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2009年に阪神と近鉄は、難波駅にて接続され利便性が高まりました。
大阪市のような大都会では、駅は減るよりもむしろ増える傾向が
あるようです。

しかし、南海は1993年に天王寺駅を廃しています。
過疎地のローカル線ならともかく、天王寺のようなターミナル駅を
廃止するのはなぜでしょうか?

関空や和歌山方面へはJRでも行けるので、南海天王寺駅が
無くなっても利用客は別に困らないかもしれませんが、
南海電鉄にとっては大きなビジネスチャンスを失ったのでは
ないでしょうか?
もしかすると、南海天王寺線の線路が交通渋滞の原因となり
社会問題になっていたのかもしれませんが、しかし廃止するよりも
何か方法があったような気もします。

この当時、大阪に行ったことがなく、詳しい事情に疎い私では
ありますが、皆様この事情についてもし何かご存知でしたら
教えてくださいませ。

A 回答 (4件)

地図だけ見たら、質問者様のような疑問が生じても不思議ではありませんねえ。

でも、一度でも現役時代に乗ったことある人なら、廃止されて当然と思ったかもしれません。なにせ質問者様仰るように天王寺のようなターミナル駅に客が数えるほどしかいなかったのですから…
平成の世に天王寺駅で券売機すら設置されなかったことからも利用者の少なさがよくわかります。

なぜこんなことになったのか、極論すれば、新今宮駅ができたからです。

ご存知のように南海は非常に古い路線です。起点は昔も今も難波駅、今でこそ繁華街ですが、昔は大阪のはずれだったそうです。
南海は大阪の私鉄としては珍しく、国鉄(今のJR)と同じ線路幅でした。これは貨物輸送を重要視していたからともいえます。
当初は難波まで旅客もも貨物も運んでいました。しかし、今の環状線に当たる路線が天王寺から京橋経由で大阪まで開通すると、この線に連絡して各線との接続をよくすれば、南海の利便性が挙がると考えました。
で、天下茶屋から天王寺までの視線を開通させ、旅客と貨物を国鉄に連絡させました。
これは大成功だったようです。


時代はずっとさがって昭和40年代、ようやく全線開通して環状運転を始めた大阪環状線に、新今宮駅ができ、南海本線から環状線に直接乗換ができるようになりました。今までは支線に乗り換えないといけないのだから、雲泥の差です。
ということで、天王寺線の利用はどんどん減っていきました。
しかも天王寺という場所、大阪以外の人にはそこそこ栄えたターミナルに見えますが、ここはあくまでも乗換地点、最終目的地になるような場所ではありません。
ということで、昭和50年代には天王寺支線は忘れられた路線となってしまいました。貨物もかなり前に廃止になっています。

とは言っても、大阪のど真ん中を走る路線、いくら客が少なくても廃止を検討するほどの路線ではありません。
とどめを刺したのは、大阪市です。

大阪市はかねてより地下鉄堺筋線の延長を計画していました。当時動物園前止まりだった堺筋線を南へ延伸し、南海の駅と直結させ南海方面(当然関空を意識)と阪急を直結させるつもりだったのです。
もちろん直通を考えていましたが、阪急と南海は線路幅が異なり、紆余曲折の末、阪急の幅に合わせて堺筋線を開業させ、阪急と堺筋線が直通することになった経緯があります。
さて、堺筋線の南進の目的駅は天下茶屋、そう天王寺支線のも分岐駅です。しかも天下茶屋寄りの区間は地下鉄を作るには天王寺支線の敷地が必要になると言われました。
南海は天王寺支線に未練がありません。しかし地下鉄は天下茶屋まで延長すると大幅な利用者増が期待できます。
となると答は見えてきますね。南海は大阪市に頼まれて泣く泣く天王寺支線を廃止したことにして、その跡地を利用して堺筋線が天下茶屋に延長されたのです。

南海はこれで、天王寺に直結する路線はなくなりましたが、天王寺には南海の忘れ形見があります。それは駅ビルのミオで、敷地の一部は南海の駅部分を利用しているだけあって、南海も出資した会社です。
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詳細は、此方


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7% …

つまりは、環状線との接続駅・新今宮の開業と貨物輸送の終焉で、その役目を終えたと言う事です。
仮に、温存しても、和歌山・関空方面に直通列車を走らすには、全線複線化(用地からほぼ不可能)と天下茶屋駅の大規模改修が必要。(天下茶屋駅は、その後高架化)

まぁ、天下茶屋⇔今池町部分廃止直前のデータイム天王寺支線は、2輌編成に乗客数名。
それも、飛田本通・今池町の乗降客が大部分。
一方、汐見橋支線温存は、南海電鉄悲願の梅田方面への足掛かりになる可能性が残されているからだと思われます。
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1966年に大阪環状線との乗換駅として新今宮駅ができ、


南海本線・高野線のすべての列車が停車するようになりました。
これに対し、南海天王寺支線への乗換駅である天下茶屋駅は、
当時は普通しか停車していませんでした。

このため、天下茶屋駅で天王寺支線へ乗り換えて天王寺駅へのルートよりも
新今宮駅で大阪環状線に乗り換えて天王寺駅へのルートの方が便利で、
天王寺支線の利用客は激減したそうです。

天王寺のようなターミナル駅につながっていても
利用客が少なく、ローカル線のような状況だったようです。

そもそも、天王寺は近鉄のターミナル(阿部野橋駅)でもあり、
こちらの方が、古くからターミナルビルの整備が進んでいました。

利用客が少ない天王寺支線と強力な競争相手がいる天王寺駅に大きな投資をするよりも、
難波に集中して投資した方が効果的との判断もあったのだと思います。

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/mulberry/mt/rail7/tennoji …
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利用者が減少し採算が取れなかったのが主因です。



大阪市内からであれば天王寺より難波へ行く方が便利。
国鉄からの乗換であれば新今宮の方が便利。

もともと天王寺線は貨物の受け渡しがメインでこれに若干の国鉄連絡旅客の利用が有った程度。
貨物の廃止と新今宮駅の開業で目的を失い地下鉄堺筋線の建設に伴い用地を明け渡す形で今池-天下茶屋間が廃止となり天王寺-今池間の孤立した区間となりましたがそのご軌道線が別会社になったため軌道線との連絡という最後の意義もなくなり廃止となっています。
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