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A「我の魂は震え美しく輝かむ」
B[我の魂は震え美しく輝くらむ」
この二つの文では、助動詞「む」は、動詞の未然形に接続し、「らむ」は、動詞の終止形に接続しています。どちらも推量の助動詞なので、意味は、「美しく輝くだろう」ということだと思うのですが、この場合、「む」でも「らむ」でも、意味に相違はないのでしょうか?つまり「美しく輝くだろう」という意なら、どちらを使っても、誤りではないということでしょうか?教えてください。

A 回答 (1件)

A「我の魂は震え美しく輝かむ」


は、未来に対する推量。(将来的に輝くだろう)

B[我の魂は震え美しく輝くらむ」
は、現在の事態に対する推量。(今、輝いていることだろう)

という違いかな、と思います。
自分の魂の現在の状態が不明である、という前提になってしまいますから、Bの表現はおそらく不自然になるような気がします。
  
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この回答へのお礼

hakobulu様、
さっそく教えてくださったことを、自分の頭でよく考えてみたいです。
古語は、慣れていないので、当時の人がどのように使っていたのか、その実感がつかめないで困っています(勉強が足らず当たり前かもしれませんが)。私の疑問も、当時の人(奈良・平安?)なら、そんなおかしな表現はしないよ(B)、という例かも知れません。
未来に対する推量と現在に対する推量という観点から、二つの推量の助動詞を見直してみます。今までどこが違うのかなと、疑問に思っていましたから。
貴重なご指摘をくださり、ありがとうございます。
迅速に教えてくださり、感謝に堪えません。

お礼日時:2012/06/11 06:05

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