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一般的に、相手に何かの要求をするときに、相手の弱みにつけこんで、
取引化し要求を飲ませようとする行為は倫理的に善でしょうか悪でしょうか?

例えば外交カードです。自国の要求に従わない場合は、経済制裁をするぞなどと
脅して他国を従わせようとするような行為です。

あとは人質をとる誘拐やハイジャックなどの脅迫でしょうか。
金をよこせ、さまなければ危害を加えるぞ、という関係の無い条件を取引に持ち込みます。

セクハラもあるでしょうか。上司が女性社員に「俺と付き合わなければ、会社の立場を危うくするぞ」
漫画で言えば、のび太のママがのび太に「宿題を終えるまで、夕飯抜きよ!」とかでしょうか。

誘拐や脅迫は誰が見ても悪ですが、外交カードなどは普通に行われていますのでどうなのかなと思いまして。

倫理学の本を何冊か読んでみたのですが、この問題については書かれていませんでした。

A 回答 (9件)

こんばんは。




>「一般的に、相手に何かの要求をするときに、相手の弱みにつけこんで、
取引化し要求を飲ませようとする行為は倫理的に善でしょうか悪でしょうか?

例えば外交カードです。自国の要求に従わない場合は、経済制裁をするぞなどと
脅して他国を従わせようとするような行為です。」








・・・次元が、違う事柄です(「一般的」では、ありません)。



>「あとは人質をとる誘拐やハイジャックなどの脅迫でしょうか。
金をよこせ、さまなければ危害を加えるぞ、という関係の無い条件を取引に持ち込みます。

セクハラもあるでしょうか。上司が女性社員に「俺と付き合わなければ、会社の立場を危うくするぞ」
漫画で言えば、のび太のママがのび太に「宿題を終えるまで、夕飯抜きよ!」とかでしょうか。」


「夕飯抜き」は、「こたえる」を通り越して、、、最近でも痛ましい事件が、ありましたけど。
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No5です。




一つ言い忘れていました。

不倫を例に倫理的には悪。としましたが、それは欧米圏の倫理観での話しです。
私が、この倫理は悪。と言うのは、欧米主観に染まった私の倫理観+私の経験から感じる主観で「悪」と感じた何の根拠の無い主観です。

一方、「本来進むべき方向」である、生物なら不倫しても種をたくさん残すのが「善」と言うのは、私の主観は入っていません。生物学的な根拠を元に言っています。


ただ、例え科学的な意味では正しい道だけどそれで良いの?
と言うのが倫理観なのです。



つまり、倫理とは何の根拠も無い人の価値観と言う事です。あなたの例も、国によっては倫理的になりますし、国によっては非倫理的であり、悪になります。勿論人によっても。それに関して明言している本がもしもあるとするならば、「ポジショニングトーク」と言うものです。聖書なんてそれのオンパレードです。
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善か悪かというよりも、それがネゴシエーションの基本でしょう。



ただ、言葉や態度に露骨に出さないスマートな手法を政治では
要求されるし、セクハラまがいの枕営業(女性のセールスが体を
代償に契約を取ること)などは、あからさまであるが故に社会から
反倫理的、つまり不公平じゃん!と糾弾される。

社会の表側では、公平であることが是とされてるから、建前上
公平に見えるように、或いは指摘する人々を葬ってでも、自分達は
公平である、ゆえに正義である、と言いたがるわけですが、
公平かどうかの価値基準を世論という見た目の多数決に持たせて
いることが、表舞台に立つ権力者達の共通した偽善の土台に
使われている。

暴虐非道の限りを尽くした織田信長や、権力の頂点を極め続けた
徳川家でも、更には天皇家でさえも、社会の主流が反旗を翻さない
ことをなによりも存続基盤としていることは、力を持つ者が非力な
無数の者たちで構成される「社会」に滅ぼされる「最後の審判」を
恐れると云う矛盾が全世界で普遍的に存在することを示します。

ライオンが、無数の蟻の群れを恐れるのです。

話が飛んでしまったけれど、あなたが仰る設問と、真の意味で
「公平な取引」は、存在し得ないだろうという事実を考え合わせると
倫理、というものは、表向きの公平感を演出する背景のカキワリ
みたいなものかも知れません。

つまり、そのカキワリの裏側には演出家がいて台本があり、
次の登場人物が待機し、演技を終えた役者は素顔に戻る。
そういう、現実を隠してもっともらしい公平な世界を演出する
汎用舞台装置として機能するものが、「倫理」だ、とも言える。

いかなる取引も、同じモノだけでの価値交換ではないですよね。
オマケがあったり値引きがあったり、クレームをお金で解決したり。

リンゴ5個とミカン3個を交換する。

本来等価交換出来ない別々のものを、あれこれ集めてパック商品と
して売ってるようなものですね。

そういう意味でも「公平」が意味する「価値の同じものを交換する」
という現象は成り立ちません。

とれたてのリンゴ5個を同じ樹からとれたとれたてのリンゴ5個と
交換することは、何の意味もないからです。

交換、とは最初から「同じではないもの」を取り換えっこする、
絶対公平になど成りえないものですから。

ま、いっか。

というレベルに双方が収まれば成立する、二者間の合意で
形成されるものなのですから。

だから、車を30台購入する契約の代償として、リベートがあったり
相手方に顧客を紹介したり、接待も表に出ない代償の一つだし、
その結果、終電が無くなったり、近くにホテルがあったりしても
それは「プライベート」だから・・・でも、現実には表に出ない
「代償」なわけです。

そもそも、善か悪か、という考えは、絶対者に判断を委ねる
思考停止を産みやすいものです。

つまり、先生にいいつけてやる、というのと同レベルになりがちで、
世の中にある正義は一つだけ、本当の、真実の、究極の、という
単純思考に陥る主な原因になります。

取引自体には善も悪もなく、それによって利益にあずかるものと
損害を被るものに分けられる。

誰かにとって損害を被るものを悪というなら、商売敵に契約を
取られてしまったセールスマンにとっては、他者の優秀な営業社員は
極悪人、ということになってしまう。

こう云う問題は、善悪などという児戯的な物差しで測るのではなく、
強者が果てしなく強くなっていき、独占形態を自然に取ってしまう
経済行為を、後から出遅れてやって来る者、非力で力のない者にも
チャンスを普遍的に奪わないようにするために、公平、という概念と
「それをやったらおしまいよ」という倫理の一線を引くことで、野放図に
成長しようとする強い資本に対しての牽制を行っている、と理解した方が
的を得ていますし、同時にそれは、法律や倫理として社会に広報することで、
表面的にも不公平感を均したり、棚上げしたりして、人々の目から
成長し続ける資本や権力をステルス化して温存し、水面下で闇の力、
というと戯曲的ですが、を成長させ、力ある者同士を結託させて
益々強大な力を形成することにも継続的な強い効果をもたらします。

こんなことをしちゃいけない、と規制があるから、庶民の皆さん安心して。
権力者や大金持ちの好き勝手には出来ない世の中だから、それを
信じて、結託して大暴れしないでね。

という側面と、

水面下で知られぬように莫大な資金を集めたり、
権力の中枢にも強い影響力を持ったり、
シャドウ・キャビネット、シャドウ・バンキング、様々な「裏側の力」の
形成と成長に資するふ卵器としても作動します。

庶民が善悪や倫理というストーリーに操られ、盲目的に信じることで、
実は公平で正義が支配する世界とは正反対の、神や悪魔のごとき力が
人知れず育ち、支配される世界が揺るぎなく君臨する。

その、一見すると矛盾する二つの機能を持つのが「正義」であり、
「倫理」です。

設問にある様な、倫理規定に抵触するような取引条件は、表では
悪とされ、あってはならない誤りだとされることで、上に書いた
機能が発揮されます。

でも、実際に世の中を動かしている取引の中心的なものは
鎬(しのぎ)を削り合うようなブン捕り合いです。

ケンカに弱い子が「先生にいいつけてやる」と泣いても
ケンカに強い子にはいつまでも敵わないように、善悪や倫理を
ビジネスの基本に「哲学的な意味において」主張するなら、
百戦危うし、その会社は潰れてしまうでしょう。

善悪や倫理というものは、大半の民衆が安心して騙され続けて
いられる船底のようなものです。

それは、皆で考えながら厚くしたり、補修したりしながら
社会という船を維持している。

でも、自分達は他より遙かに成長しよう、成功しようと願う者は
船底の下、実際の海中で魚を獲ろうとする訳です。

設問にあるような非対称の取引、公平でない約束などについて
善悪や倫理などの他力本願の思想ではなく、力の論理という
世界を支配するごく普通の、当然の力学から眺めてみること。

それを悪いことだと否定することが、取引に際しての自己責任、
を避ける心理であることまで理解できるなら、一番人々が
忘れてはならないこと、でもいつも考えていない大切ことにも
思考が及ぶようになるものです。

自分こそ、自分の責任で、偏りなく知識を得、公平に考える。

という、己の考えや主張があやふやなままで群れて、群れの
総意に盲目的に従いがちな「愚民化」を避けねばなりません。

そうすると、否が応でも「力の優劣」について、パワーバランスに
ついて考えざるを得なくなる。

弱い者は黙るしかない。 しかし、虐げられてはたまらない。

では、どうするか。

仲間を集めて組織化しよう、と考えるのがオーソドックス。

これがうまくいけば、結局また、あらたな資本家や権力者が
生まれる。

善悪思想、倫理観念を、民衆は徹底的に覚え込まされます。

強いものに支配されるために、とも言えるのです。
ひどい言い方をすれば、飼い馴らされる、とも言える。

深くじっくりと考えてみれば、善悪や倫理など、そう簡単に
明文化して履行できるような単純な世界ではないことに
すぐに気づくものです。

だから、自分の考えをきちんと持つというのは大変なこと。

そうして自分の考えを実践し、実際に力を持つに到った
人たちは、そういう人たちでグループを造り、切磋琢磨して
更に成長します。

この設問から、取引の不公平さよりもむしろ、公平という
「互いの足引っ張り合い」を是とする、不完全さについて
言及されると、もう少し高次元の考えが得られると思います。

長々と駄羅文を書いてしまい済みません。

ご考察の参考になれば幸いです。
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基本的に自然界は弱肉強食であり、「抗争は悪」などと


いうきまりはありません。
争いが不利益になるのは、個体間の分業&組織化が
発達し、社会性をおびてきてからです。
そうした中で、自己の生命の社会的拡張を自覚化できる
認識の発達を怠り、自己チューなまま“お金や出世といっ
た馬車馬の目の前のニンジン”によって他律的に社会
行動を強制するようになった結果、善悪やモラル、倫理
といったムチも発達したのです。

もちろん、そうでなくとも、争いを忌避する事は可能ですが、
それは厳しい淘汰の中で進化するものに対して負ける
事になり、いつか淘汰される側になります。
日本国内だって中世は、県単位で争っていましたが、多く
の人を殺した織田信長や徳川家康を、悪だと責める人は
いません。
かといって今、「東京は儲け過ぎだ!」といって静岡が
攻め入る、などという事は考えられません。
分業化=相互依存が高まり、人や物の流通が盛んに
なったためです。

つまり、十分に社会性(分業化=助け合い)が発達すれば
利害が共通してくるので、「弱みにつけ込んで利益を得る」
というのが、「短絡的利益のために長期的に損をする」事
になるのは、ゲーム理論において証明されています。
そのような状況において、真に利己的+認識が深ければ、
法規もモラル、倫理もいらず、利己がそのまま利他と一致
するのです。
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>一般的に、相手に何かの要求をするときに、相手の弱みにつけこんで、


>取引化し要求を飲ませようとする行為は倫理的に善でしょうか悪でしょうか?

倫理的には悪です。

ただ、倫理的に駄目だから駄目と言う価値観がそもそも間違いです。何故なら、倫理としての善悪と、本来目指すべき方向の善悪が一致しないからです。

例えば、「不倫」。

不倫は倫理としては良くありません。
では、生物としてはどう思いますか?


本来生物にとって必要な事は、より多くの種を残す事。つまり不倫はよい事では?
つまり、生物学的に見たら善。倫理的に見たら悪です。


これが、倫理的な善悪と本来あるべき善悪の相違の例です。





国と国の関係も、この矛盾が起きます。


国として本来目指すべき「善」とする行為は、周りの国と仲良くする事でも、人としての倫理を守る事でもありません。(そこを日本人は良く勘違いします。憲法に記されているので無理はありませんが・・・)

国としての「善」は、自国の「国富を増やす事」です。
そして、歴史学的に最も価値ある国富は「国土」です。

つまり、一方的な侵略により、他国の土地を奪って国土を広げ、国益を手に入れる行為は、倫理的には「悪」。国としては「善」なのです。


外交カードも同じで、倫理的には単なる恐喝であって「悪」だったとしても、それによって国際的な敵に祭り上げられる事も無く(一方的な侵略戦争はそのリスクがある)、国益を手に入れられるのであれば、国としては「善」なのです。


ハイジャックなどの人と人との関係なら、警察が出てきますが、国と国との関係では警察は出てこないので、本来あるべき善(国益)が優先されます。(国連を世界の警察と思っているのは日本人だけ。国連を英語にすると戦勝国連合。つまり、戦勝国が敗戦国を縛るのが目的であって、その戦勝国の中国やロシア、アメリカが侵略側なら、国連は機能しない。)
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この回答へのお礼

アリストテレスは、善悪を考える時、その主体のカテゴリを考える必要があるようなことを言ってたようですがそれを思い出しました。この問題で言うと、
「人」対「人」のカテゴリで考えると質問文は普通は「悪」に該当する。でも
「国」対「国」のカテゴリで考えると「善」に該当する。ということでしょうか。
そんなふうに感じました。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/15 09:18

NO.1 です。

回答にはなっていなかったようですので、もう一度。

>一般的に、相手に何かの要求をするときに、相手の弱みにつけこんで、
取引化し要求を飲ませようとする行為は倫理的に善でしょうか悪でしょうか?

人間が他人を動かしたい場合は、一般的に言って対等な立場でのお互いの同意が必要でしょう。人格を傷つけない状況での同意は自発的であるべきです。他人のサーヴィスを要求する場合は、それに対する正当な対価を払って動かすと決まっています。

>相手の弱みにつけこんで、取引化し要求を飲ませようとする行為

相手が金に困っている時に、そのサーヴィスに見合った対価を払って動いてもらうというのは時には美談になります。商行為の多くはお互いの弱みをウィンウィンで満足させることで成立するものですから、上記の文意がこれにあたるといえないこともありません。問題はそこに一方的な強制性が存在するかどうか、実はそんなサーヴィスはしたくないのにカネをちらつかせて無理強いするとなれば倫理的に悪であるといえるでしょう。
ケースバイケースだと思います。でも、一般的に
>相手の弱みにつけこんで、取引化し要求を飲ませようとする行為

こういった露骨な取引は強制性(強者が弱者に対して行う状況)が感じられ、やはり倫理的ではないと考えて良いと思います。
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あのさ、貴方の言ってること、経済制裁も人質も全部本来の目的はよそにある、


つまりはただの方法論でしょ。

方法としては倫理的で、目的も倫理的だけど、
倫理的な方法のために、最終的な目的を果たせず、非倫理的な結果を受け入れる。
それを倫理的などという人はいないと思うよ。

方法は所詮方法に過ぎない。
てか、国際連盟がどういうことになったか義務教育で習ったでしょ。
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こんばんは。




☆例えば外交カードです。自国の要求に従わない場合は、経済制裁をするぞなどと
脅して他国を従わせようとするような行為です。
◇自由意志に基づき、両国が国際的なルールや取り決めにしたがうと合意し、
しかも、経済制裁などの手段がそのルールに則っているならば、
まぁ~、倫理的なんでしょう。

国際的なルールや取り決めでなくても、
強制がないもとで、両国間で約束事が合意されており、
しかも、
それに相手国が違反したので、もう片方の国が経済制裁をするというのは、、
ありなんでしょう。
悪いのは、約束を破った相手国となるので。
約束違反をしたので、制裁をくらった、となる。


なのですが、
ここで問題になるのが、条約や約束、取り決めごとを結ぶときに、
強制があったかどうか。


たとえば、
相手の頭に銃を突きつけ、
「この契約書に書名、押印しろ!!」
といった感じで結ばれた契約、
これは、そもそも、契約として無効。
相手の自由意志に基づく契約ではないので。

この銃が、圧倒的な軍事力の差、経済力の差になることもあるのでしょう。
両国の間にこれらの差があった場合、
強制になっているのかもしれない。
強制のもとで、約束事が結ばれたのかもしれない。
であるとするならば、その約束事や取り決めは、そもそも、無効なのではないか。
そして、その約束を破ったとしても、制裁を貸すことはできないのではないか。

ですが、国家は、自由意志を持つ個人ではないので、こうした契約観を適用できるのか、このことは疑わしいです。

特に、
アメさんや、お隣の中○さんは、国際ルールを守ろうとする気持ちがあるのか、これは非常に疑わしい・・・。
アメさんは、自国の法律を理由に、言うことを聞かない国に、突然、経済的な制裁をしたりしますし、
中○さんは、武力を背景に海に侵出し、その海域の実効支配をしようとしているので。
日本はレアアースで脅されたりもしたし・・・。
外交の世界は、今も昔も、力が幅を利かす世界なのかもしれないですね。


☆一般的に、相手に何かの要求をするときに、相手の弱みにつけこんで、
取引化し要求を飲ませようとする行為は倫理的に善でしょうか悪でしょうか?
◇これは弱み次第でしょうね。
こちらが弱み(例えば家の雨漏り)を有しているからといって、強い立場(例えば、大工さんや建設業者)が吹っかけてくる、無茶な要求(例えば、工事費用)を要求するとは限らない。法律やルール、適正価格などが存在しているので、あまりヒドいことはできないので。それを防止するシステムや仕組みがあれば、防止することが可能になる。

ですが、大企業などは、自身の強い立場を利用して、下請け企業に結構、無茶な要求を突きつけているようですね。
家電などの量販店もそうですけれど・・・。
これらは、倫理的な観点からすると、悪でしょうね。
実質、強制なんで。

他にも、この質問に対する切り口はあると思いますが、
自由意志と強制、そして、契約論的な立場から述べてみました。
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この回答へのお礼

外交に関しては契約時に予め、必要ならば予告無く制裁を実施する、と言う承認や
または、外交における経済制裁は国家の当然の権利である、のようなルールが
明示的または暗黙的に認められているようなら、問題ないのかな、とも思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/07/15 09:10

国と国との取引きで倫理はありません。

戦争というものがいまもあるのがそれを証明しています。あべが日本にもそのカードをもたせようとしていますよ。日本国自身が憲法で持っている倫理を捨てて、ですね。

新しいつーか世界的統一国家を見据えた倫理基準が必要ですが、なかなか各国特に大国のエゴがまだまだまかり通っています。
こまったものです。
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