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No.1
- 回答日時:
ショーペンハウアーは、カントの認識論、プラトンのイデア論、インドの仏教哲学の影響を強く受けた思想家です。
その主著『意志と表象としての世界』の中で、「『世界はわたしの表象である。』 ― これは、生きて認識をいとなむものすべてに関して当てはまるひとつの真理である」と言っています。さらに、表象は、物自体としての意志が現象したものである、とも。
ここに出てくる「物自体」というのは、そもそもがカントの用語なんですね。
だから、ショーペンハウアーの「意志」を見ていこうと思ったら、まず、カントの「物自体」とはどういうものか、理解しておく必要があるかと思います。
まず、カントは人間の認識能力をまず三つに分けています。
感性、悟性、理性です。
人間は感覚を通して、世界を認識しようとします。
けれども、あるがままの世界は無秩序で混乱したものにすぎません。
それを秩序ある整然としたものと認識できるのは、人間が、経験的にではなく、先験的に、時間と空間を直観できるからです。
この直観の能力をカントは「感性」と呼びます。
さらに、人間には直観のほかに、思考の形式も備わっています。
そうでなければものごとが単一か多数であるか、あるいは相互に因果関係があるかどうか、理解できないからです。こうした質、量、因果を理解する思考の形式を「悟性」と呼びます。
つまり「感性」が情報を集めてきて、「悟性」がそれをカテゴライズし、判断する、ということですね。
この感性と悟性が合わさることによって、人間の認識はできあがっています。
こうした「感性」と「悟性」が認識したものごとをカントは「現象」と呼びます。
さらに、それだけにとどまらず、人間には「理性」という能力が備わっている。
それは概念を統合し、類推し、推論する能力です。
この能力によって、人間は経験だけでは認識し得ない世界を推理しようとする。
認識し得ない世界とはなにか、というと、たとえば、神は存在するのかどうなのか、といったことや、この世界は必然性によって支配されているのか、それとも自由があるのか、といったこと、世界には空間的や、あるいは時間的な限界があるのかどうなのか、といったことです。
こうしたことは、理性をもとに考えていくと、そうであるともいえるし、ないともいえる。
だからこうした推論をどこまでも押し進めていってはいけない、とカントはいいます。
人間が認識できるのは、現象界にとどまったもので、わたしたちが決して認識できないもの(カントはこれを物自体と呼んでいます)の認識は不可能である、と。
認識できないがゆえに、理性は「物自体」を扱うことはできないのだ、と。
ショーペンハウアーはカントのいう「物自体」と「現象」の考え方を引き継ぎ、「物自体」を「意志」ととらえ、「現象」を「表象としての世界」と言い換えたんです。
わたしたちの経験的な認識は、世界の本質(カントのいう物自体)は決して把握できない。
どうしたら、把握できるのか。
それは、わたしたちの身体を通して把握できる、というんです。
わたしたちは身体を持っている。
もちろん、経験的認識にとってはひとつの表象にすぎません。
けれども、わたしたちの内側には意志がある。そのことは直接、把握することができます。
このときの意志をショーペンハウアーは「通常意志」と呼んで、「真の意志」と区別します。
たとえば手を挙げるとする。このとき、まず、手を挙げようと「意志」が働き、その意志にしたがって手が運動します。
このように考えられた意志は、理性の熟慮であって、「真の意志」ではない、というのです。
真の意志とは、手の運動と同時に働いている無意識的なものでなければならない、と。
たとえば、転びそうになった時に、さっと身体を支えようとする手のように。
あるいは、暴力をふるわれそうになったとき、とっさに庇おうと出す手のように。
意志の働きと身体の働きは、因果関係によって結びつけられたふたつの客観的な状態ではなく、意志の働き=身体の運動なのだ、と。
真の意志とは、身体の動きと密接・不可分な直接的・盲目的な生への意志である、というのは、こういうことです。
表象を超えたところに、「真の意志」がある。
こうやってわたしたちは、自分の身体を手掛かりにして、表象の世界を超えた物自体の世界を認識することができるのですが、このことから身体以外にも、意識が存在していることがわかる、というのです。
自分自身から類推して、動物、植物ばかりでなく、無機物においても、その中心に意志があると考えられる。
たとえばショーペンハウアーによると、空中の石を落下させるのも、意志が存在しているからなのです。
こうした普遍的に存在する意志が、宇宙の究極的な実在なのだ、と。
意志とは、このようにまったく盲目的、衝動的に働くものであって、一定の目的をもって働くものではないのです。となると、意志の働きは、まったく休むこともなく、満足することもない。このように、決して満足し得ない意志が世界の本質であるのだから、この世界は「苦」の世界、ということになります。
苦こそ世界の本質であって、幸福とは単に苦を免れる、という消極的なものでしかありません。
ならば、どうすればこの苦を脱することができるのか。
ショーペンハウアーは三つの処方箋を書いていきます。
第一に、芸術を鑑賞すること。
けれどもこれは一時的なものです。
第二に、道徳。
他人も自分と同じ本質を有するものであると同情することによって、利己主義を消失させることができる。
けれども、本質的に、生への意志を持っている限り、苦から完全な脱却はできません。
ただこうやって、もしわたしたちが真に他者の苦を自分の苦と感じ、苦しんでいる人間、苦しんでいる生き物、消えていこうとする世界を見出すことができたら、意志そのものを否定するようになる。
このような境地に至れば、何ものによっても意欲が引き出されることはない。
生への意志が完全に否定されたようなような状態を、ショーペンハウアーは禁欲と言います。
このような境地、意志を否定し、禁欲と静寂の境地に至れば、人間は生きる苦しみから脱却できる、と考えたのです。
(後半はかなり荒っぽい説明になっています。また、私の考え違い、読み間違いしている点などありましたら、どうかご指摘ください)
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