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善と悪 どうして悪がつよいのでしょうか

A 回答 (17件中11~17件)

NO6さんも言っていますが、善はみかけの勝ち負けにこだわらないところがあります。

負けるが勝ちとかいうのもやはり善の考え方でしょう。ですから一応悪が強いということが言えます。もちろんこの言葉でも言っているように、負けたほうが結局勝つことになるので、最終的には善が勝ちます。

なぜ負けるが勝ちなのか、最終的には負けたほうが勝つのかというのはこういうことです。善が負けたらその社会はもたないのです。善がはびこるほうが社会は繁栄するのです。それがわかっているので社会は善をほおっておかないのです。

>善と悪 どうして悪がつよいのでしょうか

それは人間不在の世界のことで、本当はその反対です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

一応悪がつよいということ、しかし最終的には善がつよいということ。
勝ち負けは関係ない。

善がはびこるような社会

表面的なことにとらわれていては見えてこない部分は大きいということ。より進んだところにはもっとちがうものがあるということ
わかりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/06 14:44

善は人をやっつけようという発想がないからじゃないかな?


悪は他人の足を引っ張るのが大好き。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
わかりやすかったです。

悪は人を巻き込むから善にとっては悪がつよく感じる

これが悪が強く感じる理由なのだな
と理解できました。

お礼日時:2012/06/06 14:36

万有引力に似ております。

下に落とす力が悪で上に登ろうとするのが善と考えると、なぜ人は自然と悪に向かってしまうか解ります。最初は少しの頑張りでとどまっていてもあるスピードで落ち始めると止まらないというのも悪の色々な側面に似ています。

なぜ下に落ちるような力が働くかと申しますと、人は皆罪人だからです。人は基本的に罪という悪を持っているので、放っておくと下に落ちる傾向があるように思います。

上に上がるには助けが必要なのもまたうなずけます。自分の力で上に上にと登ってゆくのは限界があります。落ちる場合は限界はございません。どこまでも落ちることが出来ます。芸能界の二股問題とか、企業の不適切な経営とか、公務員の巧妙な天下りシステムとか、当事者ははじめあまり悪いとは思っていないように見えますが、踏みとどまっている人々から見ると「けしからん」となると思います。しかし冷静に自分を振り返ると自分の中にそのような罪があることも実はきがつくのではないでしょうか。あるいは自分は3面記事の登場人物になっていたかもしれないという思いが心に浮かぶことはないでしょうか。

また落ちてゆくと最後は止まらずに何かに叩きつけられて死亡します。

聖書では「義人はいない一人もいない」つまり正しい人は一人もいないと述べております。また「罪の支払う報酬は死である」とも述べています。

>善と悪 どうして悪のほうがつよいのか

ご質問者さんのご質問は実に的を得た人間観察と思います。上に上がるには聖書の語るイエスの助けが必要と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
万有引力のお話。
理解できます。

善人はいない一人もいない
生きてゆくのには悪も必要になってくる
生きてゆくのには悪も必要…
善と悪をいっしょにしたらやはり悪になりますよね。
守られていなければ…
参考になりました。

お礼日時:2012/06/06 14:29

>善と悪 どうして悪がつよいのでしょうか?



○善と悪は二分法ですね。同じ土俵で同じ重みのようですが、実は常に悪の方が大きいくなる傾向性があるのですね。それは悪の方が楽、生きやすいからなのです。悪というのは哲学的にいえば公的なものは何も考えないこと、あるいは自分だけがよければ良いという考え方なのですね。このようにいえば、悪がはびこる理由がわかりますね。この立場で善悪を言い換えると、正義か悪かなのですね。
正義とは何ぞやが各事象で答えられなければ、つまりほとんど悪ということなのです。
小善の積み重ねに正義があるか?となるわけですね。悪魔は小善の先で待っているという言葉のとおりですね。
最近であれば卑近な生活保護の問題、公では領土の問題、何が正義で何が悪かを照らし合わせてみてください。平穏無事を善と考え行動しても悪になる可能性があるのですね。
善悪問題で、悪が勝ち残るかという命題が出てきますが、残念ながら悪が勝ち残って繁栄する道は存在しません。そうなった場合、歴史的事実はすべてが消し去られていますね。ごく一部の人は逃げ延びることができるようですがそれも保証の限りではありません。
こういうと嫌がられるとはおもいますが、大きな災害に見舞われた場所、地域、国は悪がはびこっているということになるのですね。私たちはみな善人ですというかもしれませんが、その善をこそ疑って見るべきなのですね。その尺度が正義なのです。善であり続けるには正義ありやなしやが問われるのですね。
正しく正義を振りかざして生きることができれば善、そうでなければ悪という意味ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>実は常に悪の方が大きいくなる傾向性があるのですね
傾向性 わかります。大きくなっていきやすい、広がっていきやすい。

>残念ながら悪が勝ち残って繁栄する道は存在しません
>正しく正義を振りかざして生きることができれば善、そうでなければ悪
こうあってほしいなと思いました。そうすることができるようになれたらなと感じます。

お礼日時:2012/06/06 14:15

善がプラスのベクトル


悪がマイナスのベクトル
だとすると善は一日一善にたとえられる様に
少しずつしかベクトルが進みません。
対して、悪は破滅するまで横領しまくったり、
一度万引してしまうとやみつきになったりと
加速度がつくので ベクトルは放物線状に大きくなります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
プラスのベクトルですね。一日一膳。たしかに。
悪には規則がないために勢いがついていきやすい。
わかりやすかったです。
ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/06 14:08

今の世の中はサタンが支配しているからです。


サタンに従わなければ幸せでいられます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/06 13:57

一概に悪が必ず強いとは言いきれないと思いますが・・・



敢えて言うなら、
善にはルールがありその枠をはみ出した行動はできない。
でも悪にはルールがないから、行動に規制がない、というところでしょうか。

ようは100匹いる蟻の中から害となっている一匹の蟻を見つけ出して駆逐するのが善とすれば、
悪は一匹の蟻を駆逐するために100匹全部の蟻を駆逐することもいとわないってことだと思います。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

参考になりました。

お礼日時:2012/06/06 13:56

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