん」を販売している店舗もあります。

今となっては、誰が考え出したか?などは判りませんが、「鍋焼きうどん」が最も受入れられ、供応する店舗側も、最も採用している「商品名」と言うだけではないですかね?
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
食いもん屋は、やったもん勝ち言ったもん勝ちの世界ですからそういうこともあると思います。
鍋焼きうどん大坂発祥説にはちょっと疑問を感じております。鍋焼きうどん初出の『粋菩提禅悟野晒』というお芝居が大坂が舞台のお話だということが大坂説ではいわれていますが、この芝居の初演地は江戸の市村座です。ということは観客の江戸っ子にとっては、鍋焼きうどんはもうすでに誰でも知っているものだった可能性があるのではないでしょうか。

お礼日時:2012/05/16 21:14

イメージだけで考えてみました。



何が違うか考えるとサイズと温度の問題ではないかと思いました。

「鍋焼き」と称するものは一人用のサイズです。
その小さな鍋を焼けるほど火にかけるから、鍋焼きと言った、のではないかと。

そして「鍋焼き」と言うと、他の料理より熱々のイメージがわきます。

そういう雰囲気で名前が固定されたのではないかと思います。

違いますかね。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
鍋焼きうどんは幕末ころ屋台ではじまったのだそうです。屋台ですから熱源はささやかな炭火であったとおもわれます。鍋が焼けるほどの火力のイメージは難しいような気がします。

お礼日時:2012/05/16 21:12

こんにちは。



ごめん。参考URLは読んでないです。

で、私の考えです。
焼いた鍋で供されたまま食すから鍋焼き。
他のうどんは、器を移す。
湯豆腐等の所謂“鍋料理”は、火に掛けたまま料理しながら食す。だから鍋料理。

で、東海地方の私は・・・味噌煮込みって・・・
となる訳だから、自信無しです。
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この回答へのお礼

早速のご回答有難うございます。
みそ煮込みうどんは名古屋に行ったときには必ず食べています。
みそ煮込みうどんは、たしかに煮込んでいるので納得のネーミングですね。

お礼日時:2012/05/16 11:04

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