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ゼノンのパラドックスで「アキレスと亀」ってありますよね。
最近哲学の授業で紹介されました。
今回はこのことについて質問させていただきます。
※非常勤の客員教授なので、聞くタイミングがありません・・・



このパラドックスでは確か時間を認めていない(速度も時間の変化)のが難点です。
つまり「速度の違いによって、いつか追い抜く」というのが通用しないというのです。

しかし時間や速度を認めていないのであれば、そもそも進むこと自体がおかしい気がします。
また進んでいるということは位置の移動があるわけで、同じゼノンの矢のパラドックスに反する考えだと思います。



アキレスと亀を考えた場合、このような疑問が生まれ
友人と話しても上手く納得することができませんでした。
そこでこのような場合、論理主義の方はどのような回答をするのかお聞きしたいと思います。

また論理主義の考えだけではなく、アキレスと亀に関する反論などをお聞かせいただければ参考になります。





ご回答の程
よろしくお願いいたします。

A 回答 (16件中1~10件)

私も例を挙げて答えようとしましたが、考え出した例は


No.2さんの例とほぼ同じものでした。
すなわち、亀を固定し、アキレスが近づくというモデルです。
したがって私の解釈もNo.2さんのと同じです。
ただN-kamiさんが、「時間」のことで納得されていないご様子なので、
そのことにも触れつつ、述べることにいたします。

なお結論から先に述べますと、この問題の本質は
単なる分割(無限分割)を、あたかも時間にかかわる問題のように見せかけている、
そのためにパラドックスに見えてしまうことにあります。


さて、
数直線上で0と1を考えます。
単位はmでも秒でもいいです。時間にこだわるなら1を1秒目としましょうか。
ではこの1秒目のポイントは、時間(経過)を指しますか? それとも時刻?
もちろん時刻ですね。
時間(経過)を言うなら線分1の長さが必要となりますからね。
数直線の右のほうを眺めれば1秒目はもちろん、2秒目、3秒目…と先があり、線分の長さが表現する時間経過として、1秒経過、2秒経過、…と続いていきます。

では、1を分割していきます。
半分に分け(0.5)、残り半分をさらに半分に分け(0.75)、
さらに半分に(0.875)……

ここで出現した各点は、0.5秒目、 0.75秒目、 0.875秒目という「時刻」を示しています。
ゼノンのパラドックスはこのようにして1秒までの間を分割していくことだけを考えているのです。

これは時間経過とは一切無関係な時刻の問題です。
言わば、静的な問題です。

しかし「追いつく」ということを考える際には、
速度や時間を扱います。
たとえば速度vは、vという点ではなく、0からvまでの量を意味する数値ですね。
数直線上で表そうとすればそれはvという長さをもっと線分となります。
この線分の長さで距離を割っていけばいいのです。



さて、
「時間」について補足します。
ゼノンは「進む」「追いかける」「追いつこうとする」「追いつけない」などの
フレーズを並べています。
これらは「時間の経過」を扱う言葉です。言葉の意味の中に「時間経過」を内包しています。
これらの言葉を用いているために、時間経過を扱っている問題なのだと
問いの本質を偽り、人をたぶらかせているのです。
そのため、
「追いつこう」としているのに「追いつけない」、
時間の問題のはずなのに、なぜだ!!???、誰にも解けないパラドックスだ、
……となってしまうのです。
時間が関わる問題ではないのに時間の問題だと思わせてしまう、
これがトリッキーな理由の一つです。

パラドックスに見えてしまうもう一つの理由は、
アキレスと亀というふたつの動く点を設定していることです。
すなわち時間の経過が問題の中にはあるんだよぉ、
と、重ねて問いの本質をカモフラージュしているのです。
つまり先ほどの点に加えて二重に時間に関する問題だと擬装しているのです。

以上の二つのトリッキーさゆえに、「時間の問題なのに追いつけない」、
と聴衆を惑わせてしまっているのです。

要約しますと、
時間にかかわる言葉を散りばめ擬装しているのでパラドックスに見える。
しかし実際は単純な分割の話。
だからいつまでたっても次の点が出現する。
なぜなら分割は無限にできるから。
もちろん用いる数学は割り算だけでオーケー。
まじめに追いつくことを考えるときには、tやらvやらdを用いた数学を適用するだけのこと、

ということです。

量子論も微積も必要ありません。
No.2さんの回答(+No.6)でほぼ言い尽くされていると思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

個人的に一番読める回答だったのでBAとさせていただきました。

お礼日時:2012/06/05 23:32

 ゼノンのパラドックス、(アキレスと亀)を考えているうちに到達した事柄は、“ゼロ・瞬間・一瞬”それは言い換えれば現在・今。


 でも、その“今”は、厳密にはそれこそ一瞬のことで、そこを捉えようとしても、すでに過ぎ去っていて、それは「過去」。

 過去と未来の接点、それが“今”。
 でも、“今”は一瞬。
 と、云うことは・・・・・ゼロ?
 そのゼロに、時間は有るの?

 一瞬、は“無”

 現象は時の流れ。

 そう思うと、人の思考の中の“点”は、有るもので無く、単に概念でしかない。

 と、ここまで考えてみたけれど、我が頭脳は疲れ果て、だからここ哲学カテの住人にバトンを、渡したい!

 誰かいませんか。
 

 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/05 23:30

既にいくつも回答があり、それへの返答もされて居られますのに、失礼だと思いますが、質問文への疑問です。



あなたの、先生への疑問と、ゼノンへの疑問が分離できません。それをはっきりさせないと、あなたの言われる「ゼノンの問いに対する回答」というのも不明ですね。先生がどういう説明をされたかはさておいて、私のあやふやな記憶では、これはアリストテレスがゼノンに対する批判として取り上げた文章が残っているだけでしょう。つまりゼノンの思想というものが体系的に分かっている訳ではない。アリストテレスの取り上げた例それぞれについて、四つのパラドックスを考えるというのが後世の可能な見方でしょう。例えば、「矢のパラドックス」で運動というものは無いと証明した。したがって、遅い亀より速いアキレスが云々など起こらない。故に、「アキレスと亀のパラドックス」は存在しない、以上終わり。なんていう解釈では、面白くもおかしくも無いでしょう。

ネット上で検索すると、アリストテレスの『自然学』で

最も遅い走者でも、けっして最も早い走者によって追い着かれることはないであろう。なぜならその前に、追いかける方の者は、逃げる方の者が出発したその地点に到達しなければならず、したがってより遅い方のものは、つねにいくらか先んじていなければならないから。

これが、とりあえず「アキレスと亀」の全てです。いくつかの回答で述べられているように、ちゃんと遅い速い、位置の移動も認めています。時間の概念が無い訳ではない。これは明確に、時間と空間の問題です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/05 23:32

私も以前ゼノンのパラドックスについて、質問した事があります。

今回もう一度考えてみれば、前と違った、感想を持ちました。
既に回答にもありますが、追い付くまでを設定したことになってしまっています。
だから追いつけない、と。

でもこの設定は限りなく“その瞬間”に近づく訳で、そう思うと“限りなく一瞬”と言うことは、追い付いた一瞬とするしかなく。。。

時間や距離を無限に刻んでゆくと、それは一瞬に相当し、一瞬はぜろ(0)?

「有るけど、ない (表せない)のが一瞬、同時。」
なんて、
嗚呼、だんだん思考が曲がって来ている。。。

弱い頭だ!
誰か修正して下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/05 17:48

ゼノンは、亀に追いつけなかったアキレスを実際に見たのではないでしょうか。



私は、亀に追い抜いたアキレスを一度も観たことはありません。

皆さん、色々と想像して回答してますが、実際に見た人はいないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/05 17:48

#7の者です。


量子論以前、実際に物理学には「無限発散問題」が存在
していました。
荷電粒子が点状である時、周辺の場との作用において
打ち消されるので、その粒子の本体の電荷が無限大で
あるか、「点状」ではあり得ないか、だとされました。

また、電子の軌道も、量子化されなければ飛び飛びでは
なくなり、電子は連続的にエネルギーを放出して原子核に
落ち込んでしまう事が分かっていました。
それは最終的に、自然数の公理系が無矛盾であり得る
(Aと非Aを同時に導かない)ためには、不完全でなければ
ならない(たとえば無限分割による絶対的確定の不可能=
量子論の介在)、という不完全性定理につながるのです。
(論理学における不完全性定理と、自然科学における
不確定性原理の相似性)

もちろん、こうした公理系の普遍化を経ずに自然数を先入化
した考察「数学」においては、連続的な微積分による相互
作用が自由自在であるという、我々の“自然な感覚”につい
ても、同じくゲーデルの完全性定理で証明されています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/05 17:46

>また論理主義の考えだけではなく、アキレスと亀に関する反論などをお聞かせいただければ参考になります。



○ 人間の持つ無限と有限に対する感覚のズレからくるものですね。
こういう話を参考にするといいかもしれません。亀が海岸を一生懸命進んでいます亀は毎日毎日進んでいるのですが行けども行けども果てがないのです。無限に続く白い浜のように感じています。ある時、漁師が小さな島に来ると一頭の亀が死んでいました。島には亀が何度もぐるぐる回った跡が残されていました。漁師はありがたく亀の甲羅をいただきました。という話ですね。亀が生きていて無限の先を目指している間に漁師が小さな島に来て亀を捕まえたでもいいですね。無限と有限は感覚の差でしかないという説明だけですね。
人間も亀も無限に対するイメージはこんなものでしょう。でも漁師にとっては無限は有限の一部なんですね。
「無限に繰り返す。」ということだけで即座に亀の思考に陥るのですね。
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微積分の大学の先生がいってましたけど、実際これは追い越すではないか!というを認めることが大事だそうです。

量子力学を持ち出す必要はないと思います。

微積分はご存知のように分割を限りなく行った極限を計算するものです。

微積分以前に、以下の2つの線が交わらないということになってしまいます。
「アキレスと亀」の回答画像9
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この回答へのお礼

認めることですか。
それはまた難しい(;´∀`)

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/05 17:45

ここで問題すべきなのは、物理時空ではなく、数学的時空なのでは?



そもそも、メタ物理時空としての数学的(可算個程度の不連続は許すが、ほとんど連続)時空の存在を否定したら、微分や積分形式で定式化された物理法則や物理理論はその根拠を失うのでは?
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量子論的に、時間は不連続です。


その、異なる時点(異なるプランク定数hによる不確定性相補分化)を
時系列的に意識する(h(不確定性)の収束=物体収縮=宇宙膨張)事
によって生じる虚構的時間軸に、絶対確定(=時間的停止)における
無限不確定性を分化させる時、時空軸に対する相補的不確定性=
不確定性原理(と、それに基づく有限的性質=宇宙)は生じる。
つまり、時間は不連続であり、(量子的に)空間も不連続であり、また
運動量の変化も不連続である時、そもそも無限分割を前提とした
ゼノンのパラドックスやアキレスと亀のパラドックスは成立しない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/05 17:44

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