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ダルマ、カルマ、くるま(車)
アートマ、あたま(頭)
タワー、とう(塔)
ティー、ちゃ(茶)

国語学や言語学は無論、素人,門外者です。
このごろ、下記のようなことばの類似を不思議に思っています。
(単に昔、図書館職員だっただけでして)

1. このような似ていることばなどを他にお気づきですか。
お気づきでしたらお教え下さい。

2. このような類似性については原因や理由がなく、
全く偶然や比較対照すること自体が素人的なんでしょうか?

3. 国語の権威の大野晋さんも何かこういう類似性に
ご関心があったようですが、氏の“クレオールタミル語”論は
学界では論駁されているようですね。
この論駁の理論は確かに学問的にはそうなんでしょうが、
その学問性を離れて遊んでみたいのです。
こういう類似性について何か説明や想像ができないものでしょうか?
  ● http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%87%8E% …
  ●
  ● http://homepage3.nifty.com/umoregi/index.htm

A 回答 (4件)

子供のころ、チャイナ(China)がシナ(支那)と読めるコトを発見した際は感動したけど・・・。


当たり前ですね。

しかし言語には、実際にそう言う関連性がある以上、何らか繋がりがある言語があっても、何ら不思議は無いと思います。

モチロン偶然の一致も多いでしょうけど、単なる偶然が度重なれば、偶然性が下がり何らか共通性がある可能性は高まるし、同時に「共通性があるのでは?」と言う視点からの探究の必要性も高まります。

また、ヘブライ語と日本語の類似性は超有名で、3000語以上の類似単語があるとも言われていますよ。

日本とユダヤを中心に、かなりの学者がマジで研究してます。
ハナからバカにしている立場などを含め、否定派も多い一方で、少なくとも共通性や同質性は認めると言う学者もいます。

言語のみならず、文化・神話や、信仰・祭祀などにおける共通性も多く、「日・ユ(ダヤ)同祖論」なる説は、信じる信じないは別として、一見の価値はあると思います。

天皇陛下の別命スメラミコトは、ヘブライ語では「サマリアの大王」と言う意味になるとか。
平安京(平安の都)を、ヘブライ語にすれば「エル・シャローム」、即ち「エルサレム」になるとか。
面白いでしょ?

この回答への補足

key00001さん。ご回答有り難う御座います。
岩波新書で大野晋さんの日本語とタミール語とのお話を、すぅっと読んだのはもうかれこれ40年以上前のことでした。
そして同時に、論理性と証拠性を大事にする学界筋からの批判も読みました。
その後大野晋さんがその批判との対応の中で、“クレオールタミル語”論という更なる説明をされたということを今回、検索してわかりました。
これに対してまたいわゆる学界筋が、大きな胸を借りてとやこうとご批判されているのを拝読して、歴史学もこの分野の学も、そして宗教の分野でもある偉大な思想家がいっているように、学界って地道な甲虫のようだと存じました。
でも大きな対象を相手に論陣をはることは、その方のすごさを誇示することにもなっていることに気づきました。確かに素晴らしいご批判なのですね。

それに先のタミール語論の中にもう、“クレオール”思考が含まれていたと存じます。ただ“クレオール”の事実性が欠如しているというのですね。しかし確認できない、ということですね。どんな“クレオール”かも。そういう確認できない事は、人類の歴史にはたくさんありますね。
日本語にはいろんな“クレオール”事実がありましょうが、私は日本人の心性の根底にヒンドゥ性を深く感じるのです。むろん、現地のヒンドゥの状況は私などがここで観念しているようなものとは大きな懸隔があることは存じています。
そうであっても、特に南インドとの近しさを、言語的類似でなく懐かされてきました。
いろんな系統の中の一つとして、基本的日本人性として、タミールや環太平洋を遠く眺められるような気がしております。

★しかし言語には、実際にそう言う関連性がある以上、何らか繋がりがある言語があっても、何ら不思議は無いと思います。モチロン偶然の一致も多いでしょうけど、単なる偶然が度重なれば、偶然性が下がり何らか共通性がある可能性は高まるし、同時に「共通性があるのでは?」と言う視点からの探究の必要性も高まります。
・オーソドックスとされる伝統枠を離れて、そういう探求がなされて何かが展開して欲しいですね。
・日ユのことも相当、きちんとした探求がされているのですね。楽しみです。
スメラミコトがヘブライ語の「サマリアの大王」にもなるとは、超古代の人々の広範な交流が空想されます。平安京が「エルサレム」ですか。はい、とても面白いですね。

補足日時:2012/05/19 08:50
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この回答へのお礼

素晴らしいですね。
謎解きという操作が入りますが、確かに唸りますね。
有り難う御座いました。
もう少しお店を開いております。

お礼日時:2012/05/19 06:44

日本語がどこから来たのか結論が出ない話題を考えてみることは楽しいことです。


日本列島の構造から考えると、日本人は何千年、何万年に渡って日本列島に流れてきた異なる言語を持つ幾つもの集団から形成されてきました。大陸のどこかから、原日本語を話す民族が集団で移住してきたとは考えがたいことです。

日本語は主としてアルタイ系語にオーストロネシア系語(南島諸語)が混合されたと考えられますが、それも結論らしいものは出ていません。一方、基礎語彙から見ると昔からある和語には中国語から影響されたものも少なくないそうです。
日本語は幾つかの言語が混合されてできたクレオール語に相当するものと思われます。
仮想的な祖語との比較を論じる比較言語学で、クレオール語に当たる日本語を他の言語と比較してもそれだけで結論が引き出さるものではないと思います。
大野タミール語説に興味は持ちますが、祖語に近い言語の一つにするのは否定的です。日本語の祖語の一つから派生した遠い親戚関係はあるのかもしれません。中国雲南省を中心とする照葉樹林文化圏から更に南に外れたタミールまで民族学的に共通点があるということだけでも興味がわきます。

この回答への補足

有り難う御座います。正に同感です。仰せのとおりと存じます。

補足日時:2012/05/20 06:51
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name=名前(江戸弁) オランダのスヘフェニンヘン



思いもしない言語と共通性があるって、ロマンがありますね。
引用サイトでは全面否定ですが。
単純に、少数の真珠採りが、群小民族だった日本列島の語に影響を与えたとは考えられませんね。
まだ、万葉集は朝鮮語でわかる、の方が納得できると思います。
基本的なこと(身体関係)や大きな文化ギャップ(稲作・製鉄などの文化)があれば、借用語は残ることもありえますが。
語句は時代とともに、新しく入れ替わるでしょうし、現代語とはもはや無関係でしょう。
古語の比較では面白くありません。やはり現代語が似てなくては。
ピンポイントの類似だけでは、偶然の一致としかいえませんね。

新郷村戸来とかジンギスカンにも関心はありますか?
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この回答へのお礼

有り難う御座いました。
朝鮮語と万葉集ですか。
身近な異言語民族だとは思いますが。

お礼日時:2012/05/19 06:46

念のためですが....



「お茶」を表す語はほとんどの言語で中国語由来とされているはず. その意味では「『ティー』と『ちゃ』が似ている」のは「当然」です.

この回答への補足

仰せのとおりなんです。

補足日時:2012/05/18 15:30
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