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《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認

したそうです。
http://oka-jp.seesaa.net/article/420222661.html
画像には複雑そうな機器が見えますが、人間、あるいは認識が、この実験にどのように関わっていたのかご存知の方おられましたら、お願いします。
どんな実験だったのか?
興味が尽きません。

質問者からの補足コメント

  • 【「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」】という記述について、
    「人間=この世の人間」のはずで、そうすると、【「(この世の)人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」】ということになる。
    しかし、これは、「存在しないものによって観測が行なわれる」という不思議な、というか矛盾が命題に組み込まれていることになってしまうのではないか、という単純な疑問が浮かぶ。

    と考えていたのですが、サイトをよく見ると、

    (何も存在しないという書き方は正しくなく、「原子はある」のですが、いわゆる私たちの生活での、一般的な認識での「存在」という意味にとらえていただくと幸いです)

    といった註釈がありました。
    【「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は原子としてしか存在しない」】ということであれば、少し話が違ってくるかもしれない。

      補足日時:2017/05/27 19:14
  • 面白そうなサイトがありましたので。
    http://sign.jp/df2c49f8

      補足日時:2017/05/27 23:39
  • 物理カテにて関連質問を立てています。

      補足日時:2017/05/28 23:31
  • HAPPY

    双方の記事を何度か読み返しましたが、わかったような気になる部分もあるものの、ほとんどは無理そうです。ただ、

    >今、仮に、観測者自身も、量子力学の範囲の観測系として、その不確定性の影響を受けるとすると、観測者自身も一定の確率で、その収束結果を見る存在として、存在すると考える事も可能になります。
    そうならば、未来にAと言う結果と、Bと言う結果を見る観測者は、観測するまでに、同等の確率で存在しえた事になります。
    そう考えれば、観測の直前までは、観測者自身も未来の可能性において、確率的存在だと言える事になります。

    という#12さんの解説が、何をおっしゃりたいのか一応はわかるような気がする程度までにはなったかもしれない・・・ということで、これ以上の深入りはやめておくほうが賢明なようです。
    みなさん、ありがとうございました。

      補足日時:2017/06/02 16:09

A 回答 (13件中1~10件)

お礼ありがとうございます。


量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、観測者が見るまで不確定と言うのも、おかしいような気がしますよね?
ただし、記録内容は、観測者が見るまで、誰も見ていないわけです。
そういう意味では、それが、確定した記録と信ずる証拠も無い事になります。
もちろん、マクロの範囲ではそういう事はありませんし、一般的に記録媒体の記録が、見るまで不確定と考える人もいません。
量子力学が、「因果性」、「局在性」、「実在性」に対して、確率的な法則しか与えられない以上、理論が述べられるのは、そのような事でしか無いと言う事です。
今、仮に、観測者自身も、量子力学の範囲の観測系として、その不確定性の影響を受けるとすると、観測者自身も一定の確率で、その収束結果を見る存在として、存在すると考える事も可能になります。
そうならば、未来にAと言う結果と、Bと言う結果を見る観測者は、観測するまでに、同等の確率で存在しえた事になります。
そう考えれば、観測の直前までは、観測者自身も未来の可能性において、確率的存在だと言える事になります。
もちろん、その事によって、観測者自身が変わるわけではなく、その未来の可能性が不確定なだけです。
これが、いわゆる量子力学の「多世界解釈」という解釈の方法です。
多世界と言う言葉は、同時に複数の世界があると言う意味ではありません。
未来の分岐可能な世界が複数存在すると言う意味であり、SFなどのパラレルワールドと言う意味では無い事に注意してください。
観測者は、量子力学の実験において、波動関数が示す確率によって、違う観測結果を見る可能性を持つ存在として、観測前は存在していると言う事です。
そして、観測によって、ある観測結果を見る存在として、収束すると言う事です。
これは、ある可能性が捨て去られたと言う事ですから、ある意味、観測者自身も、その結果の影響を受けていると言えなくもないです。
ただ、これは、実験がある確率で測定結果を与える不確定性を持っていると言う事だけであり、未来は不確定と言うのは、ある意味、当たり前の事です。
表れない未来として、違う観測結果の未来は存在しえたが、観測によってそれが収束したと言う事は、観測するまで、未来が確定しない事は言えますが、人間が観測するまで、物理的存在が、存在しないと言う事まで言及しているとは言えないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>、人間が観測するまで、物理的存在が、存在しないと言う事まで言及しているとは言えないと思います。

そうすると、
【「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」】
という記事内容や、
【「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は原子としてしか存在しない」】
といった解釈は間違いである、といったことになるでしょうか。
頭が悪くて(良く言われるのですが)どうも、スッキリしません。
別質問たてさせていただきました。
お時間が許されるなら、ご覧いただければ光栄です。

お礼日時:2017/05/28 17:06

原子1個を観測したときと、原子6.02×10^23個を観測したときで物理的様子が違う。

物理法則が違うからかも。人間は原子が6.02×10^23個の側っぽいのが制約だ。人間が原子1個になって観測したいのだが、できない。no.12は分かりやすいぞ。質問者の頭が悪いというよりは、物理法則が同じってとこに拘るからスッキリしないってかんじちゃうか。

原子6.02×10^23個だと原子各々が相互干渉してそこにある感がたくさんでるのかもな。原子1個だと干渉相手がいないのでそこにある感が少なめなのかも。原子6.02×10^23よりもっとすごくすごくたくさん個だとそこにある感が多すぎて存在確率の山が平らになってブラックホールみたいに無と等しくなるのかも。近くの原子との距離と相互作用。反例は放射性物質の原子の崩壊かも6.02×10^23個集めてもそこにある感が確率っぽい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

素人には無理な内容ですね。
>no.12は分かりやすいぞ。

教えていただきありがとうございます。

お礼日時:2017/06/02 16:05

ホイーラーの遅延選択実験について、興味深い質問をしている人がいました。


「光が、物理現象の伝達速度なのに、光が放出した後で、遅延選択できるのかが疑問です」
ある意味、正直な質問です。
これに対する回答は、以下のとおりでした。
「ご指摘のように、光が放出された後で、遅延選択は不可能です。 実際は、遅延選択するのではなく、選択行為は一定間隔で自動的に行われ、その時の結果を記録するようになっています。 つまり、何らかの意志で、遅延選択していると言う意味ではありません」
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どうも、質問文に書かれている実験は、ヘリウム原子を選択通過させるレーザー格子を使って、光子の遅延選択実験の類似実験を行ったようです。

(類似である事に注意)
結果としては、最後の選択によって、ヘリウム原子の移動経路が確定したと言う事のようですね。
少なくとも、この論文ではそれ以上の事は書いて無いでしょう。
光子よりも、かなり大きいヘリウム原子でも、波動関数の収束が観測によっておきる事がわかったと言う事は、確かにすごい事です。
これが、人間が「世界」を観測しないと、物理的存在が、存在しないと解釈した人は、どのように考えたのかはわかりません。
量子力学では、その確率的決定論から、「因果性」(あくまで、物理学の因果性ですので、哲学や宗教の因果性と混同しないようにしてください)、「局在性」(あくまで、物理学的なものです)、「実在性」(あくまで、物理学的実在性です)に関しては、懐疑的になりますが、このうち、本質的に懐疑される可能性が高いのは、「実在性」(観測前の物理的数値の存在を確信できる事です)と想定されています。
これは、あくまで、観測が行われなければ、その前の状態値が存在する事を確信する事は出来ないと言う事であり、それ自体が、存在を否定する事では無いです。(もちろん、存在しない可能性もありますけどね)
当然ながら、この実験で、ヘリウム原子が突然、消えてなくなったわけではありません。(ヘリウム原子が消失したとしたら、相対性原理により、相当なエネルギー放出がおきるはずです)
だから、原子はあると、引用先には記載してあったのでしょう。(ある意味、最後の良心のような感じですね)
本来は、原子の中の電子などは、量子力学により、その存在確率範囲が確定しているだけで、運動量と位置は同時に測定する事は不可能です。
ごく小さい原子の場合は、特定の条件で、量子力学の波動関数で表される状態になる事はありますが、さすがに原子レベルで波動関数状態になっているとなると、物質自体が安定する事が不可能ですね。
実験の目的は、マクロな状態のどこら辺まで、量子力学的なふるまいが起こるかを研究する為の準備と言う事のようです。
あくまで、物理学の実験ですから、形而上の事に関しては、何も言っていません。
したがって、「存在」=「物理学的存在」ですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
こちらでまとめてお礼させていただきます。

>光子よりも、かなり大きいヘリウム原子でも、波動関数の収束が観測によっておきる事がわかったと言う事は、確かにすごい事です。

そうなんですか。
素人にチンプンカンプンなのは当然なのでしょうが、すごい、と言える方をすごい、と思います。

>これが、人間が「世界」を観測しないと、物理的存在が、存在しないと解釈した人は、どのように考えたのかはわかりません。

ここを知りたいんですよね。

>したがって、「存在」=「物理学的存在」ですよ。

補足しましたように、【「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は原子としてしか存在しない」】という意味かとも思ったのですが、しかし、これではある意味、独我論的命題になってしまうでしょうし、特に珍しいことを言っているとも思えない。
補足でご紹介したサイトに、
【 『観測』という行為は観測対象に必ず影響を及ぼすものなのです。 】
という記述があるのですが、これとの関連についてもどうなのか・・。

お礼日時:2017/05/28 15:21

ホイーラーの遅延選択実験自体は、何も最近では無く、1990年代から、複数の大学で、実験自体は成功していますが、その解釈に、測定は関係していたとしても、「人間」が測定に関与しなければいけないと言う事は無いです。

(単純に言えば、測定をカメラで行っても、実験は成功するでしょう)
ですから、この実験自体が、「人間に観測されるまでは、この世の現実は存在しない」事などを言っている実験では無いですよ。
なお、量子消去実験自体は、日経サイエンスなどで紹介されている方法で、誰でも実験できます。(偏光板を使った実験で、干渉縞を出したり、消したりする事は可能です)
偏光板は、2枚重ねの場合は、完全に遮光されたように見えますが、3枚目を45°の角度で重ねると、何故か遮光される度合いが減って、光が透過してしまいます。
この説明は難しいですが、簡単に考えると、偏光板は光の位相を回転させ、それが2枚重なると、結果的に位相の回転により、通過した光が干渉により打ち消されて遮光されたように見え、さらに45°の角度で3枚目を入れた場合は、位相の打ち消しが弱まる結果、光が透過してしまうと解釈する事が出来ます。
したがって、ホイーラーの遅延選択実験に関しても、それは光を粒子(光子)として考えるから、不思議に感じるだけで、最初から、光は波でしか無いと考えれば、何の不思議も無いと解釈する人もいます。(フィルムもしくは、光素子が、点として、光の軌跡を示したとしても、それが光子の存在そのものを表しているわけでは無い事に注意してください)
光量子を光子という古典的な粒子として捉えるか、それはあくまで物理的現象の解釈としての存在と考えるかは、哲学的には難しい問題でしょう。
電磁場と言う概念にしても、物理学的には、現象の観測として、間接的にその存在が暗示されているだけで、それ自体が観測できるわけではありません。
ただし、物理学者は、物理学的実在として、電磁場の存在を疑う事は無いでしょう。(解釈としての存在であっても、それを物理学的実在として考えた方が有用だからです)
ニュートンは古典力学において、重力を直接作用力で無く、遠隔力として、その間の作用媒質は存在しないと考えました。当時は、デカルト、ライプニッツなどの提唱する力学的作用には、直接作用が必要との考えが主流でした。
そこで、後世でエーテルと呼ばれる事になる、物理的観測はされないが、力学作用を行う、空間を満たす存在が仮定されていたわけです。
ニュートンは、それを否定して、遠隔力による力学を作り上げました。(クーロンなども同様の考えです)
しかし、光の干渉などにより、光が波の性質を持つことから、再び、真空を満たす媒質として、エーテルの存在が仮定されました。
地球の運動と無関係に存在するエーテル自体は、マイケルソン・モーレーの実験により否定されましたが、電磁気学では、電磁場と言う、電磁波の周囲に存在する物理学的実在の場が、エーテルの変わりに想定されました。(電磁場は、電磁作用を媒体する仮想的な場です)
アインシュタインは、エーテルの存在の必要性は、特殊相対性理論で不要としましたが、それに代わるものとしての、場の理論を必要としました。(一般相対性理論では、重力場が必要になります)
これらは、遠隔力と直接作用力の論争なわけですが、重要なのは、解釈によらず、現象の方程式は、成り立つと言う事です。
ホイーラーの遅延選択実験は、現象として、最後の観測によって、光の量子状態が収束している事は示していますが、それがいつ確定したかは、明示していません。
この実験が意味するのは、光が波と光子の状態の重ね合わせ状態にあり、観測により、量子状態が収束する事だけです。
事実は、最後の観測(最後の選択介入と呼ぶべきかもしれません)により、状態が収束していると言う事だけです。
それは、観測により量子状態が収束すると言えても、観測無くして、物理的実在全てが存在しないと言う事ではありません。
物理学者であれば、素粒子レベルの量子状態が、観測(選択介入もしくは、物理的干渉)によらなければ、収束しないのに、何故、物質が安定しているのかが不思議だと思うでしょう。
ミクロのレベルでの不確定性と、マクロレベルでの安定性をつなぐのは何かを考える方が重要だと思います。
宗教であれば、それは神の御業と言うでしょうし、プラトニズムでしたら、それが真理だと考えるかもしれません。
西洋科学を元とした、近代科学は、プラトニズムの影響を受けていますから、その根底には、何らかの真理を探究する考えがあります。
そういう意味では、直接観測出来ない物理的概念に関しては、ある意味形而上学的なアプローチと言えなくも無いわけです。
ただし、自然学が扱うのは、当然ながら、形而下だけのはずです。
現象の解釈を拡大してしまうと、科学が扱っている形而下と同様に形而上の概念を説明してしまう事になります。
あくまで、「解釈」と考えないと、間違って捉えられる可能性はあるでしょう。
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存在という言葉・概念に関しては、唯物論(Materialisumus)的な定義と観念論(Idealisumus)的な定義があり、相互に異なります。



引用のお話が難解に思えるのは、唯物論に立脚した実験において、観念論的定義の「存在」をつかっているからでなはないでしょうか。

詳細は不詳ですが、多くの場合、詭弁はその前提(=この場合は「存在」の定義)をすりかえることで読者に錯覚(あるいは混乱)を生じさせるものです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>引用のお話が難解に思えるのは、唯物論に立脚した実験において、観念論的定義の「存在」をつかっているからでなはないでしょうか。

そうかもしれませんね。
『唯物論に立脚した実験』だけで、認識についての証明が得られるとは思えなかったので質問を立てたわけですが、案外、翻訳上の問題が絡んでいるのかもしれない、とみなさんのお話を伺ううちに思えてきている次第です。
#5さんのご指摘にもあるのですが、
『この物理現象は《現在と云う時空は一瞬である》と云う事を示している』(だけ)なのかもしれない、と。

>詳細は不詳ですが、多くの場合、詭弁はその前提(=この場合は「存在」の定義)をすりかえることで読者に錯覚(あるいは混乱)を生じさせるものです。

参考になりました。

お礼日時:2017/05/27 16:44

人間、認識について論文でどう定義されてますか?ってのが質問だとおもわれる。

でも論文金払わないと読めないね。たぶんホイーラーの理論を支持する結果の出た実験の報告が書いてあるんだろう。質問のリンク先にあるページに貼ってある論文のURL。金払って読んだけど、人間、認識について書かれてなかったら悲惨だもんな。大学図書館に行くとけっこう論文雑誌のバックナンバーおいてあって部外者でも読めるぞ。論文の載ってる紙媒体の雑誌特定して問い合わせるんだ。
http://www.nature.com/nphys/journal/v11/n7/full/ …

人間、認識がなにかわからんとうまくない。認識してるけど気のせいでした観測です。認識なんてないよってことにするとつじつまが合うかなぁ。あとは遡る場合か「人間=この世の人間」ってのを疑っちゃうと、別の宇宙の人間の観測してるので私の宇宙は存在する。ってのもあるな。無限個さかのぼることに決めちゃえば起源を考えなくてもへーき。でも疑わない約束で回答をするのが質問者の意にかなおう。

下記は認識が何かについては読んでもわからんが、観測と認識について。書いてあるな。no.5が鋭い視点なのかもしれん。時間の幅の有り無し。
http://k-hiura.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/po …
 観測、認識は一瞬ではない。
 量子力学では確率は本質です。しかし、観測はその起った結果を知
 るだけなのです。観測は量子力学の本質ではありません。観測は"瞬
 間"ではありません。極めて複雑な工程を経て認識 されます。 人間が
 何かを認識する事自体も 複雑な統合作業を経る 時間のかかるもので
 す。 その工程のどこで物理学的に意味を持つ 確率収束が起ったとい
 うのでしょう?人間は観測によって神にサイコロふりを命じることな
 ど できないのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>質問のリンク先にあるページに貼ってある論文のURL。金払って読んだけど、

英語できる方は素晴らしいです。わたしはからっきし。

>あとは遡る場合か「人間=この世の人間」ってのを疑っちゃうと、別の宇宙の人間の観測してるので私の宇宙は存在する。ってのもあるな。

なるほど、斬新な視点ですね。

>無限個さかのぼることに決めちゃえば起源を考えなくてもへーき。

そうですね。不可知の領域に入ってしまいますから。
あくまで経験事象としての範囲で知りたいかな、といったところです。

> 人間が 何かを認識する事自体も 複雑な統合作業を経る 時間のかかるもの

ここは、#2さんおっしゃるところの、
『 その非光速性は、本質的(超弦=量子定常波)において光速に還元されるものを、階層現象(量子<クォーク<素粒子<原子<分子<細胞<認識体)を表面的に(いい加減に)捉える事で、仮想的に派生しているに過ぎない 』
という箇所と同じことを言っているようにも見えます。(たぶん)
ただ、前者は肯定的、#2さんは否定的に使っているという違いがある。
色々な視点があることがわかり、参考になりました。

お礼日時:2017/05/27 16:28

ニワトリが先か卵が先か。


原初の人間は地球なしでは存在し得ない。
地球が先か人間が先か。

お前のようなこの考え方につまづく者をサイコ・ファンタジーと呼ぶ。
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この回答へのお礼

誤回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/05/27 16:06

これは物理現象ですね。



物理という世界は生半可な精神世界よりは相当真理に近づいていると思います。
ただ、それは物理現象としての真理だと思います。精神世界に於いては釈尊が精神的真理の世界に到達したようですが、物理学の世界はあと一歩、といったところでしょうか。

この物理現象は《現在と云う時空は一瞬である》と云う事を示していると思います。
「人間によって観測されるまではこの世の現実は存在しない」と云う事は"現在とは一瞬である"からではないでしょうか。

一瞬は時間があるとも無いとも云えません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>物理という世界は生半可な精神世界よりは相当真理に近づいていると思います。

同感です。しかし、
>ただ、それは物理現象としての真理だと思います。

ともおっしゃるわけですが、『物理現象として【だけ】』とは思っていませんね、わたしの場合。
むろん、比喩・象徴として何らかの意味を、それらに与えるのは、むしろ自然ではあるのですが。

>この物理現象は《現在と云う時空は一瞬である》と云う事を示していると思います。

「今」と言った瞬間に、言った事実はすでに過去になっているわけなので、時制を考える場合に、それはよく言われることですが、それを科学的に証明した、ということですか。
つまり、「本当に一瞬であるのか否か」あるいは「一瞬とは何か」についての実験だった、と。
なるほど、そこには気づきませんでした。
ありがとうございます。

ただ、
>「人間によって観測されるまではこの世の現実は存在しない」と云う事は"現在とは一瞬である"からではないでしょうか。

とおっしゃる点には異議ありですね。
"現在とは一瞬である"というのは、あくまで「現在の有り様」についての規定であり、そのことが、「人間によって観測されるまではこの世の現実は存在しない」という命題、つまり、「現在の有無」についての理由になり得るとは思われないので。
尤も、#2さんにも申し上げたのですが、この表現については、もしかすると単に翻訳の問題なのかもしれず、実験の内容について云々するだけの根拠足り得るかどうかは、若干弱気になっているところではあります。

お礼日時:2017/05/27 16:05

お察しします。


狐につままれたようですよね。

補足要求には 一回しか応じないらしいです。

あらたに質問を立てた場合には 回答するみたいですよ。でもねぇ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

そこはあくまで個人の裁量の範囲ですので。
欲を掻いてはいけません。

お礼日時:2017/05/27 15:24

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