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こんばんは
日本史のことについて質問させていただきます。

藤原良房のことなのですが、857年に太政大臣に、866年に摂政になっていますが、これは太
政大臣と摂政を兼任していたということなのですか?

ご回答よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

役職からいえば、太政大臣は、官僚のトップ。

現在の事務次官。 摂政は天皇に変わって行う行政のトップ。今の日本も 天皇は象徴であり、行政のトップは 総理大臣でしょう。  

官僚のトップにいた人物が、9年後に行政のトップに就いたということになるのでしょう。 当時の藤原家の勢いからいえば、当然の出世ルートなのだったんでしょう、多分。
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摂関政治の初期には, 基本的に摂政・関白は太政大臣が兼務する (あるいは太政大臣に付随する職務として摂政・関白を務める) というイメージがあったらしいです. 良房も太政大臣のまま摂政となっています.



のち, 安和の変のころから摂政・関白と太政大臣との分離がはじまるとか.
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はい。

兼任です。

摂政や関白と太政大臣は兼任されることが多かったです。もちろん、兼任されないことも多かったです。
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857年は、文德(もんとく)天皇の時代、


866年は、清和(せいわ)天皇の時代。

つまり、857年には文德天皇の下で太政大臣に、
866年には清和天皇の下で摂政を務めた。
ということですね。
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