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無限について語るとき、無限は数学上の概念に過ぎず実在ではないと考えたとしたならこれは大きな誤りと言わなければなりません。
無限は数学の概念であると同時にこの現実世界に実在する立派な実体なのです。
では現実世界に実在する無限とはどのよーなものでしょう。
この現実世界に存在する無限の代表として第一に出てくるものいえばもちろん時間でしょう。
時間は無限であり、始まりも終わりもない無限として実在するからです。
時間は無限であるゆえ、いつ如何なる時点においても既に存在したし、また存在し続けるのです。
この現実世界に存在する無限の代表として第二に出てくるものいえば他でもない我々の周りにある空間でしょう。
空間もまた無限であり、この宇宙は果てしなく無限に広がっているのです。
宇宙は無限に広がっており、宇宙に果てなどないのです。
さらに無限は外に向かって広がるものばかりではありません。
ミクロの世界もまた無限なのです。
我々は原始や分子がミクロの果てと考えがちですが、決してそーではありません。
実は原始や分子の中にもミクロな宇宙が果てしなく広がっているからです。
つまり宇宙はマクロにもミクロにも無限のかたまりなのです。
ですから無限は数学の概念であるばかりでなくこの現実世界に実在する立派な実体なのです。

A 回答 (14件中1~10件)

実体はそもそも、枠を超えた無制限なものである



という意味のタイトルなのでしょうか。
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13番目の回答



ちなみに上w(守(カミ))は、すでに、ヒトに無限を与えていますよ。

πの数字かに現れる。
もう1つは、素数です。

神は、人のために、よかれと思われる未知、そして奇跡を永遠に配置なされている。
神の定理のひとつとして、愛な着物はない。
安易でなくとも、永劫に此瀬かひを味わい無尽くせるだけのシステマを、遺しておいてくださいます。例えこの場にすでに神の庭はなくとも。

なお、時代的公証から、講師用の原理を垂らし置くなら、
紐、非も、後ルディアスの結び目と、唱えるがよい。V@V@ ナンチャ手を!

簡単な無限を与える側から見る場合、
その文明で数えられる限界のひとつ上の数の、存在を見せればよい。強い、となるでしょう。

宇宙進出後の私たちは、それを問われるかもしれませんね。


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知恵のみ、、定説~?


( ゚ε゚;)ムムム、
ブラジリアんさんに一言。
やはり、私の研究対象の項目なので黙ってられませんね。

無限は【無い】と言い切りますが、私はあると確証を得ています。言い掛かりです。どっち?我?

あなたの非経験の庭についての考え方に私は否定的な意見( ̄▽ ̄;)です。

恐らく世界は、錯覚含むが、非経験の庭すら、融合された位置にある と考えます。
経験事象と非経験には、融解点があると、
例えニーチェか言うならニーチェが間違っている可能性もあると言うノーです。m9っ`Д´) ビシッ!! (you know?

理由の第一は、まず、
非経験でもすでに名前が決まっているものは、経験事象の一部でもあり、未知の道です。

次に証明用の論題.. 。

一般的な と呼べる証明。

例えば、地球の全人類76億の人が、全員神様の声を聞いて、「おハロー、ー 私. 神様です☆ミ」と聞こえ、神がここにいると確信した場合、

それでも、お互いに今、神様の声を聞いたよねと言っても、学者かそれを「伝え(合っ!)ている時点で聞いていない」、と言い出したら、それは、一般性という全員の証明により、嘘であると認定されます。

非経験とは、経験できないことととらえられ勝ちですが、まずそれ自体で仮定にすぎない。時代によるテクノロジーの進歩により、それが不可知や、非経験領域だと思っていたものですら、可能知となる((v価値)があるもの))と呼べる場合もあるのではないですか?
それも次元昇降、session!

やはり、非経験でも、名前がわかる自体で、一般性においては、いつ解ける可能性があると言わざる終えない。でしょう少年!少年期なのです、まだ人類は
何故なら、公式ができるものは、未知ですが、
未知の定義、いつか解けると推定できる知とは、
名前(程度)以上の、公式よう記号が、存在するものを含むと、解けるからです。出なければ一般性における、いつか解けるとの推定とは、何を持ってて入りするのですか?

アートマン霊我は、げんじつとの融解点があります。
太陽が真実を照らす。力の球体、全知

まず、紙の話ですが、さっきの学者が嘘つきでなかったとするならば、すべての人々は、誰しもこの世界で、話をしても通じ会えないということを証明いるに他ならないのです、なら。
貴方も、霊我的認識を記しを、他(弱)者とわかり会えないというのなら、私は、この世界で永遠に孤独であると、嘆いているのではないでしょうか?
認められないものの戯言をいっていのは、あなたもあるいは一緒では?
我思う故に~を抜け出せていない。のかもしれません。

兎に角、非経験と経験の座の、融解点はある。それが知恵のみの効力。私はそう信じます‼


無限は、神のミテの一部にすぎない。全能は、今だ多くの不可知を含んでいる、神か霊我の手助けなくして、その階を上がることまかり通らず、インスピレーションは、イノセンスでしょうね。
理論的 融解点として、与えられた思考のキザハシである。
皆々 様 ら 階を 登るべきその時です
(〃^∇^)o彡☆

よろしくお願い申し上げます。
長文、失礼、スレだ意図関係ない部分を多く含み申し訳ありませんでした。

ボジョレーヌーボー みんなで開けよう!世界の夜明け!
食らうそらすのの提供です
何てねェイ笑い..ヤー h way!
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★(№9お礼欄) 無限は《有る か 無い か》は 分からないの


ではなく、有るのである。
☆ それは 一段高い次元での表現としての《有る》なのでしょう。

経験世界では 有るか無いかは分かりません。


★ 無限は実在のものとして存在するということ。
☆ 《実在》も《存在》も 先ほどの《有る》と同じく 別次元の表
現として用いているというのなら よろしい。


★ なぜなら無限は連続性の上に成り立っているからである。
☆ それでは ダメ。

円周率 π は 限りなく小数点以下の数が 連続性の上に成り立ってい
ますが 3と4との間におさまる《有限》です。



★ 有限と無限は連続しているのであり、
☆ もしこの《無限》を π のような可能無限ではなく 真無限とし
て言っているのなら それは ひとつの仮説です。

(連続体仮説と微妙にかかわっているのかどうか)。


ですが その仮説は 検証のしようがありません。なぜなら 真無限
は 有限なる経験世界を超えており 人知を超えているからには 確
かな知りようがありません。


言いかえると 絶対なる無限は 有限世界とぜったいの隔たりがある
と前提されますが その上で――その上でです―― たとえば無限が
経験世界に遍在するといったやはり仮説として 推し出す場合が考え
られます。


さらに言いかえると 無限と有限世界とは 非連続であるというもう
ひとつの仮説――これをも 同時に みとめなくてはなりません。

そういう事情のもとにあります。



というより 《無限と有限世界は 互いが非連続である》という命題
にまとめておくなら その中身についての仮説として (あ)連続し
ているか または 不連続であるかとして 二つの――矛盾しつつし
かも想定されうる――場合があると 言って行くことができます。





★ 有限と別のところに無限があるわけではないのである。
☆ それが あたかもスピノザの《自然即神》の汎神論のごとく 無
限が――つまり早い話が 神が―― 遍在するという仮説です。

そのことを検証するすべは ありません。

言いかえると 《神は無い》というもうひとつの仮説と 同時に・同
等に打ち出すことができるという恰好です。





神の遍在なる仮説は 神は無いなる仮説とならんで おそらく 個人
の主観の内部において 特殊な絶対性として(つまり絶対性なら無限
として・神として)いだかれる場合が 否定され得ないというかたち
で あり得る。ということになるようです。





★ 数学では無限を εδ 法によって定義するのである。
即ち無限とは如何なる有限を持ってきても更にその有限の次が存在す
るという1つのプロセスなのである。
☆ それが 可能無限です。有限のことですよ。数えることが出来る
のなら 経験事象です。

無限は 数えられるか数えられないかが 分からないのです。


★ 一度くらいは解析学における無限の扱いを学ぶべし。
それゆえ有限と無限は連続しているのである。
同様に考えると超経験事象と経験事象も連続しているのであり、経験
事象と別のところに非経験事象が存在するわけではないのである。
☆ 上にのべた同じコメントとなると同時に ここまでくれば たわ
ごとである。

非経験が 経験事象だという錯乱。

もし仮りに 無限が有限世界に対して 連続しているとしましょう。
だけれども その連続して現われる(遍在する)姿は あくまで 無
限の《代理》としてなのです。

無限の――神の――《依り代・補助線・偶像》としてなのです。神そ
のものが 現われたわけではないでしょう。
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無限はある場所とない場所がありますが、


とりあえず専門の研究なので。一言、ここ"とを

簡単にアル場所を指すなら、
空間の無限拡張性。
つまりあなたの回りの空気は、(の、どこでもは)
無限に大きさを 拡張して認識できる、になります。
それはすべてを含みうる無限か?

因みに、世界はドット的に出来ているのか、あるいはそれは絶対にないのかと意宇テーマがありまして。

まず最小単位の原始 物質(素粒子) 等が、コンピューターの概念で使われるドット(ピクセル)のように、世界を埋め尽くしていたとします。

その場合は、僕らはドットずれしたような位置に存在できな.い。ただコンピューター画面に出力されたような、哀しい(悲喜こもごも) なAI のような存在なのかもしれないと意宇 点です。

ならばむしろ、より小さいものこそが、最初のビック番では産み出せなかった、創造による 最小単位粒子の発生ではという問いですね。

それならば、少しは、安らぐかもしれませんか"、
ではとこからがビック番であり得た最小なのか?
原子まで?それと?光の種類にある こうエネルギー
素粒子きゅうは
ニュートリノは?別宇宙からの物室は?


もう1つ、現段階では、宇宙は無限と提示されるべきでしょう。
広さが最終値に至っても、その外側は必ずまだあることしか見つけられていませんから(つまりは、外側の広いものがなかったことがない 時代)。今の時代。


なお、さっきの、ブラジリアンさんの答えの

個人それぞれが言い出せば良いのかと言う問いですが、

デカルトの
~ 我ありに言う通り、
第一者 確証は、第2者確証より上にある以上、まだまだ、
他の人の考えがあることすら、確定と呼べはしません、時代ですよ。ね
まぁ、この真理の回答はすでに得てますけどね。
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1. 無限とは――可能無限のような経験事象のことではなく ふつうに


言う真無限とは―― 二で割っても三で割っても 商はやはり元の無限で
あると想定して定義するものです。

2. この無限が:
★ この現実世界に実在する
☆ とお思いですか?




3. 想定として――なぜなら この経験世界を超えたところについては
そのまま人知を超えているからには 人知としては 想定するよりほかに
規定し得ません―― そのまま一人ひとりに持たれる現実です。

4. 経験現実を超えた場(ないしチカラ)を想定して持っているという
大きい現実です。




5. 時空間は 経験世界のことです。相対性としてあると見なされてい
ます。

6. つまりは 無限は 超経験であるからには 絶対性です。



7. この絶対性を かつて:
★ 実体
☆ と言っていましたが――そして名残りはありますが―― あまり使わ
ないほうが よいでしょう。

8. というのは 無限なる絶対性は それが 経験事象として呼ぶとこ
ろの《有る か 無い か》は 分からないからです。《実体》と言うと
つねに《有る》と決めているように見られるからです。

9. 言いかえると 絶対性なる無限は 経験的なものごとについて言う
ときの《有る・無い》を超えているからには 《非知》とでも呼ぶしかあ
りません。

10. 非知がいやなら 無限は 《有る》派と《無い》派のどちらかに 
人によって自由に・好きにえらんで 分かれるということになります。
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この回答へのお礼

>8. というのは 無限なる絶対性は それが 経験事象として呼ぶとこ
ろの《有る か 無い か》は 分からないからです。《実体》と言うと
つねに《有る》と決めているように見られるからです。

無限は《有る か 無い か》は 分からないのではなく、有るのである。
無限は実在のものとして存在するということ。
なぜなら無限は連続性の上に成り立っているからである。
有限と無限は連続しているのであり、有限と別のところに無限があるわけではないのである。
数学では無限をεδ法によって定義するのである。
即ち無限とは如何なる有限を持ってきても更にその有限の次が存在するという1つのプロセスなのである。
一度くらいは解析学における無限の扱いを学ぶべし。
それゆえ有限と無限は連続しているのである。
同様に考えると超経験事象と経験事象も連続しているのであり、経験事象と別のところに非経験事象が存在するわけではないのである。

お礼日時:2017/11/20 16:01

現代理論物理学は数学によって構成されていることを理解すべきである。


数学的に成り立たないものは物理的にも成り立たないという立場である。
無限は数学的概念であると同時に立派に実在世界を構成しているのである。
例えば電磁気学の諸法則は無限遠点を導入して初めて成り立っている。
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量子論的に、存在は認識される事で発生しており、


敷衍して無限を考える事は仮想的概念であって、
有限な認識の先入的要素とするのは古典的な考えだ。
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お節を拝読してアウグスティヌスを思い出しました。



4世紀の人です。
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時間は無限であり、始まりも終わりもない


無限として実在するからです
  ↑
ビックバンでは、時間も始まりがある、と
されていますが。
始まりがあれば終わりもあるでしょう。

そもそも時間というのは独立したモノではなく、
物質の変化に過ぎない、とする説もあります。
この説に寄れば、物質が有限なら時間も有限だ
ということになります。




空間もまた無限であり、この宇宙は果てしなく
無限に広がっているのです。
  ↑
そういう説もありますが、そうでない、とする
説もあります。
10の500乗個の宇宙がある、と主張する学者も
少なくありません。



我々は原始や分子がミクロの果てと考えがちですが
  ↑
これはちょっと古すぎますよ。
素粒子でしょう。
原子の下にはクオークがあり、クオークだって
結局はエネルギーに過ぎない、という超紐理論が
有力です。
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この回答へのお礼

>これはちょっと古すぎますよ。
素粒子でしょう。

そんな話は微々たることでして、ミクロの世界は果てしなく無限に続くのです。

お礼日時:2017/11/18 12:01

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